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鬼塚堂製 昭五式夏衣袴

2017-05-17 22:55:35 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
H27 1/3 2013年3月13日に投稿したものを追記・改訂
H29 5/17 文言を修正

下士官兵に支給される昭五式夏衣袴です。袴は主に徒歩本分兵に支給される長袴です。
今回は簡単な着用規定と、昭和12年頃の野戦の軍装を想定した装具を紹介します。



なお、一部のネット記事や書籍では「夏軍衣袴」と表現されていますが大きな誤りです。
夏用の上衣は夏衣、夏用の袴は夏袴です。
冬用は羅紗(ウール)でできており、冬用の上衣は「軍衣」、冬用の袴は「軍袴」といいます。
後発の九八式、三式では夏衣/冬衣・夏袴/冬袴と名称が変更されます。
ただし、軍服を便宜的に「軍衣」や「軍袴」と呼称する場合も多々あります。

ここから、簡単な着用規定を紹介します。

(1)襟章・襟布
鬼塚堂製の歩兵科襟章です。マニアの間では鍬形襟章ともよばれます。
♪万朶の桜か襟の色・・・とは、まさにこれのことです。



取り付ける位置は下記の通りです。
襟章は襟の縁(ホックの位置)から約3 mm離し、左右数か所をしっかりと縫い付けるだけで十分です。
隊号章は襟章の縁から約18 mmの位置に穴をあけて取り付けます。



また、外征部隊であれば隊号章を外します。シナ事変頃の個人アルバムより抜粋します。(出征前の記念写真)
余談ですが、一部の部隊では終戦まで立襟軍衣を着用しており、従軍経験者には折襟軍衣を知らない方もいらっしゃいます。



襟についている白い布は「襟布(えりふ)」といいます。
これは襟の汚損を防ぐ為のものです。夏衣だけでなく、軍衣(冬服)にも取り付けます。
巾は約1寸三、四分とあり、襟からはみ出させる幅は1分(3mm程度)です。
上衣を着用したとき、襟布の右端を下にします。
手順は襟布を処理してからホックをかけ、第一釦から下へ釦を留めます。



昭和5年のモデルの寸法は図の通りです。標題「被服、装具の制式規定の件」






(2)袴
袴は主に徒歩本分兵に支給される長袴です。乗馬本分者には短袴が支給されます。
昭和13年の九八式制定以前は、平時の外出時などの略装では脚絆は巻きません。
大正期の資料から略装のイメージ画像を引用します。





(3)「昭五式道」ノススメ
昭五式軍衣はその見栄えのよさから人気があります。
しかし、細かい装備の組み合わせが複雑で、入念に資料を観察する必要があります。
それこそ水筒のキャップ一個、略帽や巻脚絆の生地色にまで気を配る必要があります。
市場に出回っている戦前の軍装品は複製品もラインナップが中途半端かつ流通量が少ないです。
タイミングを逃すと手に入りづらくなるものも多いので、フットワークの軽さは重要です。
特に関心をもって意欲的に望まなければ、この時代の被服装備品を揃えるのは難しいと感じます。

以下に「昭五式道」に進む前に収集しておいた方がいい装備品を紹介します。
イメージとしては昭和12年夏以降~昭和13年頃の野戦の装備を想定しています。
略帽をはじめ各種装具の変遷は他の記事をご覧ください。

1.防毒面携帯袋(被甲嚢)
後回しにされがちですが必須の装備品です。
写真はオニヅカ堂製の複製品です。「九五式」にしておくのが無難です。
中に詰め物をしてふくらみをもたせることと、装着時の高さ、胴紐の処理に気を付けてください。



九五式は負紐の先端が、下の写真のように袋の中に収納される構造が特徴です。(画像は将校の後ろ姿)
胴紐は袋側面に巻き付けてある例が多く見受けられます。
胴紐を腹に巻く場合は、紐の結び目を銃剣帯革の下に押し込んでやるとそれらしくなります。
位置は腰よりも上、腹のあたりが自然だと思います。



2.雑嚢
左から大正三年型、昭和七年型、昭和十二年型(昭和12年11月15日改正)です。
昭和12年頃の大陸戦線の設定であるなら、昭和七年型を強くお勧めします。(個人の感想)



こちらが昭和七年型雑嚢です。
篠原工房製の複製品です。オニヅカ堂でも購入可能です。
雑嚢の詳しい解説は雑嚢カテゴリーの記事をご覧ください。



3.水筒
明治31年制定の水筒(旧式水筒)のイメージが強いですが、すでに新式水筒も普及しています。
写真はhiki-shop製水筒のキャップのみ旧式水筒のものと交換したものです。木栓やゴム栓は不可です。






楕円型のリングを持つものは個人の調べでは昭和13年の夏期には登場していたようです。
詳しい解説は水筒カテゴリーの記事をご覧ください。
なお、旧式水筒を用いる場合は工廠の刻印があるものを入手しておくのが無難です。

4.帽・鉄帽
帽はサイズのあったものを選んでください。古鷹屋、鬼塚堂で取り扱っている物がよいと思います。
通気孔が3つの帽は昭和12年7月の時点ですでに戦地の部隊に支給されています。
必ずしも初期の試製品でなくてはいけないということも無いので、資料を確認してみてください。
わからない場合は、昭和〇年頃の設定か決めた上で上記の業者に問い合わせるとよいと思います。



鉄帽覆は状況に応じて着脱していたようですが、この時期は未装着の場合の方が多く感じられます。
余談ですが、下記の写真のように雑嚢と水筒の向きも状況に応じて異なります。



自分はhiki-shop製の鉄帽を使っています。本体は古鷹屋にて再塗装してもらいました。



5.編上靴
編上靴は規格低下品ではない「昭五式」かつ「裏革」が望ましいです。
実物もしくは複製、代用品を探してみて下さい。



6.腰回り
弾薬盒は大戦後期のものや粗悪な革のレプリカを使わないように注意した方がいいです。
こだわる方は前盒の中央部に縫目が二本入った古いタイプでもよいと思います。
これは「でくの房」と「hiki-shop(PKミリタリア)」が取り扱っています。
前盒の縫目は1934年~1939年の間に一本になるようです。須川薫雄著「日本の軍用銃と装具」では日中戦争初期の頃のものとあります。
これは1937年に勃発した日中戦争の大量動員による簡略化と考えています。中田製はこれを模していると思われます。



また、後盒は昭和9年に廃止になり、弾薬60発及び油壺(オイル缶)は背嚢または雑嚢に収容し、転螺器は携帯予備品となります。
自分は廃止前の旧式品を使っており、これには後盒左側面に転螺器を収めるための部品がついています。
昭和12年5月には後盒が復活し、転螺器入れが付いていないタイプのものが登場します。
昭和13年頃の写真をみると、依然として旧式品が用いられているようです。





さらに、銃剣は白磨の剣身が望ましく、黒錆染は昭和13年末頃から登場するようです。
この時代は鍔が湾曲したタイプのものしか使えないので気を付けてください。

■まとめ
内地と外地、撮影時期や部隊によっても装備の組み合わせは大きくかわります。
資料をじっくり観察してみてください。




ではでは。

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