八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

通信328号をアップします。

2017年12月24日 13時47分15秒 | 八障連通信
通信328号をアップします。


通信328号【PDF版】はこちらから



ここからは通信本文となります。


【事務局通信 Vol.41】
《「障害福祉課との懇談会」は 11 月 17 日(金)となります!!》
すっかり秋めいてきて気温も急に下がりましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
前号で、障害福祉課との懇談会を 11 月 7 日とお知らせしましたが、11 月 17日(金)の間違いでした。誠に申し訳ありませんでした。日程のご確認のほどよろしくお願いいたします。さて、今年度の福祉課との懇談会の主要な議題は、すでにお知らせしているように、1生活保護の対応について、2介護保険移行時の問題、3移動支援の問題、4その他となっております。移動支援の問題については、なみき福祉会の安藤様から資料をいただいており、懇談会当日の話
し合いの概要等についても文書にてご提案をいただく手はずになっております。現在事務局にてまとめと集約の作業に入っているところです。次号にてご案内できると思いますので、今しばらくお待ちください。また福祉課との懇談会について、ご意見のある会員団体はお早めにメール等にて事務局
までお寄せください。
《今後の八障連活動 ~ 「市議懇談会」・「福祉フォーラム」について ~》
「障害福祉課との懇談会」に続く「市議との懇談会」についてですが、開催を 2018 年 2 月(予定)と考えております。また恒例の八障連主催の「福祉フォーラム」については、2018 年 3 月上旬~中旬の開催を予定しております。「こんな映画を見てみたいわ...」、「こんな人の話を聞いてみたいな...」などのご希望がありましたら、お早めに八障連事務局までお知らせください。
《わかくさ福祉会の事業所に「臨時監査」が...。》
私どもわかくさ福祉会の事業所に八王子市福祉部指導監査課による臨時検査が 8/24(木)に実施されました。その事業所は昨年「実地検査」があったばかりだったのですが...。内容としては、以前通信(Vol.324 号)でお知らせしたとおりで、申請のあった通り運営されているかなどを確認する程度で、何ら身構えることはなかったようです。サービスの現状を確認することがメインで、当日の利用者の状況、職員の配置状況などを確認することがあるが、その場にいる必要はない(提出の要求のあった書類等はお渡しする必要はあるが...)。また、事業者の負担に配慮をして検査を行うということで、記録等も対象になるが、直近の書類については考慮するとのこと。日々適正に運営がなされていれば基本的に問題はないということを確認できた。調べられるというより、運営状態に問題がないかの確認をしてもらうという感じでよいと思われます。(文責/事務局 立川)


【お知らせ掲示板】
✦「市障害福祉課との懇談会」は、11 月 17 日(金) 18 時より
八王子市役所本庁での開催となります。ご参加のほどよろしく
お願いいたします。(運営委員会)

八障連運営委員会
10 月 26 日(木) 18:30~20:30 クリエイト

市障害福祉課との懇談会
11 月 17 日(金) 18:00~21:00 八王子市役所本庁


【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久】
《番外編 旭川での出来事 速報II》
北海道ツーリング、16 時間もの船旅、1,350 kmもの列車旅といずれも初めての体験だったが、勿論(もちろん)食道静脈瘤を破裂させたのも初めてなら、危篤状態(きとくじょうたい)に陥(おちい)ったのも初めてだった。八王子へ戻るまでは初物尽くしの「感動旅」だったが、後半の虎の門病院分院での 2 週間はいつもと変わらない「まったりとした入院生活」だった。
7 月 11 日 10 時過ぎには川崎市梶ヶ谷にある虎の門病院分院の入院受付にいた。12 回目の入院となる。B型肝炎を発症してから 34 年半が経ち、人生の半分を占める程にもなった長い闘病生活の中では今回が一番の危機的状況だった。5 分、10 分を争うような事態で、あと10 分遅ければ閻魔様(えんまさま)とのご対面と相成っていただろう。そういった峠を越しての入院となった分院では、検査と結紮術(けっさつじゅつ)の時の 2 回内視鏡を食道に挿入する以外は何事もない、ただひたすらに回復を待つ日々だった。結紮術(けっさつじゅつ)とは、瘤になって膨れている静脈瘤の根元に輪ゴムを巻き付け、きつく縛(しば)る手術のことを言う。内視鏡の先端に取り付けられた装置の瞬間芸である。そうすると瘤の部分に血液が行かなくなるので、瘤になっていた部分だけが壊死(えし)し、剥(は)がれ落ち、元の細い静脈に戻る。肝硬変になると、肝臓内の血流障害の為門脈圧の亢進が起こり、この為血液がバイパスを作って流れるようになり、食道静脈瘤が出来やすくなる。だから、肝硬変になってからは 3 年に 2 回位は内視鏡検査をしてチェックしてきたのだが、今回は少し間延びしてしまい、2 年以上チェックしていなかったのだ。虎の門ではゆとりが一杯あると考え、一冊の本とパソコンを持ち込んだ。世界文学全集の「キルケゴール」を読みながら、肝炎闘病記の執筆に励みつつ、筋肉が落ちるのを少しでも止めようと広い病院の敷地いっぱいの散歩を続けた。広いと言っても 1
周 15~20 分位で、大体 3 周位で止めておいた。と言うのも、ある暑い日に 5 周歩いて汗びっしょりになって帰って来たところで、Dr と鉢合(はちあ)わせ、自重するように注意されたからだ。
6 月 28 日(27 日は絶食状態)からのお粥(かゆ)生活は、7 月 26 日の退院後も 1 週間続け、約 40 日という長期間となり、体重は約 10 kgも減ってしまった。毎食完食しても日々体重が減って行くのは何とも切ないものだ。痩(や)せるというのは厄介なもので、筋肉がまず失われて行く。頬がこけ、よろよろとすると、気持ちまですっかりお爺さんになったような感じになる。散歩を続けても筋肉の消失を食い止められる訳でもなく、気休めに過ぎないが、気分転換と身体を温めたいという切ない想いからでもある。
病棟が新しくなってからの夏場の入院は、11 年前の 8月と今回だけだ。11 年前は、癌(がん)が疑われて 5 月に検査入院したのだが、生検までしても癌と言い切れない怪しげな陰りがあった。犯罪の世界では疑わしきもの罰せずと言うが、医療の世界では怪しいものはたたけという事で、休みの取り易い 8 月にラジオ波凝固法という施術を受けた。この時は体調が余り良くなく、珍しく散歩する気力も体力もなかった、殆どをベッドに横になって過ごした。そ
んな入院生活はこの時一回きりである。夏場なのに寒くて仕方なく、ヘルパーさんに頼んで毛布を 3 枚貰って被っていた。それでも震えているような感じだった。体調が良くないので、寒さを感じるのだろうとその当時考えていたのだが、今回も身体の冷えを強く感じ、午後になると気持ちが悪くなることもあった。
ある日、私と対角線上のベッドに高齢の患者が入院して来た。看護師がいろいろな説明に来た折に電気毛布を要求しているのが聞こえてきた。電気毛布?と驚愕した。冷房が嫌い、寒くて仕方ないと仰っていた。私だけではないことが分かり、ホッとした。担当の看護師がベッドサイドに来た時に電気毛布の事を話したら、直ぐに持って来てくれた。強い冷房に電気毛布と言う取り合わせはエコには凄く反することだし、奇妙でもあるが、身を守るためには仕方ない。寒さを訴えても、ひとりだけしか同意してくれず、どの看護師も反応がはかばかしくなかった。全館冷房の他、各病室に個別のクーラーが付いており、何と 25°Cに設定されているのが後ほど分かったが、何故と言う問いに誰も応えてはくれなかった。体調が余り良くなく、散歩に出掛けられない時に電気毛布を使ったが、冷えを感じた時はなるべく外へ出るようにした。正面玄関脇に置いてあるベンチ(西向き)に腰掛けて過ごす日も多かった。
日中は外来に来た患者さんや見舞に来られた人達が腰掛けているのだが、4 時頃を過ぎると殆(ほとん)ど空いており、夕焼けを見ながらじわじわと身体が温まっていく心地良さを味わうのは乙なものだった。退院した後、8 月 3 日から普通食に戻した。Dr の慎重にという言葉を守り、暫くはバイクでの移動しかしなかった。徐々に歩く機会を増やしたり、自転車に乗ったりし始めた。普通食に戻すと体重はすぐに増えだしたが、じれったい程にゆっくりだった。満を持して 8 月 18 日約 2 ヵ月振りにテニスコートに行ってみたが、動きは鈍く、足がもつれることもあり、ラケットに球を当てるのも儘(まま)ならない
ことに軽いショックを受けた。
振り返って考えてみると、今回は数々の奇跡としか言いようのない偶然が積み重なっていた事が分かった。内視鏡の映像で見ると、破れた静脈瘤は結構な大きさになっていた。つまり、いつ破裂してもおかしくない状態だったのだ。東京にいても静脈瘤破裂は起こっていたかもしれず、間に合わなかった可能性がある。内視鏡結紮術(けっさつじゅつ)に慣れていない当直医しかいない救急病院に搬送され、うまく手術が出来なかった可能性もある。群馬大学病院での内視鏡手術を受けた患者が何人も死亡したという報道はつい最近の出来事である。北海道では、医療資源が札幌市に集中しており、地方では旭川医大病院と旭川日赤がある旭川市くらいしか大きな病院がなく、どこの地方も医師不足で機能していない診療科もあるようだ。だから、救命救急センターも偏在しており、高度な医療を要する救急患者については長距離搬送を余儀なくされ、タイムリミットのある患者の場合は間に合わずに手遅れになってしまうことが多々あるのが実情らしい。私の場合もこのケースに当たる。破裂したのが旭川市内だったという事、受け入れてくれた病院のこの日の当直医がたまたま肝臓の専門医(尚且(なおか)つ私の主治医の遠い弟子)だったという事、どちらが欠けても私の生還は覚束(おぼつ)なかったかもしれない。偶然が幾つか重なったとは思えないような、見えざる手に導かれるように旭川医大病院に辿(たど)り着いた。とは言え、救急室の手術台の上での凄絶(そうぜつ)な状態はまさに地獄への一里塚だった。あのまま彼岸(ひがん)へ迎えられていたら、あれ程楽な死に方はなかったと思える。痛みも苦しさも一切なかった。あっけない終わり
方とも言えた筈だ。10 年位前からだろうか、パオの年齢の近いメンバーと時々「ピンコロ」を話題にしていた。長患(ながわずら)いだけは嫌だねと言い合っていた仲間たちがこの 2 年間に 2人とも見事にピンコロを成し遂げ、あの世へ首尾よく去って行った。私は続く 3 人目とならずに、一歩手前で此岸(し
がん)へ引き戻された訳で、八障連通信の編集を担当している山田さんが前号に書いておられたように、不死鳥のごとく生還した。私が自らのいのちを生きるのではなく、何ものかに生かされているのではないかという感覚を今回ほど強く感じたことはかつてなかった。
物心ついてから、この世はなんと生きづらいのかと感じ、大人達や社会への不信感を抱き続け、生まれて来なきゃ良かったと思いつつ、人間とは何か、社会とは何かと問い続けて生きてきた。心理学、哲学、社会学などの本を読み漁(あさ)りつつ、精神科及びその周辺の世界で日々の糧を得てきたが、もっと若い頃は生き急いでいると周りから言われていた。40 歳台以降の自分の姿を思い描けず、短命で終わると考えていた事を考えると、68 歳と言う年齢を今生きていること自体が不思議な感じがすることもある。この生きづらい世の中をどのようにしのぎ、生きて行けば良いかと苦悩は尽きなかったが、老境を迎えてみるとどう生きるかと言う問題より厄介な難題が待ち構えている事に気付かされた。生きるという問題は自分一人で試行錯誤して行けば済むのだが、死ぬという問題は死んだ後の処理・整理を誰かに託さざるを得ないという、より厄介な問題を孕(はら)んでいる。野ざらしのまま風化していける植物や昆虫たちが羨ましく思える。死んでしまえば後は野となれ山となれだが、死んだ直後だけは他人様に己を委(ゆだ)ねなければならないという不条理。「おひとり様」は
生きている間だけの贅沢(ぜいたく)とも言える。そういう意味では、今回あのまま黄泉(よみ)の世界に迎えてもらった方が良かった気もする。
今回の奇跡の数々は、私をして何かをなさしめようとする天命かもと感じさせる私の妄想(もうそう)。「まだ生きよ」ということであり、「やり残している事がある」という教示なのだろう。まずはこの闘病記を完成させることかもしれない。勿論(もちろん)、未完成と言う終わり方しかないのではあるが。精神科で培(つちか)った知恵の少しも残しておかなければいけないだろう。兎(と)も角(かく)、あの時死んどきゃ良かったのにねと陰口をたたかれないように、またそう自らが思わざるを得ないような事態も招かないように心掛けたいところだ。思案のしどころである。「どうすればいいのさ、し~あ~んばし」。(完)



【連載コラム vol.14 『それでも、いつもどおりに...』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
予期期しない出来事に遭遇(そうぐう)したとき、咄嗟(とっさ)にどうしてよいかわからなくて戸惑(とまど)うことがある。先日ボランティアワークに出かけようと、ある街(まち)でバスに乗ったときも、そのような体験をした。
私はそのバスに途中の停留所から乗り込んだので、すでに車内が混んでいて座(すわ)ることができず、一つの座席の脇にアーサと立っていた。ところが、バスが動き出して間もなく私の案内役の K さんが「お利口ワンちゃんなのよ」と誰かに話しかけているのが聞こえた。「バスに犬が乗ってきたから、赤ちゃんが驚いたみたい」と K さんがすぐ私に説明してくれた。「そうなんだ」と私も状況を理解したつもりで、「あなたより大きいけど、すごーくやさしいんだよ」と話しかけてみた。しかし、その子の驚きは消えなかったのである。
あとで Kさんが伝えてくれた話によると、そこには乳児がお母さんに抱っこされて座(すわ)っていたのだが、その子がしくしく泣き出したので「これは無理」とお母さんが判断して、バスを下りていったのだと言う。そして、その出来事で空いた席に、私が座ってしま
ったのである。
私はその赤ちゃんにとても可愛想なこと、いけないことをしたように思えてショックを受け、数日間落ち込んでいた。「あのとき私はどうす
ればよかったんだろう。」、「どうしたら、あの子にアーサのことを理解してもらえたんだろう」、「将来あの子が犬嫌いになったら、どうしよう」等いろ
いろな思いが頭を駆(か)けめぐった。子育て経験のある友達にも私の思いを話して、意見を聞いてみた。すると、赤ちゃんに物ごころがつくまでは、何を
言っても駄目。赤ちゃんが泣き出してしまったら、気分を変えるために別の場所に行くことは育児の常套手段(じょうとうしゅだん)みたいなものなの。あ
なたは普段どおりにしていればいいのよと、なだめられて、少し落ちついた。誰にどう思われても、私にとってアーサは無二の家族。アーサにとって楽し
い時間にしようと遊歩道に出かけると、草原で伸び伸び寝転んで、しばしの休憩時間を楽しんでいる。


【編集後記】
今号も、前号に引き続き、小濱氏の「闘病記 番外編 旭川での出来事 速報II」を見開き(P2~P3)で掲載させていただきました。小濱氏の術後のさらなる回復を祈願するとともに、今後の活躍を期待します。また「闘病記」の執筆・連載も、よろしくお願いいたしますネ。(編集部 Y)/「光陰矢の如し」、2017 年も、はや 10 月となりました。年内は「市障害福祉課との懇談会」(11/17 開催)で八障連の主要な活動はひとくぎりつきますが、2018 年には、「市議懇談会」(2 月)、「福祉フォーラム」(3 月)がひかえております。さあ、2017 年度後半に向けて盛り上がっていきましょう。(M)/引き続き会員団体からの原稿を募集しております。原稿は八障連のメルアドへ送付ください。(編集部一同)


通信本文はここまで。
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