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中田製 改四五式軍衣袴【明治38年~昭五式までの変遷】

2014-01-02 12:27:30 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
*H26 12/31 記事を改訂しました。

中田商店製の改四五式軍衣袴です。大正時代における陸軍下士卒(下士官・兵)の冬服です。
長らく中田商店のマネキンが着ていたもので、2013年の冬コミ参加のため東京滞在中に店頭で偶然入手したものです。
軍衣とは冬用の上衣のこと、軍袴とは冬用の袴のことを指します。上下あわせて「軍衣袴」となります。
九八式以降は冬衣袴と呼び方が改められますが、便宜的に軍服上下を軍衣・軍袴と表現することもあります。



■おおまかな変遷
(1)三八式(明治38年臨時制定、明治39年制式化)
日露戦争を経て、従来の紺色から明治37年以降はカーキ色の被服が主流となります。
明治38年には「陸軍戦時服服制」により後の「昭五式軍衣」までの基本的なデザインとなる軍衣が臨時で制定されます。
制定年からマニアの間では明治38年制や三八式軍衣と呼ばれていますが、制式化は明治39年です。



襟の裁断や鍬形襟章の形状、胸ポケットの蓋の縫いつけ基部が立体的であるなど、後発のものと一部が異なります。
肩章も明治45年にボタン留めで取り外し可能なものが登場するまで直接肩に縫い付けていました。



釦は立体的な饅頭釦で、兵科下士兵卒は赫銅(色)、各部下士兵卒は白銅(色)のものがつきます。
(下士・兵卒は下士官兵のことです。昭和7年以降に下士官・兵という表記が用いられます。)
袖と袴側面には幅1分(約3 mm)の蛇腹組緋毛糸(パイピング)があります。
これらは単に袖章や、袴は側章ともいいます。なお、夏衣袴(夏服)にはありません。









さらに、夏衣袴に袖章と側章が無いことは当時の写真からも明白ですが、文書化されたものを示します。



▲明治39年制定「代用軍衣袴」
明治39年には前述のカーキ生地の明治38年制が制式化します。
同時に、勅令第七十二号「陸軍軍服服制中濃紺絨ヲ以テ茶褐絨ニ代用スルノ件」により濃紺絨のものが「代用品」として登場します。
これは余剰品となった日露戦役以前の紺色生地を消費する目的で制定され、マニアの間では三九式や代用軍衣と呼ばれるモデルです。
この勅令は明治45年には廃止になりますが、大正に入って以降も代用軍衣袴しばらく使われていたようです。
やがて炭鉱などに作業着として払い下げられるようになっていったそうです。



1906年04月13日官報より



明治41年「改正歩兵須知」には制式品(茶褐絨=カーキ色)と上記のいわゆる三九式=代用品との区分が書かれています。



(2)四五式/改四五式
明治45年2月24日勅令第十号により四五式軍衣袴が制定されます。
過渡期には四二式/改四二式があり、胸ポケットの蓋の縫い付けが斜めになっていきます。
当然ながら、夏衣袴には袖章・側章はありません。
肩にはボタン留め式の階級章(正式には肩章/かたしょう)を取り付ける支紐がつきます。
この時、旧制の軍衣にも肩章の支紐が後付けされていったと考えています。
さらに、ボタンも饅頭釦から新しいモデルに改められます。
(大正元年 改正陸軍服装全書より引用)







こちらは着脱式の肩章の図です。
(大正元年 改正陸軍服装全書より引用) 



襟章の寸法も縦方向は改められているようです。
これ以降も寸法に変更があったかどうかは知りません。
(大正元年 改正陸軍服装全書より引用)



この後、大正7年に主に構造上の改正(窮屈さを減少するなど)があります。
大正7年 標題:衣袴及外套仕様改正の件
この資料中で標記を[四五式]を旧制式、(改四五式)を新制式として扱うとあります。
緋毛糸の除去に関しては特に書かれていません。
よって、袖と袴の緋毛糸の有無が四五式と改四五式を分けるものではないことが推察できます。



続いて、大正9年には夏衣の生地が従来の「帯赤褐色」から「帯青褐色」になります。
1920年5月28日官報よりその旨を引用します。



そして、大正11年9月26日勅令第四百十五号により、袖章と側章が廃止になります。
さらに、釦も兵科・各部共に赫銅釦になります。
袴は従来通り、基本的に徒歩兵は長袴、乗馬兵は短袴が支給されます。
図は1922年09月27日官報より引用します。
その他、四五式から改四五式の変遷や差異に関しては諸説あり、ここでは特に言及しません。









(4)昭五式
昭和5年勅令第七十四号により背面の裁断が改められます。
図を1930年04月11日官報より引用します。



☆生地質に関する資料
・明治44年 1911年08月03日官報
・大正4年 1915年06月16日官報
・大正10年 1921年05月05日官報


前置きが長くなりましたが、ここから商品の簡単な紹介をします。
(1)上衣
やはり立襟の軍服は軍帽がよく似合います。軍帽は中田製です。
上衣には変な金色のボタンが付いていますが、全て赫銅釦に交換する予定です。



★剣留(けんとめ)
銃剣帯革を支える剣留(けんとめ)です。左脇にあります。





大正6年「騎兵須知」中には「剣吊」と書かれていますが、正式名ではないので気をつけてください。
民間の出版社の発行した資料は、時々おかしな記載があり現代人を困らせます。



(2)襟章(四五式)/隊号章/襟布
兵科章はもともと憲兵科の黒いものが付いていましたが、歩兵科色に変更しました。
隊号章は中田製のものを用いています。



取り付け位置を大正6年「被服手入保存法」より引用します。



また、この商品の襟には学ランに付いているような樹脂製のカラーが付いてきました。
カラーを留めるための突起も襟に埋め込まれています。
こういった「改造品」は実物でもみかけることがあります。
私物と思われるカラーを用いている例を示します。



今更説明も不要ですが、本来であれば襟には「襟布(えりふ/襟の汚損を防ぐ布)」を取り付けます。
こちらの参考写真では襟布と共に、釦の紛失を防ぐために釦に紐を通しているのがわかります。



以下に大正10年改正の襟布(明治31年制定の襟布を改正したもの)を示します。
標題:下士以下襟布の制式及用法の件
斜辺の長さが一尺九寸から一尺七寸に改められます。
襟布は軍衣を着用したとき、右側が下になるようにします。



参考に明治31年制定の襟布を示します。
明治31年 標題:下士以下給与の襟布裁断用法改正に伴う実施の件通牒




(3)肩章の支紐(かたしょうのささえひも)
階級章を取り付けるループです。
ウール製の小さなものが付いていましたが、別の複製品から移植しました。
実物とは少し違いますが、階級章も問題なく取りつけられます。



◆取りつけ位置について
ヨコの位置は、袖から5分(約15 mm)の位置に階級章の縁が来るように支紐を取り付けます。
しかし、実物でも取り付け位置はマチマチで、よくわかりません。



昭和11年の資料では、「胸側の支紐の前縁は、第一ボタンの上側のラインと等しくする」と書いてあります。
肩章は「肩の一番高いところから3/4が前、1/4が後ろになるように」とあります。
階級章は3寸(約9cm)ですので、単純計算で大体の位置はわかります。
これは軍衣の資料ですが、夏衣に関しては現時点では資料未発見です。



(4)背面
明治三八式~改四五式軍衣において一番注目すべきポイントです。
昭五式夏衣/軍衣や九八式夏衣/冬衣とは違い、背面中央に合わせ目がありません。





(5)標記
安心の中田マークと標記、物入があります。
「2号」というのは中田商店のサイズ表記です。実物では漢数字です。







(6)長袴
徒歩兵科に支給される長袴(ストレートズボン)です。
側章(袴側面の緋色の線)は取り外されてしまったようです。








■オマケ 大正2年制定下士以下襦袢/明治31年制定襟布
大正期の襦袢は図のようなデザインでした。
図を1913年06月02日官報より引用します。











以上で紹介を終わります。
まともなウール(羅紗生地)のレプリカが無い中、中田製の羅紗軍衣は大変貴重な存在です。
既に絶版になってしまったのがとても残念です。


オマケ:入手の経路について
中田に立ち寄る前に友人が知人のお見舞いに病院へ行きまして、それに同行しました。
ロビーで待っている間に、売りに出されたそうです。
中田では、永遠の0公開につき海軍飛行服の販売を強化。
それに伴ってマネキンを飛行服に着替えさせ、もともと着ていた改四五式軍衣を販売に出したというわけです。
もし、友人が病院へ行かなかったらこの軍服はまだマネキンが着ていて、買えなかったかもしれないですね。



ではでは。


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1 コメント

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Unknown (Friedrich)
2014-01-05 23:22:16
いや~!めっちゃ運がいいですね!^^
さすが羅紗というだけあって、重厚で
暖かそうです!

連隊番号もついてきらびやかですね~!
自分も、負けないように米軍の制服を
見直します?!!ww

やつら(虫)から大切な軍衣を守り抜いて
くださいね~!!^^

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