古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

西村京太郎『東京オリンピックの幻想』

2020年12月11日 01時48分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 西村京太郎のミステリーは2冊ほどしか読んでいませんが、題名が気になって図書館で借りてみました。本は『東京オリンピックの幻想』という題です。一応、十津川警部がちょっとだけ出てきますが、本の中味とは全く関係ありません。
 本は、昭和10年代のはじめ、1940年(昭和15年)の「東京オリンピック」開催に奔走する職員の物語です。しかし彼も主人公ではありません。強いて主人公といえば、石原莞爾です。嘉納治五郎/石原莞爾/近衛文麿/昭和天皇の側近/などが登場します。
 歴史/史実/ではありませんが、おそらく西村京太郎が頭の中に描いた「イメージ」でしょう。あるいは日中戦争(「支那事変」と呼びました)を「やめさせたかった」彼の願いといってもいいかも。
 この本はミステリーでもなんでもありません。「こうなればよかったなー」/「ほんとうのスポーツマンシップが日本に根づいてほしい」/という気持ちで書いた本です。

 この本のほんとうの主人公は石原莞爾といっていいでしょう。彼は満州国を作ろうと「満州事変」を仕掛け、満州独立を企てた張本人です。ぼくは定年退職後の数年間、『満蒙開拓青少年義勇軍』について聞き取りをしました。このあたりの歴史をかなり読みました。
 石原莞爾は、この本では「アジア人の平和と繁栄を願う関東軍副参謀長」として描かれています。参謀長は東条英機です。西村京太郎の「願い」は、あの「大東亜戦争」にいたる「日中戦争」をやめさせたかった。そんな気持ちのあふれる小説です。
 ぼくはそう読みました。
 西村京太郎は、1930年(昭和5年)生れです。ぼくより7歳年上です。彼は、自伝によると、14歳のときに、東京陸軍幼年学校を受験しています。戦時中の幼年学校は上級軍人を育てるための超難関の登竜門でした。100倍の競争率でした。
 超難関の幼年学校生徒になった西村は、5カ月で敗戦をむかえます。大人たちは、手のひらを返したように民主主義を唱えます。彼は自伝のなかで、受験の動機を「どうせ戦争に行くなら、上級軍人にならないと。新兵はいじめられ、なぐられる」と書いています。
 あの時代の少年は、みんな「愛国少年」でした。作家の加賀乙彦は昭和18年に幼年学校に入学しました。そして愛国少年として勉学に励みました。日本の敗戦後「加賀少年は殉死する」幼年学校生を小説として書きました。『帰らざる夏』という等身大の作品です。
 海軍の予科練に志願した「愛国少年」で小説家の城山三郎は、訓練でさんざん殴られ、敗戦後「ぼくは廃墟になって生きた」と書いています。
 西村京太郎は幼年学校に入ったのに、まわりは愛国少年で「戦争で命をささげて死ぬ」思いが幼年学校中にあふれていた時代です。どう感じていたのでしょう。なんか、ひょうひょうとした感じもしますが。     (この項つづく)
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今日も元気に外仕事!

2020年12月11日 00時22分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日の外仕事は裏山で。
 道子さんはテント台(『御休み処』と呼ぶことにしていますが、どきどき忘れてしまいます)前の土地を花壇にしようと奮闘しました。

 畳一枚ほどの地面ですが、「10センチの深さだけ花壇にしよう」と思っても笹の根がビッシリつまっています。そこに取りついて、ツルハシを振り上げて、笹の根を取りのぞきます。竹の切り株も数個あります。それはツルハシを何度も打ち込んで割ります。
「こんな仕事ができるのも今年が最後だから頑張る」というのが道子さんのセリフですが、ぼくは励ますのがいいのか。「腰にこたえるからやめとき」と言うのがいいのか。
 悩むほどでもないけど、写真を撮って、黙って見ています。
 ぼくは何をしたかというと、今日は「焼き芋」と「落ち葉炊き」。

 裏山の落ち葉の量は半端じゃないです。それを竹のレーキ(ガンジキ/熊手/サラエ)で集めて、「焼き芋」のあとの焚き火にかぶせます。ひとしきり燃えたら、また集めてかぶせる。それの繰り返しです。20回超もやったけど「どこを掃除したの?」という感じです。
 明日は畑に水をやります。長いこと雨が降りません。作物が水をほしがっています。午前中にやって地面に吸い込ませます。夕方はやれません。
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