檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

祝☆ザッケローニ就任

2010年09月01日 05時40分36秒 | Jリーグ+日本代表+アジア

「イタリア人監督が、いつか日本代表を率いてくれたら面白いのに……」

とは思ってました。

しかし、○ザックさん (×ザップさん 9/2 21:36訂正) が来るなんて妄想した事はありませんでした。

この人は、インテル退団の際に次のシーズンの続投が決まっていたのをモラッティ会長が翻意して……。

急に、解任が決まった事が印象的でした。

しかし、この人はインテリスタ(インテルサポーター)らしいんですが……。

2001-2002 シーズンにラツィオを率いた際には、そのインテルを4-2で下しました。

その結果、インテルは首位転落。

優勝を最終節でユヴェントスに献上するという結末を引き起こしたのでした。

優勝を逃したのが、ヴァレンシアを率いていたクーペル監督(アルゼンチン)がCLにて旋風を起こしクた堅守速攻型でした。

ラツィオには、その愛弟子であったメンディエタとC・ロペスがそのシーズン前にヴァレンシアから移籍してました。

ラツィオでは「メンディエタもC・ロペスも、使いこなせなかった」

「スタンコビッチを、サイドで使って持ち味を失わせた」

といった、選手をチームに組み込む点で信頼を失った様です。

もっとも、メンディエタはマンチーニ監督が就任してもろくにテストすらされずにバルセロナに放出されました。

逆にC・ロペスは、マンチーニが再生して彼自身のペストシーズンを送りました。

ジャンニケッダ、フィオーレといったウディネーゼで指揮を執った時の教え子がラツィオには居ました。

しかし2人とも、ラツィオには馴染めないままシーズンが終了しました。

逆にその2人共に、マンチーニはチームに組み込んで……。

フィオーレは、右SMFとして新境地を切り開きました。

メンディエタと競合するポジションでしたが、即座にマンチーニはテストするまでもなくフィオーレをチョイス。

選手を見極める力は、素晴らしいです。

完全にザッケローニ監督の率いたラツィオを機能的に作り変えた事実こそあれ、マンチーニ監督はイタリアであまり評価されないそうです。

マンチーニ監督が評価されないのですから、ザッケローニ監督がイタリア国内で評価を得るのは苦難であると言えるでしょう。

そのマンチーニも、マンチェスター・Cで指揮を執っています。

ザッケローニは、日本代表です。

カッペロは、イングランド代表です。

スパレッティは、ゼニト(ロシアリーグ)。

現ラツィオ監督のエドアルド・レヤは、昨シーズン(2009年8月~2010年2月)はハイデュク・スプリト(クロアチア)を率いてました。

この様に、イタリア人監督が海外のクラブや代表チームを率いる事が増えました。

この流れからすれば、ザッケローニが日本に訪れたのも自然の流れなのかもしれません。

また3-5-2の布陣を、長らく代表では好まれてきた事も監督を引き受けるにあたっての大きな要因であった事でしょう。

その他に考えられる事は、森本をチームの中心に据えたい思惑がどこからか働いたのかもしれません。

もしそうだとするなら、原博美は森本を推しているという事になるでしょう。

スペイン路線を最初に展開したのも、他の大物監督に当ってみたのも……。

全ては、ザッケローニで決定するための茶番だったかもしれません。

これから暫く、森本が代表の広告塔の様な働きを期待する動きが活発になりそうです。

ザッケローニ監督の紹介サイト

 

2012年5月7日 加筆・修正



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