殺人ゲーム 11月18日

奈良県で女の子が誘拐の末、殺された。まるでキツネにつままれたような悪夢だ。女の子は、所在地を追跡できるGPS内蔵の携帯電話を所持していた。その携帯電話を使って犯人からメールが送られてきたときには、既に女の子は殺されていたという。こんなに簡単に人を殺す神経は、まるでゲーム感覚そのものだ。殺人を悪とは思わぬ人間を、この国は生み出しているのだ。

ゲームソフトが、殺人と蘇生を繰り返す。サスペンスドラマは、2時間の間に3人の人間を殺す。架空と現実とが入り乱れ、ついに9.11テロが発生。そしてアメリカは反撃し、イラク戦争がしかけられ、再び流血の惨事が繰り広げられる。復興支援とは日本がこじつけて主張しているにすぎず、諸外国から見た日本は、明白に参戦国だ。

そんな現実を、TVを通して見せ付けられる日本人は、いつしか殺人がそんなに重いものとは思えなくなる。香田証生氏がのこぎり引きにあって殺されても、まるで他人事のようにまったく反応しない小泉総理は、あたかも殺人に痛みを感じていないかのように見える。いまどき幼稚園児だって“こいずみそうりだいじん”の顔と名前は知っている。クールな総理の表情が、子どもたちに誤った道徳をすり込んでいはしないか、心配になる。

資本主義社会の中で、市場を統制することは不可能だ。しかし、倫理的側面から教育上不適切と判断されるゲームソフトをはじめとするマルチメディアを子どもから引き離すことは、現代社会の責任ではないだろうか。あまりにも刺激的な描写を含む映画は、「R指定」として年齢制限が設けられている。(保護者同伴ならOKの上、指定の法的根拠はないのだが。)殺人ゲームソフトにも、「R指定」ができないものかと思う。

人が死んだら、家族や周囲の人間がどれほど悲しむものなのかを、想像すらできない人間が、この国には育ってしまっている。子どもは親の背中や周囲の大人の背中を見て育つ。不平不満を口にしない。他人の悪口を言わない。人を指差さない。差した指を除く全ての指が、自分を指していることに気付かなければならない。常に心に定規を持ち、はみ出したならすぐに軌道修正できる精神を維持したい。

犯罪被害者基本法の制定も必要だが、まずは国会議員が倫理観を取り戻さなければならない。政治の荒廃と社会の荒廃とは、パラレルだ。明らかに利害関係が発生する企業団体からの政治献金は、禁止すべきだ。中途半端な改革などすべきではない。多額の献金を差し出す財界人が、政府の審議会のメンバーに人選され、国民不本位の改革を推し進めようとしていることも一つの例だ。

今日のような惨劇が、二度と起こらない社会をつくりあげていくことが、政治の使命なのだ。
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