韓族らしい「独断」はつとに知られています。
異論を出せば間違いなく「南北和平に水を差すのか」と激怒するようで、同じ民族ですから、そこに南北の差はありません。
そうです、異論をすべて排除し一色にならないと落ち着かない、これが韓族なのでしょう。
やむなく比較してしまいますが・・・・・・
- 2年前に朴槿恵が中国へ「限りなく接近」していたのに、未だ中国による韓国への経済制裁は続いている
- 文在寅が北朝鮮へ「限りなく接近」するのも、90%以上の確率で、徒労に終わりそう
今回も又、北朝鮮にだまされ、時間稼ぎさせてしまいそうです。
北朝鮮は今、重要な時期を迎えております。いつもの偽装を演じようとしていますが、そうは問屋が卸さないでしょう。
今、一生懸命になって
金王朝の存続を認めないで非核化を求める人たちの欠点をみつけようと、鋭意、叡智を集め努力している
ことでしょう。
私の基本的な立場としては
- 脅しに使われる恐れがある核兵器が、テロリストなどの手に渡るのを阻止しなければならないでしょうが、北朝鮮はその途中にあるのかも知れません。
- 朝鮮半島を非核化するのはやむを得ない流れだろうと思います。
- 金正恩は、金王朝の存続をアメリカが保証するよう要求するでしょうが、そんなことを外国が認められるはずがないでしょう。統一したとして韓族の国内問題ですから、外国が政治制度を保証できるはずがないのに、北朝鮮は、外国もまた自分の国と同じ「鶴の一声国家」だ、と錯覚しているようです。錯覚が続く限り、南北会談の意味がなくなり、米朝会談は幻に終わるでしょう。
- 一応選挙で選ばれた韓国の大統領が、任期付きという「必ず終焉する期間中」だけ治世を担当しますが、永遠に治世を担当せざるを得ない北朝鮮とどこまで折り合えるか、の問題でしょうか。
- 今までの流れからして、北朝鮮に何も言えず「腫れ物に触るように」扱ってきた文在寅に、南北会談で何かを期待することはできません。
まとめると
非核化は世界の願い
金王朝を存続させるかどうかは韓族の国内問題
というのが、私の立場です。
ただし
存続を保証した上で統一したところで、その新しい韓族国家が世界に受け入れられるかどうかは、分かりません。
世界に受け入れられないままで統一することに意義があるのかどうかで、無理に南北統一しても、例によって激しく内部対立するだけで、内戦状態のシリア・イラク以上に劣悪な環境と化すことでしょう。そういう交渉決裂の場合、北朝鮮では暴動が起りそうで、韓国では統一しなくてよかったという人が増え、再び保守政権へと移行していくのでしょうか。
金正恩は3代目とのことで
企業では1代目が創業して成功し、2代目がそれを引き継ぎ地盤を危うくし、3代目が完全に閉鎖に追い込む、とされます。
国としても、3代目で崩壊したとされる鎌倉幕府の将軍家の前例に従って、北朝鮮の金王朝も崩壊するのでしょうか。
落語家で「3代目」と言えば、3代目桂米朝・3代目古今亭志ん朝を思いまします。
歌舞伎ではもっと長いのが多そうですが、煩わしいのかそういう人が新しく「2代目とか3代目」の「何とか」を襲名することがあります。しばしば襲名披露をしていますが、やり過ぎると・・・・・・。
さて北朝鮮も3代目で終焉となりますか・・・・・・。
北朝鮮関連の流れですが
- 2018/03/00 米ポンペオが訪朝したらしい
- 2018/04/27 南北会談が確定
- 2018/05/00 米朝会談の予定(事前交渉結果では白紙化も)
- 2018/06/00 中国習近平が心配になり訪朝の予定
- 2018/06/00 北要人が露訪問の予定(有事の際の亡命交渉か)
上記では日程が不明な時「2018/03 /00」などとしています。
ポンペオは元米CIA長官であり、3月初旬に極秘訪朝したらしく、その結果がトランプにとって好ましいものだったので2018/03/13 にはティラーソン国務長官を解任し、そのあとがまに「ポンペオを指名」した、と私は推定しています。
こういった折、マキャベリ(1469-1527 伊)の言葉を思い出しておいても、決して損にはならないでしょう。
マキャベリの前後に次のような人たちがいました。
足利義政(1436-1490)
ダビンチ(1452-1519)
応仁の乱(1467-1477)
織田信長(1534-1582)
結果さえ良ければ、手段は常に正当化される。
これは善悪に関係なく、納得できることですね。尤も「結果さえよければ」の期間を、短期でとらえる場合と長期でとらえる場合を想定する必要があるでしょうか。
私は断言しても良いが、中立を保つことは、あまり有効な選択ではないと思う。
まるで韓族の瀬戸際外交を象徴するようなものですが、一理あるのでしょう。
国際機関でさえも、その設立意図は別として、任期により決められた中心人物によって大きく変わるのであり、国連の各種機関もその例に漏れません。
人を率いていくほどのものならば、常に考慮しておくべきことのひとつは、人の恨みは悪行からだけでなく善行からも生まれるということである。
よかれと思ってしたことでさえ、悪く取られる時世です。政治の世界では、どんなことをしても「反対する人が必ずいる」ものですから、白を黒・黒を白と言いくるめる度胸がないとやっていけないのですね。
国家の指導者たる者は、必要に迫られてやむを得ず行ったことでも、自ら進んで選択した結果であるかのように、思わせることが重要である。
これは、君主のみならず、一般人から首脳が選ばれる場合にでも言えるのでしょう。一般社会と同じように「あまり率直に過ぎる」とそれを軽んじる人が出て来るものです。
- 右翼の言いなりにはならないけれども、耳を貸し
- 左翼の言いなりにはならないけれども、耳を貸す
こういった人物が出てくる可能性は、極めて低いと言えます。
さてさて、皆様はどう思われますか。