よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

足で歩いた頃のこと

2017年06月23日 | 読書
星野富弘さんの最新詩画集『足で歩いた頃のこと』を読みました。



頸髄損傷で首から下が動かなくなり、もう半世紀が経つ星野富弘さん。
口で絵筆を咥えて描かれた絵は、どれも心にしみます。

星野さんの作品には、傍らで絵の具の色を調節し、色味を相談して口に筆を握らせる奥様の姿があります。

おふたりの生み出した作品たちは、いつも私の心を慰め癒してくれます。

心が疲れた時も、元気な時も、ふわりと優しい気持ちになれるのです。



星野さんの詩画集は全部持っていますが、最新刊を読むと、またすべて読み返したくなります。



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運のいい人の考え方

2017年06月22日 | 運気アップ
知り合いの息子さんは、身体が弱い上に何故かよく事故に遭う。

この前はある接触事故により、もう少しで失明寸前の大惨事になるところだったらしい。

「お祓いに行った方がいいのでは?」と勧めたら

「本人は『大丈夫、失明しなかった僕は運がいいから』っていうの。
 バカでしょ~」とお母様が笑いながらいう。

この考え方は好きだ。

要は、自分が運がいいと思えば運がいいのだ。
人が決めるものではない。



私は天気と交通で悩まされることは殆どないし

旅行すると大抵よいことに遭遇するし

3年間、職場内で「おめでとう!」吉事を連続して出しているし
(出産とか昇任とか表彰とか)

私が行く前は自殺者・心臓麻痺で救急車搬送のあった職場が
着任した後は凪のように穏やかになるし

…自分もそうだが、周囲の運気も上げられるほうだと思っている。

これは、自分で「私は強運だ」と思いなせばそれでいいのだ。

まったく事象にプラスな意味づけをせず、
不平不満だらけで、感謝もしないひとは、
…それはその人の自由。


今日、あるトラブルメーカーのAさんとBさんについて
仲間と集まって語っていたのだが、ふと気づいたのが

AさんもBさんも

●相手をコントロールしようとし、自説を曲げない
●人の話を聞かない(相手を理解しようとしない)
●自分に甘く他人に厳しい
●まず否定から入る
●楽しい話をつまらなくする

という共通点がある。
当然、周囲の運気を下げるタイプだ。


高幡不動尊さま。お守りくださる神様。

どうか厄介な二人を私から引き離してくださいませ。

厄除強運をありがとうございます。



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木村拓哉さんの事故

2017年06月21日 | コラム
木村拓哉さんが追突事故を起こしたそうです。

怪我人が出なかったのが不幸中の幸いでした。

そして、すぐに警察に届けたのも良かったと思います。


隠蔽したり、報告しないで逃げると、却ってややこしいことになります。

人間のやることは、完璧ではありません。

何か起きた時に、その対応で真価が問われると思います。




私事ですが、別のセクションで軽微な事故があり、
うちのスタッフに

「事故が起きないように細心の注意を払うこと。
 常に複数で確認・点検を行うこと。
 万が一事故が起きたら、速やかに報告を行うこと」

と再度注意喚起したばかりでした。


身につまされつつ、ニュースを見ています。

体験的なものを持ち合わせていると、かなり心に響くのです。


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集合意識はおそろしい

2017年06月20日 | コラム
「神社は集合意識の蓄積であり、そこにアクセスすることが運気向上につながる」という説を仄聞する。
集合意識(集合心理)が苦手な私は、ライブも祭りも避ける。

この前の高幡不動尊での護摩修行も、
周囲にシンクロせず、独自の祈り方をしていたのだが
―――私の場合は、このほうが運気があがるのだ。



さて霊的な話ではなく、集合心理はおそろしいものである。
なべてマイノリティを駆逐する。

「熱狂的なファンの気持ちを逆なでする言動は、
例えていうなら
フランス革命のパリ市民の前で
『マリー・アントワネット万歳!』
と絶叫するようなもの」と呟いたら
知人が「すごく良い比喩だね」と褒めてくれた。

そう、集団意識というのは排他的なのである。
そして同時に暴力的だ。

セミナーやライブでも、舞台に立つ人を崇め奉り
それができない人を排斥する傾向にある。

私は、それが苦手なのだ。

人を尊敬はできても、崇拝はできない。

誰でも不完全な存在だから、
「ここは腑に落ちるけど、ここは納得できない」
という面がある。

良い面も、悪い面もきちんと目を向ける。


熱狂的に誰かに耽溺できる人は、それはそれで
幸福なのだと思うが、やはり自分は俯瞰的な
スナフキン気質を大事にしていきたいな、と思う。

「みんな違ってみんないい」
これも好きな言葉のひとつだ。


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「引き寄せの法則と行動」論

2017年06月19日 | コラム
良い気分でいるだけで、良いことを引き寄せる。
とにかく波動が大事。

いや、気分だけで良いことが起きるわけではない。
良い気分を保ちつつ、行動を取ることが大事。



この手の議論は侃々諤々あるのだが
どちらも完全論ではないと思っている。


今日は会議があり、最悪の事態をイメージし、
どんな問いがあっても答えられるよう、入念に準備をして臨んだ。

しかし、予告されていた質問も時間切れのためになく、
肩透かしなくらいに、簡単に終わった。

では楽天的に「困難な事態は発生しない」とかまえ、
準備を怠っていたらどうか?
多分、波動を上げていようと、困ったことが起きただろうと思うのだ。


「波動と行動がすべて」論は、ポジティブ面にのみ適用されやすいが
では、ネガティブな発想はどんな結果を招くのか。

例えば希死念慮の強い人で
ネットや日記に「死ぬ死ぬ、死にます」と書きなぐり
実際にリスカしたり、ある種の薬を大量に服薬したりするケースもある。

それでも生き永らえる場合も多い。
勿論、彼岸を渡る人もいる。

「すべての成功者は波動をあげて行動している」というと
皆それを模倣しようとするが、模倣しきれない何かがあるから
成功するのである。


自分の例をいえば、やはり最悪の状態を何度も何度もイメージし
それに対応できる術をすべて洗い出して、事に当たる。

人事を尽くして天命を待つ。

ひとつだけいうなら
「行動」は闇雲に行うものではない。

台風の日に「良い波が来た」とサーフボードを持って
溺れた人がいたが、これは誤ったポジティブと行動である。

まず、風と波を読むことが大事。

いつもポジティブ発想で頭を満たす必要はないし、
常に行動、行動と自分を追いつめることもない。


湧き上がる感情は無理に弄ることをせず
タイミングを図って、適切な行動を取る。


成功者(完遂者)は、総じてタイミングを掴むことに長じている。

その時機をつかまえる力こそが、畢竟その人の持つ運気なのだ。



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