カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

こわ~い童謡 われは海の子

2017年11月30日 01時06分03秒 | その他

意味がわからないまま歌っていた童謡。よく考えると、恐ろしい解釈もあるようです。歌詞に「地域差」があることは承知の上です。


われは海の子 

我は海の子白波の さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしきすみかなれ 

生まれて潮にゆあみして 波を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を すいてわらべとなりにけり 

高く鼻つくいその香に 不断の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く 

じょうよの櫓櫂(ろかい)あやつりて ゆくて定めぬなみまくら
百尋千尋(ももひろちひろ)海の底 遊びなれたる庭広し

幾年いくとせここにきたえたる 鉄よりかたき腕(かいなあり
吹く塩風に黒みたる 肌はしゃくどうさながらに 

浪にただよう氷山も きたらばきたれ恐れんや
海まきあぐるたつまきも おこらばおこれ おどろかじ 

いでおおぶねを乗り出して 我は拾わん海のとみ
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国


否定的な解釈

とまや」とは、茅(かや)葺きの粗末な屋根をもった家のことで、今で言う「海の家」をもっと粗末にしたものでしょうか。

しかし4番の歌詞あたりから突然、現在の北朝鮮・中国を彷彿とさせる軍国調の歌詞がみられます。この歌が生まれた時代が分るというものですね。

今年2017年の11月現在、10件以上というとても多くの北朝鮮籍の木造船が、人や一部白骨化した遺体をのせたまま日本海沿いの日本の地に漂着しています。海が荒れたとかエンジンが故障したからと言っているようですが、乗員が漁民なのかスパイなのか分りませんし、他国のEEZ領域へ無断で侵入せざるを得ないほど窮地に追いやられている軍事優先の国の哀れさえ感じます。

肯定的な解釈

海を扱った代表的な歌であり、3番までにしておけば十分童謡としての価値があります。

外は車で危ないからと家の中で過ごすことが多かった人が、長じてどうなったのでしょう。これは国策と称して初等教育段階から洗脳してきた人が長じてもはや40歳前後になっている国を思い出させます。

この歌でもって、どんな形であれ、自然に接することの意義を見出してもらいたいものです。

またそのために本来あるべき自然を守ることの大切さを知ることができます。

自然に接することがない人が、自然を守る運動に興じる」のを見ていると、違和感や哀れさえ感じられます。

そうです

時折ですが「自然は人に厳しい試練を与える

ものですが「自然は人を必ず大きくするもの

なんです。

自然の大きさを知った人とそうでない人の違い、いわば自然災害のお仕置きを知っていることは、細かい理念の違いよりももっと大きいと思うのですが・・・・・・。

さてさて、皆様はどう思われますか。


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