古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『出エジプト記』のモーセのように……。

2011年05月07日 01時04分30秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真はヨシズを張ったシイタケのホダ木置き場です。その横にきのう通路を開通させました。実はきのうの朝ここは、左右の竹置き場と同じく竹の山になっていました。その竹を引きずり出して地面が現れるようにしたのです。左右の竹の壁が高くなるにつれ、なんだか旧約聖書『出エジプト記』の水の壁にはさまれて作業している気分になりました。
 この竹の山は竹を切りはじめた4年前から積んでいるところです。それだけに重みで竹がつまり、相当な量が積み上がっていました。竹を排除して「通路をつくろう」と、そんな無謀なことは考えもしませんでした。でも裏山のあちこちで、地面からチョンチョン頭を出しはじめたタケノコを見ているうちに「このシイタケ建屋を立ち木や竹を生やして覆えたらいいな」とふと思ったのです。
 今年の冬はシイタケのホダ木置き場のまわりの竹を皆伐しました。立ち木があればシイタケ建屋は丸裸にならないのですが、建屋のまわりは竹が密に生えて樹木は全部枯れて倒れてしまっています。だからヨシズ張りの建屋が必要だったわけですが、裏山を見るとどうもこの建屋の存在が気になります。そこで建屋のそばに木や竹の生える地面を確保して、そこにできれば常緑樹の木を植えようと考えたのです。
「どれだけ時間がかかるかわからないけど、とにかく手をつけてみよう」と竹の山にとりついて排除しはじめました。積み重なった竹を引っ張り出すのは全身の力をつかいますが、引き出せたら気分がいい。いつ果てるとも知れぬ作業を黙々とするうちに「こりゃ思ったより早くできそうだ」という気持ちになりました。そして意欲がわき、力が出てきます。昼過ぎには写真のような通路が出現したというわけです。しかしここは通路ではありません。おあつらえ向きに細い竹が1メートルおきに生えてくれたらいいけど、もし生えなくても常緑樹を数本植えることにします。シイタケ建屋が隠れなくても数本の木や竹が生えているというだけで里山を目指す裏山の眺めがちがってくるでしょう。
 この出エジプト記、もし今朝心が動かなかったらずっと竹の山のままだったでしょう。「そのうちいつか……」は限りなくゼロに近い。なぜ今朝急に心が動いたのか。いまになって不思議な気がします。そしてそんなことの起こる日々って、いくつになってもたのしいです。
 
コメント
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