実物 日本陸軍新式水筒/口栓・水筒紐(昭五式)伊号・呂号・波号 

2017-05-19 19:20:05 | 日本陸軍 新式水筒
*2015年2月1日に投稿した記事を2017年2月21日修正
*H29 5/19 水筒本体の塗装色に関する考察を追加
*H29 7/24 口栓の写真追加

◆はじめに
九四式水筒という名称は間違いですので気をつけてください。
そもそも、水筒本体、水筒紐(ハーネス)、水筒口栓(キャップ)はそれぞれ制定年が異なります。
ゆえに、本体・ハーネス・キャップをセットで「〇〇式水筒」と表記することはできません。
伊号水筒・呂号水筒・波号水筒、甲号・乙号などもまったくの間違いです。
今回は本体の形状、刻印、塗装色、口栓、水筒紐の構造を簡潔にまとめました。
水筒は定番アイテムでありながら考察が不十分で、不明な点が多いです。
また、この記事は現存する資料から推察できることをまとめています。
あくまでも考察の目安としてお読み下さい。
また、仕様が確認できない物、大戦末期の規格低下品などは省略しています。

(1)水筒本体
本体は水筒筒(スイトウヅツ)や単に水筒と表記されます。
明治31年制定の水筒にかわり、昭和5年11月12日に容量を増加させた新式水筒が制定されます。
これを便宜上「昭五式」と表記することにします。
丸みを帯びた外見からマニアの間では「アンパン型」や「だるま型」と呼ばれます。
これは昭和14年5月31日に改正され「九九式」となり、同年7月5日に規格低下品として「ロ号」が制定されます。
左が「昭五式」、右が「九九式」です。時期やメーカーにより、飲み口の直径やボディラインに微妙な差異があります。



(A)昭五式
まず、昭和9年製造品であることを皇紀表記で示す「九四」の刻印があるものを示します。
「九四式水筒」などという根拠不明の俗説の根源こそ、この「九四」の刻印であると考えられます。
(これはこれで珍しいので、俺的軍装重要文化財に認定しました)
制定当初の刻印は未確認ですが、昭和5年制定の二重飯盒と同じなら、メーカーの刻印だけと考えられます。
日本アルミの納入印であるツルマークの上には、社名が右書きで「ミルア本日」と刻印されています。
一説には、昭和14年以降から文字はなくなり、ツルマークだけになるようです。



こちらは昭和10年製造を示す「九五」の刻印があるものです。



さらに、「検査印」がよく残るものを紹介します。(KNEI君所持品)
底面には大阪アルミの納入印と、昭和13年製造を示す「九八」の刻印があります。
その右隣には「昭13」と検査印が捺印されており、右隣には縦書きで「大支」と読むことができます。



製造年の刻印は自分が知る限りでは九四~九九まで縦書きの漢数字で刻印されます。
こちらは「九九」と刻印されていますが、「九九式」という意味ではなく製造年である昭和14年の皇紀表記です。



また塗装に関しては「昭五式」の塗装は剥離しやすいようで、本体にはレンガ色の下地がみえます。
塗装がよく残る実物と比較すると、写真上側の茶色い部分がオリジナルの塗装であると考えらえれます。
マニアの間で言われる「昭五式は旧式水筒と同じ茶褐色塗装」という説は、現時点では確からしいとは言えなくなりました。
ただし、塗装に関する資料を発見していないため、完全否定することはできません。



(B)九九式
「昭五式」を昭和14年5月31日に改正したものです。
一般的にいわれている大きな改正点はアルマイト加工です。アルマイト加工とは、金属表面の防腐処理です。
昭和14年に理研での特許が切れたアルマイト加工技術を軍が導入したといわれています。
いつ頃から全ての水筒の表面処理が改められたかは現在調査中です。
以下に仕様書を示します。ただし、これは制定当初のものを示しているわけではありません。
資料は更新されるた度に古い情報が廃棄されていくからです。
口栓に関して記載がありますが、もう少し具体的な形状を知ることはできないのでしょうか。



納入印や製造年、検査印に関しても細かく指定されています。
製造年の刻印は「昭十五」「二六〇〇」「二六〇一」などもあります。



こちらの水筒には昭和15年製造品を示す「二六〇一」の刻印があります。検査印は消えています。



下地塗装と塗料については現在調査中です。



(C)ロ号
いわゆる規格低下品に該当します。昭和14年7月5日に制定されます。
以下に仕様書を示します。これらも制定当初のものを示しているわけではありません。
「九九式」の仕様書と比較してみてください。
口栓は後述する「ロ号(木栓)」と指定されています。



「ロ号」を示す刻印を施すように指定されています。
その他は「九九式」と同じようです。



こちらは「ロ号」の底部です。仕様書と比較してみてください。
納入印(大阪アルミ)の右隣には消えかかっていますがロ号の刻印(〇の中にロ)があります。
その下には製造年を示す「昭一八」の刻印があります。
検査印の捺印(エナメル塗料)は消えています。



★本体の塗装色について(資料提供:KNEI君)
新式水筒の塗装色は不明な点が多いです。
制定当初は旧式水筒と同じ茶褐漆塗装であったとする説は裏付ける根拠がありません。
以下に昭和13年から17年の間に製造された昭五式、九九式、ロ号を示します。
写真を見る限り、塗装色の大きな変化は一貫して無いようにみえます。
左端の昭五式と、右端の九九式にはレンガ色の下地塗装が確認できました。
レプリカを再塗装する場合、タミヤカラXF-62オリーブドラブとXF-9ブラウンを1:1で混ぜるとよいでしょう。
自分はチョコボールのような半光沢仕上げにしています。
昭五式は昭和9年・10年・13年製造品を比較しましたが、同様の色合いでした。
塗料の成分と制定当初の色に関しては現在調査中です。



他に確認できる塗装のバリエーションには下記のようなものがあります。
(1)光沢の有るなめらかな明るい黄土色系の塗装
(2)光沢の無いなめらかなこげ茶色の塗装
(3)光沢の無いザラザラしたこげ茶色塗装
(4)半光沢のよくみられる茶色塗装

(2)代用材料について
アルミニウムに代わって、昭和15年には鉄が代用素材として用いられるようになります。
昭和15年標題「陸軍服制第5条に依る服制並装具の制式中改正の件」(陸達第75号)






(3)口栓について
水筒口栓はバリエーションがあり、呼称や制定年が異なります。
資料が少なく昭和5年~昭和14年まで不明な点が多いですが、軍装の設定を組む上で非常に重要です。

(A)ドーム状の口栓覆金と円形の釻を持つもの
まず、旧式水筒に用いられているものを示します。
ドーム状の口栓覆金と、円形の釻(かん/リング)が特徴的です。



こちらは大正6年「被服手入保存法」より引用した図です。
口栓の形状は実物をよく模写しています。



この口栓が水筒「昭五式」と組み合わされている例を示します。
一枚目は昭和初期の満州事変期に撮影されたものです。



こちらは口締革(口締紐革)の拡大写真です。
口締革は口栓を固定する革紐のことです。口締紐革も同じものを指します。
一説には初期の口締革の幅は狭かったといわれています。
写真では、現存する大戦後期の実物や複製品よりも細くみえます。
いつごろから幅が変わっていったのかは不明です。



次の写真は、記録から昭和12年10月以降に撮影されたと推定できるものです。
ドーム状の口栓覆金と円形の釻がわかります。
塗料は剥離してアルミ地肌がむき出しになっているようです。
口締革は幅の狭いタイプのものが依然として用いられているようです。





HIKI製の複製水筒と旧式水筒の口栓を組み合わせるとこのようになります。
遊びで使うには十分だと思います。気になる方は水筒本体を再塗装してもいいと思います。







「昭五式」の口栓は、現存する資料からは形状を決定できないようです。
飲口の内径は個体差の影響を考慮して省略します。
さらに、以下の補給物資の資料から何かしらの新旧の区別がされていたことが推察できます。

1.昭和7年1月 標題「被服品第21次追送の件」(C04011115500)
「水筒紐口栓共(新式品)」の記載あり

2.昭和8年5月 標題「被服品第114次追送の件」(C01002875400)
「新式水筒筒」「新式水筒紐口栓付」の記載あり

3.昭和11年1月 標題「被服品追送の件」(C04012268600)
「新式水筒口栓」「新式水筒口栓口締紐革」の記載あり

そして、昭和14年以降も上記のような新旧の区別がされた資料を確認できました。
何を以って新旧を区別しているかは今後の課題とします。

4.昭和14年7月6日 標題「戦用被服補填に関する件」(C01007731500)
「水筒紐」「水筒紐口栓付」「同旧式」の記載あり

5.昭和14年9月25日 標題「被服補修材料交付に関する件」(C04121406300)
「水筒口栓(新)」「水筒口栓」の記載あり 

6.昭和14年11月2日 標題「被服交付に関する件」(C04121566800)
「新式水筒(口栓 紐 口締革)」「旧式水筒口栓」の記載あり

7.昭和14年12月19日 標題「被服、補修材料交付に関する件」(C04121742400)
「新式水筒口栓」「旧式水筒口栓」の記載あり 

(B)平らな口栓覆金と楕円型の釻を持つもの
具体的な制定年月日や改正は不明で諸説あるようです。
自分は制定の旨を記した資料や、仕様書の発見には至っていません。
個人的には昭和11年1月 標題「被服品追送の件」(C04012268600)により、昭和11年頃と推定します。
口栓眞金は「カシメ」留、釻は口栓眞金に溶接されています。
塗装色は半光沢の茶色です。



ここで、昭和13年に確認された実用例を示します。
まず、下の図は張鼓峰事件において撮影された写真です。(撮影日:昭和13年8月11日)
矢印の先端部分に楕円型の釻が確認できます。円形の釻が潰れたものではなさそうです。
口締革の幅は、釻の幅にあわせて広くなっているように感じます。
むしろ、口締革の幅を広くしたため、釻の形状が改められたとも考えられます。
当然ながら水筒本体は「昭五式」です。



(C)針金で構成された輪を持つもの(詳細不明)
満州事変頃(昭和初期)の登場と言われているようですが詳細不明です。
中田商店の本にもそれと思わしきものがあったので写真を引用します。



下の実物は旧式水筒とセットになっていました。
物はあまり出てきません。



(D)ロ号(昭和15年制定)
木栓です。これ以降、規格低下品に該当するものが制定されていくようです。
中田の複製品をサンプルに示します。よく形状を再現していると思います。







(E)ハ号(昭和17年制定)
コルク栓です。口栓覆金と釻が一体になっています。



(F)ゴム栓(仁号)(昭和18年制定)
ゴム栓です。現存する多くが経年劣化で崩壊しています。




(4)水筒紐について
水筒形状の変化に伴い、新しいハーネスも制定されます。
それが「水筒紐(昭五式)」です。(制定当初は「新式水筒紐」と呼ばれていたようです)
後に、昭和5年制定(昭和6年改正)「伊号」、昭和16年改正「呂号」、昭和17年改正「波号」と区分されます。
昭和18年の改正は詳しく調べていないのでわかりません。



(A)水筒紐(昭五式)伊号
参考に実物を示します。(筒は昭和10年製造の正真正銘の昭五式)
水筒紐・口栓・口締紐革は全て実物です。



図を陸軍被服品仕様聚(追録第2回)より引用します。



制定当初、口締紐革(口締革)を固定する尾錠は片方にしかありませんでした。
図は昭和5年標題「被服、装具の制式規定の件」より引用しました。



これは昭和6年に改正され、尾錠が左右になります。
官報1931年09月30日より引用した図は全体の形状を把握しやすいと思います。
商品と比べてみてください。



改正理由は以下の通りです。
昭和6年標題「陸軍服制第5条に依る服制並装具の制式中改正の件」より引用しました。





ちなみに、昭和15年の資料では口締紐革は14 mmと、昭和17~20年の図面に比べて1mmほど幅が狭かったようです。
「標題:被服補修材料交付に関する件」

*確証が持てないため消去

(B)水筒紐(昭五式)呂号
昭和16年に登場します。サンプルとして中田製の複製品を示します。
中田製は形状をよく捉え、丁寧に裁縫されています。







昭和16年 陸達第八十二号中「兵務課 昭和5年陸達第8号中改正の件」に改正の旨を示す記載がありました。
水筒口栓を口締革ではなく、綿製平打紐で固定します。
この時点では、まだ釣紐の長さを調節する金具は残っています。



(C)水筒紐(昭五式)波号
一切金具を使っていません。徹底的に金属資源を節約しています。




(5)出動時の装着方法について
昭和15年~昭和18年頃の資料よりイラストを引用しました。
(「下士官以下出動時軍装装着一覧表」より)
あくまでも一例なので、例外はあります。部隊によっても指導方法は異なります。
図を見ると、釣紐は正面側では帯革の上を通し、背面側では帯革の下に通しています。
雑嚢、水筒、防毒面携帯袋(被甲嚢)の順に身に着けるとよいと思います。



■拳銃を装備する場合
拳銃嚢を装備する場合は、一般的に拳銃嚢の反対側に水筒を装備するといわれています。
戦車兵などは雑嚢と拳銃嚢は左肩から右腰、水筒は右肩から左腰に装備しています。
順番は雑嚢、水筒、拳銃嚢がよいと思います。拳銃嚢の負革と、雑嚢の釣紐は重ねない方が美しいです。
当然ながら例外もあり、同じ方向に装備している例も多々あります。




(6)まとめ
旧式水筒に続いて、新式水筒の変遷をまとめました。
まだまだ考察不十分な点もあるかもしれませんが、気づき次第訂正していきます。
この記事を書くにあたり、協力してくださった方々に感謝いたします。



ではでは。



H27 9/11
水筒口栓に関する資料をドイツ軍軍装研究で著名な小宮 寧様より提供していただきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。

コメント

鬼塚堂製 昭五式夏衣袴

2017-05-17 22:55:35 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
H27 1/3 2013年3月13日に投稿したものを追記・改訂
H29 5/17 文言を修正

下士官兵に支給される昭五式夏衣袴です。袴は主に徒歩本分兵に支給される長袴です。
一部の部隊では終戦まで立襟の被服を着用しており、従軍経験者の中には折襟の軍衣を見たことがない方もいらっしゃいます。



なお、一部のネット記事や書籍では「夏軍衣袴」と表現されていますが大きな誤りです。
夏服なので正しくは夏衣、袴は夏袴です。
冬服は羅紗生地(ウール)でできており、「軍衣」はの冬用の上衣を、「軍袴」は冬用の袴を示します。
後発の九八式、三式では夏衣/冬衣・夏袴/冬袴と名称が変更されます。
ただし、軍服を便宜的に軍衣や軍袴と呼称する場合も多々あります。

■着用例
シナ事変頃、立襟夏衣袴を着用した兵の写真です。
個人アルバムより抜粋します。

(1)出征直前の記念写真、戦闘帽が凛々しい。外征部隊につき「隊号章」は用いていない。


(2)軍帽を着用した例。左胸に部隊章らしき物が見える。


(1)襟章・襟布
鬼塚堂製の歩兵科襟章と襟布です。



取り付ける位置は下記の通りです。
襟章は襟の縁(ホックの位置)から約3 mm離し、左右数か所をしっかりと縫い付けるだけで十分です。
隊号章は襟章の縁から約18 mmの位置に穴をあけて取り付けます。
なお、外征部隊であれば隊号章を外します。(着用例二枚目参照)



襟についている白い布は「襟布(えりふ)」といいます。
これは襟の汚損を防ぐ為のものです。夏衣だけでなく、軍衣(冬服)にも取り付けます。
巾は約1寸三、四分とあり、襟からはみ出させる幅は1分(3mm程度)です。
上衣を着用したとき、襟布の右端を下にします。
手順は襟布を処理してからホックをかけ、第一釦から下へ釦を留めます。



全体は図の通りです。昭和5年の資料より引用しました。標題「被服、装具の制式規定の件」






(2)袴
袴は主に徒歩本分兵に支給される長袴です。乗馬本分者には短袴が支給されます。
昭和13年の九八式制定以前は、平時の外出時などの略装では脚絆は巻きません。
大正期の資料から略装のイメージ画像を引用します。





(3)「昭五式道」ノススメ
昭五式軍衣はその見栄えのよさから人気があります。
しかし、細かい装備の組み合わせが複雑で、入念に資料を観察する必要があります。
それこそ水筒のキャップ一個、略帽や巻脚絆の生地色にまで気を配る必要があります。
市場に出回っている戦前の軍装品は複製品もラインナップが中途半端かつ流通量が少ないです。
タイミングを逃すと手に入りづらくなるものも多いので、フットワークの軽さは重要です。
特に関心をもって意欲的に望まなければ、この時代の被服装備品を揃えるのは難しいと感じます。

以下に「昭五式道」に進む前に収集しておいた方がいい装備品を紹介します。
イメージとしては昭和12年夏以降~昭和13年頃の野戦の装備を想定しています。
略帽をはじめ各種装具の変遷は他の記事をご覧ください。

1.防毒面携帯袋(被甲嚢)
後回しにされがちですが必須の装備品です。
写真はオニヅカ堂製の複製品です。「九五式」にしておくのが無難です。
中に詰め物をしてふくらみをもたせることと、装着時の高さ、胴紐の処理に気を付けてください。



胴紐は下の写真のように、袋側面に巻き付けてある例が多く見受けられます。(画像は将校の後ろ姿)
胴紐を腹に巻く場合は、紐の結び目を銃剣帯革の下に押し込んでやるとそれらしくなります。



また、マニアの間では「被甲嚢」という呼称が一般的ですが、軍の資料では200回に1回の割合でのみ用いられているようです。
官報中には「防毒面」「覆面」「携帯袋」と書かれています。
(図は九一式と呼ばれているモデルで、体に固定する紐が金具を介して本体と連結されています。)



より詳しく知りたい方は、ドイツ軍装研究で著名な小宮寧氏が執筆した記事をご一読ください。
おそらく、防毒面携帯袋に関してこれほど詳しく解説されたものは無いと思います。
The Evolution of the Japanese Army Gas Mask (1918-1945)

2.雑嚢
左から大正三年型、昭和七年型、昭和十二年型(昭和12年11月15日改正)です。
昭和12年頃の大陸戦線の設定であるなら、昭和七年型を強くお勧めします。(個人の感想)



こちらが昭和七年型雑嚢です。
篠原工房製の複製品です。オニヅカ堂でも購入可能です。
雑嚢の詳しい解説は雑嚢カテゴリーの記事をご覧ください。



3.水筒
明治31年制定の水筒(旧式水筒)のイメージが強いですが、すでに新式水筒も普及しています。
写真はhiki-shop製水筒のキャップのみ旧式水筒のものと交換したものです。木栓やゴム栓は不可です。






楕円型のリングを持つものは個人の調べでは昭和13年の夏期には登場していたようです。
詳しい解説は水筒カテゴリーの記事をご覧ください。
なお、旧式水筒を用いる場合は工廠の刻印があるものを入手しておくのが無難です。

4.帽・鉄帽
帽はサイズのあったものを選んでください。古鷹屋、鬼塚堂で取り扱っている物がよいと思います。
通気孔が3つの帽は昭和12年7月の時点ですでに戦地の部隊に支給されています。
必ずしも初期の試製品でなくてはいけないということも無いので、資料を確認してみてください。
わからない場合は、昭和〇年頃の設定か決めた上で上記の業者に問い合わせるとよいと思います。



鉄帽覆は状況に応じて着脱していたようですが、この時期は未装着の場合の方が多く感じられます。
余談ですが、下記の写真のように雑嚢と水筒の向きも状況に応じて異なります。



自分はhiki-shop製の鉄帽を使っています。本体は古鷹屋にて再塗装してもらいました。



5.編上靴
編上靴は規格低下品ではない「昭五式」かつ「裏革」が望ましいです。
実物もしくは複製、代用品を探してみて下さい。



6.腰回り
弾薬盒は大戦後期のものや粗悪な革のレプリカを使わないように注意した方がいいです。
こだわる方は前盒の中央部に縫目が二本入った古いタイプでもよいと思います。これは「でくの房」が取り扱っています。



前盒の縫目は1934年~1939年の間に一本になるようです。須川薫雄著「日本の軍用銃と装具」では日中戦争初期の頃のものとあります。
これは1937年に勃発した日中戦争の大量動員による簡略化と考えています。中田製はこれを模していると思われます。
また、後盒は昭和9年に廃止になり、弾薬60発及び油壺(オイル缶)は背嚢または雑嚢に収容し、転螺器は携帯予備品となります。
自分は廃止前の旧式品を使っており、これには後盒左側面に転螺器を収めるための部品がついています。





昭和12年5月には後盒が復活し、転螺器入れが付いていないタイプのものが登場します。
昭和13年頃の写真をみると、依然として旧式品が用いられているようです。
弾薬盒の変遷についても小宮氏が執筆した記事を参考に紹介いたします。

The Evolution of the IJA’s Type 30/38 Rifle Ammunition Pouches and Belt (1897-1945)

さらに、銃剣は白磨の剣身が望ましく、黒錆染は昭和13年末頃から登場するようです。
この時代は鍔が湾曲したタイプのものしか使えないので気を付けてください。
ただし、どこに重きを置くかは十人十色なので、このタイプを使っているからいい、使っていないからダメという話ではありません。

■まとめ
内地と外地、撮影時期や部隊によっても装備の組み合わせは大きくかわります。
資料をじっくり観察してみてください。




ではでは。

コメント

中田製 九八式夏衣袴【階級章・隊号章・襟布取付けの参考】

2017-05-03 21:59:32 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
■2017年5月3日 新式隊号章写真追加
■2017年12月30日 一部内容を削除
*2014年12月28日に投稿したものに資料を追加しました。


今回のテーマは中田商店製の九八式夏衣袴(夏服)です。
建軍以来の立襟を脱した日本陸軍最後の軍服、あるいは完成形といえます。





なお、ネット上や一部雑誌でみかける「夏軍衣」という表記方法は大間違いです。
夏服は「夏衣」、夏用の袴は「夏袴」、上下合わせて夏衣袴(なついこ)と表記します。
冬服は「冬衣」、冬用の袴は「冬袴」、上下合わせて冬衣袴(ふゆいこ)と表記します。
昭五式軍衣までは「軍衣」が冬用の上衣を、「軍袴」が冬用の袴を示していました。

参考に軍衣の各パーツの名称を示します。(ここでの軍衣は軍服の意味)
図は昭和15年「陸軍各種兵科模範軍人教典 : 附録・陸軍各学校入学案内」より引用しました。
腰ポケットが描かれていないので気をつけてください。
また、肩に描かれている「軍装を為さざる場合の儀式・外出用の肩章」は下記のリンクを参考にしてください。
中田製 九八式夏衣袴(旧製品)



画像右端のベロは剣留(けんとめ)といいます。
従軍経験者や古いマニアの中に剣吊(けんつり)という人がいますが、これは俗称です。
俗称を使うなとはいいませんが、正式名称で覚えた方が後々いいことがあるでしょう。
使い方については、銃剣の記事のところに書きましたのでご覧ください。

前置きが長くなりましたが、主に昭和13年~18年までの基本的な事項のみを抜粋して紹介いたします。
着用規定にスポットを当てているため、被服の構造と着用方法については省略しています。
また、細かいパーツの取付け例には冬衣も用いています。ご了承ください。

(1)上衣
服のサイズがあっていないのは最悪なので、ピッタリ目か少し小さめがいいかもしれません。
ボタン昭和13年から用いられる真鍮釦を再現しています。





被服の製造時期によりボタンも異なるので、徽章(きしょう)類や装備品との組み合わせには注意が必要です。
実物はネットでも見ることができるので、検索してみてください。
また、釦は脱落しないように紐を通しておくのが当時流です。

13年~  真鍮製(伊号
13年-17年~ 鋼製代用金メッキ
16年-17年~ 鋼製銅メッキ
14年-18年~ 鋼製茶褐塗装(呂号)
17年-18年~ 石炭酸樹脂製(波号)


(2)襟章(階級章)の取りつけ
「襟章」と「隊号章」の取りつけ位置を下の図に示します。取り付け位置はあくまでも目安です。
所属部隊の番号を示す「隊号章」は明治45年制定のものにかわり、昭和13年の新モデルが用いられています。
なお、「隊号章」は戦地に赴く部隊であれば外します。



襟章は昭和13年制定のもの(マニアの間で座布団と呼ばれるもの)がよいでしょう。
このタイプなら対応できる時代の幅が広く終戦まで使えます。



襟章の縫い付けは完全に自己流で、対角線に糸を走らせるとバランスがよくなる気がします。
以前見た実物では赤色の糸で同様に固定されていました。



左は明治45年制定の隊号章(以下旧式)と、右は昭和13年改正の新モデル(以下新式)を示します。
旧式は中田製の複製品、新式は実物です。(カメラ故障につき画質悪く申し訳なし)



新式隊号章の特徴として、襟に縫い留めるために縫い糸をかける構造があることです。(☆印)
メーカーや数字によって、字体や縫い留める構造に差異があります。



実際の使用例です。1944年撮影のプロパガンダ映画「兵隊さん」より引用します。
昭和15年以降は防諜上の理由から扱いが"通称号"になります。



新式隊号章は入手困難かつ複製品も市場にはほとんど出回っていないので、中田の旧式を代用でつけてみました。
旧式も在庫がある限り使われ続けていたようで、使用には問題ないようです。
取付方法は襟に穴を開ける等諸説ありますが、今回は脚を折って縫い付けました。
なお、ふきや商店で取り扱っているものが大きさだけなら新式に近いです。
構造が旧式隊号章と同じなので、脚を折って糸で縫い留めるとよいと思います。



ちなみに、映画「兵隊さん」では、昭和18年制定の布製の隊号章が多く登場します。
標題「14.陸達第83号 昭和18年10月13日 昭和5年陸達第8号中左の通改正す」より引用します。
所属部隊を示す漢字と部隊の番号を組みあわせて、台座と共に右胸に取り付けます。





映画「兵隊さん」では「朝22」と組合せて用いています。
詳しくは映画を見て頂いた方が良くわかると思います。




(3)襟布(えりふ)
襟の汚損を防ぎ、衛生維持のために大切なものです。当然ながら、冬衣にも取り付けます。
めんどうくさがらずに必ず取り付けてください。
襟布は上衣を着用したとき、襟布の右側が下になるように首元でクロスさせます。
その後ホックを閉じて第一釦から下へ順番に釦を留めていきます。
このときに襟布がよれてしまったら、第二釦位置から手を入れて襟布の先端を引っ張って整えます。



襟布にも様々な仕様があり、軍服の変遷と共に進化してきました。
今回は昭和13年に改正される「茶褐色」系の色のものを取り付けてみました。
当時物の三角巾か何かを裁断して作られた複製品です。
縫いつけはオードソックスな山型三連です。他にも縫い付け方があるそうです。
是非、お手元の軍衣に縫い付けてあげてください。本当にこれだけで見栄えが変ります。



■襟布のサイズ
襟布の大きさについてです。巾(はば)は約1寸3分程度にたたむとあります。
襟からはみ出させる幅は1分(約3mm程度)です。
テキトーな三角巾をカットして使ってもいいと思います。
(被服の制定より古いですが、昭和11年「被服手入保存法」より引用しました)



全体のサイズは以下の資料により定められています。
昭和13年 標題「陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件
生地は昭和13年に従来の「白綿布」から「茶褐綿布」に改められます。斜辺が約500mm 底辺が824mmです。
改正の後も白の襟布は私物や、在庫品を処分する形で用いられていたようです。
白の襟布の方が見栄えがいいため、好まれていたようです。
白と茶褐色のどちらが多かったかは、残念ながら現存する資料からは判別できません。
一般的な「内地が白、戦地が茶褐色(新制定のもの)」という考え方は正しくもあり、誤りでもあります。(確からしいと言えない)
また、茶褐色(緑系)の襟布は部隊で染色されたものもあるようです。





参考に襟布が残った状態の実物を紹介します。
縫い付け方を参考にしてみてください。






ここで、スルーされがちな昭和15年の改正について説明します。
結構重要なポイントなので、よく読んで理解してください。
その前に、「兵科」と「各部」について説明します。
この区分を理解していないと、服制を理解するときに混乱してしまいます。

☆兵科と各部について
日本陸軍では歩兵科・砲兵科・騎兵科・工兵科・輜重兵科・航空兵科・憲兵科を兵科(へいか)、
技術部・経理部・衛生部・獣医部・軍楽部・法務部を各部(かくぶ)と区分しています.
昭和15年の改正により、胸章を付けているのは上記の各部下士官兵のみとなります。

詳しくは大日本帝国陸軍 - Wikipediaへどうぞ。


(4)昭和15年「勅令第五八五号 陸軍服制中改正」
(A)兵長階級章について/昭和15年制定!
同勅令にて兵長の階級章は定められます。
外出時や、軍装をしない場合(武装しない場合のこと)の儀式に用いる肩章も描かれています。



(B)憲兵徽章について
憲兵の特別徽章、いわゆる憲兵徽章についてです。
図にもある通り、胸章は「各部のみ」になります。
つまり、憲兵徽章と胸章は同時に取り付けることはできません。





(C)胸章(むねしょう)昭和15年9月 兵科将校下士官兵は廃止
新型の兵科章は右胸に取り付けるので胸章(むねしょう)といいます。
縫いつける位置は胸ポケットのボタンホールと、第二ボタンのボタンホールを基準にしています。
下士官兵用は茶褐色の台座が付きます。将校用はサイズが大きく基本的には台座はつきません。



昭和15年5月、大陸戦線で撮影された写真です。



■胸章についての注意(重要)
昭和13年5月31日 胸章制定
昭和15年9月13日 胸章は各部将校下士官兵のみになる(昭和15年「勅令第五百八十五号 陸軍服制中改正」)
昭和18年10月12日胸章廃止、各部将校下士官兵は階級章の下に「識別章」を取り付ける(「勅令第七百七十四号 陸軍服制中改正の件」)

★新旧規定の混在
基本的に、服制上は写真のように新旧規定が混在することは問題ありませんでした。
昭和13年に新しい制服が制定されたからといって、全てが更新されるわけではありません。
写真は将校の記念写真で、昭和14年に発効された当時の雑誌から引用しました。
これらの新旧規定の混在に関しては、当ブログでも別の記事で解説していますので探してみてください。
昭和13年 標題「陸軍服制附則第3項に依る制式の混用に関する件」等



最後に、昭和15年以降の胸章の取りつけ例を示します。
こちらは有名な写真ですが、1943年に撮影された衛生兵の写真です。
胸には胸章が取りつけられています。衛生「部」の兵士だからです。



繰り返しますが、胸章は昭和15年に兵科将校下士官兵は廃止になり、各部将校下士官兵のみが取りつけます。
昭和18年には各部も完全廃止となり、各部将校下士官兵は「識別章」という線を階級章の下に取り付けます。



★胸章/識別章の色について
黄色は砲兵ですが、昭和15年の改正により、技術部の色になります。
先ほども紹介しました昭和15年「勅令第五八五号 陸軍服制中改正」に基づいています。
その他各部の定絨色の改正は各自ご確認をよろしくお願いします。




(5)腰紐の処理
これは着装の初歩中の初歩なのですが、意外に見落としがちです。
あくまでも一例であることをご留意ください。





1.背面でクロスさせた紐を手前の左右二箇所のループに通して引っ張ります。



2.引っ張ってきた紐を正面でクロスし、左右のループに通して引っ張ります。



3.袴がずり下がらないように注意します。余った部分は正面を通る紐に巻きつけて終わりです。
蝶々結びはしないそうです。(蝶々結びをしている例もあります)。しわがよってしまったらキレイに伸ばしてください。



時々、「軍衣袴の上下色違いがヘン」という人がいますが、上下色違いが当たり前です。
当時の写真をよく観察すれば色合いが違うことがお分かりいただけると思います。
それ以外にも以下のような資料により説明ができます。
昭和8年12月18日標題「下士官兵軍(夏)衣と軍(夏)袴の色相に関する件」
陸普第七七四六号 下士官兵軍(夏)衣ト軍(夏)袴ノ色相ニ関スル件
陸軍一般ヘ通牒 昭和8年12月18日 陸軍省副官 牛島滿
軍(夏)衣ト軍(夏)袴トハ其ノ保存期限ヲ異ニスル関係上本年6月陸普第四一二八号ニ依リ
各別ニ梱包補給スルコトトナリ之カ支給ニ際シテハ兩者ノ製作年次及程度ノ異ナルモノアル等ノ為
儀式等ノ場合ニ於テモ衣ト袴トノ色相ノ多少相違スルハ止ムヲ得サル儀ニ付承知相成度為念通牒ス



(6)襦袢と袴下
下着です。図は昭和13年のモデルを示しています。
この頃から襦袢は茶褐色に染色されるようになります。
襦袢はユニクロなどにある襟のないシャツが代用できます。
袴下は実物や複製品も限られるので、モモヒキなどが代用できると思います。
実物はネット上でもみれるので、探してみてください。



昭和17年以降であれば、防暑襦袢・防暑袴下(昭和17年改正夏襦袢袴下)を用いることができます。
夏衣あるいは防暑衣との併用については、夏襦袢・袴下の記事をご覧ください。





ではでは。



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