古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

あの戦争とどう付き合って生きたか

2009年12月10日 03時54分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ぼくは、日本が対米戦争をはじめたときは4歳、敗戦のときは7歳でした。田舎に住んでいたので、空襲に逃げまどった体験はありません。でも「自分は戦争を知らない。かかわりがない」とは思ったことはありません。
 もし山陰の片田舎でなく、街に住んでいたら空襲にあって死んでいたかもしれない。もし10年早く生れていたら、少年兵に志願して戦争とかかわっていたであろう。緒戦の華々しい戦果の報道に、わくわくしたであろう。
 そんな思いをいつもいだいて生きてきました。ですから敗戦後に見たり読んだりしたことは、他人事ではありませんでした。70歳を過ぎたいまも、あの戦争にかかわる本を読むと、ずるく立ちまわった軍部や政治家に腹が立ちます。「お国のために」死んでいくよう青少年を仕向けた者たちに冷静な気持ちではいられません。また例えばインパール作戦を強引にすすめて数万の将兵を死なせた牟田口廉也に対して、いまでも怒りがわいてきます。
 牟田口は「作戦では兵器の運搬用に牛を徴発して連れていけ。御用済みになったら殺して食べろ。ジンギスカン作戦だ」と自分の思い付きに悦に入ったそうです。「敗戦後彼は焼肉店を開き店の名を『ジンギスカン』にした」とネットの2チャンネルで読んだときは腹が立って頭がクラクラしました。ウソかホントか知りませんがあんまりです。
 あの戦争のことを書いている本を、歴史を学ぶように冷静に読むことはできません。記憶には残っていないけど、大人たちの会話や振る舞いを、子どもの眼で受けとめたかもしれません。戦時中は時局の尻馬に乗って戦意を鼓舞し、敗戦後は口をぬぐったずるい在郷軍人が心に引っ掛かっているのかもしれません。
 あの戦争とぼくらの世代との距離をもう少し考えてみます。 つづく。 
 
コメント
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