実物 防暑衣【昭和5年型~昭和17年型】/その他防暑被服及び着用規定の参考

2018-11-03 23:55:14 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
◆2012年3月10日 初投稿
◆2017年3月1日 一部修正
◆2018年10月26日 指摘事項を反映
◆2018年11月3日 標題を変更
*書きかけの記事です。

*チンドン屋からのお願い*
今回は昭和5年以降の防暑被服の簡単な変遷と着用規定に絞ってまとめました。
ただし、試製品や仕様が不明なもの、シナ事変~大東亜戦の過渡期品、大戦末期品、鹵獲品、私物は省略しています。
今更言う必要もありませんが、あくまでも現存する資料から推察できることを個人の裁量で書いています。
実物は個体差があり、当時の着用例も必ずしも規定通りにはなっていない場合もあります。
資料によっては解釈の分かれるものもありますので、資料の標題からご自身で追っていただけますと幸いです。


■防暑衣袴の変遷
(1)昭和5年
大正時代には原形となるモデルが既に登場しており、台湾軍などでは試験的に支給されていたようです。
昭和5年陸達第八号により制定されたモデルは、マニアの間では「昭五式防暑衣」と呼ばれます。
立体的な胸ポケット、蓋の無い腰ポケットなどが特徴です。
まず、参考として実物を紹介しますが、現存する実物は少なく、個体差を比較することができません。





昭和5年標題「被服、装具の制式規定の件」より図を引用します。
本来であれば、軍衣と同様に肩に階級章が付きますが、参考品の実物では肩章支紐が失われています。
釦の制式は金色金属及び青茶褐色の角釦と指示されています。
袴はヒップでサイズを調節する機構になっていますが、昭和6年に腰紐式になります。





こちらは複製品で再現した着用例です。イメージはつかめるかと思います。
独特のスタイルが一部のマニアに人気があります。(画像はPKミリタリア製の古い複製品、絶版)



さらに、特筆すべきは襟のホックで、通常の軍衣や、昭13年に制定される新モデルとはオス・メスが逆向きになっています。
これは他の方が所持しているもとのと同様だったので、昭和5年型でのみ試験的に採用されたものと思われます。



襟を立てる構造があっても、熱地では恒常的にホックや第一釦を外す、あるいは開襟にして着用されたようです。
こちらは「台湾軍」兵士の写真です。(昭和16年4月29日撮影)
台湾軍では防暑衣の襟を第二釦まで外し、襟を開いて着用するのが特徴的です。
通常の丸首の襦袢を着用し、衣の襟には襟布の代わりに熱地部隊特有の「飾襟」が取り付けられています。



余談ですが、腰ポケットについて、1932年03月31日官報には将校同相當官准士官が用いる場合の注記があります。
「剣留を外して、腰ポケットに蓋を付けよ」と書かれています。
これは官給品の改造を指示するのではなく、将校仕様として仕立てる場合の注意書きだと思われます。



(2)昭和13年
昭和13年の改正で腰ポケットに蓋が付き、肩章支紐がなくなります。(着用例は実物)



昭和13年標題「陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件」より図を引用します。



また、昭和5年型には無かった「繃帯包入(ホウタイツツミイレ)」が追加されています。
(分かりやすくするために手ぬぐいを入れてあります。)



余談ですが、製造年が昭和18年や19年となっている物も確認されており、大戦後期まで製造されていたとする説もあります。
あるいは、大戦後期になり、出荷された在庫品に適当に製造年のスタンプを押したとも考えられます。

ちなみに、台湾軍では将校准士官は、開襟シャツの襟で防暑衣の襟を覆うように着用していました。
図では襟を開き、下に着ているシャツの襟で防暑衣の襟を覆っています。
しかし、この着用方法は襟章が隠れてしまうので、襟章の位置を変更してよいとなります。
昭和13年標題「准士官以上防署衣の襟章襟部徽章附着位置に関する件」より。





(3)昭和17年
「夏衣」に近い構造になっており、襟にはホックが無いのが特徴です。
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」より図を引用します。
「試製」のスタンプが押された同型のものが昭和16年の製造品に確認されています。





対になる防暑袴は半袴(半ズボン)になります。袴は膝の下あたりで裾を縛ることができます。
基本的にはこのズボンの下に防暑袴下(夏袴下)を着用し巻脚絆を巻きます。(素足に脚絆を巻いている例もある)



昭和16年12月標題「熱地被服の参考」より参考になる着用例を引用します。



「熱地被服の参考」中の着用例を上半身のみ再現してみました。
後述する着用規定に従い、防暑衣の襟の上に襦袢の襟を重ねています。
当然ながら、襟を出さない場合もあるため、あくまでも一例です。





襟章は襦袢のみに付いている場合もあれば、両方に付いている場合もあります。
恒常的に開襟着用の場合は襦袢側に付けておけばよいかもしれませんが、適宜襟を詰める場合は両方に必要と判断します。
いずれにせよ、階級章を付けない、あるいは隠れているというのは望ましくないでしょう。
ただし、大戦後期の内地では、下士官~上等兵より下は階級章がどちらにも付いていない例もあります。

オマケ:試製特殊部隊用防暑衣袴(昭和17年3月31日制定)
文字通り特殊部隊用の防暑衣袴です。



中田商店の本にもそれらしき被服の写真があります。
図面と比較してみてください。




■昭和17年 防暑略衣袴の制定
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」より。
昭和17年、防暑衣袴と同時に制定される「防暑略衣袴」について説明します。
これは後述する「襦袢/袴下」のような「下着」ではなく、正規の「軍服」として扱われます。
略衣のすそは袴の中に入れます。当時の着用例では、袴の腰紐を外し、私物のベルトを用いている例もあります。





靴下は画像のように、折り曲げるのが当時流だったようです。






■防暑襦袢・防暑袴下の変遷
まず、「襦袢」「袴下」とは、軍衣袴の下に着用する「下着」のことを指します。
こちらは一般的な丸首の襦袢と袴下です。図は昭和13年改正のモデルを表しています。



対して、「防暑襦袢・防暑袴下」は熱地において単体着用できることを前提として開発されました。
当初は、特に台湾軍での使用を想定していたようですが、やがて全軍で用いられるようになります。
これらの「夏襦袢袴下」と「防暑襦袢袴下」は昭和17年に統合されます。
マニアの間で「防暑襦袢」といえば、このモデルではないでしょうか。複製品も多々あります。
当然ながら、統合後も丸首の襦袢は使用されており、防暑襦袢という呼称も引き続き用いられています。
ちなみに、中田商店では「兵用防暑衣七部袖」と表記されていますが、これは中田商店の商品名です。



以下に補足説明となる資料を掲載しますので、興味のある方は読んでみてください。

昭和18年標題「昭和18年自1月至6月被服品仕様書並材料調書制定改正事項」
(1)月日:一月三十一日 命令番号:被仕一 品目:仕様書材料調書 廃止



(2)月日:一月三十二日 命令番号:被仕二 品目:襦袢袴下仕様書同材料調書 改正
画像二枚目の項目「二.」に興味深い記載があります。






(1)昭和4年(昭和5年)~昭和14年
昭和4年6月20日陸達第二十三号により整備されます。昭和4年標題「特殊地方用被服制式に関する件」
これは後に、昭和5年陸達第八号に基づく制式品として改正されていくので、昭和5年制式として扱います。
仕様を1929年6月20日官報より引用しますが、図が無いため形状は不明です。



補足すると、物入無し・袖は六分・脇下の開口は開けっ放し・瀬戸釦・折襟といわれています。
こちらは昭和16年12月、中国大陸にて撮影された写真です。



下の写真の右側の人物が昭和5年制式のものを、左の人物は後の改正品と思わるものを着用しています。
構造の違いを比較してみてください。撮影年月日は1945年10月20日です。(AUSTRALIAN WAR MEMORIAL No.122321)



続いて、昭和13年に改正がありますが、材料と制式に関する記載に大きな変化はありません。
現物を見たことがないので詳しい構造は知りません。
重要なのは「備考」の方で、後述する将校准士官の防暑衣の襟章の附着位置の注意書きがあります。
昭和13年標題「昭和13年9月10日標題 大臣 特種地方用被服熱地被服の部防暑襦袢袴下の項改正」



また、防暑襦袢袴下を着用のときは、防暑衣を脱ぐことが許可されており、ここからも単体着用前提であったことがわかります。
昭和13年標題「第2章 装備上ノ注意熱地作戦に於ける給養勤務の参考 昭和13.8」



昭和14年に「試製夏襦袢」の記載がある資料を確認できました。昭和14年標題「試製防暑被服等の追送に関する件」
表の左端に仕様が書かれています。折襟式(半袖・長袖の二種類)・襟章(織出品)
襟章は同年に制定される「試製織出襟章」とみて間違いないと思います。
後の昭和18年に登場するいわゆる「三式」の襟章との違いは、試製折出襟章では星の配置が13年製と同じという点です。
なお、防暑衣袴は昭和12年・13年標題「試製防暑被服実地試験に関する件」で先に改良試験が始まっています。



また、昭和16年12月標題「熱地被服の参考」には試製防暑襦袢について記載があります。
「第二章 熱地被服ノ種類 性能及仕様法」
試製夏襦袢と同じく、単独着用することを想定していたようです。
地質:夏襦袢に準じ綾木綿製もしくは麻製
形状:襟は開襟式、襟章を附す、脇下に通気孔、袖は長袖・七部袖の二種

着用例の図の通り、すそは袴の中に入れます。





(2)昭和17年 防暑襦袢袴下と夏襦袢袴下を統合
昭和17年、防暑衣袴、防暑略衣袴と同時に制定されます。
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」より根拠を引用します。
資料では防暑襦袢袴下は夏襦袢袴下と材料制式が同じ、つまり統合したと分かります。
色は上下茶褐色です。冬袴下のみ白とあります。



図面と比較して、前述の「試製防暑襦袢」の正統進化であることがわかります。



■試製被服のまとめ
以下は「熱地被服の参考」に書かれている防暑衣袴、防暑襦袢袴下、試製夏襦袢の項目です。
熱地用試製被服はバリエーション多々ありますが、おそらく昭和14年頃の試製品を指していると考えています。
読みやすいように分離した図を一つにしました。



使用法は以下の通りです。



防暑襦袢を防暑衣と併用する場合は、襦袢の襟で防暑衣の襟を覆うように着用せよと指示があります。
襟章を附すように指示があります。迷ったら襦袢の正規の位置に襟章を付けておくのが無難だと思います。



■その他の資料
・大正7年「炎熱ト作戦 : 附・天候ト戦例」
・大正10年標題「夏帽及網襦袢袴下交付の件」
・大正11年標題「防暑被服試験実施の件」
・昭和2年標題「熱地用被服及戦車被服実地試験に関する件」
・昭和16年2月13日標題「熱地被服に関する意見の件」
・昭和16年4月18日標題「試製熱地用被服実地試験に関する件」


▲着用規定に関して
最後に、各種着用規定に関してまとめます。
夏衣や防暑衣、防暑略衣の着用に関しては、服装の乱れに注意を促すものが多い傾向にあります。
一部を抜粋して掲載します。(以下の引用分は旧漢字を改め、カタカナをひらがなに直しています)
---------------------------------------------------------------------
(1)昭和18年6月26日標題「軍人の服装に関する件」
(以下要約)
二 防暑衣(防暑略衣)、防暑袴(防暑略袴)の使用は(中略)昭和五年陸達第八号に依り定めされある以外のもの即ち釦二箇を脱したる大開きの開襟式のもの夏襦袢(防暑襦袢)式のもの又は襟章を制式以外の位置に附し或いは附せざるもの等を用いざること

昭和18年8月16日標題「軍人の服装に関する件中改正の件」
上記の資料中では襟章の位置に関して言及されていました。
(以下要約)*上記の文言が改められます
昭和五年陸達第八号に依り定められある制式以外のものを用いざること但し旧制式の防暑衣は之を用いるを妨けず
------------------------------------------------------------------------------------------------

(2)昭和18年6月28日「陸達第44号 南方作戦地及台湾以外に於ける夏期被服着用に関する特例左の通り定む」
読むのが面倒くさいかもしれませんが、一度読んでみてくでさい。




第一條 
略装にありては夏期に限り廉ある場合の外左の如く著装することを得(「廉(かど)」ある場合=特別に取り上げる事情がある場合)

一.将校以下夏衣に代え防暑衣又は防暑略衣を夏袴に代え防暑袴又は防暑略袴を用ふ
但し防暑袴防暑略衣及防暑略袴の使用は営内に限り又下士官、兵に在りては支給又は貸興せられたる場合に限る

二.下士官、兵は営内に在りては夏衣の襟を開襟とす

第二條 
夏期教練、演習、作業等実施中に於いても前條に準ずる著装を為すことを得

第三條 
将校准士官防暑衣(防暑略衣)著用の場合開襟シャツ(白色又は茶褐色に限る)の襟を以て衣の襟を覆ふ如く著装することを得   
此の際 襟章 開襟シャツの襟により覆わるるときは襟章の位置を下方襟部に移し階級を明瞭ならしむるものとす
    
下士官兵は兵防暑衣(防暑略衣)を著用し又は夏衣の襟を開襟とする場合に於いては
夏襦袢の襟を以て防暑衣(防暑略衣)又は夏衣の襟署を覆ふ如く著装することを得
    
将校以下防暑衣(防暑略衣)著用の場合 飾襟は用いざるものとす
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
以上が夏衣や防暑衣の襟を開襟にし、夏襦袢の襟を出す場合です。
こちらは襦袢と衣の双方に階級章が付いていると思われる例です(左側の人物他複数名)
「日本ニュース238号」より参考画像を引用します。



下の着用例では防暑衣の上に襦袢の襟を重ねています。
防暑衣側の襟には襟章や徽章類は取り付けられていないようです。
昭和20年6月にタイで撮影されたものです。



こちらは義烈空挺隊です。日本ニュース第252号より参考になる映像を抜粋します。
隊員が着用しているのは防暑衣ではなく夏衣ですが、数カットのシーンからも色々と推察することができます。
ただし、全員同じでは無いので、映像は注意しご覧下さい。

(1)こちらは迷彩を描き込む場面、襟が閉じられていますが、階級章は付いていません。
ちなみに、この後ろにいる人物は襟に階級章が付いているようです。


(2)次のカットでは襦袢の襟を外に出したのでしょうか、襦袢側にのみ階級用が取り付けられているようです。
なお、1カット目とは同一人物ではありません。


また、第三條の最後の項目から、内地では防暑衣を着用する場合は、階級を問わず飾襟を使えないと推察できます。
ただし、規定はあくまでも目安でしかないため、規定外の着用例は当然ながら存在します。

(1)台湾軍


(2)撮影地不明(中田軍装本より引用)



-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
(3)昭和19年8月26日「陸軍軍人軍属の服制並に服装に関する特例左の通り定む」
第一條 (省略します)

第二條 当分の内 将校以下夏衣に代え防暑衣を用いることを得
    但し左記の場合に於いては防暑衣の襟を詰め且襦袢の襟を衣の下に納むる如く著装するものとす

1 正装に代え軍装を為す場合(陸軍服装令第二條)
2 禮装に代え軍装を為す場合(陸軍服装令第三條)
3 通常禮装に代え軍装を為す場合中陸軍服装令第四條第一号及至第五号の場合
4 其の他必要ある場合

第三條 教練、演習、作業等実施の際に限り将校以下防暑略衣袴を用ふることを得

第四條 (省略します)
-----------------------------------------------------------------------------------

★まとめ
以上で簡潔ですが終わりです。
なかなか着こなしの難しい1着だと思います。
今後も資料を追加していきたいと思います。
特に将校の被服はカテゴライズが不十分なので、また別の記事でまとめる予定です。



ではでは。
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複製 昭五式背嚢【縛着と背負い方】

2018-10-20 00:51:53 | 日本陸軍 背嚢
■2015年に投稿した記事を再編集

箱型背嚢の複製品が完全枯渇状態で、中田製の昭五式背嚢がウン十万の落札価格だった時代は昔話になりました。
今ではhiki製や鬼塚堂製があり、ひと昔前は想像もできないほど恵まれた時代になりました。

時は2014年、「立襟道」を突き進んでいた大学生の自分にとって、箱型背嚢は喉から手が出るほど欲しいものでした。
そんな中、唯一の希望は海外オークションebayに出品されていた、この昭五式背嚢でした。
すでに売却してしまいましたが、思い入れの深いアイテムです。
今回は過去に書いた背嚢縛着に関する記事を修正したので、改めて再掲します。



■ゆうちゃん背嚢
当時、この背嚢はマニアの間では「ゆうちゃん背嚢」と呼ばれていました。
その理由は、セラーの名前をローマ字読みすると「ユウチャン」になるからでした。
すでにebayを使いこなしていたので、輸入するのはさほど苦ではありませんでした。
しかし、中枠もなく、ベルト類は頼りなく構造もメチャクチャ、雑嚢未満のペラペラ状態でした。
これを何とか使える状態にしたいと、長い闘いが始まりました。
なんやかんやで職人さんの協力もあり、1年がかりで満足のいく形になりました。
負革や各種ベルト類は「でくの房」製、負革と背嚢を連結する「大尾錠」、「釣金」などは中田製です。
中枠は職人さんこだわりの逸品です。



■昭五式背嚢概要
図を昭和5年標題「被服、装具の制式規定の件」より引用します。







■縛着する装備品の一例
飯盒、鉄帽、地下足袋(底が黒)、携帯天幕、外套、円匙、身体用ギソウ網です。
状況に応じて外套は毛布、あるいは防雨外套(雨外套/レインコート)に改められます。



ここから、縛着方法に関する資料を紹介します。

まず、解説で用いる背嚢細部の名称を「被服手入保存法」より引用します。
この背嚢は明治45年のモデルですが、基本的な名称はこれと同じです。当然ながら内部構造や毛皮部分は異なります。
なお、「上部紐革」の向きが改正前(大正2年改正)の状態で描かれているのでご注意ください。
大正2年以降は昭五式背嚢も含めて、上部紐革は尾錠を背中側に向けて「取付革」に挿入します。





縛着例は大正2年「歩工兵携帯器具装着法に関する件」を参考にしました。
上部紐革の向きはすでに「改正後」の状態で描かれているので、そのまま参考にして差支えありません。
図と参考写真は主に明治45年制定の背嚢ですが、後の昭五式背嚢でも基本的な縛着方法は同じであったと推察します。
部隊や個々人、状況に応じて細部は異なるため、あくまでも一例としてご覧ください。
なお、再現写真では2015年以降に発売された鬼塚堂製の複製品(明治45年制式/昭五式)を用いています。

■基本形
まず、1枚目の図には外套・天幕・飯盒と基本的な装具が縛着されています。
天幕は中に支柱を収めてたたみ、飯盒の上に配置します。
各紐革の尾錠の位置は「蓋」に近づけ、余った紐革は紐革が通る穴に入れるなどして処理します。



工具を装備しない場合(儀式も含む)は「工具紐革(左上の紐革/他の紐革よりやや長い)」を使いません。
また、儀式や通常の衛兵勤務では外套のみを縛着し、工具紐革は用いません。
外套は末端が背嚢底部よりやや高い位置(指一本分)とし、地面に置いた場合に外套末端の汚損を防止します。



▲余った紐革の処理
各紐革の余った部分の処理を昭和11年「野砲兵第七聯隊学術科教程」より引用します。
しつこいですが、個々人の好み、部隊統制により行われる「一例」としてご覧ください。



まず、外套や携帯天幕を縛着している場合です。
余った上部紐革は内側から外側に通して、外套の中に入れるように指示があります。
これもいくつかパターンがありますが、参考画像では束ねて上部紐革の下に押し込んでいます。



何も縛着しない場合、上部紐革をロールケーキのようにまとめよと指示があります。
図が簡略化されすぎてよくわかりませんが、書籍やネットの情報を参考に再現してみました。(画像右側が背嚢正面)
当時の例と比べると、やや外側に出すぎてしまいました。
(当時写真はMike Hewitt「UNIFORMS AND EQUIPMENT OF THE IMPERIAL JAPANESE ARMY IN WORLD WAR II」より引用)





次に、飯盒を固定する場合は釣手の位置に注意してください。
サンプルとして明治型飯盒を用いていますが、後のロ号飯盒は収まりが悪いかもしれません。



飯盒紐革は尾錠に固定した後、飯盒紐尾錠革の根元のループ(壓扣?)に先端を逆向きに通して背嚢の中に収めよと指示があります。



▲鉄帽の携帯方法
鉄帽は星章を上にして飯盒の上にかぶせます。
鉄帽のあご紐は上部紐革の外側から天幕あるいは外套の下側を通して、たるまない様に結びます。







▲工具紐革を用いる場合(円匙・地下足袋等の縛着)
こちらは円匙(えんし/スコップ)を縛着した状態の図です。
このとき、円匙は背嚢の側面ではなく、腕と接触しないように正面に配置します。
柄を天幕と外套の間に配置し、柄に巻き付けた紐の下端が工具紐革の上にくるようにするとずり落ちにくくなります。



上の図では円匙をより強固に固定するため、工具紐革が柄に一周巻き付けられています。
これは他の教範中のイラストや、当時の写真にも確認することができます。(この方法が全てではない)
昭和11年「看護兵須知」中の図を参考に紹介します。図中の赤矢印部分に注目してください。(この図は他の教範でも用いられている)



また、地下足袋あるいは編上靴を縛着する場合も円匙と同じく腕と接触しないように気を付けてください。





▲偽装網の取付け
部隊統制によって様々なので、比較的わかりやすい一例を紹介します。
こちらでは適当に畳んで上部紐革の下に押し込んでいます。



偽装網の縛着はマニアの間では字に巻きつける方法が一般的でしょうか。
上部紐革の下に入れる方法とどちらが多かったかは分かりませんが、やり易い方でやればよいと思います。
1943年に宮本三郎によって描かれた「飢渇」でも偽装網は∞字に巻きつけられています。
さらに、円匙の柄が偽装網によって固定されています。この方法も当時の着用例でよくみかけます。




■背嚢の背負い方
背嚢を背負い方を紹介します。重要なポイントとしては、背負う高さの調整だと思います。
しかし、複製品では負革の長さや、服のボタンの位置が変わるため、高さ合わせが結構大変です。
特に現代人は当時の人とは体格のバランスも違うので、自分も毎度苦労しています。

まず、大正3年「内務二関スル心得」より図を引用します。
重要なポイントとしては「負革鼓釦(オイカワツヅミボタン)が上衣の第二ボタンと同じ高さになる」ことです。
負革鼓釦と上衣の第二ボタンが背嚢を背負う時の基準位置の一つになります。



負革鼓釦とは負革、前紐革、脇紐革を連結している釦のことです。
上から順に負革、帯革に引っ掛ける釣金を固定する前紐革、背嚢底部に連結する脇紐革となっています。



釣金は図のように帯革に引っ掛けます。
行軍時には腰に弾薬盒がくいこまないように、前紐革を短くして弾薬盒を上に釣り上げたという手記もあります。





また、一般的に「縛着した外套が襟と同じ高さになるように」とも言われていますが、それはあくまでも目安です。
高さあわせは難しいですが、何も縛着していない状態で背嚢の上面が肩と同じになるようにセットしておくとそれらしくなります。
あくまでも個人の感想なので、戦友と協力しながら適宜調整してください。



そして、大正7年「大正の内務班長」より背負い方を引用します。
面倒くさいかもしれませんが、一度読んでみてください。






なお、昭和に入ると将校以下の基本装備の一つに「防毒面携帯袋(被甲嚢)」が加えられます。
防毒面携帯袋はガス戦に備えて背嚢を背負った最後に装着するそうです。



■外套のたたみ方
同じく「内務二関スル心得」より天幕と外套の畳み方です。興味のある方は読んでみてください。
これらはネット上でフリーで閲覧できるので探してみてください。

一.背嚢に外套、携帯天幕、器具、飯盒等を規定のように附着した時、各紐革の端末は蓋革の裏面に差込み、差込めないものは附着品の間に差し込む。
天幕は支柱の長さに巻いて附着せよ。

二.外套は背嚢の下端と一致するように附着せよ。

三.外套の巻き方には二種類ある 便宜的に袖巻(儀式及び射撃の場合)裾巻(衛兵及び普通教練の場合)とする。




■参考書籍
参考書籍として「丸」誌の2014年11月号に参考になる記事があるので紹介します。
軍事法規研究会研究員である古田和豊氏が執筆した【日本陸軍「昭五式背嚢」再現】です。
外套や天幕の畳み方がイラスト付きで解説されており、装具の縛着方法、背嚢内部に収納すべきものが丁寧に解説されています。
まずはこちらをご覧になられることを強くお勧めします。






ではでは。
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どれみネタ他

2018-09-29 18:26:31 | 陣中日誌
■乾と巽ーサバイカル戦記ー
表紙に惹かれて、普段買わない漫画雑誌を買ってみました。
「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」でおなじみの安彦良和の新連載です。
安彦氏の画をみると、小学生の時にガンダムエースに連載されていたORIGINを狂ったように模写したのが思い出されます。



物語はシベリア出兵の頃がテーマになっており、冒頭から装甲列車が登場するなどアツい場面からスタートします。
詳しくは読んでいただいた方がいいと思います。月刊アフタヌーンを要チェック。



■どれみちゃんは来たけれど・・・。
「どれみちゃんがやってくる!」
謎の情報をキャッチし、埼玉県某所のショッピングセンターに行ってきました。
内容はどれみちゃんこと「春風どれみ」の着ぐるみと写真が撮れるというものでした。
(恥ずかしいので一緒に撮るつもりはない)
フライング気味で朝一番の開演前に到着しましたが、プロ仕様のカメラを抱えた人(検閲)が既にスタンバイしていました。
司会のお姉さんの挨拶で開演し、どれみが出てきて挨拶、撮影会という流れでした。
(イベント側の指示により写真はネット上で公開不可)



司会のお姉さんはたぶん自分と同年か、もう少し若いくらいだと思います。
「お姉さんと一緒にどれみちゃんをよびましょーう!」
どうみてもメインの客層でないオタクの方が多くてやりづらかったと思います。
そもそも、ミニスカにルーズソックスなんて、だれがそんな恰好させたんでしょうか。
放映当時のキャラクターショーの雰囲気に合わせて、スタッフの衣装も合わせた?まさか。
しかし、なぜ今どれみ?まさか俺のために!?(埼玉では昨年11月より第1シリーズが再放送されていた)

とにもかくにも、その場にいるのが恥ずかしかったので、数枚どれみを撮って退場しました。
着ぐるみのコンディションは良く保たれているようですが、靴の汚れが目にとまりました。
おそらく、リアルタイム放送時にショーで活躍した「勲章」なのでしょう。
この勢いで、往年のメンバーが揃ってくれると嬉しいと思います。
でも、「みすずちゃん」をやってしまうと、超上級者向けになるのでNG。

■↓散財中
時間が余ってしまったので、池袋のパルコで開催されている「自分ツッコミくまカフェ」に行ってきました。
カフェは並んでいたのでパスして、グッズをいくつか買って帰りました。



■取り扱い注意
個人蔵だった資料が公開され、ネットオークションで入手できるようになりました。
新たな研究資料として注目されているようですが、取り扱いを間違えると・・・・・?




ではでは。
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実物 四五式/改四五式外套

2018-09-14 18:53:51 | 日本陸軍 外套
■2017年6月22日投稿の記事を再編集

以前投稿した実物 四五式/改四五式外套に関する記事を再編集しました。
写真を差し替えた以外は、特に大きな変更点はありません。

(A)四五式外套(大正2年製)
袖章は大正11年の改正により除去されています。



大正11年改正後の図を1922年09月27日官報より引用します。
四五式と改四五式の区別は、側章の有無では無い、ということは既知の通りです。



四五式外套の制式を明治45年件名「陸軍服制ヲ改正ス」より引用します。



また、大正6年「被服手入保存法」より細部の名称を引用します。



(B)四五式外套(大正4年製)
こちらも、袖章は大正11年の改正により除去されています。



(C)改四五式外套(大正11年製)
せっかくなので、今回は改四五式外套も加えておきます。
以前紹介した大正9年製、大正14年製とは別のものです。
過去のものはこちらから:実物 改四五式外套



(1)「標記」の変遷
(A)縫着式
縫着式の古いタイプです。明治期の軍衣や外套にもこのタイプが用いられています。
「所属」とした部分は、「部隊号」と表記する方が適切でしょうか。



大正3年「内務ニ関スル心得」の中にも同様のものが描かれています。



(B)捺印式
大正3年に捺印式のものが制定されます。



大正3年標題「被服品標記法中改正の件」より図を引用します。改正理由は経費節約だったようです。
標記はこの後も時局の影響を受け、昭和まで少しづつ変化していくようです。
ただし、毛布のみ終戦まで縫着式のままです。







大正7年には、軍衣袴と外套のサイズ区分やサイズに関する仕様を変更するための改正があります。
大正7年「衣袴及外套仕様改正の件」には、外套の改正点と、改正品を示す【縦長の丸枠に(四五式)】の印があります。
旧来の四五式【縦長の四画枠に[四五式]】と区別するため、と理由が記されています。





(C)捺印式、【縦長の丸枠に(改四五式)】
【縦長の丸枠に(四五式)】の印は、直後に見慣れた【縦長の丸枠に(改四五式)】の印に置き換えられていくそうです。
【縦長の丸枠に(四五式)】の印を塗りつぶして、【縦長の丸枠に(改四五式)】の印を押したものもあります。
要するに、大正7年の改正を受けた「四五式外套」が、事実上の「改四五式外套」ということになります。



変遷を時系列に従って並べると下記のようになります。
余談ですが、【縦長の丸枠に(四五式)】の印は、他二つの約半分ほどの大きさです。



なお、軍衣袴は【縦長の丸枠に(四五式)】がなく、直接【縦長の丸枠に(改四五式)】になります。

(2)肩章支紐
明治45年、釦留で着脱できる階級章の制定にあわせて用いられるようになります。
既知の通りですが、肩章支紐の裏側には「当て布」があります。
これは、着用時に軍衣の肩章と外套の内側が接触し、摩擦による双方の摩耗を防止するものと考えています。

(A)四五式外套(大正2年製)
この時点では、まだ「当て布」はなく、明治38年制外套や四ニ式外套と同じ構造です。(過去記事参照)
画像は左肩(左側が表、右側が裏)です。当然ながら、右肩も同じ構造です。



(B)四五式外套(大正4年製)
この個体では当て布が取り付けられています。表からは縫目が確認できます。
個人的には大正3年~大正4年の間に実施されるようになったのではないかと推察しています。
資料も発見できず、実物から判断するにしても製造年をピンポイントで狙うのは至難の業です。



(C)改四五式外套(大正11年製)
既に完成形に到達したようですが、いつ頃からこの仕様になるのかは確認できていません。
後の昭五式外套でも同様のものが用いられています。
縫目の幅が支紐よりも広くなっていますが、間違いなく「個体差」があるため、あくまでも参考です。



(3)着用時のポイント
ホックをかけ、第一釦から留めるのは軍衣と同じです。
着用方法が不適切な場合、サイズがあわない・見栄えが悪いといった問題を引き起こします。
大正3年「内務ニ関スル心得」より、適正に着用された場合の図を引用します。
袖は防寒のために長めになっています。適正なサイズを見つけるのも、これまた至難の業です。



(4)オマケ
資料が集まらなかったのでまた別の機会に紹介します。



(5)まとめ
最近は軍装をする機会も無いため、虫干しを兼ねて出してみました。
ひと昔前は着ることに必死でしたが、あの頃が一番幸せだったかもしれないと思う時があります。
サザンの「栄光の男」を聞いては、ハラハラと涙することが増えました。
”信じたモノはみんな メッキが剥がれてく”という一節に共感せずにはいられません。
この趣味を今日やめよう、明日やめよう、そう思いながら未練がましく生きています。




ではでは


■現在確認中の甲乙標記に関する資料
・明治32年 陸達第七十九号
・明治43年 陸達第五十一号軍隊経理規定第五十九條
・明治44年5月 陸普第一八五〇号
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鬼塚堂製 昭五式軍衣袴(平成30年版)

2018-08-25 18:55:21 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
お盆も過ぎて、わずかに秋が近づいて来たと感じます。
夏の終わりはいつも切ない・・・。

さて、本日のテーマは鬼塚堂製 昭五式軍衣袴(平成30年版)です。
旧製品もさることながら、さらにグレードアップした「最高傑作」だと思います。
重厚で落ち着いたカーキ色の生地を贅沢に使って、鬼塚堂らしい繊細なタッチで仕上げられています。
少数のみ先行販売されたものですが、一般販売もはじまったようなので情報解禁です。
なお、記事中の軍衣は鬼塚堂規格の「Mサイズ」ですが、肩幅を縮めてあります。



■立襟の主張
今回は「獨立守備歩兵隊附」仕様にしてみました。
何か思い入れがあるわけではなく、中田の軍装本の着用例をそのままマネしました





以下に使用した小物類の取扱い先をリストアップします。
少し前に比べて、徽章類の複製品も集め易くなり、遊びの幅が広くなりました。

(1)襟布・肩章(階級章):鬼塚堂
(2)襟章:でくの房
(3)隊号章:中田
(4)独立守備大隊徽章:アーマードフォース



■個人的なこだわり
肩章の位置は立襟軍衣における着用時の見栄えを大きく左右する重要なポイントです。
サイズが大きすぎると肩が余り、肩章が体の正面に「せり出して」しまいます。
肩幅を直したおかけで、当時の着用例と比較しても遜色のない仕上がりになりました。





特に肩と胸はシルエットに与える影響が大きいため、気になる方は直すのがよいと思います。
海外製の複製品などは肩章支紐の位置を変えるだけで見栄えが向上します。
肩章支紐の取付位置などの資料に関しては、過去記事をご覧ください。
中田製 改四五式軍衣袴【明治38年~昭五式までの変遷】

■実物(参考品)
最後に、参考品として自分が所持している実物を紹介します。
当時物としては大きめなので着用可能ですが、破損汚損が怖いので保管用です。
それより、実物を着るために体形を維持する労力が割に合わないと最近思います。
ジム通いや食事制限は大切なことですが、その目的が軍装というのは??



■まとめ
旧製品を買い逃した方、新たに「昭五式道」に進みたい方には強くオススメします。
また別の機会に昭五式背嚢もご紹介したいと思います。



ではでは。
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