行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

広島市植物公園

2011-01-15 20:26:21 | 日記
 午後、広島市植物公園へ行った。写真は、展望台から手前に園内、中景に廿日市市街地、遠景右に宮島の島影を望む。小雪がちらつき、冷たい風が吹きさすが園内は人が少なかった。この時期は、木の葉が落ち野鳥観察に好適で、双眼鏡でのぞく女性に伺うと「まひわ」がアメリカンフーの実をつついているとか。他の鳥に驚いて群れて飛んで逃げた。小さな鳥でデジカメでゲットするのは難しかった。木の上には、カラスの巣もあると教えてもらった。都会のカラスは、ハンガーの針金も巣作りに使うとか、他の鳥のヒナを襲うとか、ゴミを荒らすとか言葉を交わして別れた。
 帰宅し、広辞苑で「まひわ」を調べると、燕雀(えんじゃく)目の小鳥。大きさスズメ位。広く北地で繁殖し、秋季日本その他に多数渡来とある。
 植物公園の温室内でいくつか花を見て回ったが、一つも頭に残らなかった。展示温室にどなたの作品か知らないが、オブジェがぽつんと飾られ、大きなリースにマツボックリが飾られ中央に女の子の晴れ着が配され、七五三のお守りが下がっていた。

小寒から大寒へ

2011-01-14 20:20:55 | 日記
 1月6日小寒、1月7日七草の日に、インドネシアジャカルタから年賀状が届いた。昨年3月けんだまを通じて知り合ったTさんからで、当地の海を背景にした家族写真はお子さんたち3人が涼しそうな民族衣装でかわいらしく写っていた。お礼をメールですると、すぐに12月24日投函した拙者の年賀状も入れ替わり届いたと返事が来た。実にメールは早く便利だが、2週間かかった郵便も悪くは無い。
 日本の四季が懐かしいとのことだったが、小寒を迎えて一段と寒さが厳しくなった。ある本によると、小寒とは、まだ寒気が激甚とまではいかない時期という意味であるが「小寒の氷大寒にとく」といわれるぐらいで、大寒よりもかえって寒い日のくる場合も多いとある。
 そんな寒さの中、我が家の狭い庭で紅梅が赤いつぼみを、蝋梅(写真)は黄色いつぼみをそれぞれふくらませはじめ冬を抜けだそうとしている。春の到来が待ち遠しいが、花粉が心配でもある。
 明日・明後日と厳しい寒さの予報の中、センター試験が実施される。受験生の皆さんベストを尽くして本当の春を迎えて下さい。

実家の解体

2011-01-13 15:03:30 | 日記
 亡き父が苦労して昭和29年に建てた家が、2008年12月12日たった1日で瓦礫と化した。段原再開発に伴うもので、勿論家の査定と代替地の補償は受けた。
 拙者が実家で暮らした期間は、大学を卒業して社会人になり、神奈川県川崎市に就職した昭和39年までの10年間だけだった。2階の3畳が自分の部屋で、落ち着いて勉強が出来た。家を出てからは、父の勉強部屋で、晩年まで広島の戦後をカメラで追い、写真・ネガ等の資料で埋もれるほど本棚に積み上げていた。これら膨大な資料は、移転を機に広島市文化振興課へ寄贈し、のち広島市現代美術館では「一人快芸術」展や、広島市制120周年・広島平和記念都市建設法60周年記念、広島の復興をたどる写真展「町・人・てんてん」で披露していただいた。
 昨日のブログ写真は、1997年の1枚で、父は1911年生まれなので86歳のスナップだ。足腰が弱くなり、タクシーで出かける時もカメラは離さず、運転手の横座席で車窓からの風景を追っていた。平成14年(2002)父の弟85歳の葬儀に出かけた写真・ネガが最後になり拙者の手元に残っている。

再開発前の段原山崎町

2011-01-12 15:48:11 | 日記
 写真は他界した父が、1997年4月に撮影した山崎町の町並で、霞団地A3ビルから北東望した一枚。手前右の大屋根の建物は、霞集会所、中景右寄りに段原中学校が見える。写真手前左、正方形の白屋根アパートの右、古い木造・洗濯物が干してある家が実家で、2008年末までに周辺を含めて再開発のため更地になった。家は昭和29年建設なので54年、父(2008/2死亡)にとっては終の棲家になった。昨年から再建がぼつぼつ始まっている。最後に残っている段原中学も今年4月から、霞町に新築なった校舎に移転することになっており、この付近の古い面影が一掃される。
 昔実家そばは、写真手前の左右のかぎ状小路沿いにドブがあり、そのドブに沿って旧兵器廠の高いコンクリート壁が残り市街地開発の邪魔になっていた。
 父亡き後、再開発で壊される実家を霞団地のビルから、しっかり眺めて写真を何枚か撮影し、父の墓前に報告した。再開発の説明会には老体を押して出かけていたようだが、家を明け渡す前に千の風となり不幸中の幸いだった。

教室名の検討?

2011-01-09 20:42:11 | 日記
 2日間のボランティア、生活のリズムを崩して対応した。拙者昼食は、いつも12:40分ごろはじめる。この度の木工教室が13:00スタートで、電車&徒歩で1時間要するので昼前に食事を済ませた。気が弱いから時間変更には反省会で意見しなかった。ボランティアだから自分の好きな時間で良いと言われたらそれまで・・
 1日目と同じ3家族で木工の続きをしたが、お互い緊張が取れ、ボランティア自身が創作したり、異例の休憩を挟んで、参加者全員お茶・お菓子がふるまわれた。木工教室→木工広場→木工サロンと柔らかな雰囲気になった。
 そんな中、彩が丘小学校5年生男児(写真)は、本格木工にふさわしい観音開きのミニ戸棚を完成させていた。写真左は、終始真面目にサポートされたボランティア黒田さん、中央は2日間笑顔で見守られていたお母さん、右は出来栄えに歓声を上げていた事務員。当方がした事は、冬じゅう半そでで大丈夫なのか、左手首のミサンガは女子から貰ったのか、作った作品はお母さんの調味料入れにするのか等つまらん事しか聞かなかった。終了後、ボランティア仲間で約20分反省会をして教室名をどうするか話した。