カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

自分をうつす鏡

2018年05月09日 14時00分39秒 | 生き方

鏡と言葉は、密接に関係しているようです。

人の意識ですが

  1. ある程度の年齢に達して、言葉で何かを考えることができるようになると、自分自身の悩みをもつようになり、母国語で解決しようとするでしょう。
  2. 同時に母国語の限界を知り、やがて言語の壁を越えて人類に普遍的な域に到達し、共通の悩みや問題点を把握、場合によってはそれを解決するかも知れません。

ただし多くの場合、人は「1.」の段階にとどまり、自分自身の幸福だけに的を絞るようになるでしょう。そんな人に限って、より資産を増やし、それに従って悩みも大きくなり、同時に本来の人の目的を忘れてしまうかも知れません。  

鏡で自分を映すというだけのことですが

  1. 鏡で初めて自分の姿を見た場合、多くの動物が鏡の中の自分を威嚇したり鏡の裏側に回ろうとしますが、これは映っている姿が自分ではないと理解しているからでしょうか。鏡の数を増やして自分の姿が2つも3つもあるのをみると、もうわけが分らなくなり、やがて飽きてきます。人間の場合、映っているのが自分であると理解するのに時間がかかるものですが、やがて動物とは違って鏡の中に自分を発見します。
  2. ひょっとして人間だけが、鏡に映る自分自身を客観的にみて普遍化し、自分と社会や国や世界との関係を考えるのかも知れません。これは視野が広い人だけの特徴なのでしょう。

ただし多くの場合、人は「1.」の段階にとどまり、視野が狭いままなのでしょう自分だけの幸せを追求し、満たされて、あるいは満たされずに、自分の生活をおくります。そこには「他人より少しはマシな人生」という目標があるかのようです。

こんな視点で

朝鮮半島や中国をみていると、なぜか笑いたくなってきますね。

客観性をもてるために、離れたところから自分を見つめる必要がありますが、そうはさせないとする国家権力があり(弾圧や報道規制)、それを管理や支配に活用します。

よって自分のことだけに関心をもつようになり、利益追求だけの人間になり、激しい対立が目立ってしまうのでしょう。 

さてさて、皆様はどう思われますか。


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