カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

韓国の醜聞264 ロッテ問題と二元論

2017年09月17日 15時23分01秒 | アジア

たとえそれが、事実であろうとも、なかろうとも、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクも提示しています。


ロッテがワントップ体制に、韓国ロッテ会長が日本ロッテも掌握:2015年7月3日  


創業者が韓国出身であるロッテは難しい組織のようで

  • 韓国では、日本企業扱いされ
  • 日本では、反韓・嫌韓の影響があり
  • 中国では、THAAD配備に反発した中国の露骨な制裁で閉店状態が続いているらしく、撤退を視野に売却か(日経 2017/9/15

やはりこの期におよんでも、ロッテとしては正調韓国節にのっとって「販売不振は日本のせい」にしたいのでしょうね(笑)。

それは「冗談」として、これも日頃の行ないが悪かったので自分で責任を取るしかありません。←それは無理でしょう!

ロッテも

日韓双方のその地その地で「心地よい声明」を出すという二重基準・瀬戸際外交を徹底したのですが、運悪くそれがバレてしまっただけであり、日韓双方でますます不信感がひろがっています。

韓国では「日韓どちらの企業なんだ」と二元論(あとで詳しく触れます)で問うのが常識らしく、ロッテは中間を決して許さない韓国の習慣にかまけてしまったのでしょうか。

韓国でかせいだ金で日本を利している、とはいつもの被害妄想であり、決して自己責任を認めない風土にご注目ください。 


ロッテは日韓どちらの会社2015年8月1日 


大戸屋・大塚家具・大阪維新・大韓民国など「大」がつくと・・・・・・

内紛・内訌・対立が絶えません。この点で身内を後継者にしなかっただけでなく身内を入社さえさせなかった本田宗一郎(ほんだ そういちろう 1906-1991)は立派でした。

韓国ロッテからみると

韓国語を話せない日本ロッテ首脳は、目障りなんでしょうが、これについて私は詳しくありません。

また日本創業のロッテですが、日韓関係の悪化で日本でのイメージが悪化したけれども、中国に進出しているロッテがTHAADミサイル関係で陰湿な制裁を受けて中国市場からの撤退も視野に入れて売却先を考えていてもそれは販売不振のためでありロッテ撤退(になりそう)は中国でのイメージが悪化したからではないらしい(大笑)。←中国べったら漬けの韓国ですね!

さらにロッテは、日本のプロ野球パ・リーグで千葉ロッテを所有していますが、これも今年オープン戦で調子がよかったのですが、2017/09/16現在パ・リーグ6球団で最下位(残り残14ゲームで5位とのゲーム差は「5」)と不振で、球団経営も赤字を続けているらしく、これまた売却先を考えているとのこと。

とにかく

すこしでも日本に関係があれば親日企業なので、韓国の矜恃(きょうじ)とすれば、堂々と軽蔑しなければならないらしい(笑)。

国ぐるみで日本を差別する韓国ですから、国ぐるみで韓国を差別する中国には、ぐうの音(ね)も出ないのでしょうか。

まぁ実際のところは逆で

韓国は、儒教の大師匠である中国には、些細なことでもいちいち伺いをたてなければならなかった属国時代が長すぎたので「今でも頭が上がらず」この反動として「ありがたい中国の恩恵を受けていない野蛮な日本」を軽蔑せざるを得ないという不幸を運命付けられていたのでしょうか。

ここで、何が「ありがたい中国の恩恵」かを問うのはヤボというものですね。それだけ信仰とは、固いものなんです(笑)。


 二元論について

二元論(デュアリズム)で説明しようとするのは、対象となる世界が未確定な場合に限られます。

何でもしつこく二元論にこだわる韓国社会にとって、多くが未確定なのだろうと想像するのはそれほど難しくありません。

分りやすい例かどうか分かりませんが・・・・・・

2000年も前には、学問と言えば医学・天文学・占星術などすべてを網羅していたようですが、今では多くの場合それぞれ別の分野へと分化しており、すべてを把握しようとするのは不可能になってきました。

2000年前には、「そういった学問全体に賛同するか反対するか」が二元論だったようですが、現代の二元論では、「細かく分化した分野のそれぞれに賛同するか反対するか」に変わってきました。

即ち20年前に打上げたカッシーニがスイングバイを繰り返して土星へ到達し、役目を終えて土星へと突入させその寿命を終えさせることができた物理理論や、コレラ菌という細菌についての薬品などを生み出した医学理論などを信頼するかどうかという二元論が無意味になってきて、「別の意味での科学や医学に関する疑問」へと変わってきたのです。 

韓国社会をみていると

何でも「敵か味方か・白か黒か・そうであるかそうでないか」という二元論で考える習慣が相変わらずあるということは、それが「未確定」だからにちがいなく、多くのことがまだ分化していないように思われます。いや「分化させない」という力が働いているような気さえし、それが「改善を許さない・現状維持を金科玉条とする儒教」なのではないか、とさえ思われるのです。 

結論から言えば

韓国社会が何でも二元論にこだわるのは「韓国社会が進化してしないあかし」ではないか

と思うのです。 

 さてさて、皆様はどう思われますか。


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