Zen禅‐in USA

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

心の洗剤A cleanser for mind

2021-09-20 | 坐禅

心を洗い流せるものは

『遺却する』ことと類似するかもしれない。

The definition of what can wash away the mind

maybe akin to 『disremember』 or 『leave behind』

遺却することは、

『積極的に失する』ことであるとも言える。

Disremembering synonyms to

『lose something proactively』.

 

 

私は食器洗い機を使わないと決めている。

I have decided not to use a dishwasher.

キッチン改造をした時に機械を処分した。

I disposed of the machine

when renovated my kitchen before.

なので、昔のように手で食器を洗っている。

So I wash the dishes by hand as in the old ways.

 

水が流れる音

The sound of streaming water.

洗剤を泡たてて油の汚れを取る

Foaming the dish detergent and wash out oil stains.

泡が汚れに付着して、水によって流れていく

Let the dirt stick with bubbles and flush out with water.

 

その過程が何となく落ち着く。

Those processes somehow calming me down.

洗う作業が終わると下水口も全て洗って置く。

When I finish the washing part,

wash the drain too.

 

火の回りも何もしてなかったような状態に戻しておく。

Also, the oven place cleaned up again

like nothing happened there.

最後に床も拭いてお終いできる。

Finally, wipe the kitchen floor to finish up.

その一連の流れが私の日常の一部でもある。

Those series of steps are part of my routine.

 

毎日、その日常を繰り返しながら、

物を洗うのはこんなに簡単なのに、

どうして心を洗うのは、

特に決まった道具も無ければ、

やり方も定まっていないのかと疑問に思っている。

Every day, while I repeat the daily routine,

ask me that washing things and kinds of stuff are such easy

but to wash my mind

I don’t have any specific tools to deal with

neither know the resolve.

 

車は動力を使ってから二酸化炭素を排出する。

Cars use power and then discharge carbon dioxide.

食べた食べ物も体内で分子結合をしてから排出される。

The foods we eat it is also discharged

when after molecular combination in the body.

 

炭素から由来したものは

やがて炭素に還元されていく。

What is derived from carbon

it is eventually deoxidized to carbon again.

 

人は心を使って生きている。

People live by using their minds.

あらゆる精神活動、生きる気力、

各細胞の核分裂の後に残る分は

不要とされて自然に消滅されていく。

The remaining things such as cell nucleus division,

energy to live life, all kinds of mental activities,

when they are no longer needed

it vanishes in a natural way.  

 

生きた証は記憶として刻まれ、

忘れ去られていない記憶は

心にへばりつき付着されてしまう。

One leaves footprints and the memory engraved

as proof, the one lived,

and an unforgettable memory sticks to one’s mind.

 

私はその付着された記憶を

何とか洗い流したいと思っている。

Somehow, I want to wash away the attached memory.

 

しかし、記憶を洗い流したいと願い、

その作業に取り掛かってから

その過程がそう簡単でないことが分かってきた。

However, ever since I desire to wash out the memory

and started to work on it,

I figured out that the process is not such easy.

 

先ずは、私が持つ記憶を消したい記憶、

残して置きたい記憶、

活かしたい記憶、

再生したい記憶などに分類しなければならない。

First of all, I have to classify my memory storage

to the memories, I want to erase,

save, utilize, replay, and so on.

 

特定の一つの出来事の記憶だけを

意志の力で消すことはほぼ不可能である。

It is almost impossible to erase the single memory that

related to one particular event

even with determination.

 

人間に削除のDeleteボタンも無ければ、

パソコンのマウスのようにクリックできる機能も備えていない。

In humans, we do not have the delete button to erase,

neither designed to click on it like a computer mouse.

刻まれた記憶を消しゴムのように消せることもできない。

We are unable to erase an engraved memory like an eraser.

 

心理学のカウンセラーも

クライエントの苦しい記憶を消せる能力を持っていない。

Even psychological counselors neither have the ability to erase

their client’s painful memories.

 

しかも全治全能とされる神さえも、

その人間の脳内の記憶のどれが幸せな記憶で、

どれが不幸せな記憶かを選別できない。

Moreover, even the God who is considered almighty,

cannot sort out which is a happy memory

or unhappy memory from the persons inside the brain.

 

ましてや、ある記憶が当時では幸せに思えたのに、

置かれる状況によって不幸せに変化されることもある。

To add, a memory may seem to be happy at that time,

but it goes to change to be unhappy

depending on what the situation is.

 

私を悩ましたのも、

消したいのに消せない記憶が

苦痛を伴いポンポンと現れてしまうことであった。

What bothered me was

a certain memory kept popping up in my mind

with pain that is unable to erase

whereas I want to delete.

その記憶を洗い物の作業のように、

洗剤とか水とかがあれば

洗い流したいと常に思っている。

I always want to wash away the memory

if I have a detergent or water,

like the procedure of washing dishes.

 

そう願うと、ぶち当たる問題は、

その記憶に対して自分が下す判断、

良し悪しを決める区別が基盤にあると認識してくる。

What to come recognized is,

it leads to the fundamental issue of judgment

that I make whether it is a good memory or bad.

 

消したい記憶を掘り下げていくと、

その根っ子は善悪の判断であることが分かってくる。

When I dig into the memory that I want to delete,

I reckon that the root is the judgment of right and wrong.

 

その善悪の判断を更に深く探ると、

自分をどう捉えているか、

他人をどう見ているかの見方に

派生されていることも見えてくる。

And then look deeper into the judgment of right and wrong,

I can reach the perspective view

of how I perceive myself and others.

 

更に、自他をみる見方の根源を探ると

自我の感知度合いにまで辿り着く。

Looking for furthermore to conceive

how to perceive me and others,

it leads to groping

how the perception of ego it would be.

 

だが、その作業は次から次へとつながっていて、

終わり点が無い。

But the work is relevant one after another,

and it is no finish line.

 

らせん状のように、

一つのことは他へつながっていて広がり続けている。

Like a spiral line,

one thing is connected to the other, and so on,

it continues to unfold.

 

心を洗える洗剤は特に無い、と思えてくる。

It makes me think that

there is no cleaner or detergent to wash a mind.

 

だが、単一やれることがあるとしたら、

『キレイな状態にしておくべきだ』

との願望を切り離すことであるのかもしれない。

And yet, if there is a single method to enable it,

it would be detaching the desire that

『it should stay in clear』.

 

坐禅の教えである『雑念を切る』ことは、

その良しとされる記憶、悪いとされる記憶、

それらの判断を休止させることでもある。

The teaching of Zen meditation that

『cut off useless thoughts』 is,

let the judgment be paused

which is working on classifying

good memories and bad.

 

心を洗う確かな洗剤を持ちたい、

完璧に記憶を消したい願望などの

動きを休止させることである。

It is a pausing motion such as

the desire to have a reliable mental-detergent

or delete a certain completely.

 

休止は終わりにならない。

The pausing motion is not a finish line.

けれど、ある思考の始まりを

更に転がせないようにはできる。

But it can work on the brake a certain thought

that begins to roll over to go further.

 

転がる思考にブレーキをかけて、

連動休止させる。

Putting on the brake to pause

before the rolling thought gears up.

 

そうすると、自分が持つ記憶は

過去の時間帯に存在しているだけなのに、

自分が今に引き出していたことがわかる。

By doing it we can find that the memory we have,

it is existing in the past time zone only

but the one has drawn it out in the current time zone.

 

過去の消したい記憶が転がりこんできたら、

その連動にブレーキをかけて、

元にあったところに再びしまう、

それしかするのに許されていないのである。

When the past memory

you want to delete comes to roll over,

then put the brake on it,

let it back in where it was,

that is all we are allowed to do.

 

 

 


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17 Comments

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意識は常に、メタに立つ (榮久)
2021-09-21 07:01:51
世界に意味など、もともとない
それは、ただそこに在るだけなのだから。

おおよそ人が考えるとは
意識で考えるのである限り
意識によって考えられたそれらの考えの
あれこれに終始するより
意識そのものの働きを押さえておく方がよい

物質さえも、意識によって
認識されることによってのみ「物質」であるならば
やはり意識に依拠する恣意的なものだ

「梵」の一語
「阿」の発語
その向こうには何がある。
Unknown (穏やかに)
2021-09-21 07:09:30
忘れたいものを書き出しそれを黒く塗りつぶす。
少し心が楽になります。
嫌な記憶 (テレビとうさん)
2021-09-21 09:02:50
パソコンのDeleteボタンを押しても「ファイル名」ごとゴミ箱に残っています。
ゴミ箱から削除しても「ファイル名」を変えているだけでデータは残っています。
「ファイル名」が削除されても、データが上書きされる前は復活出来ます。
現在の技術では、2~3回上書きされても復活できます。

人間の「嫌な記憶」を消すと、同じ間違いを繰り返す恐れがあります。
心の断捨離 (閑斉)
2021-09-21 15:41:58
物にあふれて断捨離ばやりですが、記憶も必要があるんでしょうか。
忘れたくても忘れてはならないものもあって睦ましいです。

物は全てが原子に戻って輪廻を繰り返すと言えば、仏陀の縁を感じます。

記憶という存在は、分解されてどうなるんでしょうね。
脳は謎です。
Unknown (ZIP)
2021-09-21 22:29:16
心を汚すのも、洗い流すのもやっぱり言葉
言葉で汚れ、言葉で洗われるのが空体という心
Unknown (榮久さんへ)
2021-09-22 17:43:56
>>「梵」の一語
>>「阿」の発語
掘り下げると、何かありそうですね。

今回のコメントは背後にある感覚用語が省略されているからか、イメージが湧かなかったです。
>あれこれに終始するより
意識そのものの働きを押さえておく方がよい<
でも上記の文節は、説得力ありますね。
私の平ペタな文とも通じるのがあって。
Unknown (テレビとうさん様へ)
2021-09-22 17:48:43
何か、恐ろしい感じのする鋭い隠喩、ありがたく受け取りました。
グーグルPhoto、何回消しでもファイルで残って
そのファイルを消しても、
また、削除されてなくて驚いたことを思い出しました。
記憶もそーですかね。恐ろしいです。
でも、記事にしてよかったです、貴重な意見ももらえたので。
Unknown (閑斉さんへ)
2021-09-22 17:53:45
>断捨離
コトバンク調べてみて意味が記事内容と関連していて
驚きました。

記憶を分解する、これ本当に奇想天外な発想ですね。
分解できるか、やってみるのもいいかもと思えてきました。
Unknown (ZIPさんへ)
2021-09-22 17:55:58
そうであれば、

言葉をわからない赤ん坊は、言葉に影響されませんよね。
妙に納得
Unknown (朱夏)
2021-09-22 21:25:21
I lost my loved cat in August.
My memory of him makes me sad.
But I don't want to forget him.
I want to leave only happy memories.
But to forget his death may be to lose him again.
The same memory produces joy and sadness at the same time.

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