Zen禅‐in USA

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

A door knob of heart-Open and Close心のドアの取っ手―開け閉め(英和文)

2019年03月18日 00時27分01秒 | 自閉症

一般に心を感情系、頭を考える思考系に例えて慣用的に使っている。

In general, heart or mind are metaphorically used

as an emotion and brain or head is a consideration.

心を開ける、open one’s mind

心を閉ざす、close one’s mind

心で言う、 say with one’s heart

心が痛む、 one’s mind hurt

心が泣く、 cry with one’s heart

心が舞う、 one’s heart is dancing

心に沁みる、imprinted in one’s heart

心が冷たい、cold hearted (cold blooded)

心が熱い、hot heart (hot blooded)

心が明るくなる、one’s mind gets bright (bright mind)

心が暗くなる、one’s mind gets dark ( heavy mind)

心に鬼、 ogre minded (harden one’s heart)

心が伝わる、feel one’s heart

心が無い、without pity from heart (no mercy from heart)

心がある、have a warm heart

心が変わる、change one’s mind

心で聴く、listen from one’s heart

心に触れる、touched one’s mind (heart)

心だけ、just a word without in return (heart only)

心を添える、with one’s greeting (with one’s feeling)

心を見せる、show one’s heart ( show one’s appreciation with a profit)

心で見る、see with one’s mind (heart)

心一つなど one mind etc.

心を感情や気立て、心構えとして使い分けている。

Heart is properly used as a mental status

such as emotional expression or personal nature.


多種多様な状況変化や様々な状態に応じて

『心』は柔軟に対応できる語句でもある。

Heart (mind) in a phrase that can be used respond flexibly

depending on various situations and varied conditions.

その中で、私は特に心の開け閉めに関する語句がしっくりくる。

Among heart related phrases,

the specific terms of “open mind” and “closed mind” come nicely to me.


人が人に対し、心を開けていると

意志の疎通が円滑になり、

話が流れるようになる。

When a person opens his/her mind to people,

communication with others can be spontaneous and smooth.

だが、ある人がある人に対し、心を閉ざすと、

まるでドアを閉めたように、

人の間で事柄情報の出入りができなくなる。

However, when a person closes his/her mind to people,

information is unable to flow between them.

心を閉ざすのは一方的で、

割と簡単にできるが、

心を開けるのはそう簡単にできない。

A closed mind is one-way commitment

and relatively easy; an open mind is not so easy.


ある人が人に対し、“心を開く”と言うのは簡単である。

It is easy for someone to say “open your mind” to people.

その言葉を聞いた人が『開けることを閉ざす』ことも簡単である。

In the way,『close a possibility to be opened』is also easy

for the listener who heard of it.

人に対し、心を開くべき根拠が充実で誠であっても、

聞いている人にとっては

その正しい根拠も虚しいことばだけになりかねない。

The backup reasonswhy people should open their minds for others,

even though the fundamental theory is

filled with fulfillment and truthfulness,

as for listeners it may only be heard as empty words.


何歳からだったか忘れたが、

実際私は全ての人に対し、

心を閉ざした時期があった。

I forgot what age I was there was time 

when I shut down my mind to everyone for a certain period.

心を閉ざした時は、

ドアがパータンと閉まる音を出すように

空気が切れるような音がした。

And with the closing there was a sound like cutting the wind

as if a door closed sounded with bang.

心を閉ざすと、人の言葉が聞こえても意味を成さなくなる。

With a mind closed there is no meaning

even though one can hear what people say.


外見上、自閉症のような症状に最も近くなる。

Externally, the symptom mostly looks like autism.

自分の世界に閉じこもるように見えるが、

そこまで自分だけに拘ることも無い。

It might have seen like has been closet in my world only

but not that much of possessing of my ego.

ただ、人との関りを保つための努力をしないだけだったような気がする。

Put simply, it likely said that I didn’t do any efforts

to keep in touch with people or connect with them.


私の姉は私が心を閉ざしていた時期のことを

“無口”だったと言った。

My elder sister once told me

“you were untalkative”

during the period of shutting my mind.

姉は私が言ったことを何も思い出せないとも言ったので、

後になってその記憶が無いことが

正しいと言ってあげたことがある。

She also could not recall anything I said at that time.

Ironic: I replied it was a correct memory that

which she didn’t remember.


もしかしたら、私は自閉症で生まれてきたかもしれない。

Perhaps, I may have been born with slight autism.

何故なら、何も話さない時の方が、

気が楽で平穏を感じるからだ。

Because it is easier for me not to say anything

and makes me feel comfortable, serene.

その傾向なので、話をすることは

私に結構なエネルギー消費になる。

With such tendencies,

speaking for me consumes much energy.


塾長をしていた時は、

個人の性格要因と公の役柄を弁えていたから

割り切ることができたが、

今、私は公的にも私的にも話す義務が無い。

Despite such tendency, when I was a school principal  

I was able to cut my attitude on personality factors

and public tasks;

but currently I have no obligation to speak

either private and public.

それが何よりの幸せでもある。

That is the happiest thing.


その長年の経験からか、

私は自閉症に関して軽々しく言えない。

With such experiences for a long time,

I don’t want to comment lightly about autism.

その肉体的な体験をしていないようなカウンセラーが

学校で習った理論を

自閉症の子供に実験をしているのを見ると心が痛む。

My mind aches when I see a counselor

who appears to have no practical experience,

and is, in essence, experimenting with only theory

on an autistic child.  

また、自閉症の子を持つ親が

自分の子を正常でないように話す時もやるせなさを感じる。

Also, I feel disconsolate when a parent of an autistic child

talking as if their child looks like has not normal condition.  

自閉症を正常の状態に直すべきだと思う社会観念にも

悲しくてならない。

I feel sad also for the social notion that

autistic children should be adjusted or normalized.


正常な子の尺度から自閉症が判断され、

自閉した子は頑張って、

正常にならなければならない責務みたいな強制が課される。

Autism is judged by the standard criterion for normal children,

so autistic child has duty imposed

to make an effort to be normalized.   

しかし、自閉の子からみて正常の子達は

異常なほど同じ性格に見えるかもしれない。

But maybe from the viewpoint of autistic children,

the normal children appear to have characteristics

which are out of normal.

俗で言う正常は、行動傾向が類似し、

行動が規格に適したある範囲内に収まることを言う。

Common meaning of normal is

behavioral tendency has similarity and

it gets suit for a measurement within the standard parameters.

自閉の子はその標準外だけの行動様式を持っているだけかもしれないのに、

正常の人はそれを認めない。

Autistic children may just have a behavioral style that is

out range of criterion,

but normal people would not acknowledge it.


実際、私も生きるために

心地良い自閉から出なければならなかった。

In fact, to let myself live in society

I had to get out from closed mental condition

which made me feel comfortable.

自分で生きなくてはならないと生命の危機に直面した時、

自閉の部屋を選ぶか、

恐怖に満ちた外側に出るドアを開けるかは

確率の問題かも知れない。

When facing a crisis,

we must choose whether to close ourselves off

or open the mind doors

which can expose us to things which may be horrifying.

Such ways which to choose is maybe a matter of possibility.


外に出るドアの取っ手を握る勇気、

それを回し開けるまでの心の格闘

The brave that get outside

while struggling in mind to turn the doorknob.


外に出てみて見える自分がいた部屋は

小さかったのにドアは大きかったと分かること

After I got out from the small room,

I realized the door was bigger than it had appeared.


そのドアの取っ手は外側に無く、

中にいる人にしかついてないことを確認する瞬間

And the moment could confirm

the doorknob attached at only inside of the door,

not at the outside,

so only insider can open the door.


それらは心の自閉は一瞬から始まり、

Those mental opening and closing starts at a moment,

一瞬で閉ざされ、

closing at a moment,

閉ざされた長年の苦しみも一瞬で飛ばすされる。

The suffering for long years

also blows away at a moment.


その一瞬に開け閉ざしの空間がある。

At those moments

there is a space opening and closing.


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心のドアの取っ手―開け閉め

2019年03月05日 17時01分22秒 | 自閉症

一般に心を感情系、頭を考える思考系に例えて

慣用的に使っている。


心を開ける、心を閉ざす、心で言う、

心が痛む、心が泣く、心が舞う、

心に沁みる、心が冷たい、心が熱い、

心が明るくなる、心が暗くなる、

心に鬼、心が伝わる、心が無い、

心がある、心が変わる、心で聴く、

心に触れる、心だけ、心を添える、

心を見せる、心で見る、心一つなど

心を感情や気立て、心構えとして使い分けている。


多種多様な状況変化や様々な状態に応じて

『心』は柔軟に対応できる語句でもある。

その中で、私は特に心の開け閉めに関する語句がしっくりくる。


人が人に対し、心を開けていると

意志の疎通が円滑になり、話が流れるようになる。

だが、ある人がある人に対し、心を閉ざすと、

まるでドアを閉めたように、

人の間で事柄情報の出入りができなくなる。


心を閉ざすのは一方的で、割と簡単にできるが、

心を開けるのはそう簡単にできない。

ある人が人に対し、“心を開く”と言うのは簡単である。

その言葉を聞いた人が『開けることを閉ざす』ことも簡単である。

人に対し、心を開くべき根拠が充実で誠であっても、

聞いている人にとっては

その正しい根拠も虚しいことばだけになりかねない。


何歳からだったか忘れたが、

実際私は全ての人に対し、心を閉ざした時期があった。

心を閉ざした時は、

ドアがパータンと閉まる音を出すように

空気が切れるような音がした。


心を閉ざすと、人の言葉が聞こえても意味を成さなくなる。

外見上、自閉症のような症状に最も近くなる。

自分の世界に閉じこもるように見えるが、

そこまで自分だけに拘ることも無い。

ただ、人との関りを保つための努力を

しないだけだったような気がする。


私の姉は私が心を閉ざしていた時期のことを

“無口”だったと言った。

姉は私が言ったことを何も思い出せないとも言ったので、

後になってその記憶が無いことが

正しいと言ってあげたことがある。


もしかしたら、私は自閉症で生まれてきたかもしれない。

何故なら、何も話さない時の方が、

気が楽で平穏を感じるからだ。

その傾向なので、

話をすることは私に結構なエネルギー消費になる。


塾長をしていた時は、

個人の性格要因と公の役柄を弁えていたから

割り切ることができたが、

今、私は公的にも私的にも話す義務が無い。

それが何よりの幸せでもある。


その長年の経験からか、

私は自閉症に関して軽々しく言えない。

その肉体的な体験をしていないようなカウンセラーが

学校で習った理論を自閉症の子供に

実験をしているのを見ると心が痛む。


また、自閉症の子を持つ親が

自分の子を正常でないように話す時も、

やるせなさも感じる。

自閉症を正常の状態に直すべきだと思う社会観念にも

悲しくてならない。

正常な子の尺度から自閉症が判断され、

自閉した子は頑張って

正常にならなければならない責務みたいな強制が課される。


しかし、自閉の子からみて

正常の子達は異常なほど同じ性格に見えるかもしれない。

俗で言う正常は、行動傾向が類似し、

行動が規格に適したある範囲内に収まることを言う。

自閉の子はその標準外だけの行動様式を持っているだけかもしれないのに、

正常の人はそれを認めない。


実際、私も生きるために

心地良い自閉から出なければならなかった。

自分で生きなくてはならないと

生命の危機に直面した時、

自閉の部屋を選ぶか、

恐怖に満ちた外側に出るドアを開けるかは

確率の問題かも知れない。


外に出るドアの取っ手を握る勇気、

それを回し開けるまでの心の格闘

外に出てみて見える自分がいた部屋は小さかったのに

ドアは大きかったと分かること

そのドアの取っ手は外側に無く、

中にいる人にしかついてないことを確認する瞬間


それらは心の自閉は一瞬から始まり、

一瞬で閉ざされ、

閉ざされた長年の苦しみも

一瞬で飛ばされる。


その一瞬に開け閉ざしの空間がある。


 

追記

今回の記事が長くなってしまいましたので

和文の英訳はゆっくり時間をかけてアップしていく予定です。

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