古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

定年退職後の人生のために。

2010年09月18日 02時51分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 若い頃から本を読むのは好きでした。でも自分が文章で何か書いて、不特定多数の人に読んでもらおうなんて考えたことはありませんでした。ところが50歳を過ぎたある日、職場の机上に『○○市文芸祭』作品募集というチラシが置いてあったんです。そのチラシを見て、どんな魔が差したのか「童話を書いてみよう」と思いました。童話を書くついでに原稿用紙十枚という小説も書いてみました。それがたまたま賞の端に引っ掛かって、なぜか小説を書いてみようと多少の努力をするようになりました。
 定年退職後は、「おじいちゃんはテレビでも見といて」「囲碁がしたいなら囲碁クラブにでも行ってきなさいよ」「男の料理教室で料理を習ってみたら?」「老人大学(神戸ではシルバーカレッジ)というのがあるわよ」、あるいは盆栽、ボランティア・クラブ、趣味の同好会、カラオケ、カルチャーセンター、体力づくりジムや旅行というのもあるでしょう。
 自分ではあまり将来のことを考えず、かなり行き当たりばったりで生きてきた、と思いますが、それでも老後の生活について多少は考えていたのだなー、と思い返します。
 まず五十歳の頃、神戸フロイデ合唱団という大きな合唱団に入りました。それまで合唱の経験はまったくなかったのに。勧誘されたのでも紹介されたのでもなく自分から。引っ込み思案なぼくがどうしてそんなことをしたのかいまでも不思議です。オルフの『カルミナブラーナ』、ベートーヴェンの『第九番交響曲』、ハイドンのオラトリオ『四季』は二年がかりで、またモーツアルトの『レクイエム』を歌い、モーツアルトの生家近くの教会でレクイエムを歌うザルツブルグ・ツアーにも参加しました。いまではいい思い出です。
 文を書くことには結構しぶとく食い下がりました。「おじいちゃん、テレビでも見といて」ではすまない。そう思ってまわりにあふれている年寄りを見ると、みんなそれぞれに自分の執着や夢に食い下がって生きているのですね。生きてるかぎり夢を見る。晴耕雨読の田舎暮らしをして、行雲流水とか明鏡止水の心境で暮らすなんて、やむなくポーズにはまっているだけなんですね。
『炭焼き小屋にて』を時間をかけて読んでいただき、ありがとうございました。限界集落、滅びの美学、死、を未整理のまま情緒的にとらえていました。ブログは、また『田舎暮らし』のテーマにもどします。よろしくお願いします。
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