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日々思うことをつらつらと

愛知淑徳大学卒業研究展2012

2012年04月07日 | インテリア・建築・デザイン
選抜展なので、全体的に完成度が高い作品が多く、インテリア、プロダクト作品もあり、うちの学科と雰囲気が似ているね。うちの学科の学生にオススメですね。

気になったのは、加納有芙子「うつろひ-光と影の廻廊-」で、光を使った卒業設計は、どう伝えるかがとても難しく、そんな中で、CGでしっかりと光の動きをスタディし、一生懸命表現できるとまで作り込む意気込みを感じた。空間の機能が自由度が高い設定で、祈りの空間的な要素しかイメージできないのがもったいない(CGに人がいない点も)かな。デザイン女子でも投票したが、他の審査委員にこの辺りが伝わりきれていなかったことからももう少しだったのかな。

他には、MESHでもプレゼンしていた安田光希「水の都-地下水を介したコミュニケーション-」は、これも表現が難しい水をテーマとした提案で、地下水を要素に商業施設との融合を目指したもので、テーマパークにも見えるが、居住環境も取り入れていて、可能性を感じた。

他にも、場所性をしっかりと読み解きながら設計をしていた 坂友紀乃「ヒト・シゼン・ツナガリ-自然から学ぶ地域のコミュニティ-」、坪内隆也「消える村、残る跡-天竜川流域に現存する人工林の利用と廃墟の再生-」や、結構斬新な提案の中根恭一「国会移動計画」など、多様な視点があるあたりは、淑徳の個性だろうか。




名市大卒業制作展2012

2012年04月07日 | インテリア・建築・デザイン
全体的には、敷地の特性を活かす提案や規模が大きめの設計が多い印象。規模が大きいだけにそこでの行為や場面が大まかな感じがして、スケール感がちょっと認識しきれていない気もした。プレゼンボードがシンプルにまとめられていた一方で、その分情報量が少なく、詳細まで読み取るのが難しかったかな。ポスターセッションのように、設計者が滞在していてくれるといい感じ。

気になったのは、馬場智嘉「1/100 - 100年に一度の大災害のための小学校」。廊下などの媒介空間をうまく使う視点や、決して快適性のみを追求している案と違って、状況と時間軸を考えられている(感じ?、深読みかもしれないが)。竹内夕貴「大家族の大きな家-まちの銭湯と学生寮を中心とした提案」もいい視点。特に、銭湯と学生寮とも現代社会において、可能性を持っている機能で、ずっと気になってきた機能なので、その組み合わせ案は興味深い。まだ、銭湯と学生寮との複合的な提案にとどまっている気もしたが、できた空間の繋がりは身体的にも魅力的だった。

他にも、dipcolle2012のファイナリストにもなった久保祐里子「つながる丘の家」も駅間コンコースの空間化と造成した丘との関係性が特徴的で、ちょっと空間部分が大きすぎる感もあるが、しっかりとまとまっていた。近藤一仁「路地の都市」も気になった。路地の生成過程とかそこで起こる場面とかがちょっと把握できず、空間構成が解ききれているのかがわからないのが残念。

選抜展ではなく、卒業設計に取り組んだすべての作品が並んでいるんだけど、全く設計できていない作品とかがなく、全員で切磋琢磨し、協力しているような一体感があり、とても共感が持てた。そのあたりが名市大の特徴だろうか。


愛知・名古屋芸術系3大学卒業制作展

2012年04月07日 | インテリア・建築・デザイン
今年は、名古屋造形大学、名古屋芸術大学、愛知県立芸術大学の芸術系3大学の卒業制作展にいってきた。3大学を回ったのは、芸術系大学でのインテリア・建築がどんなレベルなのかを再確認するためで、東京藝術大学などの建築設計のレベルや方向性は、日々近くでガリガリと藝術、美術の制作過程を見ている(触れている)からかなと勝手な憶測をしているんだが、それの確認をしたかった。まずは、愛知県下でこれだけの芸術系を学ぶ学生がいることを再認識した。

3大学の芸術系大学でのインテリア・建築については、そもそもインテリア・建築を専攻している学生が少ないという印象で、視点も芸術系という部分よりも結構一般的な考えが多く、憶測していた感じとはちょっと違ったね。

この違った感覚は、インテリア・建築に限らず、芸術系は、ガリガリ制作に没頭し、その雰囲気というかオーラが作品から滲み出てくると思っていたが、ファインアート系のさっぱり感がちょっと残念。

でも、3大学の作品で一番感動したのは、名古屋芸術大学の洋画コースの水野里奈「そと。/これがかきたかった。」で、やはり、芸術の心に届く強さは間違いないね。水野さんの作品は、空間的な要素もあるからもあるが、配色と構図のバランスが素晴らしく、感動してしばらく眺めていた。学生の作品でここまで感動したのはあまりなかった。本人もいて色々と制作行程や苦労話も聞け、個展もやるそうなので行ってみたい。作品も販売されれば購入を考えたいくらい。まだまだ芸術は大丈夫だなと確信した。

名古屋芸術大学のスペースデザインは頑張っているかな。それと、デザインマネイジメントコースのテーマ設定がユニークで、感性デザインにも繋がる視点は参考になる。

3大学とも、力が入っているのは、PCを使ったイラストレーションやパッケージデザイン、視覚伝達デザインなど、今の時代を反映した方向に変化しているのかもしれない。でもやっぱり、芸術バリバリのアート作品にも期待したいし、それらを取り込んで、一段と新しい視点からのインテリア・建築作品も期待したい。




studio velocity 展「fluctuation [ゆらぎ]」

2012年04月07日 | インテリア・建築・デザイン
studio velocity 展「fluctuation [ゆらぎ]」のオープニングパーティへ。

実験的なインスタレーションが2作品展示されていて、1Fには「水のようにゆらめくストラクチャー」。超薄のフィルムを有機的に繋いで自立させる作品で、光の当たり方によって様々な表情を見せる。微風での「ゆらぎ」が体感できる。この弱々しい中での自立という重力と闘う姿勢は、石上純也的なテイストを感じる。初感覚的には、神戸ビエンナーレ2011の「高架下アートプロジェクト」の「MEETING/ タトアーキテクツ」の感じだった。「水のようにゆらめくストラクチャー」の構造的な強さと「MEETING」の柔らかさが違う点か。

地下1階「floor-scape,scanning traces」は、床のクラックや痕跡に物語りを作り、川に見立てた風景を作っていた。この痕跡を追う視点は感性デザイン論の中でも取り上げていて、おもしろい試み。「痕跡を拾う行為がリノベーションに繋がる」というところは、なるほどであった。視点としては、須田悦弘の作品に似ている。違いは、スケール感で、これがアートと建築的視点の違いのひとつかもしれない。

ヴェネチアビエンナーレ2012への出展に向けた案の実験的なインスタレーションということもあり、「実験的」というキーワードの中で、ギリギリの境界を探っているところが studio velocity らしいと思った。この意識が、 studio velocity の建築から感じられる。

studio velocity 展「fluctuation [ゆらぎ]」。

会期:2012年3月31日~4月8日(4月4日休館)12:00-19:00。
会場:masayoshi suzuki gallery(岡崎市)。
無料。

http://www.studiovelocity.jp/title/page/index/newsfluctuation-1.html

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YouTube: 神戸ビエンナーレ2011 高架下アートプロジェクト No.157