
皆さん、かんばんわ~!
またまた、このコーナーがやってきました。
そろそろネタも尽きてきていると思う方もいらっしゃるでしょうが、そこは何とかネタを探しております。
なんといっても、草の根的に地道な調査を積み重ねていって連載を続けていこうと頑張っています、はい。

さて、今回はお気付きかもしれませんが、これまでと少し趣向が違っています。
というもの、取り上げる停留所が2箇所、しかもどちらも路線図や系統図といった看板がない場所だということです。
既に上に画像も出しているのでお分かりかもしれませんが、今回は停留所標識そのものを「かんばんわ」ということでご紹介します。
浜市川・市川は、いずれも八太郎まわり多賀台団地線の停留所となります。
ここは八戸市営バスが単独で走っている区間な訳ですが、よ~く停留所標識を見てみるとお気づきになりますね?
そうです、「十鉄」という社名が表記されています。
十鉄バスが走っていない区間にも係わらず、なぜ「十鉄」の表記があるのでしょうか?
それは昔ここに十鉄バスが走っていた名残なのです。
私も詳しく知りませんが、かつて百石から八戸まで浜市川経由の系統が存在していたようですが、1990年代に廃止されたものなんだとか?
ソース元:十和田観光電鉄八戸営業所(Wikipedia)

いろいろとネットを調べてみましたが、あまり情報がありませんでした。
しかし、今でも浜市川の多賀台団地方面(本八戸駅方面は市営バス表記のみ)、市川には「十鉄」表記のバス停が残されており、かつて十鉄バスが走っていたということを今に伝えています。
特に停留所標識が壊れることもなく、また大きな変更もないため未だに残されている訳ですが、貴重なものですよね。
ここの標識の存在は前から知っていましたが、いざ行ってみようにも途中停留所だとなかなか調査しにくいものです。
しかし、今回はあえてバスを途中で浜市川で下車し、さらに歩いて市川へ、その後さらに歩いて多賀台団地から八戸市営バスに乗って実査してきました。
覚悟して出かけないと、なかなか調査しにくいものです。
では、また次回お会いしましょう(^0^)/
またまた、このコーナーがやってきました。
そろそろネタも尽きてきていると思う方もいらっしゃるでしょうが、そこは何とかネタを探しております。
なんといっても、草の根的に地道な調査を積み重ねていって連載を続けていこうと頑張っています、はい。

さて、今回はお気付きかもしれませんが、これまでと少し趣向が違っています。
というもの、取り上げる停留所が2箇所、しかもどちらも路線図や系統図といった看板がない場所だということです。
既に上に画像も出しているのでお分かりかもしれませんが、今回は停留所標識そのものを「かんばんわ」ということでご紹介します。
浜市川・市川は、いずれも八太郎まわり多賀台団地線の停留所となります。
ここは八戸市営バスが単独で走っている区間な訳ですが、よ~く停留所標識を見てみるとお気づきになりますね?
そうです、「十鉄」という社名が表記されています。
十鉄バスが走っていない区間にも係わらず、なぜ「十鉄」の表記があるのでしょうか?
それは昔ここに十鉄バスが走っていた名残なのです。
私も詳しく知りませんが、かつて百石から八戸まで浜市川経由の系統が存在していたようですが、1990年代に廃止されたものなんだとか?
ソース元:十和田観光電鉄八戸営業所(Wikipedia)

いろいろとネットを調べてみましたが、あまり情報がありませんでした。
しかし、今でも浜市川の多賀台団地方面(本八戸駅方面は市営バス表記のみ)、市川には「十鉄」表記のバス停が残されており、かつて十鉄バスが走っていたということを今に伝えています。
特に停留所標識が壊れることもなく、また大きな変更もないため未だに残されている訳ですが、貴重なものですよね。
ここの標識の存在は前から知っていましたが、いざ行ってみようにも途中停留所だとなかなか調査しにくいものです。
しかし、今回はあえてバスを途中で浜市川で下車し、さらに歩いて市川へ、その後さらに歩いて多賀台団地から八戸市営バスに乗って実査してきました。
覚悟して出かけないと、なかなか調査しにくいものです。
では、また次回お会いしましょう(^0^)/
まさか・・・この話題が出るとは・・・笑
それは昔々・・・百石営業所があった頃に遡ります。
相当古いネタですよ!!!
百石営発~浜市川経由~八戸行き
確か朝の通勤・通学の時間帯に1本!!!
コメントでは地図が利用できない為詳細の説明が出来ませんが、確かに十鉄独自の「手書き」の停留所がいくつかありました。
一部はかぶっていましたが全く市営と同じ路線ではありませんでしたよ。
確か百石営から多賀台の坂を下って市川中学校の前を通って市川後・市川へ行きその後どこかを右折して十鉄単独の橋向の停留所を通ってまた45号線に戻って通常の西売市経由で八戸まで行っていた記憶があるんですけど・・・
ちょっと古くて記憶が曖昧です(笑)
わかったらまたお知らせしたいと思います。
やっぱり、このネタも取り上げないと駄目でしょう(笑)
まぁ、有名なネタであるだけに取り上げないとマイナーなものばかりになってしまいますんで。
それにしても、十鉄に百石営業所があったとは知りませんでした。
今の百石案内所付近にあったのでしょうか?
百石営発~浜市川経由~八戸行きが1日1本だけというのも驚きですが・・・。
分かったら、また教えてください。
情報お待ちしておりますm(_ _)m
十鉄の百石営の事について少しだけ説明を。
今の案内所が百石営でした。券売所の窓口もありました。
そしてその隣の今は「テンフォー」の所に車両が待機していました。
所属車両は数台のみで、管轄路線は百石⇔八戸、百石⇔三沢駅が主でした。
面白いのは、八戸⇔十和田市行きの扱いで、昔はジャスコがありませんでしたので多賀台を越えて坂を下って橋の手前で左折して下田駅方面に行く下田駅経由が多かったのですが、下田駅へ行くのに一度百石営まで来てから営業所へバックして引き込み、再度下田駅方面へ運行していました。十和田市から来たのも同様で下田駅から百石営に一旦来てから八戸へ戻っていました。
やはり百石案内所が百石営業所だったんですね。
それにしても、百石発着の路線だけ受け持っていたんですね。
十和田市線も百石営業所に引き込んだ上で運行していたというのも驚きました。
昔は百石からの利用者も今と違って多かったのでしょうね。
ありがとうございます。