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マルクス剰余価値論批判序説 その33

2021年03月24日 | 哲学思想

マルクス剰余価値論批判序説 その33

 

 4、労働力商品

 

 マルクスは、労働を価値と結びつけるために、労働の価格を労働者の生活費に求めたブルジョア経済学と同じ立場に立って、その商品既定の矛盾だけを解決する。(14)このようにして、賃金は労働ではなく労働力の価格とされ、労働力が商品であるとされる。

 労働力の価値は、他の商品と同様に規定される。(15)

 商品の価値は、その再生産に必要な労働の量によって規定される。そして、労働力もまた同じであるとマルクスは言うのだが、労働力の再生産は直接に労働によって行なわれるのではない。したがって、マルクスも、「言い換えれば、労働力の価値は、労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である」というように、規定の仕方を変えている。さらに、「労働力の生産に必要な生活手段の総額は、補充人員すなわち労働者の子供の生活手段を含んでいる」とされる。(16)

 しかし、ここまで労働力の価値規定が拡大されると、それが商品の価値規定と異なるのは、一目瞭然である。労働力の所持者が、その労働力を再生産するために必要とするものは、生産力の上昇につれて多岐に及ぶ。それらの全てが商品として、賃金として受け取る貨幣によって買われ、したがって回り道を経てその商品を生産する労働の量で規定されると言い切れるのだろうか。

労働力の再生産(労働者の再生産)は、労働者本人の労働能力の再生産だけではなく、労働者種族、労働者階級の再生産でもある。商品の価値はその再生産に必要な労働時間によって規定されるのだが、労働力商品の価値はそれ自体の再生産と共にその将来的存在のための再生産に要する労働時間よっても規定される。このように言うことで、マルクスは何を言っているのだろうか。

労働力の価値に、労働者の子孫の生産に要する商品の価値まで含めておいて、それで労働力の商品規定を完成させたとするのは、今の労働者だけではなく将来の労働者の確保も必要だとする資本家の立場に他ならない。奴隷にされる種族が多数存在し、必要になれば捕らえて奴隷にすればよい場合には、奴隷主は奴隷を使い捨てにする。しかし、捕獲する対象や手段がなくなると、奴隷主は奴隷の再生産を行なうようになる。労働者は商品がなければ生きられないし、商品がなければ子孫の再生産ができない。そして、商品は貨幣がなければ手に入らないのである。資本家は、生産関係を再生産するために、賃金に労働者種族の再生産の価格をも含めるのである。つまり、賃金は、労働力の価格ではなく、労働者階級の生存費用として資本家が支出する資金である。

このことは、マルクスの言うのとは全く逆に、階級ではなく個別労働者の賃金を見れば判る。個別労働者の賃金は、その養育する子供の数によって、明確に異なっているだろうか。

僅かの手当の違いでしかないのが、現状である。それとともに、税金の扶養控除制度などに見られるように、労働者種族の再生産は、個別労働者の賃金によってではなく、労働者階級全体によって賄うようにされている。

個別労働者の個別的労働賃金を見れば、それが労働者本人とその子孫(家族)の個別的な再生産に要する価値によって、規定されてはいないことが判る。逆に、再生産の量的及び質的内実が、賃金によって規制されているのである。賃金は、労働者階級全体の再生産の費用が、個別労働者間の競争を煽る形で、個別的に分割されて支出されている、資本家階級による労働者階級の生存資金である。

労働(労働力)は商品ではない。それに対して貨幣が与えられているように見えるから、商品であるかのように見えるのである。労働賃金という貨幣形式は、それが個別的労働に対して個別的に支出されるので、その個別的労働(労働力)を商品に見せるのである。言い換えれば、労働賃金という形式は、労働(労働力)が商品ではないことを、隠してしまうのである。

 



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