中田製 昭和17年改正夏襦袢袴下/日本陸軍防暑被服の変遷及び着用規定

2017-03-01 20:44:54 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
この記事は2012年3月10日に投稿した記事を修正したものです。
*書きかけの記事です。

中田製の昭和17年改正夏襦袢・袴下です。
「兵用防暑衣七部袖」とは中田商店の商品名であり、正しい呼称ではありません。
「防暑襦袢」と表記されることもありますが、正確には「襦袢」と「防暑襦袢」は元々は別の位置づけでした。



まず、襦袢と袴下は軍衣袴の下に着用する「下着」のことを指します。
こちらは一般的な丸首の襦袢と袴下です。図は昭和13年改正のモデルを表しています。



対して、「防暑襦袢・防暑袴下」は熱地において単体着用できることを前提として開発されました。
当初は、特に台湾軍での使用を想定していたようですが、やがて全軍で用いられるようになります。
これらの「夏襦袢袴下」と「防暑襦袢袴下」を昭和17年に統合したものが、今回紹介する昭和17年改正夏襦袢袴下です。
当然ながら、統合後も丸首の襦袢は使用されており、防暑襦袢という呼称も引き続き用いられています。



以下に補足説明となる資料を掲載しますので、興味のある方は読んでみてください。

昭和18年標題「昭和18年自1月至6月被服品仕様書並材料調書制定改正事項」
(1)月日:一月三十一日 命令番号:被仕一 品目:仕様書材料調書 廃止



(2)月日:一月三十二日 命令番号:被仕二 品目:襦袢袴下仕様書同材料調書 改正
画像二枚目の項目「二.」に興味深い記載があります。






今回は昭和5年以降の簡単な変遷と着用規定に絞ってまとめます。
なお、試製品や仕様が不明なもの、シナ事変~大東亜戦の過渡期に用いられたものについては省略しています。


★「防暑襦袢」の変遷
(1)昭和4年(昭和5年)~昭和14年
昭和4年6月20日陸達第二十三号により整備されます。昭和4年標題「特殊地方用被服制式に関する件」
これは後に、昭和5年陸達第八号に基づく制式品として改正されていくので、昭和5年制式として扱います。
仕様を1929年6月20日官報より引用しますが、図が無いため形状は不明です。



補足すると、物入無し・袖は六分・脇下の開口は開けっ放し・瀬戸釦・折襟といわれています。
こちらは昭和16年12月、中国大陸にて撮影された写真です。



下の写真の右側の人物が昭和5年制式のものを、左の人物は後の改正品と思わるものを着用しています。
構造の違いを比較してみてください。撮影年月日は1945年10月20日です。(AUSTRALIAN WAR MEMORIAL No.122321)



続いて、昭和13年に改正がありますが、材料と制式に関する記載に大きな変化はありません。
現物を見たことがないので詳しい構造は知りません。
重要なのは「備考」の方で、後述する将校准士官の防暑衣の襟章の附着位置の注意書きがあります。
昭和13年標題「昭和13年9月10日標題 大臣 特種地方用被服熱地被服の部防暑襦袢袴下の項改正」



また、防暑襦袢袴下を着用のときは、防暑衣を脱ぐことが許可されており、ここからも単体着用前提であったことがわかります。
昭和13年標題「第2章 装備上ノ注意熱地作戦に於ける給養勤務の参考 昭和13.8」



昭和14年に「試製夏襦袢」の記載がある資料を確認できました。昭和14年標題「試製防暑被服等の追送に関する件」
表の左端に仕様が書かれています。折襟式(半袖・長袖の二種類)・襟章(織出品)
襟章は同年に制定される「試製織出襟章」とみて間違いないと思います。
後の昭和18年に登場するいわゆる「三式」の襟章との違いは、試製折出襟章では星の配置が13年製と同じという点です。
なお、防暑衣袴は昭和12年・13年標題「試製防暑被服実地試験に関する件」で先に改良試験が始まっています。



また、昭和16年12月標題「熱地被服の参考」には試製防暑襦袢について記載があります。
「第二章 熱地被服ノ種類 性能及仕様法」
試製夏襦袢と同じく、単独着用することを想定していたようです。
地質:夏襦袢に準じ綾木綿製もしくは麻製
形状:襟は開襟式、襟章を附す、脇下に通気孔、袖は長袖・七部袖の二種





(2)昭和17年 防暑襦袢袴下と夏襦袢袴下を統合
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」を紹介します。
資料では防暑襦袢袴下は夏襦袢袴下と材料制式が同じ、つまり統合したと分かります。
色は上下茶褐色です。冬袴下のみ白とあります。



図面と比較して、前述の「試製防暑襦袢」の正統進化であることがわかります。
中田の複製品もよく特徴をとらえています。





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ここで、防暑襦袢と混同されることの多い「防暑略衣袴」について説明します。

■防暑略衣袴
昭和17年に防暑略衣袴が制定されます。上は半そでシャツ、袴は半袴(半ズボン)となっています。
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」
襦袢と異なり正規の軍服であるため、襟章(階級章)だけでなく特別徽章や胸章も取り付けることがわかります。





靴下は画像のように、折り曲げるのが当時流だったようです。







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続いて、防暑衣袴について説明します。

★防暑衣袴について
(1)昭和5年
先述の防暑襦袢と同じく、昭和5年陸達第八号により防暑衣袴も制定されます。
肩章、立体的な胸ポケット、フタの無い腰ポケット、ヒップでサイズ調節する袴が特徴的です。
なお、袴は昭和6年に腰紐式になります。







また、1932年03月31日官報には、将校同相當官准士官が用いる場合の注記があります。
剣留を外して、腰ポケットに蓋を付けるように書かれています。
これは官給品の改造を指示するのではなく、将校仕様として仕立てる場合の注意書きだと思われます。



下の二枚は将校の着用例です。
一枚目の写真には立体的な胸ポケットがはっきり写っています。
二枚目は「蝶ネクタイ」との組み合わせが特徴的です。





こちらは昭和16年4月29日に「台湾軍」兵士の写真です。
台湾軍では防暑衣の襟を第二釦まで外し、襟を開いて着用しているのが特徴的です。
通常の丸首の襦袢を着用し、衣の襟には襟布の代わりに熱地部隊特有の「飾襟」が取り付けられています。



(2)昭和13年
次に、昭和13年の改正で腰ポケットに蓋が付き、肩章支紐がなくなります。
昭和13年標題「陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件」
製造年が昭18年や19年となっている物も確認されており、大戦後期まで製造されていたとする説もあります。
あるいは、大戦後期に出荷された在庫品に適当に製造年のスタンプを押したとも考えられます。



こちらは実物です。図と比較してみてください。



ちなみに、台湾軍では将校准士官は、開襟シャツの襟で防暑衣の襟を覆うように着用していました。
図では襟を開き、下に着ているシャツの襟で防暑衣の襟を覆っています。
しかし、この着用方法は襟章が隠れてしまうので、襟章の位置を変更してよいとなります。
昭和13年標題「准士官以上防署衣の襟章襟部徽章附着位置に関する件」





(3)昭和17年
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」より。
「試製」のスタンプが押された同型のものが昭和16年の製造品に確認されています。
「夏衣」に近い構造になっており、襟にはホックが無いのが特徴です。



対になる防暑袴は半袴(半ズボン)になります。「熱地被服の参考」より参考になる図を引用します。
ただし、防暑略袴とは半袴でも生地質と構造が異なり、膝の下あたりで裾を縛ることができます。
基本的にはこのズボンの下に防暑袴下(夏袴下)を着用し巻脚絆を巻きます。(素足に脚絆を巻いている例もある)
将校准士官の防暑衣の基本構造もこれに同じです。また、夏袴が用いられる場合もあります。





「熱地被服の参考」中の着用例を上半身のみ再現してみました。
後述する着用規定に従い、防暑衣の襟の上に防暑襦袢の襟を重ねています。
当然ながら、襟を出さない場合もあるため、あくまでも一例です。





襟章は襦袢のみに付いている場合もあれば、両方に付いている場合もあります。
恒常的に開襟着用の場合は襦袢側に付けておけばよいかもしれませんが、適宜襟を詰める場合は両方に必要と判断します。
いずれにせよ、階級章を付けない、あるいは隠れているというのは望ましくないでしょう。

■昭和18年以降
昭和18年10月12日勅令第七百七十四号により将校准士官のものには袖章・星章が加えられます。
下の写真は中田本の将校准士官防暑衣です。(基本構造は昭和十七年型に同じ)





オマケ:試製特殊部隊用防暑衣袴(昭和17年3月31日制定)
文字通り特殊部隊用の防暑衣袴です。



中田商店の本にもそれらしき被服の写真があります。
図面と比較してみてください。




■昭和16年時点での現制品と試製品
以下は「熱地被服の参考」に書かれている防暑衣袴、防暑襦袢袴下、試製夏襦袢の項目です。
熱地用試製被服はバリエーション多々ありますが、おそらく昭和14年頃の試製品を指していると考えています。
読みやすいように分離した図を一つにしました。



使用法は以下の通りです。



防暑襦袢を防暑衣と併用する場合は、襦袢の襟で防暑衣の襟を覆うように着用せよと指示があります。
襟章を附すように指示があります。迷ったら襦袢の正規の位置に襟章を付けておくのが無難だと思います。



■その他の資料
・大正7年「炎熱ト作戦 : 附・天候ト戦例」
・大正10年標題「夏帽及網襦袢袴下交付の件」
・大正11年標題「防暑被服試験実施の件」
・昭和2年標題「熱地用被服及戦車被服実地試験に関する件」
・昭和16年2月13日標題「熱地被服に関する意見の件」
・昭和16年4月18日標題「試製熱地用被服実地試験に関する件」


▲着用規定に関して
最後に、各種着用規定に関してまとめます。
夏衣や防暑衣、防暑略衣の着用に関しては、服装の乱れに注意を促すものが多い傾向にあります。
一部を抜粋して掲載します。(以下の引用分は旧漢字を改め、カタカナをひらがなに直しています)
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(1)昭和18年6月26日標題「軍人の服装に関する件」
(以下要約)
二 防暑衣(防暑略衣)、防暑袴(防暑略袴)の使用は(中略)昭和五年陸達第八号に依り定めされある以外のもの即ち釦二箇を脱したる大開きの開襟式のもの夏襦袢(防暑襦袢)式のもの又は襟章を制式以外の位置に附し或いは附せざるもの等を用いざること

昭和18年8月16日標題「軍人の服装に関する件中改正の件」
上記の資料中では襟章の位置に関して言及されていました。
(以下要約)*上記の文言が改められます
昭和五年陸達第八号に依り定められある制式以外のものを用いざること但し旧制式の防暑衣は之を用いるを妨けず
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(2)昭和18年6月28日「陸達第44号 南方作戦地及台湾以外に於ける夏期被服着用に関する特例左の通り定む」
読むのが面倒くさいかもしれませんが、一度読んでみてくでさい。




第一條 
略装にありては夏期に限り廉ある場合の外左の如く著装することを得(「廉(かど)」ある場合=特別に取り上げる事情がある場合)

一.将校以下夏衣に代え防暑衣又は防暑略衣を夏袴に代え防暑袴又は防暑略袴を用ふ
但し防暑袴防暑略衣及防暑略袴の使用は営内に限り又下士官、兵に在りては支給又は貸興せられたる場合に限る

二.下士官、兵は営内に在りては夏衣の襟を開襟とす

第二條 
夏期教練、演習、作業等実施中に於いても前條に準ずる著装を為すことを得

第三條 
将校准士官防暑衣(防暑略衣)著用の場合開襟シャツ(白色又は茶褐色に限る)の襟を以て衣の襟を覆ふ如く著装することを得   
此の際 襟章 開襟シャツの襟により覆わるるときは襟章の位置を下方襟部に移し階級を明瞭ならしむるものとす
    
下士官兵は兵防暑衣(防暑略衣)を著用し又は夏衣の襟を開襟とする場合に於いては
夏襦袢の襟を以て防暑衣(防暑略衣)又は夏衣の襟署を覆ふ如く著装することを得
    
将校以下防暑衣(防暑略衣)著用の場合 飾襟は用いざるものとす
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以上が夏衣や防暑衣の襟を開襟にし、夏襦袢の襟を出す場合です。
こちらは中田商店の本に掲載されている将校准士官防暑衣です。
シャツの襟で防暑衣の襟を覆っています。



その他に、シャツの襟にも襟章が取り付けられている例を示します。
昭和20年11月、八丈島独立混成第67旅団司令部前で撮影されたものです。



こちらは襦袢と衣の双方に階級章が付いていると思われる例です(左側の人物他複数名)
「日本ニュース238号」より。



下の着用例では防暑衣の上に襦袢の襟を重ねています。
防暑衣側の襟には襟章や徽章類は取り付けられていないようです。
昭和20年6月にタイで撮影されたものです。



こちらは義烈空挺隊です。日本ニュース第252号より参考になる映像を抜粋します。
隊員が着用しているのは防暑衣ではなく夏衣ですが、数カットのシーンからも色々と推察することができます。
ただし、全員同じでは無いので、映像は注意しご覧下さい。

(1)こちらは迷彩を描き込む場面、襟が閉じられていますが、階級章は付いていません。


(2)次のカットでは襦袢の襟を外に出したのでしょうか、襦袢側にのみ階級用が取り付けられているようです。


また、第三條の最後の項目から、内地では防暑衣を着用する場合は、階級を問わず飾襟を使えないと推察できます。
ただし、規定はあくまでも目安でしかないため、規定外の着用例は当然ながら存在します。
当時の着用例を見る場合も、撮影地・撮影時期・被写体から冷静に分析する必要があります。
「かっこいいから」と何の根拠もなしにマネをするのが一番「ダサい」と思います。

(1)台湾軍


(2)撮影地不明(中田軍装本より引用)


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(3)昭和19年8月26日「陸軍軍人軍属の服制並に服装に関する特例左の通り定む」
第一條 (省略します)

第二條 当分の内 将校以下夏衣に代え防暑衣を用いることを得
    但し左記の場合に於いては防暑衣の襟を詰め且襦袢の襟を衣の下に納むる如く著装するものとす

1 正装に代え軍装を為す場合(陸軍服装令第二條)
2 禮装に代え軍装を為す場合(陸軍服装令第三條)
3 通常禮装に代え軍装を為す場合中陸軍服装令第四條第一号及至第五号の場合
4 其の他必要ある場合

第三條 教練、演習、作業等実施の際に限り将校以下防暑略衣袴を用ふることを得

第四條 (省略します)
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★まとめ
以上で簡潔ですが終わりです。
なかなか着こなしの難しい1着だと思います。
今後も資料を追加していきたいと思います。
特に将校の被服はカテゴライズが不十分なので、また別の記事でまとめる予定です。



ではでは。
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