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多様性を認める

2016-08-06 | 日記
19人が殺害された相模原市の事件から10日。
全国でも多くの人が傷つきました。
それは今回、容疑者が表明した、「障害者は生きていても意味がない」「いなくなればいい」という言葉。
聞いたこちらの方が気持ち悪くなり、そして悲しくなりました。


私が支援活動を行っているときにも
「障害者なんていなくなればいい」といった声は、一般の市民からよく聞かれました。
こんな人に支援する必要はないし、お金のムダ・・・
そう言ってくるのは、いたってやさしそうに見える、普通の人たちで、
しかも、小さな声でぼそっと。そのたびにとても悲しくなりました。


本当に、いなくなればいいですか。


自分や自分の大切な人が、
例えば、交通事故で、頚椎に衝撃をうけ、
当たりどころが悪かったために半身不随になることもあります。 
あるいは、小さな子どもをお風呂に入れている時に溺れてしまった…。
それがきっかけで障害を持ってしまうことだってあるのです。
それでも、同じようにいなくなればいいと思いますか?

誰だって障害を持って社会的弱者になってしまうこともあるし、
身内がそうなってしまうことだってあるのです。
そんなときに、税金で助け合うのは、悪いことですか。


「障害者は生きていても意味がない」という考えは、
自分が優位だと思い込み、障害者を劣位だとみなす、弱い者いじめにしか、私には見えません。

そう考えると、障害の有無は問題ではなく、
わずかな「勝ち組」や「強者」だけが報われていると感じる、現代社会は、
人の存在意義を軽視しているように思えてくる。
だれもが「大切な人」なのに。

おかしいな、と敏感に感じ取り、しっかり否定する強さを持ちたい。


現在の社会のあり方のなかに、そうした考えを容認するものが水面下で拡大していないか、
社会全体でもっと、考えてみても良いのではないでしょうか。



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