古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『炭焼き小屋にて』  (5)

2010年09月17日 04時12分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
     炭焼き小屋にて       (5)

「父と母は仲がわるくて、夜になるとよく言い争いをしておりました。わたしは喧嘩がはじまると、布団に入って寝たふりをしました。親の喧嘩は子どもが見るもんじゃない、ときつく叱られていましたから。
 七歳になった冬の夜でした。いつものように喧嘩がはじまり、わたしが布団に入って寝たふりをしていると、母が泣いて父をたたきました。父は血相を変えて母をなぐり、台所から包丁を持ってきて母の腹や胸を刺しました。
 母は畳に倒れ、血がいっぱい流れました。母は苦しそうにうめき声をあげましたが、ぴくっとして動かなくなりました。
 父は包丁を投げ捨てて、奥の部屋に入りました。わたしは起き出して、包丁を台所で洗いました。それから畳の上に流れている血を布巾で拭きました。何回も何回も布巾を洗って拭きました。母にシーツを掛けて、その上に毛布を掛けました。
 父は朝起きると、なんにもいわずに出ていきました。警察の人が来て、母の顔に布を掛けて運んでいきました。父は刑務所に入り、わたしはおばさんの家から学校に通うことになりました。
 わたしは友だちがいなくなりました。友だちなんかいなくてもいい。そう思って学校に通いました。でもまわりの子どもはそっとしておいてくれませんでした。わたしはいたたまれなくなり、遠くのおじさんのところに転校しました。そのうちどこからか父と母のことが伝わって、そこにもいられなくなりました。中学生になっても高校生になっても、学校を出て知らない遠くの町で勤めるようになっても、父と母のことがどこからか伝わってきました。
 大人は、わたしに同情するような顔をして、好奇心いっぱいに根掘り葉掘りきいてきました。わたしがよく覚えてない、というと、隠さないで言ってしまったようがすっきりするよ、と親切そうにいいました。
 でもわたしは、あのときのことをほんとうに覚えてないんです。夢の中で見たことみたいで、いまでも、あれはほんとにあったことだろうかと思います」
 紫織は黙った。勇作が薪をくべた。善導も謙三も無言で火を見つめていた。
「わたしのこころはこわれていると思います。まわりの人は泣いたり笑ったりするのに、わたしは本気で泣いたり笑ったりすることができません。仕方がないからまわりの人に合わせて、ふりをしています。
 一日一日を生きてゆくのにすごく疲れます。寝床に入るときは、水分の乾いた砂の像が崩れるように、どさっと横になります。みんなは、こんなに苦しくても我慢して生きているのだろうか、とよく考えます。
 ……死んだらこの苦しさから解放される。
 わたしはもの心ついた頃から、いつも死への憧れを抱いて生きてきました。やっと本気で死ぬ気になって、わたしは旅に出ました」
 話しおわっても紫織は火を見つめたまま動かなかった。勇作は凛とした彫像のように紫織を凝視していた。
 
 謙三は前夜寝た部屋に善導と布団を並べて寝た。紫織は奥の部屋に、勇作は囲炉裏の部屋に寝た。
 夜中に謙三は便所に行った。満月だった。縁側に立って月光に照らされた万物寝静まる山里を見ていると、自分がだんだん小さくなり、ついには目に見えない点になって夜の風景に引き込まれてしまうようだった。
 布団に入ってしばらくして、縁側を歩く物音がした。紫織が便所に行ったようだ。しかしいくら待っても戻ってくる物音はしなかった。
 紫織は小さな点になってあの月光の風景にとけ込んでしまったのだろうか。
 謙三は人の声で目覚めた。日の当たる縁側で朝の散歩をしてきたらしい善導と紫織がしゃべっていた。紫織のまぶたが腫れていた。
「紫織さん、目はどうしたの」
 謙三の問いかけに紫織が微笑んだ。初めて見る紫織の笑顔が陽光をはじいた。
「夜中に勇作さんの布団にもぐり込んで、抱いてもらって寝ました。涙があとからあとから出てとまりませんでした。朝鏡を見たらこんな顔」
 紫織がまた笑った。
 勇作が朝飯が炊けたといいに来て、みんなで囲炉裏を囲んだ。
「わたしは今夜から炭焼きにかかります。この家にはいくら泊まってもらってもいいけど、火の用心だけはしてください」
 善導が、なんでこんな季節はずれに炭焼きをするのかと勇作にたずねた。勇作は、炭焼きをしたくなったから、と素っ気なくこたえた。謙三がお世話になったしなにか手伝わせてほしいといい、紫織はもうしばらく勇作さんのそばに居させてほしいから炭焼きを手伝うといった。勇作は、もうすぐ梅雨になるので手伝ってもらうのはうれしい、と素直に申し出を受けた。
 善導もいっしょに行くことになり、四人は時間をかけて山道を炭焼き小屋まで登った。四人で木を運んだので仕事ははかどり、夕方には火を入れる段取りになった。
 謙三が炭焼き小屋の隅に細長い木箱を見つけて、何が入っているのかとたずねた。
「三八式歩兵銃を知っていますか」
 それをきいて善導が寄ってきた。勇作は箱をあけて鉄砲を見せた。善導は銃を手にとって、重さを量るように上下に動かした。
「日本の兵隊はこれで戦争したんですよね。兵隊がこの先に銃剣をつけて匪賊を殺したりする戦争漫画を、わくわくして見たもんですよ。あのころの男の子は、はやく大きくなって軍人になり、お国のために死ぬんだ、ってみんな思っていました」
 善導の弾んだ言葉に勇作は反応しなかった。黙って善導の手から銃を取り上げ、木箱にしまった。
「弾もあるんですか」
 謙三の問いに勇作はうなずいた。
「炭を焼いてるとわたしの食い物をねらって猪が出ることがあります。そいつをこれで仕留める。ずいぶんむかしになりますが、熊を撃ったこともあります」
 晩飯のあと、今夜は寝ずに火の番をするという勇作につきあって、謙三、紫織、善導は焚き火を囲んだ。
 日が沈み、炭焼き小屋から見えていた山里が闇にとけ込んだ。分厚い雲が空全体に広がり、月も星も見えなかった。
「これがほんとの真っ暗闇なんですね。はじめて体験しました。でも闇につつまれるって、なんかほっとします」
 紫織がいい、勇作がうなずいた。
「わたしは炭焼きに来て、たったひとりでこの闇に抱かれるのが好きです」
 だれともなく焚き火の世話をしながら、ぽつりぽつりと四人の間をことばが行き交った。
「わたしは八十歳だから、謙三さんや紫織さんみたいに死のうと思わんでも、そんなに長く生きることはありません。しかしわたしは、戦争に負けてこの国に還ってきた二十三歳のときからいままで、おれは生きているわけにはいかん、死ぬしかない、と思って生きてきました」
 火勢の衰えた焚き火に枝木をくべて、謙三が場の沈黙を破った。
「戦争の話ですか。よく聞かされました。こんな悲惨な被害を受けました、とか、日本軍はこんな酷(ひど)いことをしました、とか。だからどうしろというんだ、といいたくなりますよ」
「わたしは、戦争の話をする気はありません。謙三さん、あなたは人間を殺したことがありますか」
「いきなりなんですか。殺人なんてふつうの人には縁のないことでしょ」
 謙三は昨夜の紫織の話をちらっと思った。
「殺人じゃない。人間を、殺すんです。銃の先に剣をつけて、人間の胸を、突き刺して殺す」
 勇作の言葉は鋭かった。謙三も善導も紫織を見た。
 紫織はまっすぐ勇作を見ていた。勇作の視線にこたえるように、紫織はゆっくりうなずいた。
 長い話になる、いやになったら自由に寝てくれ、生々しい話をするが、やめてほしかったらそういってくれ、と前置きして、勇作は重い言葉を引きずるように語った。
「中国で転戦してある村に入ったとき、わたしの班は『徴発』に行けと命令されました。住民の隠している食料を奪うのです。村に入っても住民は一人もいません。みんな隠れています。わたしたちは藁の山に火を放ちました。とび出してきた娘をつかまえて上等兵が強姦しようとすると、手に刃物を持ってかかってきました。上等兵が銃剣で突き刺し、娘は血を流して倒れました。すると物陰から男が、鉈(なた)を振り上げてかかってきました。父親でした。ほかの上等兵が銃で撃ち、男は倒れて娘のほうに手を伸ばして息絶えました。隠れていた母親らしい女を、一等兵が見つけました。小隊長がやってきて、二等兵のわたしに、女を刺し殺せ、と命令しました。わたしは銃剣を構えました。
 二人の兵隊に右と左の腕をかかえられた女は、そばに倒れている娘と夫を悲しい目で見てから、胸を張ってわたしをにらみました。あれは悪魔をにらむ目でした。人間は悪魔に負けないぞ! さあ、殺せ! と叫ぶ目でした。その目は、いまもわたしの網膜に焼き付いています。
 わたしは突こうとしました。体が動きません。小隊長は、突け! 突かんと軍令違反でおまえを銃殺する! と銃をわたしに向けて迫りました。それでも体が石になったようにびくともしません。わたしは焦りました。
 小隊長は、突け! と叫んで銃を構え、一歩踏み出しました。
 そのときです。銃剣を構えた兵隊が、わたしのそばを走り抜けて女の胸を突き刺しました。樫村健太郎伍長でした。銃剣が胸骨に突き刺さったグキッという音で、体がふいに動くようになり、わたしもつづいて女を突き刺しました。
 それからたくさんの人間を、銃剣で突き刺して殺しました。九人まで数えましたが、恐ろしくなって数えるのをやめました。
 中国人を生き埋めにしろ、と命令されたこともあります。中国人に穴を掘らせてから、中にすわらせて土をかけました。それだけでは死なないから上から踏め、といわれて土を踏みました。骨がぼきぼき折れる音がしました。
 わたしは、こんなに人間を殺した自分が生きていてはいけない、敵の弾に当たって死のう、と思いました。敵と遭遇したときは、わざと弾に当たるように突撃しました。しかし弾は当たりませんでした。
 樫村健太郎伍長は、敵と戦うとき、敵の弾を恐れず勇敢に戦って、勲章までもらわれました。でもわたしには、敵の弾に当たって死にたいと思っておられるのがわかりました。そしてついに敵の弾が当たって倒れられました。
 そばに寄ったわたしに、『八重、生きるのだぞ』と言付けされました。それからわたしに笑顔を見せて絶命されました。
 これでやっと人間にもどれる、と安心された笑顔のように見えました。
 戦争に負けてこの国に還ってきても、夜になると、悪魔をにらむあの母親の目や、土の下でぼきぼき骨の折れる音にうなされて、叫び声をあげることがありました。
 わたしは生きていてはいけないと思いました。しかし樫村健太郎伍長の言付けだけは伝えてから死のう、とこの谷に上がってきました。
 わたしは『八重、生きるのだぞ!』という言付けを、八重さんに伝えました。樫村健太郎伍長と八重さんは、ふたりいっしょでないと生きてゆけない。どちらかひとりでは生きられない。お互いにそういう存在でした。八重さんは戦死の公報が来たときから死ぬ気でした。樫村伍長の死をわたしからはっきりきいて、死ぬ気持ちを固めました。
 この人は、あした、死ぬ。
 わたしはそう直感して、八重さんのそばについていることにしました。
 やがてわたしたちは結婚しましたが子供はつくりませんでした。八重さんには、わたしや樫村伍長が中国でしたことを話しました。八重さんは、『人間を殺して、健太郎さんはどんなに苦しかったでしょうね』といいました。こうして死ぬ気だったふたりが、五十七年も生きてしまいました」
 山里のほうを見ると暗闇の中に山の稜線がかすかに感じられた。生き物が目覚め、山の空気がざわめくにはまだ時間があった。
「これから日の出るまでがいちばん冷えるのですよ」
 といって勇作が枝木をくべた。火の勢いがつよくなった。
 勇作を残して小屋でまどろんだ三人は、朝飯のあと焚き火にする枝木を集めてくることにした。
 わたしは元気だが寄る年波には勝てないから助かる、と勇作がお礼をいった。
 日が高くなったら山を下りなさいと勇作がいい、三人はそれにしたがった。善導を先頭に謙三、香織が下りてゆくのを、勇作は炭焼き小屋のまえで見送った。
 振り返った紫織が山道を駆けのぼり、勇作に頭を下げた。勇作は腕に力をこめて紫織を抱き寄せてから、送り出すように山道に押しもどした。
 三人は黙って山道を下りた。下りははやく、十一時には田村勇作の家に戻った。
 紫織と謙三は庭に立って、炭焼き小屋はどのあたりかと山を見上げた。ここから炭焼き小屋は見えないが大きな松の木の少し右だ、と善導が山の中腹を指差した。
 風がなく、煙はまっすぐ上がっていた。
 炭焼き小屋の近くで小さく煙が上がり、銃声が山にこだました。
                                          了
 
  
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