古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

雨の篠山をドライブしてみました。

2012年07月04日 03時54分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 雨で外の仕事ができないし、母・妙子さんはきのうショートステイであずかってもらったので、二人で丹波の知人のお見舞いに出掛けました。まず篠山の周辺をドライブしました。丹南篠山インターでおりて、日置のほうまで走り、安田の大杉から大芋(おくも)のほうに足を伸ばしました。
 写真は大芋の『櫛岩窓神社』の拝殿です。境内を歩くとこころの広がる、『気』のいい神社です。由緒のある神社を、雨の合間の境内を歩きながら、退職前2年間の篠山暮らしをふり返っておしゃべりしました。
 田舎暮らしをするようになった大きなきっかけの一つは「神戸の地震のあと、2年間篠山にアパートを借りて勤めた」でした。震災でそうしたのでなく、その前年の夏「辞める前に田舎に住んでみたい」と強く思ったからです。結婚してから西宮⇒尼崎⇒西宮⇒神戸⇒神戸と街中を引っ越して暮らしてきましたし、そこで勤めを終え、定年後の生活がはじめるつもりでした。事実定年後も10年ほどは街中に暮らしました。でも底流に田舎暮らしへの憧れがあり、それが69歳になってから実現したかたちです。
 篠山は歴史と観光の町で、よくツアーもあります。でもいくら近くでも「行く/訪れる」と「住む・暮らす」はちがいます。その地の『気』や『暮らしの鼓動』が自分の中に入ってくるかどうか。たとえばひなびた商店街のわびしい夕暮れ。朝霧のなかから牛やヒバリの鳴き声ととともに立ち現われる田舎の風景。
 ぼくは今年秋には75歳になりますが、それくらいの年齢になると定年後田舎暮らしをしていた人も、街に戻って駅前のマンションなんかに住もうという気になります。車を捨てて便利な街で終焉のときを。わかるなー。
 でもぼくたちはそんなことを考えてません。それだけの余力がないし、あの街中のリズムに身を浸すのになじめなくなっています。先日は西宮北口の音楽会に行くのに電車をつかいました。電車に乗って、知らない人たちを眺めました。携帯をいじっている人、イアホーンをしている人、……。街に暮らしていたらあたりまえなのに、田舎に5年半暮らすうちにそんな人間の群れに心が入っていかなくなった。人が混み、心がとじる状態になるのを避けようとします。
 
 
 
 
コメント
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