山県三郎兵衛昌景の墓 2010-01-18 17:10:53 | 歴史/古文書 天正3年5月21日の設楽が原決戦場での武田の武将の墓である。連吾川のすぐ東側にある天王山の中腹にこの武将たちは討ち死にしたのです。そこに立てられた墓標があるのです。 山県三郎兵衛昌景、山県甚太郎昌次、従士名取又左エ門道忠、高坂又八郎助宣の墓があるといわれています。 #ささやき « 競馬 | トップ | 幸多の杜 »
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