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中島敦の「文字禍」を読んだ感想

2014-06-05 23:53:29 | 日記

 中島 敦というかなり昔に故人となった『山月記』で有名な作家の作品に同時に発表された『文字禍』という作品がある。あらすじは以下のようなものである。

 


この物語は古代アッシリアを背景としている。
 巨眼縮髪の老博士であるナブ・アヘ・エリバが治世二十年目で博士の教え子であったアシュル・バニ・アパル大王から毎晩、大量の粘土板が保管されている図書館の闇の中で、ひそひそと怪しい話声を発っしていると思われる精霊についての研究を命じられたことから始まる。

 博士が膨大な書物を研鑽して行ったが無駄であり、文字を凝視することによって真実を見出そうとしたところ、文字を長く見つめているうちに、いつしかその文字が解体し、意味のない一つ一つの線の交錯としか見えなくなってくることを発見した。そこから博士は文字の精霊の性質を見出していった。また、文字の精霊が人間の目を悪くしたり体をおかしくしたり、人の頭を働かなくすることも発見した。

 その後、宮廷の若い歴史家の歴史とはなんぞや?という問いかけに対して歴史とは昔あったことで粘土板に誌されたものであると答え、文字の精霊が事柄を捉えて姿を現すと不滅の生命を得て、そうでなかった事柄は消えなければならないことを説明し、その毒について忠告し妙な顔をされる。

 博士は文字の精霊の毒気に当たりすぎることを恐れて文字の精霊にアッシリアが蝕まれていることを主旨とする研究報告を手早くまとめて大王に献上した。この研究報告で博士は大王の気分を損ねて謹慎を命じられた。
 最後には数日後に博士は実家の書庫において地震で書架が倒れて落ちてきた粘土板の下敷きになって圧死する。
 

 


 この作品は叙事的な内容に脚色を施したものであり、文章から美しいイメージや楽しさを感じるよりも、知的な楽しみを味わうために書かれていて、内容は完全な中島敦の創作の話であるが、実際にこの作品と同じ説話が原作としてあるのだと感じさせる雰囲気があり、そのことが内容における若者歴史家と博士の対話のテーマとオーバーラップして私には線だけで表された文章に対して疑いを持つ心境をわき起こさせて感銘と共感を与える。
 博士が体験しているのと似た現象にゲシュタルト崩壊と呼ばれる文字を凝視すると意味が感じられなくなるという生理現象がある。そのゲシュタルト崩壊というのは1947年にV・C・ファウストによって報告されているので中島が知っていたということはほぼないであろうと考えられる。
 ゲシュタルト崩壊は明確に起こる現象なのかといえばはっきりしない感じがあって、今でもあることになっていているが、文字を部首に分けたり線に注目してみたりするのとどのくらい違うのかは不明で精神医学の根本的な過ちである絶対的な尺度や具体性を有さない性質をそのままにしている。ゲシュタルト崩壊自体が中島敦の作品をもとにしていて第二次世界大戦において敵対していた国家の妨害工作であった可能性も否定できない。私は『頭短』や『杉須』を同時に思い浮かべてしばらく経ってみると、短と須の左右を間違えそうになるのと似たようなもので多少は本当にあるのかもしれないと感じているのだが怪しいとも思っている。
 



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