古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

あれこれ思うこと

2015年05月08日 02時22分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
○ 「絶対に家の中の、どこかに置いてるはずだ」と探しまわっていた前のカメラが見つかりました。やっぱり家の中の、母の部屋に置いてました。6種類ほどのプラスチックパネルを「着せ替え」ができる、小さなカメラです。愛用していました。でも「ブログに必要だから」と新しいカメラを買ってしまいました。12倍ズームの大き目のカメラです。「12倍ズームだと、これから鳥たちの写真もアップできるな」といろんな小鳥を思っていました。
 前のカメラが見つかって、複雑な気持ちです。
○ なぜカメラを母の部屋に置いたか。母は誕生日がきて102歳になったから「写真つきのあいさつハガキ」を出そう。そのための写真を撮ろう。と思ったのです。
 文学少女の母は手紙もよく書く人でした。いまでも人から手紙やハガキをもらうと何度も繰り返し見ます。小さい字の手紙は拡大コピーして。ですからハガキを出して返事をもらい、それを繰り返し見れるように、アクションを起こそうと思ったのです。
 それは親孝行になるか。ハガキをもらった人は「はた迷惑」ではないか。もしぼくが「102歳になりました」と知人にあいさつ状をもらったらうれしいか。「100歳」に甘えていないか。三木市だけでも100歳以上は40人超いるそうです(去年のこと)。神戸市では100歳以上が800人超いると聞いたのは数年前だったか。全国では数十万人いるかもしれない。
 ″♩~ 100歳100歳と威張るな、100歳。よいよい″  デカンショ節で歌いたくなるような時代です。
○ それにしても「何かすること」を思いつくと、手に持った「物や道具」をパッとどこかに置いて、意識がとんでしまう。大工仕事していると、つぎつぎ探し物をするばかりで、仕事にならないことがあります。どうしたら……。 
○ 池のろ過装置で一昼夜水を循環していたら、池の底が見えるようになりました。これでいけそう。きちんと設置します。
○ 錦織圭のテニスの試合を見て、応援しています。ファンになり、サイトも見ています。おそらく日本中そんな人が多いでしょう。でもテニスの大会はヨーロッパやアメリカで行われ、日本で見るのは夜中ばっかり。それに生中継だと勝敗がわからないから「ハラハラ・ドキドキ」。歳をとるとあまり「ハラハラ・ドキドキ」したくない。勝った試合ならまた放送してくれる。安心して楽しめる時間になります。考えものです。しかし生中継は見たい。まだ枯れ方が不十分で娑婆っ気がつよいのでしょうか。
 ところで余談ですが、ぼくは中学の国語の時間に「チルデン選手が転び、清水選手はやさしいボールを返してあげました」とかいうスポーツ物語を習った記憶があります。昭和26年頃(1951年)だから64年くらい前。同年輩の方、ご記憶ありませんか。
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池の水をろ過・循環できるようになりました。

2015年05月07日 03時39分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ビオトープづくりをねらった裏山の池ですが、プール・ライナーという丈夫なビニールシートで大地とは遮断されています。流水は流れ込みません。水が濁ったり腐敗したりするおそれがあります。そこで「水をろ過・循環しなければ」とぼんやり思っていました。
 濁りがひどくなり、池の底も放したメダカも見えなくなり、対策は急を要します。
 ネットで調べてみました。水の『ろ過・循環装置』を自作したブログがいくつかアップされてます。
「ポンプさえあれば、砂や木炭でろ過できる」とわかって、早速ポンプを注文しました。
 ろ過装置は自作しました。写真のようなプラスティックのケースを買って底に穴をあけ、ポンプでくみ上げた水がろ過されて、池に還流します。
                      
 ケース左下の穴から水が池に戻っているのが写ってますが、わかるでしょうか。
 これで水は循環します。しかし「ろ過」装置の性能はよくありません。改良する必要があります。
 いまの装置は、まず下に大粒のバラスを入れました。底まで下りた水が穴から流れやすいように。その上にバーベキューの木炭を金槌で砕き、ネット袋に入れて置きました。細かく砕くのはむずかしくて木炭はかなり大粒です。それでも水が上からこの層を通過するとき濁りをとってくれると期待しました。その上に砂(砕石と混ぜてネット袋に入れたもの)を置き、上から池の水をポンプで入れてます。
 きのうは日中ポンプを作動させましたが「ちょっときれいになったかな」という程度です。ろ過ボックスは改良します。木炭は効いてないので、多孔質の石の層に替えます。防犯砂利としてホームセンターに売ってある軽石のようなものです。
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『クララ』は今年も勢いよく生えています。

2015年05月06日 04時02分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                     
 6年前だったか、畑の入口に一本の細い苗を植えた『クララ』が今年も勢いよく立ち上がってきました。(苗はホームセンターに売っていました)いまでは20本以上の茎が立ち上がり、6月には2メートル超に生長するので、風で倒れないように3本の杭で保護しています。根元に斜めに太い根が見えます。これが「苦くて頭がクラクラする」という<根>で、日本薬局方に収録されている『苦参』という生薬です。(素人が勝手に飲んだりすると危険だそうです)
クララはマメ科の植物で、秋に米粒ほどの豆ができます。それをポットに播くと芽が出て苗になり、苗を植えると宿根草なので毎年生えるようになります。うちのクララも杭で倒れないようにするだけで、毎年しっかり生えてきます。
 このクララ、むかしは便所のそばによく植えてあったそうです。枝を折って便槽に放り込んでおくと蛆虫退治になるというので。野菜のムシ退治に活用できると思うのですが、どう活用したらいいかわかりません。去年から葉や茎を切って、ムシの忌避する煎じ薬(馬酔木など)に混ぜています。今年はもっと活用したいと思います。
 畑の草刈りに頑張り、相当に疲れました。
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お誕生日をお祝いしました。

2015年05月04日 04時37分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 母・妙子さんの102歳の誕生日を、我が家だけで内輪にお祝いしました。古希を過ぎた4人の子や連れ合いがあちらこちらから集まるのは結構オオゴトですから。まず裏山の花見台(裏山デッキ/裏山座敷)で林間BBQ。
                      
 この花見台では、はじめてのBBQです。ときどきクヌギやコナラの花が落ちてきたり、ムシがぶら下がったりするので帽子をかぶっていますが、5月の若葉の空気を満喫しました。ただBBQコンロの位置は一考を要します。すぐそばだと熱いので少し離して置きます。
 妙子さんは自室で、ひとりで弁当を食べます。箸をつかって、よく噛んで、猪口一杯のお酒もなめたりしながら、マイペースで食べるのが好きなんです。(飲める人は少しのお酒は長寿の良薬です)耳が遠くて会話に入れないし、食事の速度は全然ちがうし、みんなと一緒に食べるのは酷です。「自分で食べる」(箸を使う。味わう。よく噛む)のは大仕事ですからそれに専念できることがよろこびです。
 いわば妙子さんの誕生日祝いをダシにしてBBQをたのしむような具合ですが、それがいい。この先何年も気軽につづけられるように、あまり構えないほうがいい。
 午後ケーキを囲んでみんなで歌い、切り分けていただきました。
                      
 ローソクは100歳になったときから数字にしています。吹き消すのが大変ですから。
 イチゴが採れはじめました。5月は日曜ごとに子たち孫たちがやってきます。ぼくたち<おじいさんおばあさん>は、なるべくマイペースを保持して生活したいと思います。ということできのうはBBQなどの合間に、土に埋めてある「芽出しコイモ」を掘り出して本植えしました。
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雨を降らせてください。 龍神さま!

2015年05月03日 02時56分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 4月はじめは「畑仕事をしようと思えば雨が降り、しばらく畑に入れなくなる」とぼやいていましたが、雨が降らなくなりました。畑はカラカラで土が固くなり、耕運機でないとなかなか。毎日水やりに相当な時間をとられます。毎年こまめに土手の草刈りをしているのに、今年はまわりの田んぼの土手に先を越されます。畑作業があって手がまわらないのです。
 まずコイモを植えるためにきのう畝づくりをしました。畑に埋めて「芽出し」している種芋は全部地上に顔を出してきました。本植えが急がれます。畝の割肥えに野草酵素飲料のしぼりカスと鶏糞をたっぷり入れました。今年はマルチをかけてつくろうと思います。
                       
 あと3日で102歳になる母・妙子さんの爪を77歳の息子がウッドデッキで切っている図です。デッキのオーニングを繰り出さないと暑い季節になりました。平穏な日々を感謝します。
 天気予報では <3日4日> は雨の可能性があるようですが、ここは龍神さまのお力で、なにとぞよろしくお願いします。 
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『防風ネット・ハウス』がやっとできました。

2015年05月02日 04時28分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 写真向こうの青い「防風ネット・ハウス」がやっとできました。柱の本数は手前の赤いイチゴ用「防鳥ネット・ハウス」と同じ8本ですが、5倍くらい手間がかかります。まず2メートル幅の防風ネットを4枚縫い合わせます。(長さ約11メートル)これは道子さんが夜なべ仕事に頑張りましたが、6時間以上かかりました。次にネット張りですが、1センチでも5ミリでもすき間があるとアズキノメイガ/アワノメイガが入り込んで卵を生みつけます。(ネットの4ミリ目でも危ない)卵はすぐ幼虫になり、小豆のサヤ/トウモロコシの実を食い荒らします。小さい幼虫ですが食欲旺盛で、しかも次々と食いさしにして全部駄目にしてしまいます。
 道子さんのトウモロコシや小豆をつくる「汗と涙の奮闘ぶり」はこの7年間、ブログでも折にふれて紹介してきました。彼女の苦労をそばで見ながら何もしないぼくですが、実は相当な修練を積まなければアワノメイガ/アズキノメイガの卵なんか見つけられるものではありません。このネットハウスは年中設置しておき、中でいろんな葉物野菜もつくるつもりです。いま余った苗20株ほどのイチゴもここに植えていますが、ミツバチが入らないので筆で受粉させると道子さんは言ってます。
 イチゴのネットハウスは6月になれば撤去します。
 ネットハウスをつづけてつくるのはしんどかった。「4ミリ目防風ネット」の効果がうすければ2ミリ目の防風ネットにするという最終案も考えています。空気がどの程度こもるかわかりませんが、もしつくるなら畑仕事のない冬場にします。今回の仕事は二度と体験したくないしんどさでした。
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4ミリ目の『ネットハウス』はまだ工事中です。

2015年05月01日 13時39分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 夕方、畑から帰り裏山で撮ったオオデマリです。新しいカメラの画質を、ブログにアップできるよう〈10M〉に落として撮りました。何も考えないでひたすら咲いています。見るたびにうれしくなる。
 ムシ(特に「アワノメイガ」と「アズキノメイガ」)をシャットアウトするために4ミリ目の『防風ネット・ハウス』をつくっていますが、去年台風で倒れたので「頑丈に作る」を心掛けています。どうしても時間がかかり、草刈りや夏野菜の植え付けが遅れています。一歩一歩仕事を片付けるしかありません。
 母・妙子さんは1月にインフルエンザとわかり、ショートステイ先で点滴を受け、家に帰ってきました。食事や洗面も介助して「これからは全面的に手助けして生きることになる」と思い、車イスも借りました。
 ところがあれから3ヵ月、あと数日で102歳になるのに彼女の自立心はいまだ旺盛です。風邪が治ると部屋のトイレに自分で行き、食事も自分でするようになりました。自分で箸をつかい、たっぷり時間をかけてよく噛んで食べます。おわると食べ疲れてぐっすり寝ます。
 数メートルも歩くと何かつかまるものがないと危なっかしいのですが、自分で新聞をとりに玄関のポストまで行ったり、運動靴を出して散歩しようとしたり。転んだら転んだとき。骨折しても治るものは治る。でも「何時間も転んだまま」というわけにいかないので買い物に出てもすぐ帰ります。
「人の寿命はそれぞれに決まっている」そうです。「自分がこんなに長く生きるとは夢にも思わなかった」人でも100歳を超えて生きるかもしれません。教科書で「将来のために勉強しているのかもしれない」と思ったりします。
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