佐倉市議会はしおか協美
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佐倉市戦没者追悼式が音楽ホールで行われ、戦争でなくなられたかたがたのご冥福をお祈りするとともに、恒久平和を祈念しました。 

佐倉市役所敷地内にある、忠霊塔には、西南戦争 以降に戦争で亡くなられ た印旛郡内各市町村およ び八千代市出身のかたが たの、

遺骨・遺品などが 安置されています。

 

「平和のメッセージを世界に」と活動する長崎の高校生平和大使が掲げる言葉「私たちは、微力だけど、無力じゃない」。

この、被爆地長崎から発せられたメッセージを今日の追悼式で改めて胸に思い起こしかみしめながら献花させていただきました。

 

11月8日佐倉市市制施行60周年事業-田上富久長崎市長による平和講演会「長崎市長が語る 平和への思い」が佐倉市民音楽ホールに於いて開催され、

佐倉むらさきライオンズクラブのメンバーとともに参加いたしました。

幕末、老中首座で佐倉藩主であった堀田正睦公が蘭学を奨励し、佐倉では長崎から学んだ蘭学が佐倉順天堂で行われ

「西の長崎、東の佐倉」と、蘭学他何かとご縁の深い長崎市と佐倉市ですが、昨年の3月、長崎あじさいライオンズクラブの5周年記念式典が

ガーデンテラス長崎にて開催され、佐倉むらさきライオンズクラブの会長幹事含む6名で出席し両クラブの姉妹提携が結ばれました。

同地区の名誉顧問でライオンズクラブ国際協会元国際理事で長崎あじさいライオンズクラブ5周年記念式典主賓の大久保彦医師は

佐倉順天堂の創始者佐藤泰然の子孫であるという、ご縁もありました。

田上長崎市長の平和講演会では、知る事、伝える事、繋がる事、平和を作る事・・・子供達に平和の種をまき育てることの大切さを

力説されていましたように、まずは、他人を受け入れることで、いじめが無くなり、諍いが無くなり、平和が訪れるのです。

毎年、この戦没者追悼式は行われ、誰でも献花できますので、機会があれば是非ご参列ください。

私も長崎の高校生を模範にし、微力だけど、無力じゃない小さな行動で、子どもたちに平和のバトンをしっかりと渡したいと思います。

 



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