実物 四五式/改四五式外套

2018-09-14 18:53:51 | 日本陸軍 外套
■2017年6月22日投稿の記事を再編集

以前投稿した実物 四五式/改四五式外套に関する記事を再編集しました。
写真を差し替えた以外は、特に大きな変更点はありません。

(A)四五式外套(大正2年製)
袖章は大正11年の改正により除去されている。


制式を明治45年件名「陸軍服制ヲ改正ス」より引用します。



また、大正6年「被服手入保存法」より細部の名称を引用します。



そして、大正11年の改正により、軍衣と外套の袖章、軍袴の側章が廃止されます。
四五式と改四五式の区別は、側章の有無では無い、ということは既知の通りです。
改正後の図を1922年09月27日官報より引用します。



(B)四五式外套(大正4年製)
袖章は大正11年の改正により除去されている。


せっかくなので、今回は改四五式外套も加えておきます。
以前紹介した大正9年製、大正14年製とは別のものです。

(C)改四五式外套(大正11年製)


(1)「標記」の変遷
(A)縫着式
縫着式の古いタイプです。明治期の軍衣や外套にもこのタイプが用いられています。
「所属」とした部分は、「部隊号」と表記する方が適切でしょうか。



大正3年「内務ニ関スル心得」の中にも同様のものが描かれています。



(B)捺印式
大正3年に捺印式のものが制定されます。



大正3年標題「被服品標記法中改正の件」より図を引用します。改正理由は経費節約だったようです。
標記はこの後も時局の影響を受け、昭和まで少しづつ変化していくようです。
ただし、毛布のみ終戦まで縫着式のままです。







大正7年には、軍衣袴と外套のサイズ区分やサイズに関する仕様を変更するための改正があります。
大正7年「衣袴及外套仕様改正の件」には、外套の改正点と、改正品を示す【縦長の丸枠に(四五式)】の印があります。
旧来の四五式【縦長の四画枠に[四五式]】と区別するため、と理由が記されています。



(C)捺印式、【縦長の丸枠に(改四五式)】
【縦長の丸枠に(四五式)】の印は、直後に見慣れた【縦長の丸枠に(改四五式)】の印に置き換えられていくそうです。
要するに、大正7年の改正を受けた「四五式外套」が、事実上の「改四五式外套」ということになります。



なお、軍衣袴に関しては同資料中で既に【縦長の丸枠に(改四五式)】と指示があります。(過去記事参照)
四五式/改四五式の変遷については、詳しく解説しているブログがあるので探してみてください。

(2)肩章支紐
明治45年、釦留で着脱できる階級章の制定にあわせて用いられるようになります。
既知の通りですが、肩章支紐の裏側には「当て布」があります。
これは、着用時に軍衣の肩章と外套の内側が接触し、摩擦による双方の摩耗を防止するものと考えています。

(A)四五式外套(大正2年製)
この時点では、まだ「当て布」はなく、明治38年制外套や四ニ式外套と同じ構造です。(過去記事参照)
画像は左肩(左側が表、右側が裏)です。当然ながら、右肩も同じ構造です。



(B)四五式外套(大正4年製)
この個体では当て布が取り付けられています。表からは縫目が確認できます。
個人的には大正3年~大正4年の間に実施されるようになったのではないかと推察しています。
資料も発見できず、実物から判断するにしても製造年をピンポイントで狙うのは至難の業です。



(C)改四五式外套(大正11年製)
既に完成形に到達したようですが、いつ頃からこの仕様になるのかは確認できていません。
後の昭五式外套でも同様のものが用いられています。
縫目の幅が支紐よりも広くなっていますが、間違いなく「個体差」があるため、あくまでも参考です。



(3)着用時のポイント
ホックをかけ、第一釦から留めるのは軍衣と同じです。
着用方法が不適切な場合、サイズがあわない・見栄えが悪いといった問題を引き起こします。
大正3年「内務ニ関スル心得」より、適正に着用された場合の図を引用します。
袖は防寒のために長めになっています。適正なサイズを見つけるのも、これまた至難の業です。



(4)オマケ
資料が集まらなかったのでまた別の機会に紹介します。



(5)まとめ
最近は軍装をする機会も無いため、虫干しを兼ねて出してみました。
ひと昔前は着ることに必死でしたが、あの頃が一番幸せだったかもしれないと思う時があります。
サザンの「栄光の男」を聞いては、ハラハラと涙することが増えました。
”信じたモノはみんな メッキが剥がれてく”という一節に共感せずにはいられません。
この趣味を今日やめよう、明日やめよう、そう思いながら未練がましく生きています。




ではでは


■現在確認中の甲乙標記に関する資料
・明治32年 陸達第七十九号
・明治43年 陸達第五十一号軍隊経理規定第五十九條
・明治44年5月 陸普第一八五〇号
コメント (2)

実物 明治38年制定下士以下外套

2016-08-13 14:29:57 | 日本陸軍 外套
「若さを失う」などと言っておきながら、結局やめない、やめられない。
最近は目標を見失いつつあり、惰性的にダラダラやっている感じが否めません・・。

今回は明治38年に制定されたといわれる陸軍外套です。
下士卒(下士官兵)に支給されるモデルです。
ダブルボタンと大きなフードが特徴的で、生地はやや目の粗いカーキ色の生地です。
製造年やサイズは不明です。大正期の改正に従って手が加えられています。
明治後期・大正期の外套は終戦までしぶとく使われ続けました。



図を明治38年7月12日官報第6609号より引用します。(内釦の位置がなぜその位置に描かれているのかは不明)



*三八式か三九式か
呼称をどうするか困りました。資料によっても呼称が混在しています。
北村恒信著「陸海軍服装総集図典―軍人・軍属制服・天皇御服の変遷」では明治38年7月11日臨時、明治39年4月12日制定とあります。
自分は明治38年「陸軍戦時服服制」を参考に、マニアの間で一般的な三八式外套としました。
主に四五式以前の明治の軍装品に○○式××という表記は不適切かもしれませんが、今回は便宜的に用いることにします。
また、濃紺絨のものを三九式とする根拠は明治39年「勅令第七十二号・陸軍軍服服制中濃紺絨ヲ以テ茶褐絨ニ代用スルノ件」です。
これは明治45年に廃止になります。


■頭巾(ずきん)/覆面(ふくめん)/ホック
頭巾は縫着式、取り外されたり折襟に改造されることなく健在でした。
憲兵に支給されるもののみ着脱式となります。
ホックは二段になっており、以前紹介した四二式外套と同じです。
襟側面の穴は防寒襟を取り付けるための「紐穴」です。
なお、階級章(兵長)は昭和15年以降に使用されたと思わる私物品です。








■肩章の支紐
明治45に制定される取り外し式の階級章(過去記事参照)を取り付けるための支紐が付け加えられています。
明治38年から明治45年までは階級章を直接肩に縫い付けていました。




■饅頭釦
兵科下士卒に支給されたことを示す赫銅が美しい明治の饅頭釦です。
各部下士卒に支給されるものには白銅釦が用いられます。





三八式の特徴的な部分の一つに、釦裏側の補強があります。
細長い生地が縫い付けられています。これは表からもはっきりとわかります。
左右とも同じ補強が施されており、左側は内釦まで補強が連続しています。
四二式でも同様の補強が施されているものがあるようです。
自分の所持品は四五式と同じように釦の一つ一つに丸い生地が当てられていました。(過去記事参照)









二・二六事件で撮影された写真にも饅頭釦が取り付けられた外套が写っています。
事件当日、着用された大多数の外套が旧式のモデルだったのではないかと推定します。






■蛇腹組緋毛糸
単に袖章ともいいます。取り外されています。
個人的には袖章はない方が好きです。




■剣留カン
腰部の剣留カンは左右とも健在でした。






■まとめ
古いものなので大切に保管するつもりです。
外套を集めるのはこれくらいでストップしておこうと思います。
出番のない私物改造品の改四五式外套も今年はお披露目したいと考えています。


ではでは。
コメント

実物 四二式外套(推定)

2015-02-25 18:54:37 | 日本陸軍 外套
今回ご紹介しますのは実物 四二式外套です。
明治42年から45年の間に試作されたタイプであり、生地質とサイズ区分が変更されたといわれています。
四二式外套の基本構造は、先発のモデルであるいわゆる三八式外套と同じです。



(1)頭巾・覆面
軍帽をかぶった状態でも使えるように大きな頭巾(フード)が付いています。
フード側面の覆面留釦は白色牛脚骨釦です。裏側には補強があります。







襟元に特徴的な二段構造のホックがあります。
三八式・四二式外套でのみみられる構造です。




(2)肩章支紐
明治45年以前は肩章(階級章)を肩に直接縫い付けていたので、肩章支紐は軍衣にも外套にもありません。
この個体では”着脱式肩章”が制定された明治45年の以降に支紐を取り付ける改造が施されたと推定します。






(3)饅頭釦
明治の特徴的な釦です。サビもなくキラキラとしています。
兵科下士官兵に支給されるものであることを示す赫銅色です。



裏側は三八式外套とは異なり、釦裏側の補強は丸い生地が当てられています。
ただし、三八式外套と同じく細長い生地が第一釦から第五釦まで連続しているものもあるようです。




(4)袖口
袖口には緋色の線「蛇腹組緋毛糸」を取り外した痕跡があります。
これは明治-大正期特有の装飾があった証拠です。
これが大正11年の改正によって取り外されてしまいます。






(5)剣留カン(けんとめかん)
ベルトフックです。剣留カンは健在でした。
背面も大きな破損や欠落はありませんでした。殆ど改四五式外套と同じ構造です。




(6)標記
縫着式の標記がありますが、片方は外れてしまったようです。




(7)生地の比較
左が四二式外套、右が改四五式外套です。
四二式外套が改四五式外套よりも目の詰まったキメ細かい生地です。
金色(こんじき)という表現がふさわしいでしょうか?




オマケ
写真を撮影していたら、所々に数字がかかれています。
なんと書いてあるか分かりませんが、おそらく部品番号だと思います。
同じ部品番号を縫いつけるのですね。ちゃんと近代的工業製品になっております。




以上でご紹介を終わります。
ご参考になれば幸いです。



ではでは。
コメント

実物 改四五式外套

2014-10-13 11:39:34 | 日本陸軍 外套
今回ご紹介するのは実物 改四五式外套です。
念願の一着だったので、手に入ったときはとてもうれしかったです。
ダブルボタンと、軍帽の上からかぶれる大きなフードが特徴的です。
写真では生地の色がグレーに映ってしまい色彩が上手く伝えられず残念です。




ボタンは若干輝きを失っていますが脱落や変形、糸のほつれはありませんでした。
自分はこの赫銅釦が一番好きです。



背面には金属製の剣留(剣留カン)が左右二か所、腰のあたりにあります。
この金具はベルトフックの役割をします。
現存する一部の実物では失われている場合が多いです。



■私物品
次は官給品を改造した私物品です。内側には将校外套のような内張りがあります。
大正9年製で生地はとても目の細かい美しいカーキ色です。
サイズは一号ですが、特別大きいようには感じませんでした。





左腰には脇裂があります。帯刀者が用いていたのでしょうか。
剣留カンは左右ともに健在でした。



◆まとめ
今後も大切に保管していこうと思います。いいものが手に入りました。
当ブログでは三八式外套、四二式外套、昭五式外套も紹介しています。
戦前の軍装品に興味のある方はご覧ください。


*階級章について
「外套を着用する場合、肩章は軍衣から外套へ付け替えるのか」という質問をいただきました。
自分は軍衣と外套の双方に肩章を付けた状態で外套を着用したと考えています。
既知の通り、明治45年にボタン留で着脱可能な肩章が登場するまでは、肩章を軍衣や外套の肩に直接縫い付けており、取り外して付け替えることは想定しておらず、その慣習を後発のモデルでも引き継いだのではないかと思われます。
また、大正4年以降の外套の肩の裏側、つまり軍衣の肩章と接触する部分には、肩章とほぼ同じ大きさの「長方形の布」が縫い付けてあり、軍衣の肩章と外套の内側が擦れて双方が摩耗することを防ぐため、補強(保護)をしているのではないかと考えています。
これらから、自分は軍衣に肩章を付けた状態で、外套を着用していたと考えています。
あくまでも推察の域を出ないため、根拠資料を今後も引き続き調べたいと思います。



ではでは。



コメント

実物 昭五式外套

2014-08-30 20:13:19 | 日本陸軍 外套
昭和5年改正の下士以下外套、いわゆる昭五式外套です。
明治38年制の下士以下外套以来のダブルボタンからシングルボタンになります。
フードは従来は憲兵科に支給されるもののみ着脱式でしたが、これ以降全て着脱式が基本形になります。



図を1930年04月11日官報より引用します。
背面には剣留釻(ベルトフック)があります。
ちなみに、防雨外套(レインコート)も基本構造は同じですが、剣留釻のかわりに剣留があります。
なお、昭和13年(九八式)以降では「雨外套」という呼称が用いられます。



肩の内側には軍衣側の肩章との接触により、双方が摩耗することを防止するためと思われる「当て布」があります。
この「当て布」は自分個人の調べでは、大正4年以降製造の四五式外套から用いられているようです。
画像左側が胸側、右側が背中側です。



「当て布」の縫い目は表からも確認することができます。
肩章支紐は脱落していたため、鬼塚堂製の複製品で再生しました。



ここで、なぜか混同されることの多い改四五式以前の外套を示します。
参考に改四五式外套の図を1922年09月27日官報より引用します。
上記の昭五式外套と比較してみてください。



続いて、こちらが将校同相當官准士官外套です。(分割された図を連結しています)
下士官兵用外套とはボタンの数など構造が異なり、左腰には「脇裂」があります。
基本的には明治~大正期と基本形状は同じですが、昭和5年の改正により背面の裁断が改められます。
生地色は従来のカーキ色からグリーン系がスタンダードとなります。



下が昭和5年改正の背面の裁断です。
この時、将校以下軍衣の背面の裁断も改められたことは既知の通りです。



最後に、「見習士官外套(昭五式)」を示します。







ではでは。
コメント