八戸鉄道・バス研究会別館ブログ

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八戸市営の「ツインバス」

2006-01-15 | 八戸・青森のバス
八戸市営バスの歴史について調べてみると、今まで知らなかった出来事がたくさん見えてきます。
特にバスの歴史というのは、地域がどのように醸成されてきたかを知ることができたり、当時の歴史背景がどのような時代だったかを同時に知ることができますので、とても興味深いです。
さて、今回は八戸市営バスの中でも名車として今でも市営バス「バスの日」イベントでも取り上げられることが多い「ツインバス」についてご紹介したいと思います。

インターネットで「ツインバス」を調べてみても、不思議とヒットする記事がないことが分かりました。八戸 ツインバス(gooで検索)
Google検索でさえも、殆どが八戸市内にあるホテルの部屋の紹介しかヒットしないのです。
これだけインターネットが普及しても、意外と歴史的な記事というのがないのも不思議といえば不思議ですが(^^;)
ま、とりあえずインターネット上にない情報を書けるというのは、そうそうない機会ですので、今回は光栄に感じつつ書きたいと思います。

今回の記事は八戸市立図書館に所蔵してある八戸市営バスに関する文献として「30年のあゆみ」(昭和38年7月1日発行、発行元:八戸市交通部)と「八戸市営バス60周年記念誌~21915日の記憶~」(平成5年3月発行、発行元:八戸市交通部)を基にしております。

さて、ツインバスについての話に戻すことにします。
ツインバスは、「30年のあゆみ」によると『昭和25年8月に入庫したツインバスは、長さ11メートル、定員75名乗りの6軸双児車で、行事、多客期には大いに活躍し、当時相当の人気をよんだ。その後、交通量の増大と元来狭い市内道路状況から、ほとんど使用されず、昭和36年に他へ売却された。』
とあります。
また、「八戸市営バス60周年記念誌」によると、
『ツインバスは、運転者1名と車掌2名という効率の良い乗客輸送に備えて購入し、市民の期待に応える運行ができるようになった。ツインバスは定員の2倍の乗客を運び、著しい事業の進展を見ることができた。(一部編集)』
とあります。

昭和25年当時といえば公共交通が主役の時代であり、今の時代のように自家用車で出かけるなんていうことがあり得ない時代でした。
モータリゼーションといわれる自家用車の普及は、昭和30年代半ばに入ってからのことであるため、どこに出かけるにもバスを利用するのが当たり前だった時代です。
また、我が国の歴史的背景を見ると戦後復興期から高度成長期への移行時期であり、急激な人口増加や産業発展があった時代でした。
このため、人々の流動も活発な時代であり、しかもマイカーがなかった時代であったため、公共交通であるバスが最も飛躍的に事業成長した時代だったのです。
こうした時代背景の下にバスは多客への対応が求められ、誕生したのが「ツインバス」だったといえるのだろうと想像できます。

しかし、昭和30年代に入るとモータリゼーションの進展が進み、一気に交通渋滞が社会問題化する時代を迎えます。
バスの利用者数は全国平均でも昭和30年代半ばをピークに減少傾向が続くようになっており、これは八戸市でも当てはまるケースだと思います。
つまり、ツインバスの急激なバス利用者増加に対応しなければいけない昭和25年に登場し、バスが主役だった時代のピークを過ぎる昭和36年には消えてしまったバスの歴史的転換期を支えた存在だったといえたのではないでしょうか。

今回のツインバスについて興味深い情報も聞いています。
「30年のあゆみ」に記述があった「昭和36年に他へ売却」ということなのですが、未確認ではありますが、実は弘南バスへ売却されたらしいという噂を聞きました。
この噂をある方から教えて頂き、その噂についてある方に文献等から調べることができないかお聞きしましたが、結果的にはそれらしき資料がないことが分かりました。
八戸市営バスから弘南バスへツインバスが渡っていたと考えるだけでも、非常に興味深い出来事だと思います。
他社へ売却された先がどこだったのか?
八戸市交通部の方であれば、きっとご存じなのでしょうか?
情報があれば教えて頂ければ助かります<(_ _)>

ツインバスは10年ほどで消えてしまいましたが、現代でもツインバスの延長上にあるものとして考えられるのが、連接バスです。

長さもツインバスの11メートルよりも長い18メートル、ノンステップバスとして導入された神奈川中央交通の連接バスの愛称は「ツインライナー」。
これぞ現代に蘇った「ツインバス」といえるべき存在でしょう。
旺盛な通学利用者のために誕生したことと、八戸市の旺盛な多客対応のために誕生したという理由は、「多くの乗客を一度に多く運ぶため」という目的が一致しています。
「ツインバス」そのものは存在しなくても、「ツインバスが目指した目的と役割は現代でも生き続けている証拠」だと、私は思っています。
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コメント (11)   この記事についてブログを書く
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11 コメント

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これは初めて見ました。 (SK)
2006-01-15 16:54:29
 ほとんど今の時代はツインバスを使っているバス会社は地元では見られませんが、市営で昔所在していたことは知らなかったです。これは一生残る1枚になると思います。
存在感が薄くて・・・ (HIRO)
2006-01-15 17:08:26
SKさん、コメントありがとうございます。

今ではツインバスなんていう存在自体がありませんからね(^^;)

あるとすれば連接バスになりますが、連接バスでさえ幕張と藤沢で走っているだけですからね。

市営で残っていた記録でさえ、インターネットにないことから今回の記事はとても貴重なものになると確信してます。
以前から (hitokoto)
2006-01-15 22:31:44
思っていたのですが、要所と思われる部分を「斜字」で書かれると、非常に見にくいのですが・・・

私だけでしょうか?
斜字を改めました (HIRO)
2006-01-16 22:36:13
ご意見を頂きましたので、本稿の斜字はやめました。

見やすくなったと思います。
はい (hitokoto)
2006-01-16 22:53:23
私個人としては、たいへんスッキリして読みやすくなったと思います。

代替案として、太字、改行、「」で括れば、それなりの効果があるかと思います。

これからも、楽しい、珍しい記事?をお願いします。
編集方法は (HIRO)
2006-01-17 07:55:19
編集方法については、視覚的に分かりやすくしようと努めておりますが、人によっては見やすい、見にくい等のご意見もあろうかと思います。

基本的は管理人の書き方でやっていこうと思いますが、これからも見やすい書き方に配慮しつつ記事をアップしていこうと思います。
ツインバスについて (エムエム)
2006-01-24 17:03:02
ツインバスを担当して運転していた方を知っています 私は走っている姿も見ています.当時は大変大きかった記憶があります
それは貴重ですね! (HIRO)
2006-01-25 00:15:36
エムエムさん、コメントありがとうございます。

ツインバスを運転していた方をご存じなんですか、いろいろとお話を聞いてみたいものですね。

車両長11mというのは今では短いと感じますけど、当時の作りとしてはかなり大型だったことでしょうね。

輸送需要に追いつくのが大変だった時代だったのですね。

苦労が偲ばれます。
ツインバスについて (エムエム)
2006-01-25 21:10:46
昨日は突然の書き込み失礼しました.引き続きツインバスについて..日本のバス年代記という本では.いすゞが1台のみの試作車で当時大変な利益を上げていた八戸市営が購入したそうです.最後輪がハンドルと同じ角度でセルフステアになっていたそうです.この写真は新新町車庫の下側整備車庫で撮った写真と思われます.(現在新荒町サンフラワー保育園)文献では弘南バスへ売却された後.いすゞに引き取られたとあります.私は現在の新荒町明治安田生命の前で下の車庫から上ってくるBXツインバスを見てました.
いすゞBXツインバス (エムエム)
2006-01-25 21:24:30
引き続きツインバスです.現在ツインバスに乗っていた運転士さんは八戸市売市にすんでおり大変お元気です(80歳過ぎてると思います)よろしければお会いできればいいと思います.後 県南地方初の民生ディーゼルエアーサス車.当時は空気バネと呼んだ(現在の日産ディーゼル)などの写真もあります.これも大変驚かれ人が集まってバスをゆらしてみたりしてました

とりあえず創立8周年の記念写真をアップしておきます.

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