妙に独善ぶる人が多いようです。
- 「誰もが反論しにくいような論述」をしながら、その前提となるような事に関しては、いっさい触れない
- 抽象化と普遍化の意味を理解できず、狭い範囲での自説を強引に押し通そうとする
- ①誰もが反論しにくい論述 ←②抽象化と普遍化 ←③狭い範囲の自説
①をちらつかせ、②ができないまま、③に終始する、これが独善性でしょうか。普通は③→②→①になるものですが・・・・
- ③の自分が「言いたいことだけに論点を集中」することで、主張を持続させることができ、支持層を獲得できます。
- しかし②を目指して支持者層を広げようとして「論点を広げる」と、一部の支持者を元気づける代償として、一部の人の支持を失います。
独善性とは、
こういった「脱落者」をなくす代わりの「一点集中突破」という視野狭窄(しやきょうさく)症のこと〔中国の場合、暴力で脱落を排除〕
なのでしょう。
沖縄の場合
米軍基地反対だけに絞って当選した沖縄県知事の翁長ですから、もしも中国の横暴に触れてしまうと一気に沖縄での支持を失い、知事としての安定感がなくなってしまいます。
一方では、中国の横暴に触れることで沖縄での支持が減るでしょうが、日本全体からの支持が増すことでしょう。
日本で一番中国に近い沖縄県の知事が、
- 中国の素行に触れないという姿勢を維持するのが正しい
- 中国の素行に触れなければならないという主張が正しい
どちらが沖縄のためになっているのでしょうね。
反核団体も多様で、主義主張が異なるため統一されるなんてことは夢のまた夢。
- 原水協と原水禁の深刻な対立は、各政党を巻き込み、必然的に当時対立していたソ連や中国も巻き込んでおり、よっぽどしっかり見ないと、どこが何を言っているのかさっぱり分りません。このほか詳しく見るとたくさんの流派が存在します。これらが一致協力すれば相当な影響力があるのに、華道や茶道と同じで小さく組織が分裂してしまい、みんな「お山の大将」になりたいのでしょうか。
- 社会主義国の核実験は侵略を防ぐためゆえ容認する、という妙な論述もあらわれ、福島原発事故後の「脱原発」問題も重なって、ますます複雑怪奇に。
- 「朝鮮半島人の広島や長崎での被曝」の扱いでも意見が分かれたようです
「反核」を叫んできた団体の歴史もまた、典型的な視野狭窄症に悩まされました。
それぞれちゃんと論述してきたとおっしゃるかも知れませんが、「論点を広げると『核力』という名の求心力を失う」という原則を守っていると思われます。
かくりょく【核力】
極めて近接した核子(陽子と中性子)相互間に働く強い力。核子は核力の働きで結合して原子核をつくる。
:広辞苑第六版
個人の生き方にも関連しますね。
- あまりにも論点を絞って主張すると、断定的で分りやすいけれども、友人をなくします。
- 論点を広げて賛同者を増やせば、組織のトップになれるでしょうが、やや曖昧さが増えて、それが反撃される材料となってしまいます。
- 一層あいまいさを拡大するならば、政治家として成功するかも知れませんが、それ故の欠点を醸し出し、それを繕うための弁舌が必要になります。
国会中継で、質問者と答弁する大臣のやりとりを見ていると感じることがあります。ここで私はどちらの側に立っているのでもないことを前もって申し上げておきます。
- 質問側の「質問にお答えください」「質問にお答えいただけないようですので」が常套句ですが・・・・
質問側が、自分勝手な「前提・仮定」への賛否を強引に問い過ぎるため、答弁側は賛否ではなく、その「前提・仮定」についての答弁になりがち。
この野党の姿勢は、中国・韓国の手口と似てますね(笑)。
- 答弁側が分りやすい説明を標榜する
答弁側は、質問者の質問そのものではなく、内容の周辺についてだらだらと語りがちですが、質問側が同じような周辺のことをだらだらと述べると「早く質問しろよ」とやじる。
互いに、視野狭窄症に陥って相手を攻撃し自分を守ろうとする、立派な姿だと言えます(泣)。
仲間を増やそうと思えば必ず曖昧な論点が出てきますが、厳密な論述にしようとすると仲間がなくなるでしょう。どっちがいいのでしょうね(笑)。