だいぶ間があきましたが・・・

前に母のことを書いたのは去年の10月!
「地味に続く・・・」って、続いてねえ!!
と言うわけで前回の続き。


母が今度入院した病院は自宅には近くなったものの、
あまり手をかけてくれないという噂のある病院だった。
母の入院する階にはナースステーションも無いため
看護師さんもなかなか見かけない。


母がかなり痩せてしまったことは前回書いたが、
自分では何もしようとしない、このままでは介護が必要になるかも?という状態だった。
これは癌のせいなのか、もしかして抗癌剤の副作用でそうなっているのかも?と思っていた。
とりあえず私はナースステーションに顔を出し、母がどんな薬を飲んでいるのか聞いてみた。


私にしてみれば、特別なことを聞いたつもりはなかった。
子ども達が病院にかかるときは当たり前のように
どんな薬をもらったのかという「お薬手帳」を調剤薬局に出して書いてもらっていたし。
外来なら簡単にわかる薬の情報も、入院だとなかなかわからない。
それで聞いてみたのだけど。


そこにいた看護師は「何で知りたいの?」というような反応だった。
「お待ちください」と言われたまま、なかなか戻ってこない。
やっと来た思ったら
「あの・・・娘さんは医療関係のお仕事なんですか?」と聞いてきた。

「いえ、違いますけれど、どんな薬を飲んでいるか知りたいと思って。」
と答えると、
「薬の名前を聞いてもわからないんじゃないですか?」とか言ってくる。


ついついイラッときてしまった私は、(けっこう短気だな、私
「今はネットとかで調べられますよね?」と強く言い返してしまった。

すると「当直の先生から薬の説明をしてもらいますから」ということに。
あら少し強く言いすぎたかしら?なんて少々反省していたら・・・。


奥にいた医師は母のカルテを手にひととおり薬の説明をし、
「これは前の病院からもらった診断書とおりの薬なので・・・」

言い訳のように聞こえた。
薬についてはうちの病院ではわかりませんとでも?
副作用の文句は前の病院に言えってこと?
なんだ、それは。

しかし、担当医でもないこの医師に噛み付いたところで意味は無い。
イラつきながらも営業スマイルで礼を言い、さっさと立ち去った。

地味に続く・・・多分
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転院~近況~

久しぶりに母の近況。


母が入院してから9ヶ月が過ぎ、先週3件めの病院へ転院した。
重い身体を担架に無理やり乗せて、
救急車に運び込んだときの体重より多分20キロは痩せているだろう。
母の体重は40キロを切っている。


とにかく食べない。

以前は「どこが病人?」と思う程の食欲をみせていたのに、
今はご飯を二口、三口とおかずを一切れ程度で下げに行ってしまう。
食事以外の時間は、テレビもつけず本も読まず、
ただただ、じっとベッドに横になっているだけだ。


動かないからお腹が空かないのだと思い、
廊下を散歩するようにうながしているが、
逆にじっとしていられないように、徘徊のような様子も見せている。


手術をしてもらった前の病院には9ヶ月入院していた。
胸の腫瘍を取り除いた後の皮膚も乾いたし、
抗がん剤は点滴ではなく飲み薬なので、通院でも十分だということで、
退院を勧められた。

勧められたというより、はっきり言えば
「入院してまでやることがないから、出て行ってくれません?」
ということだった。


夏前から暗にそういうことを看護師から言われ始めたのだけど、
なんせ3月に、遠方で独り暮らししていた父方の祖母も倒れて、
意識が戻らないまま入院していたので、
そちらがもしもの時に、家に母が居ると父が動けないということで
退院を引き延ばしていた。


「退院したら自宅で看るのでしょう?
 寝たきりと言うわけでは無いし、トイレも独りで行けますしね。」

そんな風に看護師さんに言われると、父は肯定はしなかった。


40年近く母に虐げられてきた父。
たとえそれがとうしつという病気のせいだったとしても。
その父に退院後の母の面倒を自宅で看ろとは言えなかった。


地味に続く・・・。
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母の日~近況~

昨日は母の日。
そして先日9日、母は無事に64歳の誕生日を迎えた。


1月に入院し、「手遅れだ」と言われた時には
5月の誕生日を迎えることが出来るとは正直思っていなかった。
63歳で亡くなった母方の祖母の年齢を越えることが出来て、
素直に良かったな~と思っている。


母は3月に左胸の腫瘍を取り除く手術をした。
乳房を丸ごと切除して、足の付け根の皮膚を移植。
切除手術は問題なかったが、皮膚がなかなか定着せず、
もう一度手術するかも?なんて言われていたけれど、
2ヶ月経ったので、何とか傷口も乾いてきたという。

相変わらず癌の治療らしきことはしていないので、
傷口の消毒だけなら通院でもいいのでは?という話が出てきた。



そんな頃、今度は父方の祖母がくも膜下出血で倒れて入院してしまった。

遠方で一人暮らしの祖母を父は月に一度くらいの割合で様子を見に行っていた。
母が入院してからずっと行っていなかったので、病状も落ち着いたから、と
祖母のところへ久しぶりに父が行った日の深夜の事だった。


普段は一人なので、もし父が来ていなかったらそのまま…ということになっていただろう。
入院してからしばらくは集中治療室にいたが、
意識が戻らないままそこを出されて個室に入っていた。

ゴールデンウィークは姉と私達もお見舞いに行った。
お見舞いと言っても、祖母は人工呼吸をして意識は無い状態。
声をかけても反応はないし、子ども達は見知っているひいおばあちゃんと同一人物とは
思えないようで、怖がっていた。

後で聞いた話によると、担当医師は「最後のお見舞い」的な意味合いで、
「お孫さんたちも会えて良かったですね。」と言っていたらしい。

父は憤慨していたが、私はまあ仕方ないんじゃないの?と思っていた。
冷たいかもしれないけど。


ゴールデンウィークまでもたないと言われていた祖母。
もし何か連絡があったら父はすぐに行かなくてはならない。
しばらくは母はこのまま入院を続けることになるだろうな。



母の日に病室にカーネーションの鉢植えを持っていった。
病人に鉢植えって…とも思ったけれど、今更まあいいか!と。
案の定、「世話できないから持って帰っていいわよ」と言われたけどね
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急展開 4

レントゲンやCTを撮った後、母はそのまま入院する部屋へ運ばれた。


私と父は担当医師から説明を受けた。


「左胸に大きな腫瘍が出来ていて、もはや手の施しようが無い。」

「手術も出来ないので、これからは例えば痛いと言えばそれをその都度取り除くと
 いった事しかできない。」

「腫瘍がかなり大きくなっているので、別の場所に転移している可能性もある。」
(後日、肺への転移が見つかった)

「これから痛み止めのために麻薬などを使うことになっていくと、
 意識がはっきりしなくなるかもしれない。
 今のうちに会いたい人に少しずつ会わせるように。」


「『覚悟』はしておいてください」


処置室で末期と聞かされた時にはかなり動揺したが、
説明を聞きながら私はかなり落ち着いていた。


とにかく良かった。母が入院してくれて。
それは病気が治るといった事ではなくて、
母の世話は病院でしてもらえるので、父も母から解放されるだろうという意味。


そして多分、私が一番恐れていたことも回避できそうだと思った。
それは、父が先立った場合の母の世話。

とうしつを患っている母の世話はかなり大変だ。
今まで父に押し付けてきた部分も私独りでみるとなると、
精神的にも経済的にも、かなり厳しい。

だからこそ、私はずっと母の死を願っていた。
以前もこちらに書いたが、それは小学5年の頃からの願いだった。
このままなら多分私の願いが現実になるだろう。
そう思うと肩の荷が下りたような、とにかくほっとしたのだった。


地味に続く。。。
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急展開 3

とりあえず着替えを終わらせ、また説得を始めたが、
「もう治った、気分が良くなった」と聞こうとしないので、
今度はもう無理にでも連れて行こうと決め、もう一度救急車を呼んだ。


救急隊員に頼み、母を敷き毛布ごと担架に乗せる。

「いいです。嫌です。やめてください。」
「誰か助けて~!」

と抵抗する母。


その異常なほどの嫌がり方を見た救急隊員に
「お母さんはこんな性格なんですか?」と聞かれたので、
「母は統合失調症なんです」と言うと、ああ、と納得された。


救急車に一緒に乗り、母の手を握る。
母の手を握るなんて、何年ぶりだろうか。
同じ町内に住んでいながら会うのだって2年ぶり。
母と同居している父には毎週会っているのに、だ。


「生きたままこの家に帰してちょうだい」
「今日のうちに帰って来れるわよね」

しつこいくらい救急隊員や私に聞いてくる。
とにかく、診てもらって治れば帰れるからと言い聞かせた。


救急車内で「行く病院は決まっている?」と隊員に聞かれた。
未定と答えると、乳房から膿がでているという症状のため、
外科のある病院に電話を掛け始めた。

近くの病院から掛けていったが
「土曜なので外科医がいない」と5件に断られた。
(この時点では膿しか症状をつたえなかったためかも?)

最終的に自宅から車で1時間弱の病院に受け入れが決定し、救急車は出発した。


・・・・・


病院へ到着し、まず処置室へ運ばれる。
洋服を切ってもいいかと聞かれ、構いませんと答えたが、
はさみで切るときに母が抵抗したので、
「危ないのでお母さんの左手を押さえてください!」と言われた。

横になった母の左手を抑えながら、その時初めて左胸の患部をはっきり見た。

何でもない右の乳房と比べ不自然に膨らんだ左の乳房。
大きなこぶがいくつも出来て大きくぼこぼこに膨らみ、
乳首のような豆大の赤いイボが数個。
こぶが表面の皮膚を突き破り、ただれて膿がでているのが数ヶ所。

あまりのひどさに言葉が出なかった。


処置室にいた医師が一目みて
「これはいつからなの?」
…「母は一ヶ月くらい前からと言っていました。」
動揺しながらやっと答えた。


「一ヶ月や二ヶ月じゃないよ。」
「悪性の腫瘍ができている。乳がんの末期だ。」
「近いうちに、命に関わる状態です」
「娘さんは今日初めて見たの?」


ショックで足が震えた。歯がガチガチいった。
医師は母の頭の上で言ったが、
死が近いという意味の言葉が母に聞こえなければいいと思った。



程なく、自家用車で来た父が遅れて到着したので、
処置室の手前の待合室にいた父をつかまえて言った。


「乳がんだって。悪性の腫瘍が出来ていて末期だって言われた。」


父はとにかく驚いて言葉を失っていた。
「まったく・・・」怒ったように言うしかなかった。



地味に続く。。。
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