古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

石垣上の斜面を草刈りします。

2024年06月12日 16時58分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 6月7日に石垣に生えている草をナイロンコードで刈った写真です。

 石垣面はきれいになりました。しかしその上の斜面は草が生えています。ここはきれいにしておきたい。防草シートを張りましたが間から生えてます。石垣の上は40センチ幅の通路になっており、2019年頃は石垣の上を歩きながら草刈り機で草を刈りました。しかし去年は刈ってない。一昨年も刈ってない。どうも40センチの通路を歩きながら草を刈るのが不安になって避けています。
 いまさら勇気を奮って草刈りしようと思いません。でも草刈りはしたい。
 そこで考えたのが、柵に針金を張って、金具をスライドさせて体を支えながら草を刈る方法です。

 今日針金(#16番)を柵沿いに張ってみました。トラロープをスライドさせていけそうです。しかし、よろめいて引っ張り、針金が切れたら下に落ちます。ケガをします。もう草刈りも畑仕事もできません。
 針金では心配です。ここはワイヤーを張るしかない。ワイヤーを調べて、もう一度検討してみます。
 播いた大豆には夕方水をやりました。黒い燻炭をかけているし、天気はいいし、午前中に水をやるのは心配でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大豆の種を播きました。

2024年06月11日 16時43分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 6月も11日になります。大豆の〈苗立て〉どきです。先日雨が降ったし、ちょうどいい天気です。『フクユタカ』280粒を播きました。

 大豆は土に埋めないで、この上に燻炭をかけます。「畑の土はサラサラの真砂土だし、上からかけておこう」と5年前この畑に移ったときは土をかけました。ところが毎日水をかけているうちに真砂土が固まったようです。芽が出にくかった。苗の育ちがわるかった。それで次の年から、さらさらの燻炭だけをかけることにしました。

 向こうの黒いところが燻炭をかけた苗床です。手前は、道子さんから「取り払っていい」とまだ許可の出ないイチゴの畝です。6月も10日にもなるのに、まだイチゴがなるのか。

 道子さんがお昼に摘んできたイチゴです。これくらい摘めるなら、「ストップ」をかけるでしょうね。今年のイチゴはすごい。4月の終わりにはもう摘みました。ちょっとした量がありました。例年ならイチゴ摘みは5月の連休後でしたが、今年は早くからとれました。そして6月は1日になれば苗を抜くのに、今年は10日になってもまだイチゴがなります。
 道子さんは「宝交早生」の苗を11月に植えるとき、いままで黒マルチをかけませんでした。マルチをしないで、「イチゴの苗を冬の寒さにさらして鍛える」と書いてある本を読んだのです。苗を植えてしまい、あとから黒マルチをかけるのはとても手間がかかります。それでも道子さんはずっとやってきました。イチゴの苗の両側に竹串を挿して上から黒マルチをかけて、苗のところを破ります。一株ずつ時間をかけて3月頃にマルチをかけていました。去年はスマホで読んで、植えるはじめからマルチをかけました。「根の張りをよくする」と書いてありました。そのお陰か、苗の根張りがすごい。

 小さい双葉が見えますか。種を播いて10日になる『姫冬瓜』(トウガン)です。芽が出るだろうかと心配していましたが、やっと出ました。これが苗になり、植えてトウガンがなる。さてうまく冬瓜が収穫できるでしょうか。なお今年はイチゴネットの中には苗を植えません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パソコン」のことでお世話になってます。

2024年06月10日 21時19分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 深夜に起きて、パソコンをつけたら「インターネットにつながっていません」と出てくる。どうしようもない。朝、パソコンでお世話になっている方に連絡しました。お仕事をされてる方ですから、日曜日まで一週間ブログを休む気持ちでした。ところが「今日は仕事を早く終えて行く」と連絡が入りました。いろいろ見ていただいて、ブログを休むことなく書けることになりました。
 ありがとうございます。
 村の老人会が休会中で、月一に老人交流もありません。特につながりの強かった親友たちは80歳前後で亡くなり「オレは一人残ってしまったなー」。「あの世電話」でもあれば電話がかかってくるでしょう。「この世電話」相手はもうありません。2009年から15年の間発信している「このブログ」が気持ちの支えになっています。
 それだけに毎日なにか書いて読んでもらうのがたのしみです。勝手なことを書いてますけど。

 道子さんが大事にしている『ささゆり』。去年から一輪咲くようになりました。もっと増やしたのですが、まずは第一歩。

 去年ゴミステーションで拾ってきたバラアーチ。今年は左右からバラが咲きかけています。来年は文字通りアーチになるでしょう。

 道子さんはこのところ裏山の「ねむの木」をとても大事にしています。そしてこのごろ、「ねむの木の花の咲くころ、満開の花の下でねむるように死にたいわ」。あれっ? 「満開の桜の下で死ぬ」んじゃなかった? 宗旨替えしたそうです。
 覚えとこ。ぼくのほうが先だろうけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷凍庫の氷をとりました。

2024年06月09日 18時25分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 台所の冷凍冷蔵庫とは別に、冷凍庫と冷蔵庫をパントリーに置いています。中身は食料品ですから「いざ籠城」となってもしばらくは大丈夫です。今日はその「冷凍庫」と数年ぶりに格闘しました。120リットルの冷凍庫をパントリーに置いています。問題はその冷凍庫です。ハイアールの直冷式ですので、庫内の壁に氷が付着します。冷凍庫を開けるたびに庫壁の氷は肥大してきます。

 分厚い氷が庫壁に付着しているのがわかるでしょうか。こんなになるまで、2,3年氷をはがさなかった気がします。冷凍能力が落ちます。庫内の容量が少なくなります。あまりにひどくなったので、今日はこの氷を除去しました。
 まず、冷凍庫スイッチを切り、中身を全部冷蔵庫などに移します。 そこで氷がとけて、庫内の氷がゼロになるまで放置すればいい。そうです。でも丸一日の時間がかかり、パントリーは水浸しになるでしょう。時間を短縮するために氷をヘラではがします。

 はがして洗面所に捨てた氷です。洗面器に入れて、何度もここに捨てました。氷の山ができました。
 この「氷はがし」、ぼくの好きな仕事です。もっとこまめにやればいいのに、分厚い氷をはがすのが好きで、「もうちょっと氷の壁が厚くなってからやろう」とズルズル延ばしにしていました。
 でもこれからは「もっとこまめに」氷はがしをしようと反省しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈フクユタカ〉の種播きにそなえて。

2024年06月08日 18時43分17秒 | 古希からの田舎暮らし

 注文した〈フクユタカ〉の種が届きました。70粒4袋で280粒を播きます。今日は夕方準備をしました。
 大豆は芽が出たら先っぽの豆をハトが食べてしまいます。ですから種を播いたらネットを張らねばなりません。イチゴ・ネットハウスならハトはどうしようもありません。ここで〈苗立て〉をして二週間後に植え替えます。

 6月に入るとイチゴ苗を全部抜いて、このネットハウスでも黒豆を植える準備をしていました。しかし今年はイチゴ苗を三分の二残しています。道子さんが「まだ大きな実がなるし、花も咲いてる。せっかく実がなるのに、もうちょっと収穫してあげたい」といいます。『宝交早生』は、やわらかく、気品ある味のする、すぐれたイチゴです。いつまでも作れるわけじゃないし、丹精込める道子さんの希望にそいましょう。

 まえに「一粒の麦の種は細い根をいっぱい張って生長する。その根をつなぐとシベリヤ鉄道の長さになる」と聞いたことがあります。ほんとかうそかわかりませんけど。イチゴの根もすごい。「あのイチゴを実らせるためにこんなに根を張るのか」。うまく撮れてませんが、植物の根には感心するばかりです。
 苦土石灰を入れて苗を植える畝をととのえました。

 ところで阪神タイガース、今日も勝ちました。やるもんだねー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阪神勝った。その他いろいろ。

2024年06月07日 23時31分37秒 | 古希からの田舎暮らし
〇 阪神が負けたときは何も書かないけど「思い」はいっぱい。今日は勝った。勝った日は〈心からっぽ〉。
〇 やり残していた石垣下の石垣面をナイロンコードで刈りました。

 のこ歯では無理なところをナイロンコードで刈りました。石垣面はきれいになりました。石垣上が残っています。これには安全に仕事をする一つの「案」をもっています。今年は石垣上の斜面もきれいにしたい。
〇 道子さんは今年から「キンちゃん農法」の大きな畝をつくって、夏野菜を栽培しています。

 その畝の写真です。幅も高さも大ぶりです。いろんな夏野菜を植えています。育ちがいいそうです。味もいいそうです。
「キンちゃん」というから「金ちゃん」かと思ったら「菌ちゃん」なんですね。栽培に有効な「菌」を活用して、立派な野菜をつくる農法です。全国にファンが多く、〈ユー・チューブ〉にも農法が紹介されています。ぼくは見ているだけです。
〇 道路沿いの溝にコスモスが生えています。

 先日草刈り機で道路沿いの溝に生えてる草を刈ったのですが、このコスモスだけは残しました。これ以上は大きくなれないでしょう。でも枯れるまでそこで咲いてください。水はあげましょう。どこでも生えようとする〈植物の力〉に敬意を表します。
〇 「10メートル巻尺」のネジが不具合です。ネジとナットでつまむところをつけました。

 むかし(と言っても昭和30年頃まで)はクギ箱が家にありました。錆びたクギや曲がったクギも大小入っている小さい木の箱です。なにか細工をするときはクギ箱から、曲がったクギは石の上でたたいて伸ばしたりして、クギを使いました。その癖があって、ぼくはいまでも「ネジ箱」を持っています。いろんなネジとナットが入っています。長生きしてるからネジもいっぱい。
 ホームセンターでは近ごろ、いろんなネジを売ってますね。もうネジ箱はいらなくなる。便利な時代になったものです。
 ぼくは中学生のころから大工仕事が好きでした。中学生のころ、いまのホームセンターがあったら、学校サボって毎日見に行ってただろうな。ホームセンターを天国のように感じただろうな。
 田舎に暮らすようになって、晩年に好きな大工仕事を簡単にできる。裏の大工小屋に道具を並べて。いい晩年だなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草刈りと散髪

2024年06月06日 17時55分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 苗立てする大豆を播く時期ですが、まだイチゴ・ネットハウスのイチゴはそのままです。それに大豆(サチユタカ)の種を新しくするつもりだったのに、種を注文するのを忘れていました。少しずつ「ぬけてます」。おじいさんの歳のせいです。
〈サチユタカ〉は普通のホームセンターには無いし、美嚢園芸でも注文しないと入手できません。ネットで見たら大豆『フクユタカ』はすぐ入手できそうです。西日本以南では栽培できそうだし、粒が大きいし、各地で広くつくられているようです。注文しました。月曜日に届きます。
 大豆の〈苗立て〉の前に畑の草を刈っておこう。

 石垣と畑の間は斜面のフェンス沿いを通路にしています。防草シートは敷いているのですが、草が伸びています。苗立ての前に通路の草をかりました。上の写真は草が繁っている通路です。

 この通路は防草シートを敷いているのでナイロンコードでしか刈れません。草刈りのこ歯ではシートがやぶれます。笹や太い草は刈りきれていませんが、一応通路の草は刈りました。通路沿いの畝は大豆をつくるので、通路はこれから毎月刈ることにします。下の写真は〈石垣下〉です。

 5月は8日に刈っていますから「ひと月前」になります。毎月刈ることでこの程度で維持しています。

 ユーチューブでは〈ビフォー〉〈アフター〉の写真がつきものなので、おじいさんの草刈りも真似しました。でも石垣下の左側のほうはまだ生えてくる笹を刈れていません。11時をまわり、ちょっと疲れました。あと15分もがんばれば、左の笹を刈ることができますが、おじいさんは限界を感じています。こういうとき老人は無理をしない。あとにひびきます。

 毎月1日を散髪の日にしているつもりですが、なんとなくズルズル延びていました。「阪神がよく負けてうっとうしいし、散髪でもしよう」と今日行きました。お昼ごろに行くと空いていて、さっとやってもらえました。
 気分はよくなったし、今日は阪神勝つ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の〈紅はるか〉で最後の〈焼き芋〉

2024年06月05日 18時13分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 4月に焼き芋をしてからしばらく休んでいました。冷凍庫の〈焼き芋スペース〉がいっぱいでした。少しすスペースができたので5月に〈紅はるか〉を注文しました。熊本県産の紅はるかは〈サイズ〉も〈味〉もいい。しかし10キロは多いので5キロ注文しました。それを3回で焼き芋にしました。

 次は今年できたサツマイモで9月か10月からまた焼きはじめます。ダッチオーブンに入れて、焼く前の写真です。大きいダッチオーブンなので、空(カラ)でも重さは蓋をふくめて8,9キログラムあります。ぼくが運ぶときはフタ(3,5キロある)は別にしてたき火にかけます。でも小石とサツマイモで10数キロになるでしょう。写真のダッチオーブンには二段に7個の紅はるかを入れています。小石を詰めているので重い。これを今年は火にかけることができました。もう1年できるかな。そのあとは道子さんに片一方持ってもらいます。
 焼き芋は一時間のたき火でできます。火からおろして、フタをしてむらします。その間に火の始末をして片づけます。
 緑の樹樹にかこまれて、火のお守りをする。気に入っています。

 イチゴを片づけて、大豆・黒豆の〈苗立て〉をする時期になりました。道子さんは「イチゴがまだなってる。実が赤くなるからもう少しあとにして」といいます。今年は例年より早く、4月の連休前からイチゴが採れました。6月になるのに、まだ花が咲き、実がなり、赤くなります。いろんな「〇〇乙女」とか名前をつけたいろんな銘柄のイチゴがありますが、『宝交早生』は最高です。やわらかくて輸送できないので、市販されることはありません。味に「気品」を感じます。その味を賞味したくば自分で作るしかありません。
 露地イチゴの収穫は2週間程度だそうですが、うちでは一カ月以上採れます。道子さんの丹精のお陰です。今年も娘たちは存分に味わいました。いずれおわるときはきますが、道子さんは来年もつくる意欲にあふれています。残念なのは遠くの友にイチゴを味わってもらえないことです。実においしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレーチングの溝掃除をしました。

2024年06月04日 18時47分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 6,7年前になりますか、裏の溝をグレーチングでふたをしました。90センチ×16枚です。そのあと通路部分をコンクリートで固めて、通りやすくなりました。しかしグレーチングの溝は掃除しないままでした。

 少し傾斜している溝は、山からの落ち葉がたまり、土も流入して、ドクダミなどの草が生えていました。「いつかグレーチングをはぐって、掃除しよう」と思いながら数年が過ぎてしまいました。
 今日は思い立ってグレーチングをはぐり、溝掃除をしました。
 15センチの溝にちょうどはまる小さいクワで、落ち葉や土をさらっていきます。

 このクワには思い出があります。神戸市西区神出で〈大豆畑トラスト〉をやっていたとき集まった方のなかに、小ぶりなクワを使っている人がありました。溝さらいにとても便利なのでうちでも買いました。このクワはこの20年以上よく役立っています。

 溝は水道の水できれいになりました。こういう仕事はあとの気持ちがいいです。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈田舎暮らし〉の心得をもう一つ。

2024年06月03日 22時25分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 69歳で未知の田舎に移住し、17年が経過して86歳になった老人です。〈ユーチューブ〉には「空き家をリフォームして田舎暮らしをする」、「田舎暮らしをしてウッドデッキをつくる」、動画がたくさんあります。そこで体験者の忠告として二つ書きました。

①「田舎に移住する暮らし」は「古民家リフォームでなく、小さい平屋を新築する」。
②ウッドデッキを自作するときは「単管パイプとハードウッドや人工木材でつくる」。

 もう一つ大事なこと。都会も田舎も人間が暮らしているところです。人と人の〈つきあい〉があります。ところが移住してくる人に「オレは田舎に移住してきたんだ」というヘンな〈甘え〉みたいなモノが感じられる動画があります。
 ぼくの場合、老人会に加入していっしょに草刈りをしたり、田んぼを借りて〈畑作り〉をしたりして〈つきあい〉が深まりました。村の人たちは「村で生まれ育ち、お互いに〈〇〇チャン〉と呼び合う子どものころからよく知っている」。その中に未知の人間が入る。〈どこの馬の骨か〉わからない人間です。「上から目線」はすぐ見抜かれて、敬遠されます。どこに暮らすにしても、人間同士という「水平なつきあい」が大切です。
 ユーチューブには「うまくまわっている人間関係」がアップされています。でも気になるコメントを見かけることがあります。自分のことばかりに気をとられないで、相手のことを考える目線が大切です。

 いまは変わっているでしょうが、田舎暮らしをしようとしてやめた方が話していました。
「田舎暮らしをしようとグループで国東半島のほうで家を建てて暮らしはじめた。しかし、土地の人に「山を買え」「畑を買え」とふっかけられてやめてしまった」。おそらくバブルの頃の雰囲気が残っていたのでしょうが、そんな時代でなくなりました。
 全国で「空き家が900万戸」といわれる時代になりました。ほどなく消滅する村や町がたくさん予見されます。過去の問題はなくなり、移住もやりやすくなっているでしょう。
「人間と人間としてつきあいうこと」がどこでも大切です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西宮の〈市民会館〉で音楽を聴きました。

2024年06月02日 23時36分26秒 | 古希からの田舎暮らし
 西宮市は、22歳から44歳まで中学校に勤めながらいろいろ活動した街です。思い出の場所があちこちにあります。西宮市民会館(いまは〈アミティ・ホール〉という名前に変えている)で音楽会があり、二人ではるばる西宮に出掛けました。たかが三木から西宮に行くのに「はるばる」とつけましたが、ぼくたち80歳超の老人にとっては「はるばる」が実感です。
 この音楽会は無料ですが、〈往復はがき〉で申し込む必要がありした。いまどき〈往復はがき〉なんて、手間のかかる、古くさいことをしますね。この音楽会を主催する方の方針ですって。道子さんは新聞の広告を見て「場所が西宮で、なつかしいから申し込もうか」。ぼくも「西宮市民会館に行ってみたい」。
 音楽会ではドヴォルザークの交響曲第9番『新世界』を演奏します。先日〈三木室内管弦楽団〉の演奏を〈エクラホール〉で聴いたばかりです。またあの大曲を生で聴ける。聴衆は満員でした。「さすが文教都市の西宮」と思いました。

 学生や若者で大編成の『オーケストラ・ノインテ』は見事でした。西宮市民会館は名前を替えたばかりでなく、音楽ホールとして立派になっていました。

 ぼくがはじめて中学校の教師になったのは、西宮戎神社の近くある浜脇中学校でした。阪神西宮駅から近いので、中学校まで歩いて行き、学校のまわりを一周してみました。

 校門の写真です。22歳のときですから64年前です。校門の感じは同じです。木造二階建てだった校舎は四階建てになっていました。

 体育館は古いままのようです。この体育館には〈思い出〉があります。堀江謙一青年が初めて太平洋を横断してアメリカに行ったのは世界的に有名ですが、彼はこの中学校の少し南の〈西宮港〉から1962年に旅立ちました。堀江謙一が24歳のときです。世界で評判になりました。
 うちの中学校・体育館で「堀江謙一・壮挙・展示会」をすることになりました。ぼくの宿直の晩、市役所の職員がやってきて、ヨットを体育館に入れようとしました。小さいヨットですが、横幅がちょっとだけつかえます。鉄の柱を溶接で切断して入れる話になりました。宿直する若造のぼく(そのとき24歳だったか)は無視されてるようです。一応学校の責任者なんだけど。
 それにしてもあの頃は若かったなー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『田舎暮らし』で考えること、二つ。 〈その2〉

2024年06月02日 01時20分32秒 | 古希からの田舎暮らし
 一つ目は「〈新築の平屋〉を建てる」でした。二つ目は「ウッドデッキは単管パイプと人口木材でつくる」です。
 田舎は土地が安い。庭を広くとれるし、景色がいい。ウッドデッキをつくりたくなる。田舎暮らしでは〈ユーチューブ〉に『ウッドデッキをDIYでつくる』がよく出てきます。
 ぼくは2006年12月に新築の平屋に引っ越しました。すぐとりかかったのは「ウッドデッキづくり」でした。田舎暮らしには
「ウッドデッキ」が似合う。ウッドデッキをつくって、BBQをしたくなる。街では自宅の庭でできないけど、田舎ならできる。
 だれもがやりたくなる「ウッドデッキづくり」にぼくもはまりました。
 ホームセンターで『2×4材』を買い込んで、「ウッドデッキづくり」にとりかかりました。2×4材にはキシラデコールを「3度塗り」しました。「数年後にはキシラデコールをまたしっかり塗ろう」と思いました。素人にとっては「デッキづくり」は、それまでの人生で経験したことのない大仕事」です。デッキが出来あがって大満足。
 すぐに子や孫、友人知人、親戚などを呼んで、デッキでBBQをしました。2007年はBBQを9回やりました。どれもたのしく、大満足でした。
 あれから18年。ウッドデッキは5度「手直し」しました。
 はじめから使っている『2×4材』は雨のかからない「軒下の奥」だけです。あとの木材は全部やりなおししました。あの木材は「雨風にさらされて3年4年でダメになる」。塗ってもだめです。塗り替え、板を修理し、6年後くらいには床が抜け、床板を人口木材に張り替えました。(ぼくの場合「フィンランド・エコ・デッキ材」で安く張り替えられました。 ※ いまは販売されてません)しかし床下の構造物がだんだん腐食し、「♯7000というお化けのようなシート」を土台の上に張って防水しました。 それでも駄目で、最後は床下の構造を「鉄骨と単管パイプ」にやりかえました。デッキの柵に座るデザインですが、座面は「イタウバ」というハードウッドにしました。もう作り直す気力・体力は残っていません。「デッキの修理に苦労した」という〈思い〉が残っています。ウッドデッキをつくるなら構造は費用はかかりますが「単管パイプと人口木材」をおすすめします。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『田舎暮らし』で考えること、二つ。 〈その1〉

2024年06月01日 17時58分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは定年退職後、しばらくして(65歳のとき)「田舎暮らしをしたい」と思い立ちました。それまでいくつか伏線はありますが、人生には伏線だけで終わる夢がいっぱいあります。真剣に思い立ったのは65歳のときです。神戸のニュータウンに長年暮らしていましたから、65歳といえばそこで「人生をおしまいにする」のが普通でしょう。
 いまから20年前、2005年から「田舎の空き家」をさがしはじめました。20年前のことですが、今とは「空き家情勢」がちがいます。おもてだって空き家がありません。あっても「何か当てがあるから売らない」話です。しかも値段は相当なものです。当時「譲ってもらうよう交渉しかけた空き家」が今でも空き家になっています。
 北は/谷川/篠山/氷上町/小野/西脇/社/三田/神戸市北区/から、南は淡路島/と不動産屋さんに電話を入れて案内してもらいました。競売物件にもあたりました。しかし「これなら」という空き家はありませんでした。紹介してくれる不動産屋さんが「1000万あったら田舎に家が建つし、神戸の家を処分するのなら新築したらどうですか」といいます。いまの土地に案内してもらい、気に入り、老人二人暮らしの小さい平屋を新築しました。
 古民家のリフォームが「ユーチューブ」にいっぱい出てますが、リフォームは大変です。手間がかかるし、費用がかかる。新築なら
土台も建て方も建物の強度も断熱も便所・風呂などの水回りも心配ありません。ぼくも若かったら、大工仕事は好きだし、ホームセンターもだんだん充実してくるし、「古民家リフォーム派」になったでしょう。しかし古民家リフォームはほんとに大変です。手がかかります。リフォームに気持ちが動いても、小さい、平屋の家を新築することをおすすめします。    この項つづく 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする