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終戦記念日に思うこと

2006年08月16日 16時30分19秒 | Weblog
 昨日は、終戦記念日でした。小泉総理が靖国神社を参拝したことが、またもや議論を招いています。
 先の戦争は、一方的に日本が悪いわけではない部分があることは事実です。当時の列強の植民地や勢力圏獲得が行われていた時代背景、また、列強による包囲網による困窮などを考える必要があります。しかし、だからといって、正しい戦争だったというつもりはありません。中国や韓国などのアジア諸国に対しては、それらの国民から求められないにもかかわらず、日本軍が進出してきたという意味で侵略ではあります。
 私は、当時のヒステリックな軍国主義に引きづられて、政策的遂行を誤ったと考えています(このあたりの事情は、「落日燃ゆ」や「失敗の本質」に詳しく載っています。)。また、軍事的にも、過度な精神主義の重視、補給を無視した無謀な進出、特攻隊など軍事的には意味のない作戦、守るべき市民・非戦闘員を見捨てるのみならずスパイとして殺害するなどの行為、など多くの致命的な過ちがあったと考えています。
 私は、東京裁判史観は正しいとは考えません。東京裁判は、事後に「平和に対する罪」などをつくって戦勝国が事後法により裁いた、政治裁判の要素が強いからです。一方、私は、大日本帝国軍部的なものには嫌悪感を覚えます。
 戦後は、保守派、革新派、あるいは、左右の陣営のいずれの見方も一面的であったと考えます。冷静に、先の戦争の評価、戦争指導者の日本国民に対する責任について議論すべきであったと考えます。
 戦争に対する評価があいまいなために、そして、戦前からの大日本帝国における追悼施設である靖国神社が、その性格を変えないまま追悼施設となっているため、首相が参拝を強行するために、いつもこのような議論が起こるのだと考えます。
 私は、戦没者の方々は、国家の命令のもと、命を捧げられた崇高な方々だと考えます。尊敬と感謝と追悼の誠を捧げるべきだと思います。しかし、戦争指導者は、そのような方々に責任を負うべき存在です。そのような指導者が一緒にまつられている施設を、あいまいに今の国家指導者がお参りするのはいかがかと思います。

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