カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

アメリカの醜聞327 またまた辞任

2019年08月17日 08時02分19秒 | 海外

アメリカの情報長官も副長官も、またまた・・・・・・


トランプ米大統領、国家情報長官の候補指名取りやめ 功績誇張疑惑:ロイター 2019年8月3日  


アメリカでは

2019/07/28に、国家情報長官コーツが辞任(2019/08/15付け)しており、いつものようにトランプと対立したためとされております。

後任はジョン・ラトクリフとされていますが、先日国家情報副長官までもが辞任2019年08月09日)したと当ブログで述べました。

くりかえしですが

しょせん「トランプの下で仕事をする人はいない」ということが判明しました。 


我が家の古代遺跡から「またまた」を検索してみました。 


英語の problem(問題)という単語は、古代ギリシャ語の単謙 proballein から派生しているが、これには「前に投げ出されたもの」という意味がある。この単語の語源ballein に別の接頭辞 syn がつくと synbol という語になるけれども、語源的にこれが正しいとすると、「一緒に投げられたもの」という意味になる。またまた別の接頭辞 dia がつくと、ギリシャ語の単語diaballein で、これが diabolos になって、結局英語の devil (悪魔)という単語となる。行く手に「横に投げ出された」もので悩まされることがあるのは確かである。:P.xii ピーター・グロゴノ「問題解決とプログラミング」永田守男訳 近代科学社

意味が分かりませんが、そういう主張です。 


院から詩歌合わせをやるから、「愚息両人ノ歌、筆ヲ染ムベキノ由ナリ」と、光家(兄)と為家(弟)の歌を所望されてきているのであるが、これが「件(クダン)ノ二人、未ダ三十一字ヲ連ネザルノ由、申サシメ了ンヌ」と返事をせざるをえない。・・・・

7月17日には内大臣になったばかりの道家から、またまた光家、為家の二人を詩歌合わせに出席させよ言われるのであるが(断る)。俊成、定家以来ニ代の歌学の前途のことを思うと・・・・。

定家がわづかに望みをつないでいる為家は・・・・後鳥羽のすすめもあって蹴鞠に熱中してしまうのである。

かつて萩原朔太郎は「父親は永遠に悲壮である」と書いたことがあったが、定家の身に添ってみれば、まさにそう言わざるをえず、そうして子の側からすれば、「父親は永遠に身勝手である」ということになるものかもしれない。:P.26 堀田善衛「定家明月記私抄」 続編 新潮社 1994.11.01 

歴史に詳しい方ならば「家光(1604~1651)がどうのこうの」とあるので、江戸幕府3代将軍「徳川家光」の事かと思うと思われますが、実際は藤原定家(1162-1241 平安末期~鎌倉初期)の長男である藤原光家(次男が為家)」のことであり、時代は江戸初期から400年ほど前の鎌倉初期になります。

光家と家光、確かに紛らわしいのですが、中国や朝鮮半島ではこんなことで驚いてはいけません。姓が「1文字」であることが多く、しかも同名」が多いし、ハングルでは発音自体の表現なので「同音異義語」も多すぎ「見ても聞いても」分かりません。日本語の「同音異義語」の場合、漢字の読みの問題が多く普通は「見れば」違いがわかるのですが・・・・・・。

「父親は永遠に身勝手である」か「父親は永遠に悲壮であ」のどちらが正しいか分かりませんが、だいたい、そういうもの。 


そう「またまた」には大した意味がなかったらしい。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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