It's You Or No One,

日常や非日常や思ったこと。静岡の大学4年生の日々。

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本のこと

2006-06-06 04:12:16 | 日常。
社会人になってからの方が本をよく買うようになった。

今日も会社帰りに、服を買いに横浜駅に行ったのに、何故か先に本屋で3冊お買い上げ。。

何冊か買うときは大体「読んだことあるひとの本」と「初めて読むひとの本」という組み合わせ。

多分失敗(=読みづらくて途中で投げ出すこと)したくないからなんだけど。

今の陣地を深めつつ、新しい陣地に向かうような感覚。

つまり私の中で「読んだことあるひと(の本)」
というのは自分の陣地、自分の味方って捉えてる節があるんだな。

多分そうやって周りの、別の陣地と戦って(?)るんだと思う。
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長いこと

2006-05-23 03:29:14 | 日常。
放置してました‥。

2ヶ月以上??(-_-;)

最近はmixiで書くことが多いけど
こっちでもまた少しずつ書いていこうかと思います。。多分。


二ヶ月の間には
無茶苦茶忙しくて楽しかった企画の運営があり、
大学の卒業式があり、
就職とそれに伴う初一人暮らしがあり、

今もその一人暮らし中です。


さすがにいろんなことがありすぎたので
いまさら一つ一つは書かないですがー。。相変わらずマイペースに生きてますー。


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ちょっとぼやく。

2006-03-04 01:10:06 | 日常。
自己満かもしれない。だけど
それさえなければ人を満足させることなんて
そもそも出来ないっておもう。

おこがましいよね、
いつも、何にも頷けられないストイックさって。
ないものねだりで苦しいだけだ。

私がほしいのはそういうストイックさじゃないのだよ。
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最近

2006-02-23 08:11:34 | 日常。
別にへこんでるわけじゃ
なくってね。

充実してるんだけどさ。


毎日毎日本音で暮らすって
疲れるよねー・苦笑


でもきっと、それって幸せなこと。


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こころの細胞

2006-02-08 17:32:08 | 日常。
最近の生活。
けして門前ばかりじゃないけど、
大半が門前。

まぁこうなるのは予感してました・苦笑。

で思うこと。

一週間前の自分と
今の自分はまったく違う。

一週間どころか、3日、
もしかすると1日1日 ごと
違う自分をみつけている。

チープな表現かもしれないけど
「本当に」そんな感じ。

毎日毎日こころの細胞が入れ替わっていってる、そんな感じ。


実は、昨日はほんとうに凹んだ。
今までわかってて、でもどうして
いいのか分からなくて行き詰まってた。

壁があることはわかってて、
でもそれをどう突破していいのか悩んでた。

でも実のところ、ちょっと行き詰まっただけで
諦めようとしてたかも。

どうせ、って言葉が実は
あたまをよぎったりしてた。


でも一番最初に、そして一番最後まで自分を信じてあげられるのは自分だ。

決めたから。
そこから前にいくから。
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せんせい

2006-02-01 23:52:58 | 日常。
恩師っていい。

今日は4コマが最終演習授業。
私たちにとってはゼミの先生の授業を受ける最後の機会。

「もしも『死にたい』なんて時がきたら
必ず私のところに会いにくること、
約束しなさいよ」

今日、大学最後の授業になる4年生に
先生が言った。
ちょっと冗談めかしてたけど、
こんなこと、なかなか言えるもんじゃない。

ちょっと泣きそうだった。




5コマにお邪魔したS根先生の最終授業もよかった。
S根先生は今年度末、退官される。

ウチのコースでは有名なことだけど、
ホントにS根先生のゼミは仲がいい。
(そしてよく飲みに行く)

ウチの先生は
S根先生とそのゼミ生の絆を称えてらしたけど、
ウチだって先生のことみんな好きなんですよ、S井先生。
ただあまり飲みに行こう!っていう人がいないだけで…。
(シャイなのだ、多分。)

あー、大学行ってよかったなぁ。

卒論の口頭試問だって、その後の卒論本音トークだって
楽しみで仕方ない。

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JAZZとか本とか卒論とか

2006-01-31 02:42:08 | 日常。
JAZZイベントに行って来ました。

3時間前に帰ってきたのにいまだ興奮冷めず。。
あぁこの世界とずっと関わっていきたい。いく。

そんな感じでボーっとしており
明日提出の卒論概要に取りかかってません・・。

卒論の「はじめに」を弄るだけだから
すぐ終わる(はず)だけど。

じゃあやろうよ自分。。。


そういえば、本買いました。
わたしにしてはまとめ買い。

3冊文庫本と1冊ハードカバー。
3冊春樹で、1冊某企業の社長が書いた自伝。

いつか買おうと思ってたのを買えたので
まだ全部は読んでないけど 満足満足。


本を買うときはすんごく吟味してしまうことが多い。

ただでさえ同じ本を3回4回~と読み返すから
あまり買わないほうだし、だから手元にはあまり本がない。

うーんでも、置く場所がもうちょっと広くなって
お金の余裕ができればもっとズザザッって買ってしまうのかな。

ともかく
誰にも邪魔されずに
好きな本と好きな音楽を聴いて
熱いコーヒー飲んでるのが幸せ。


あ。
卒論発表会で発表することになりました。
作品を「1回は読んだことある人」前提で発表するのだけど
実際は読んだことない人が大半なハズなので(汗)
そこの差をどうクリアするかが自分の中で問題。

「ちょっと読んでみようかな」って思わせたい。
ひとりでも帰りに文庫を買って帰ってくれたなら幸せだ。

ほんとはそこが主旨じゃないんだけどね。


でも先生に演習でほぼ毎回「(発表量を)欲張りすぎたね」を
ダメ出しされてる身としてはまた欲張りスギなのかもしれない。

うーん。工夫。工夫。
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文学をやること

2006-01-26 12:01:49 | 思いついて書いたこと。
私は言語文化、という学科にいるのだけど
人に説明する時は面倒なので
「文学やってる」と答えることが多いです。

で、「文学やってる」っていうのは
外の人から見ると「金にならない」って映るらしい。

ウチの母とかも「暇じゃないとできないよねw」とか
しゃーしゃー言いますですよ。

で。

ホントに「金にならない」のか、とか
ホントに「暇じゃないとできない」学問なのか、とか
その辺はよくわからないけど

多分外の人が見て思うのは、

文学やることで稼げるようになるとは思えないし、
文学が社会の経済活動に貢献してるとは思えない、

ってことなんじゃないかな、とおもう。

まぁ確かに
簿記やってみたり、改正される法律について勉強したり
企業と研究室合同でなにか開発したり
するよりは、「金にならない」感じではあるよね。

音楽とか、美術とかみたいに
才能がどう、という芸術的印象を
文学研究がもってるような感はあまり受けないし。

娯楽として売られている小説を
「ここの表現が」とか
「これは何々の暗喩で」とか
いちいち指摘して云々いうことに
「金にもならないのに」
一体なんの意味があるのか、って思ってるんじゃないかな。



私もそう思ってた。
文学ってなんのための研究なの?って。


でも何か最近、分かってきたような気がする。


これは私が勝手に思ってることなんだけど、
文学研究って、結局「自分のため」なのかなって。

だって、Aという小説を読んで
「ここの表現が」「ここが暗喩で」って
いちいち指摘していることが
そのまま社会の役に立つって
思ったことないんですよ。

でも
Aという小説に惹かれて、たとえば
その語りに、その描写に、その人物に、
いろいろ分析、(というか難癖というか…)を付けていくと、

ふと、
「そう評価してる自分ってなに」って
思うことがあるんですよ。


自分の、思いもよらない深淵を覗き込むことがある。


思いもよらない深淵に、
慄いたり、戸惑ったり、力づけられたりする。

自分はこういう人間です、っていうなかのひとひらを
掴める瞬間がある。

それがすごく、いいんですよ。


で、さらに
そこからズームアウトすると
そんな小説が売れたり、支持される世の中が
ほんの少し、見えてくるような気がする。


世界の、
そういう、
とても深くにある、測れない何か。
とても間接的なんだけど
どうしようもなく近くに分かってしまう何か。

そんな世界の抱えている深淵を
もやの向こうに感じ取ることができる。

そういう経験が「文学やってる」ことで、できる。

いやむしろ、そういう経験こそが
文学やることの目的なのかな、と私は思う。


だからさ、
金になるかならないか、とか、
研究そのものが社会に貢献できるか、っていうのは
ちょっと問題じゃない気がするんですよ。

そうした問題は文学そのものじゃなくて、
そういう経験をした人間が、
どのような人間になって、ってところに
かかるのかなと。

経済活動で出る結果は、
文学そのものじゃなくて、

それを学んだ人間が
稼ぐ人間になるかならないか、
社会に貢献する人間になるかならないか、

ってところに求められるべきだと思うのです。



結論としては、
私はそういう、「文学やって」大学生活を
送れたことを幸せに思うのです。

で、経済活動のために社会に出る「文学やって」た
身としては、頑張りたいなと思うわけです。
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とてもがっかりしたこと

2006-01-23 00:11:19 | 日常。
コンプレックスがあるんですよ。

で、それを晒さないように気を張ってるんです。
別にそれは、そんなにつらいことじゃない。

でも、どこかでそういう、自分としては「よろしくないところ」を
なんとか認めてくれる人、というのを求めてもいて。


だから逆に、
自分が「耳を傾けたい」と思う、尊敬する人の口から
「そんな(わたしの抱えてるタイプの)コンプレックスを持ってるひとはいない」
というような断言を聞くと、それはもう、つらい。

つらいと同時に、なんだかヒステリックになってしまいそうで、
その場で平常心を保つのがむずかしい。

だって
コンプレックスは、暗い影だけど、原動力でもあるから。

それを否定されたら、

わたしのマイナスもプラスも、

せつない望みも衝動も、

存在しなくなってしまうから。


でも
わたしはそれに返す言葉を持ち合わせてなくて。


だから、今日はかなしかった。
いいこといっぱいあったけど、
ふと耳に入ったその一言で、掻き回されてしまった。

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僥倖

2006-01-18 01:02:53 | 非日常
今日は某企画の活動で老舗の料亭を体験。
うちの組の活動では二大イベントのうちの一つだった。

初めての料亭です、懐石料理。

一品一品、時間をかけていただくことの豊かさ。
贅沢だなぁとおもう。
一連の流れ。緩急・コントラスト。
(この辺はぜったい他にも活かせられるはず)
ゆらゆら浮く月。(車だったので見るだけ…)
旬。個人的には鬼面人参に感動。

とっても貴重な時間だった。


でーすーが。
今日は「その前」が
自分にとって、すごく大きな収穫だったのです。

みんなの集合前、15分ほどお話した。
これまでのこと、これからのこと。
キーワードは「自在」。

私たちは
どこへだって走っていける。
跳んだって、飛んでだっていい。
泳いだって潜ったっていい。

自分で見方を、生き方を、
勝手に狭めて、決めてないだろうか。

ほんとはそうじゃなくって、
もともとボーダーラインなんてなくって、

あなたは
どこに走っていってもいいのだと。

私は、私たちは、
ゆるされているのだと。


今日はね、
なによりもそのことに行きついたということが
もう、なんというか、じーんときた。

(だからちょっと懐石の席では反動で
ひとり和んでしまっていた)


この感覚はいままでになかった。
いや、
というよりは、
欲しくて欲しくて、でも手に入らなかったもの。
誰もくれなかったもの。

それを
やっと手に触れられた感じ。

大学卒業前にこんな体験ができたこと。
本当に幸せだ。感謝しても、したりない。
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