カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

同時通訳者に落語を

2016年02月29日 05時05分54秒 | 社会

外国番組、とりわけ報道番組では、同時通訳がとても有益です。

書物の翻訳なら、分らないことをいろいろ調べる余裕が許されますが、同時通訳の場合はそれがないため、とっさに判断しなければなりません。

尤も、本当の生中継同時通訳と、3時間ほどの猶予があるニュース同時通訳では、明かな違いがあるといえますが・・・・・・。

さてこの同時通訳。

ここではインタビュー番組に限って述べますが、同じ通訳者が、質問者と回答者の両方を受け持っている場合、どこまでが質問で、どこからが回答なのか、区別できないことがあるのです。特に、自分にとってあまり詳しくない内容の場合など、そう言えます。

  • 何を聞こうとしているのか、何を答えたのか、ですから、「そんなものは、話の内容で分るだろう」と思う人がいますが、そうとも言えないのです。
  • 同時通訳の場合、同じ人の質問の中で少し間をおいて次の話を通訳をする場合があるかと思えば、話者が質問者から回答者へ変わっているのに「切れ目なく通訳」する場合があり、両者の区別がつかず、結局全体の趣旨がわからないことがあります。

もちろんその場合、映像の切り替えで、これは質問者、これは回答者、とわかるはずがありません。音声をわざとずらせて映像に乗せる場合が多いからでもあり、同時通訳上の制限もある、からです。

ニュース番組を作成する場合、同時通訳時の便宜を考えるなんてことは、あり得ないでしょう。

そこで、私の提案。

同時通訳者に、落語の手法を学ばせよ

言うまでもなく、落語は、背景も人物もなく、たった1人で多くの登場人物を「言葉としぐさ」だけで演じる話芸です。

動画の落語では、どっちを向いて話をしているかで聞き手がある程度想像できるので、特に声色(こわいろ)を変えなくてもいいのです。別に物まねではないのですから。

しかし名人上手になると、古くて映像に残っていないせいもありますが、音声だけでも十分に複数の登場人物を演じ分けることができます。そこには声色(こわいろ)を変えたり、話す速度を変えたり、言葉遣いを変えることで、話者を特定させます。話を聞いているだけで、情景が浮かんでくるのですね。

このために、一定以上の人生経験が必要な場合もあるでしょうが、なくても想像力さえあれば、深くなくても誰もが理解できるでしょう。

同時通訳者に欠けているのは、ここなんですね。

通常、同時通訳者は映像には出てきません。あくまでも音声のみですから、ラジオの落語番組が参考になるのです。

私が、たまたま落語が好きで、噺家のしぐさや音声を普通の人以上に観察する習性があるので、こんな話をすることができるのでしょう。

ただ元番組に忠実なだけではなく、聞き手が聞き取りやすい、という条件が加わるのです。でないと意味がありません。

同時通訳者は、その専門の外国語に堪能であることは当然ですが・・・・

  • ただ普通に外国語に詳しいだけではなく、日本語にも相当くわしくないといけない。
  • 専門用語を相当よく知っていなければならない。聞き手の中で、その分野に詳しい人ならば、「あ、そこは違う」とすぐにわかるものです。
  • 場面をよく考え、外国語のニュアンスと日本語のニュアンスを結びつける能力が要求され、両国での「ことわざ」に関する知識も、必要でしょう。

これに加え

  • 質疑応答番組を1人で担当する場合など、どこまでが質問いで、どこからが応対なのか、聞き手によく分るようにする必要があります。
  • これを解決する一つの手段が、落語。

参考となる書籍はいくつもあるでしょうが、1つだけならば

桂米朝「落語と私」

を挙げておきます。たしか50歳代の桂米朝〔1925-2015 89歳没〕が書いた本で、もしも晩年に書いたなら別の本になっていたかも知れません。

同時通訳の大変さをある程度分っているからこそ、「落語に学べ」と辛口の要求をしてしまいました。

みなさまは、どう思われますか。


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