とうとう、口に、言葉に出してしまった。
「ハヤコが人間だったらいいのに。」
これを意味することを、たぶん、だれか、わかってくれる方が、いるのではないか。
我が家には、人間の子供がいない。
ハヤコを、度に、車で待たす。買い物、食事、連れまわす割に、待たせる。
人間世界では、仕方のないことだ、それくらいは分っている、だって、スーパーや百貨店に、盲導犬でもない犬が、入れる訳がない。
度に、ハヤコに言い聞かす、「お買いものだ、はちゃん、くるまでお留守番だ、お願いね、頼むよ。」
ハヤコは、我慢の慣れっ子だ。
たぶん、ハヤコは、我が家の誰より、「我慢」をたくさん、しているのではないかと、思う。
私は、空想的で予測的な、「だったら」の世界、あまり、好きでない、現実的でないからだ。
でも、ハヤコのことになると、心が弱く緩む。
「ハヤコが人間だったら、一緒にご飯が食べられるのに。」
「ハヤコが人間だったら、一緒に、買い物に行けるのに。」
終いには、お願いをしそうになる、ハヤコが、人間で一緒に、どこでも行けたら、いいのに、と。