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ヘルスケア、その信頼関係とは何かを考える

2018-08-01 17:47:06 | はとはあと最新情報
ヘルスケア、その信頼関係とは何かを考える

医療の信頼について書いてみる。仕事でもコミュニティでも信頼関係は大切である。「信頼など要らない」などと嘯くことは決してできない。そんな態度でもとろうものなら、皆から馬鹿にされるか、関係を切られる、とまでいかなくても、つきあいを敬遠されていくことは間違いないだろう。それだけ信頼関係は、生きていくための絶対条件として、大事に維持していくことが求められる。やはり、ここでも「人は一人で生きていけない」の原則が生きているのだ。その維持のための唯一のカテゴリーがコミュニケーションというわけである。

つまり信頼は、コミュニケーションによって獲得される心の関係値とするのはどうだろう。相手から信頼を得るには、相手にとって価値ある状況を発想し、実際に行動してみることであり、相手から認めてもらえないなら修正する。またはそれを繰り返すことで、相互の満足感を高めるよう配慮し、心の関係値を強固にすることが揺るぎない信頼への道である。だが、これは理屈であり、実際は、それが上手くいかないのである。人間には、あらかじめ蓄積された、好き嫌いや思い込みがあり、目にした態度や価値観には敏感なのだ。

信頼は、人間関係にも関わるが、人間の集まりである組織との間にも横たわる。もしくは組織と組織、国と国においても取り沙汰されるのは、日常の報道や各種情報においてもお分かりのとおりである。しかし、だからといって社会が崩壊するというわけではない。そこには調整や我慢が入り込み、関係や社会のバランスに貢献しているように思われる。そのような“良心”や“見識”に見守られて今日の居場所がある。信頼することで人間社会の存在がある。大雑把でも認識している人によって安心と信頼が築かれるのだ。

よく似たことばに「信用」というのがある。こちらには目に見えた保証が要求される。確かな保証があれば、その分、信用は成果を発揮するが、それがなければ対象外、と冷ややかのニュアンスに包まれている。確かにそれ自体、信用に値する仕組みであり、冷静な関係維持になくてはならない概念だろう。
しかし、コミュニケーションという世界ではなく、論理的な仕組みとしての活用ということになる。もっとも理想的な関係として信頼と信用が役割を分担することではあるかもしれないが、同次元で語られることは少ないかな・・。

医療における信頼は、経営上からも最も重要な要素である。信頼のあとに安心がある。「あの施設なら滅多なことはないだろう」という印象と認識には、経営上の対応が、どうしてもなくてはならない。人間の印象だから、どんなことがその感情回路に繋がるかわからない。職員の対応、診察室の雰囲気、広報誌の文章・・もちろんドクターの一挙手一投足、すべての印象などなど。信頼は信用と異なりすべて感情に誘導されて進んでいき、自らもシッカリ把握できない特性があるから厄介。やはりこれから個々のいのちと健康はご本人の主体性に、という思想が必要か。


BHI賞2018(事例評価)
BHIデザイン賞2018(広報誌評価)

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