古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

お孫さんたちとよいお年を!

2010年12月30日 21時13分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年は正月から一念発起して裏山の竹を切りまくりました。三月には頂上に達する道がつき、五月には裏山の上にブランコをつくりました。山の上で孫たちと弁当を食べている写真です。おじいちゃんもおばあちゃんも、孫たちのためなら「エーンヤコーラ」とイチゴ畑をつくり、おもてなし精神で頑張って、一年が過ぎていきました。
 ブログ『古希からの田舎暮らし』を読んでいただいているおじいさま・おばあさま、我が家を巣立った子どもたちが、孫を連れて帰省してくる頃ですね。本で見かけた川柳をおくります。   

   入れ歯見て   目もはずしてと     せがむ孫    (ハッスル爺さん)
   孫一人     これだけ話が      はずむとは   (富田林 春樹)
   運動会     一人の孫に       三家族     (新宮 船越雅司)
   どうしても   自分に似せたい     孫の顔     (東京 中村健彦) 
   もしかして   遊んでくれる      孫だろか    (出雲 板倉克巳)
   見ない振り   してると泣かぬ     転んだ子    (大村 河野陽介)
   来たときと   嬉(うれ)しさ同じ   孫帰る     (東京 手塚銀平)
   来て嬉し    帰って嬉し       孫五人     
   オシッコと   さも偉そうに      告げる孫    
   子が孫に    妻が娘(こ)になる   里帰り     (塩釜 真鍋憲一)
   
 柏木哲夫『ベッドサイドのユーモア学』から引用させていただきました。
 よいお年を!
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愛宕さんに一年の感謝を込めて。

2010年12月30日 01時27分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年もブログ『古希からの田舎暮らし』を見ていただき、ありがとうございました。
 ブログの写真ですが、アップしてみると小さかったりデッカクなったりで、なかなかちょうどよい大きさになりません。写した写真をweb(大)にしてアップしているつもりですが、ときどき大きさが勝手に変るのです。パソコンに弱くてすみません。
 これは裏山の愛宕さんに孫たちと登った写真です。一年間我が家をお守りいただいたお礼に、みんなで散歩がてら登りました。村の人たちは「祇園さん」と呼んでいるようですが、うちではなぜか「愛宕さん」と呼んでいます。頂上にはどっちが愛宕さんか知りませんが、石の社が二つあるのです。写真では向うのほうにも白っぽい小さい社が見えるのですがわかるでしょうか。(二つの社は50メートル以上離れています)
 きのうは裏山の竹を切ったり孫たちと遊んだりもしましたが、読書をして過ごしました。読んだのは半藤一利の『日本のいちばん長い日』で、一気に読了しました。いうまでもなく1945年8月15日正午の玉音放送で日本が無条件降伏することを国民に告げた日のことですが、ポツダム宣言受諾に反対する反乱軍が宮城を占拠して放送用録音版を奪おうとする事件の展開が、まるで歴史推理小説を読むように描かれています。いろんな本で読んで知っていることですが、読みはじめたら終りまで本を離せませんでした。
 半藤一利は1930年5月生れですから敗戦のときは15歳でした。一度は「兵隊さんになってお国のために死ぬ」ことを真剣に考えた世代です。ぼく(敗戦のとき7歳 - 山陰の片田舎で暮らし、空襲された経験もなく、兵隊さんも見掛けず、なんにもわかってなかった)とは、ものすごくちがうのを感じます。
 いままで、当時の政治や軍を動かしていた人々が、裁かれ断罪される本を読むことが多かったので、その人たちが命を吹き込まれ、人間として生き生きと動くドラマを見るようで、この本はおもしろかった。
 いま感じること。日本人は、性急に断罪して、自分と敗戦の間に線を引いてしまい、時間をかけて真の反省や責任追及をすることを回避し、あの敗戦に幕を引いてしまおうとした。
 それがぼくの中でもいまだにプスプスとくすぶっています。来年の課題にします。
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