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伝承『たんろく屋敷』

2012年01月13日 | 言い伝え&伝承
藁科川上流・大川地区に伝わる伝承を再話します。

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『たんろく屋敷』

 昔、昔、坂ノ上に「たんろく」という人が住んでいました。この人は大金持ちで財産といえば、坂ノ上から東川根の千澤まで自分の土地だったそうです。
 たんろくの息子に「力三」という男の子がいました。この子はものすごい力持ちで、ある晩、おばあさんが屋外で風呂に入っていると、突然大きな雷とともに夕立が来ました。おばあさんは「こりゃ、こまった。今入ったばかりだが・・・。」とつぶやきました。屋敷の中にいてこの声を聞いた力三は、表に飛び出し風呂桶をよっこり持ち上げ、軽々家の中に入れてしまいました。驚いているおばあさんに「なに、この位のことは軽いものさ」と笑って力三は言いましたが、おばあさんは「力三、こんなに力のあることを人に見せてはならぬぞ。」と言いふくめたということでした。
 大地主のことですから、秋になると小作人から作米がたくさん入ってきました。力三は「これも俺の仕事だ」と十六貫(約60㎏)もある米俵を小脇にはさんで倉の中へ運びました。

 さて、力三は日増しに強くなるばかりで、「ここにいれば金も宝も俺のものだが、ものは考えようだ。いっそ江戸へ行って相撲取りになろう。」と決心しました。
 江戸へ行き、二代目「たんろく」と名乗りました。たんろくは、どんな強い相手にも負けることなくはね飛ばしてしまいました。これを見ていた相手のつき人力士たちが「この強いたんろくを殺してしまえ。」とい大声をあげました。さすがのたんろくも、これには驚き「しぐれ山たんろく、逃げるから道を開けろ。」と大声でどなりました。寿司づめの観客が踏みつぶされては大変とドーと引き下がりました。たんろくは大手をふって逃げて帰りました。それから、しばらくたつと江戸で知り合った力士が尋ねてきました。たんろくは「よく来た。」と大きな鍋に里芋をいっぱい入れて、力は尽きぬぞと言わんばかりに、手で下げたままいもをゆで力士にごちそうしました。この時、たんろくは力士に連れられて、再び江戸へ行き立派な相撲取りになりました。

 たんろくが江戸へ出てから、妹の「おはる」が家を継ぎました。この娘gか働き者で器量よしでした。村中の若者から「おはるの婿になりたい。」と俺も我もで大騒ぎになるほどひろく世間までうわさがたつようになりました。若者たちはおはるの顔を一目見たいと詰めかけ、大きな大黒柱のかげから声がすることもあったそうです。こんな火が続いているとうちに、おはるは婿を近所から迎えました。この婿は、あまりたくさんの財産のあるところへ婿入りしたので仕事は手につかず「スズメが鷹になったとは俺のことだ。博打でもして一儲けしてみよう。」と来る日も来る日も博打を打ってばかりの毎日でした。まうます面白くなって川根の村の方まで出掛けるようになるほどでした。しかし、儲けるつもりの博打も行くたびごとに勝つことがなく、一山、二山と売り減らし、ついつい、家も屋敷も人手に渡ってしまいました。

引用:「ふる里わら科八社~第一集~」大川寿大学.昭和55年)

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