脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

探し~探し求めてぇ~~~・・・

2018-08-28 20:50:51 | Weblog


 結局、整形外科に行った。

 ロキソニン又はモーラステープをもらうだけの目的だったので、いかに!空いている整形外科を

 必死で頭の中で探した。

 
 大正解===。


 問診票に「ロキソニン又はモーラステープを処方して欲しい」と書いただけで、ふた言、み言、話しただけで

 診察は終わり(先生は呆気にとられていた。レントゲン撮りますかと言って下さったのに、

 いえ、レントゲンは結構ですと患者のわたくしに断られたし)ひと月の処方限界の量を処方して欲しいと申し出たのも

 驚かれた。「貴女、看護師さん?」と聞かれたので「違います」と言った。

 隣の調剤薬局でL版モーラスを10袋もらって帰宅した。(¥670也)


 診察や検査、治療が人気の所は、めちゃくちゃ混む。

 神経根ブロック注射や、ヘルニヤの手術だったら行く整形外科はわたくしは決まっている。

 そうそう、足がしびれた時には「わたくしも脊髄腫瘍かも知れないから検査して欲しい」と

 慶應病院の整形外科に行った。行った時に先生に「夫婦で脊髄腫瘍だったら世界でたったひと組の夫婦ですよ」

 と言って、笑ったけれど、先生は真剣だった。

 色々検査したら、神経内科に回されたのを覚えている。


 ただやみくもに病院というかドクターショッピングしても意味がないと思っているわたくしは

 今日は大正解だったと「ニコパー!」と笑っている。


 はい、、、ということで、今日は病院の選び方でした(笑)


  では、、、


       ごきげんよう









 
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初診で縁切り。。。

2018-08-22 20:21:59 | Weblog


金足農業は負けてしまったけれど、よくがんばったなーーー。感謝だ。


今日は常日頃、悩まされている腰痛を治したいと接骨院に行った。

整形外科ではモーラステープを処方してもらい、、

腰痛体操も毎晩欠かさず、、、

椎間板ヘルニアで神経根ブロック注射を何度も受けているので、次に脚に痛みが出たら手術だと言われていることもあり

真剣に腰痛の事を考えていた。

先週も違う接骨院に行ってみたが、説明が要領を得ない先生で、不信感が湧いたので今日は

また、違う所を探して行ってみた。

本当は30年来のお付き合いの整骨院に行くんだけれど、残念ながら、もう行く事は出来ず、、、

今日行った接骨院はよく通る道に面しているので気になっていた。

が、入った瞬間、違和感を感じた。

結果から言うと、院長と治療方法や物事の考え方、捉え方が全く合わなくて2時間以上激論を交わし、決別した。

どうにかならないものか・・・と双方探しながら話をしたけれど、わたくしは先生の言い回しが気に食わなかったし

先生は、わたくしの執拗な質問と不信感に満ちた追い詰め方が気に食わなかった様だ。



「4~5回通ってくれれば70%まで回復する」といいつつ「20分のストレッチを5セット毎日やること」

と、いうし、、、、わたくしの頭の中には”矛盾”と”否定”しか無くなっていた。

わたくしがいつもやっているストレッチを見せてというので、やってみると、、、

「腕を頭の上にあげるのはイイが腕を横に回すのはダメ」???だった。

「先生がお持ちの国家資格は何ですか?」「勉強会って学会のこと?どんな勉強会なんです?」と

いつしか、喧嘩腰になってしまったわたくしである。。。反省。


結局、”初診にて絶縁”


  「じゃ、グッドラック」と言って帰って来た。


今まで色んなDRや接骨院等々の先生を相手に仲良くやり取りするわたくしが常だったが、、、

今日みたいな先生は本当に驚いた。驚いたと同時に怒りが湧き追い詰めたくなった。

患者を、、どこか痛かったり辛かったりして日々努力する患者が来た時に、どんな言葉をかけるべきであろう…


今日の体験は、わたくしは、今まで、医者に恵まれてきたなぁ~と実感する出来事だった。

医者とあうんの会話が出来るように日々学ぶ事を改めて柔道整復師に教えてもらった。


明日も休み、別の整骨院にいってみよーーー!


では、、、


       ごきげんよう



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金足農業応援団になったわたくし。

2018-08-21 11:11:25 | Weblog


何気なく昨夜ニュースを見ていたら高校野球がTOPニュースになっていた。

秋田県の金足農業高校が決勝に進んだ。と熱くアナウンサーが語っていた。


この時点で寝転んでいたわたくしは飛び上がった。


岩手県出身のわたくしはなんだか、ソワソワしてきた。。。


勝って、校歌を歌う姿を見たら、背中を逸らし、大きな声で一生懸命歌う姿に、いつしか涙が流れた。。。


今日は、たまたま休日なので、TVの前で「かなのう」を応援したいと思う。


野球はぜんぜん分からないし、興味も無かったんだけれど、、、

雪深い東北の高校球児(息子と重なる)が、頂点を目指して力の限り頑張る姿に力をもらい、、、

そして、震えるような感動を体感したいと思っている。


ガンバレ!!  カ・ナ・ノ・ウ!!!!!



では、、、


     ごきげんよう
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きれい、、、

2018-08-18 19:21:48 | Weblog



息子が寮に帰って、万起子の散歩はわたくしの仕事に戻った。

今日の夕方の空は本当にきれいだった。



この10日ほど、、、アクセス数と閲覧数が断続的に多い。切れ間が無い。







毎年、夏。しかも、お盆休みの時期にこのブログは読まれている。お盆の恒例とも言える。


1人の人が、アクセスしただけではこの数字にはならない。

一体何人の人達がアクセスしているんだろう??

閲覧数は最初から読めば、ある程度の数字にはなるだろう。だって、遡ること12年だから。


読んで下さっている方に言いたい。


「理解できるまで熟読して頂きたい」

そして、、、

「理解できない時は、他で検索し大学病院が発表した論文を引き出して読んで欲しい」


命にかかわる、、、そして、術後の後遺症にかかわる、一大事だから。脊髄腫瘍は。

医者によっては、敢えて、おおげさに説明してくれない医者も居るかも知れない。

しかし、患者には本当の事、可能性の部分まで事細かに聞く権利がある。

医者の前で、ひるむことなく、くいついて質問できるようになるためには、脊髄腫瘍に関して徹底的に勉強するしかない。

手術後の後遺症に苦しみ、「こんなはずじゃなかった…」等と言うのは自己責任も半分あるとわたくしは思う。

そして、色々質問して、それを嫌がる医者だったら、その医者にOPはしてもらうべきではないと思う。

その後、ずっと付き合って行く医者を選ぶ権利が患者にはあるのだから・・・



では、、、


        ごきげんよう




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ベリーショート

2018-08-16 19:03:57 | Weblog

毎日暑くて、嫌んなっちゃうなぁーーー。。。

ものすごい暑さの中、機械浴での入浴介助は地獄だ。


あーーー、、、


と、思い。。。


人生初!「ベリーショート」に髪の毛を短くカットした。


抗がん剤治療の最中は、ベリーショート???って言っていいのか分からない生え方だったが、


今回は、正真正銘の、ベリーショートだ。


癌になる前は、君島十和子も真っ青の、ロングの巻き髪がトレードマークだったわたくし。。。


その頃は自分がベリーショートになろうと思うなんて微塵も思っていなかった。


人って、、、変わるもんだ。。。


これからも、進化し続けたと思っている。はい。52歳。


では、、、


       ごきげんよう
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探して探して、読んで読んで・・・

2018-08-08 09:27:59 | Weblog





昨日のアクセス及び閲覧数。


10年前のわたくしと夫はPCの前で毎日毎日、毎晩毎晩、日によっては夜通し、、、

「情報」を集めていたな。。。



脊髄腫瘍についての最新情報を記事にしたいと思うが、残念ながら10年前とさほど変わっていない。

離断術に関しては、離断した後、離断した下の部位の脊髄を全摘するようだが生存率も変わっていない気がする。


夫の手術の執刀をした医師は教授職になり、iPSの脊髄再生の研究者としての仕事が忙しい様である。

脊髄腫瘍は若手の医師に代替わりしている。


このブログの中にはオンタイムで書かれた体験談が詰まっている。

後から修正を加え書き直し、適時掲載してきた。


だれか、最新の情報の詳細を書き残して下さるとイイと思うのだけれど……難しいかな。。。


では、、、



       ごきげんよう


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続き、三日目…「脊髄腫瘍の種類」

2018-08-07 17:22:06 | Weblog



脊髄腫瘍について調べている方へ。

症状その他、色々不安な事、術前であれば後遺症などの事が気になると思いますが。

実は、腫瘍の種類とグレードが脊髄腫瘍において全てをつかさどると言ってもいい気がします。


過去の記事ですが、参考にして下さい。そして、ご自身かご家族で勉強して下さい。


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脊髄腫瘍の種類
2015-07-21 15:23:22 | Weblog
昨日のアクセスに脊髄腫瘍の患者さんらしき人のアクセスが多かった。
多分「脊髄腫瘍」について、お調べなのではないかと思い、下記に
2009年9月17日に記した”脊髄腫瘍の種類”についての記事を
貼り付けてみたのでご拝読頂ければと思う。参考になればいいのですが……


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脊髄腫瘍の種類について。
2009-09-17 08:57:45 | Weblog

前回は、脊髄腫瘍の中でも星細胞腫(Astrocytoma)のグレード4・膠芽腫についてのみ触れた。

今日は脊髄腫瘍全般について少し書いてみようと思っている。

脊髄腫瘍は硬膜外腫瘍・硬膜内外腫瘍・髄内腫瘍に分かれるが
髄内腫瘍について大まかな私の知る限りの知識を書いてみる。


髄内腫瘍は上記の3つの中で約10%の確率で発症し、その多くは神経芽腫(←これ間違いでした。正しくは神経膠腫(Glioma)でした。コメントで指摘され間違いに気付きました。ごめんんなさい)のEpendymoma(上衣腫)Astrocytoma(星細胞腫)のようで、小児の方が星細胞腫である事が確率として多いと言われている(若年の方がAstrocytomaの確率が高いということで、一応クロちゃんも若年だと思っている)。
次に、血管芽細胞腫・転移性腫瘍・海綿状血管腫・悪性リンパ腫などがある。

Ependymoma(上衣腫)は頚髄から馬尾まで発症するが、馬尾になると粘液乳頭状状衣腫の方が多いようだ。粘液乳頭状上衣腫に関しては、きれいに袋ごと摘出できれば、生命予後にかかわる事はないと聞いているが、後遺症として排尿排便機能障害、歩行困難が残る事もあるようだ。
袋が破れると全脊髄に細胞が散り、その後、放射線治療が必要となるとされている。
Ependymoma(上衣腫)に関しては境界がはっきりしているという事もあり、良性と位置付けられ、摘出してしまえばその後のMRI検査を断続的に続けることにより、腫瘍を取った部位の空洞等の観察により生命予後を心配する事はないようだ。ただし、脊髄にメスを入れた時点で”脊損者”になるので、痺れや痛み、歩きにくさや握力など色々症状は個々それぞれ違うようです。

Astrocytoma(星細胞腫)これは悪性。
境界が不明瞭で(クロちゃんのMRI検査の映像はボヤっと霞がかかったような、天の川みたいな腫瘍像でした)全摘出出来るのは低悪性、しかもグレード1くらいではないかと思う。ここで、グレードという言葉が出てくるが以下にAstrocytoma(星細胞腫)のグレードを表にして記してみたいと思う。


Astrocytoma(星細胞腫)
*Astrocytic tumor:星細胞系腫瘍(以下に関しての病理判別基準は脊髄腫瘍は脳腫瘍と同じである。というWHOの腫瘍判別基準に基づく)

グレード1
・Pilpcytic astrocytoma:毛様細胞性 星細胞腫 
・Subependymal giant cell astrocytoma:上衣下巨細胞腫性星細胞腫

グレード2
・Pilomyxoid astrocytoma:毛様粘液性星細胞腫
・Pleomorphic xantho astrocytoma:多形黄色星細胞腫
・Diffuse astrocytoma:び慢性星細胞腫
・Frbrillary astrocytoma:原線維性星細胞腫
・Gemistocytic astrocytoma:肥胖性星細胞腫
・Protoplasmic astrocytoma:原形質性星膠細胞腫

グレード3
・Anaplastic astrocytoma:退形成性星細胞腫

グレード4
・Glioblastoma:膠芽腫 ←これがクロちゃん。
・Giant cell glioblastoma:巨細胞性膠芽腫
・Gliosarcoma:膠肉腫


と、書き残しておく。
他の腫瘍(血管芽細胞腫・海綿状血管腫・粘液乳頭状上衣腫など)に関しても、細かな基準はあるらしいが、むずかしい。

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脊髄腫瘍の知識がない方にとっては意味不明な内容だと思う。

しかし、わたくしは、夫が脊髄腫瘍になってから、猛勉強した。

「わたし、医者になれないかな??」と真剣に医大を受験しようと思ったほどだ。

 夫に相談したら……

     「医者になるって、独り立ちするのは今からだと…60歳になるな…」
      
     「って言うか、、俺の面倒を誰が看るの?」だった。


即座に医者になる事は断念した。。。トホホ……


昔のブログには医学的な内容が多く出てくる。遡って読んで頂くのは嬉しいが
長すぎるブログ・膨大な量なので、恐縮至極でござる。。

また、アクセスを見て、必要と思う記述を貼り付けて”最新”にしていきます。

では、、、


   ごきげんよう



追記、脊髄腫瘍の記事はしばらくお休みしますね^^。




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続き・・・「改めて脊髄腫瘍」再び。

2018-08-06 09:19:44 | Weblog



昨日のアクセス数。

猛烈に誰かが、、探して読んでいるんだと思う。

2015年12月6日に書き記した記事「改めて、脊髄腫瘍。。。」と言う記事。

この記事は断続的に閲覧記事TOP5に入っている記事である。


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改めて、、脊髄腫瘍。。。
2015-12-06 06:13:56 | Weblog
昨日ブログに書いたように、「脊髄腫瘍について」向き合っている。

脊髄腫瘍には種類が色々あるが、良性の腫瘍は「全摘出」が当たり前である。
それでも、部位によって、いろいろな後遺症が残る。右側・左側片方の人もいれば
両方の人もいる。左右の差もある。痺れ、痛み・温感鈍麻・感覚鈍麻は共通している。
部位によって、上肢だけだったり、下肢だけだったり、色々である。
下肢のひとが口を揃えて言うのが、「スリッパが履けない」だ。
悪性の場合(アストロサイトーマ星細胞腫)は、痛みや痺れの他に、内臓痛も
伴ったりするので、やはり、予後は悪いけれど、グレード1・2・3に関しては
全摘する事が今は確立されている。グレード3でも全摘出来る。
グレード4でも夫は98%摘出している。夫の手術の執刀医は基本的に全摘する。
星細胞腫はヨーグルトの中にジャム入れて軽く混ぜ、ジャムだけを取り除く様なOPだと説明した。
気が遠くなるようなOPである。9時間以上を要した大手術だった。


胸髄の人の後遺症の予後は悪いが、良性のエペンディモーマ(上衣腫)で歩けない、
車椅子使用していると言う人は慶應病院の患者さんの中ではわたくしの知る限り
20年前にOPした人、一人だけだ。当時は術式も術中使用する顕微鏡も
なかった時代だから、これは致し方ないとわたくしは捉えている。
しかし、今の時代、歩けない・排尿排便等の後遺症が残ったという人は
慶應の患者さんの中にわたくしは知らない。術後一時的に予後がひどく
落ち込むが、リハビリを3か月もすれば一人で歩いている。
杖を使い装具着用の人もいるが、この人達は上衣腫ではない、星細胞腫だ。
星細胞腫でも脊髄離断した人以外、車椅子の人には会った事が無い。
あくまでも、わたくしの知る限りだが・・・

頚髄に関しては脳外科がOPする病院も多いと思う。脳外のDRは脳腫瘍を多数経験しているので
その関係もあるのではないかと思う。頚髄の場合は、手、上肢に後遺症が残る。
小銭がサイフから出せない。本のページがめくれない。握力が5~10。瓶の蓋が開けられない。
火傷しても感じない、気付かない。等々。

腰髄は排尿排便の感覚が鈍麻したり、やはり下肢の不全麻痺や脱力、膝抜けが
後遺症としては多いと思う。足の指先が痛むと言う人もいる。

馬尾に関しては粘液乳頭性上衣腫が多いため、袋ごと綺麗に取れれば
そう問題はないにせよ(袋が破けると放射線治療が必要)排尿排便困難が
後遺症として残る事が多いと思う。歩行も元通りと言う訳にはいかない。

悪性の星細胞腫(アストロサイトーマ)に関しては、わたくしは、夫が
そうだった事もあり、知識・情報は網羅しているつもりだ。

夫は500万人に1人という胸髄4・5・6番にアストロサイトーマ グレード4だった。
グリオブラストーマという種類の腫瘍(脳腫瘍のグリーオーマと同じである)だった。
手術時に「迅速生検で高悪性と出たが全摘に近い、98%摘出した」と執刀医から説明があったが、
その後の病理診断(この病理医が向井万起男先生だ)により高悪性のグレード4だった事により、
首から脳に向かって細胞の浸潤を防ぐために(呼吸中枢をやられると呼吸不全で死亡する)結果、
2W後に胸髄1番と2番の間で脊髄を真っ二つに切り離した。
切り離したと同時に胸髄2番から下の部位(胸から下)は「完全麻痺」となった。
この脊髄離断術を施術してくれるのは日本でただ一人、慶應義塾大学病院 整形外科
中村雅也教授だけだった(当時は専任講師だった)
アストロサイトーマ星細胞腫のグレード4の人は確定診断が付かずドクターショッピング
しているうちに、亡くなっている人もいるのではないかと予想が付く。
浸潤のスピードがものすごく速いから。どんどん部位が上がって行き呼吸不全で死亡する。
また、アストロサイトーマG4はミクロの大きさでも出来た時点でグレード4である。
これは、病理診断医の向井先生に説明されて知った。進行によって4になるのではなく
「最初からグレード4」と言う事。大きさは全く関係ない。
開いて、迅速病理検査に出し、高悪性(3・4)が出た時点で、何もしないで閉じる医者もいる。

アストロサイトーマ(星細胞腫)グレード4の頚髄の患者さんには離断術は行わない。
なぜなら、首で離断したらその下が完全麻痺になる。首から下、全部完全麻痺もちろん手も。
あとは、延髄に触れることでもあったら「死」に直結するためである。

アストロサイトーマ グレード2が再発するとグレード3になる。グレード2が一番細胞の
種類が多い。厄介なグレード2もある。が、1と2は低悪性に位置付けられている。
グレード3が浸潤したり(腫瘍が大きくなったり、部位が上の方向に上がる)再発したら
その時点でグレード4と位置付けられる。(浸潤型が星細胞腫だからである)
3の時点で術後(全摘後)、放射線治療とテモダール治療がなされる。

わたくしは、この道をたどった患者さんを知っている。
頚髄のアストロは本当に、、、言葉が無い。
OPで全摘(G3)したにもかかわらず、再発。再発までは元気にウォーキングに励んでいたのに…
痺れを通り越した痛みが日に日に増悪し、24時間苛まれ、放射線治療とテモダール治療で嘔吐と脱毛、
腕をマフラーでぐるぐる巻きにして、帽子を目深にかぶり耐えに耐え、頑張っていたのに、、、
刻々と症状が進んだ。家をバリアフリーに建て替えたが、間に合わなかった。。。

あとは、脊髄離断したのにもかかわらず、脳に腫瘍が飛んであっという間に死に至った人がいる。
この方たちは、離断した時に既に離断した上の部分に浸潤してしまっていた人だ。
じわじわと首から脳に浸潤しつつ上肢に症状が出始め、あっという間に、ポンと脳に飛んでしまった。
記憶障害が出て、全身けいれんの後、救急車で運ばれターミナルに入った。
その中の一人の奥様とは未だにお付き合いが続いている。若かったので介護保険が使えなかった。
幼いお子さんを抱えながら、本当に頑張っておられた。本人は夫の事を兄のように慕い夫が何度も見舞った。
奥さんの顔を忘れてしまうのに、夫の事は「あ、黒田さん!」と目を輝かせていた。
夫が来るのをいつも待っていて、夫は、自分の体もきついのに「○○君の所に行くから車を出してくれる?」
と言って、わたくしが運転し、顔を見に行った。時間が無かった。
夫も、「もう時間が無いんだ、、」と自分の痛みや苦しみはどこかに置いて彼のもとに向かった。
フェンタニルを点滴で断続投与しており、時間が無かった。時間は残酷に過ぎていった。
最期は眠るように静かに旅立った。。

ここに至るのは、病巣からいって、悔しいが、、致し方ない。。。そういう病気なんだから。。

でも、そこに行きつくまでに、残された時間はある。

間違いなく、時間はあるのだ。

だから、今を、今日を、大切に過ごして欲しい。

本人は本人なりに、、、

家族は家族なりに、、、


わたくしは、脊髄腫瘍になった夫に2年間、傍らで寄り添った。

あの2年間はわたくしの宝物だ。

苦しい時、悲しい時、悔しい時、、、色々あったけれども、

間違いなく”夫と過ごした”2年間だった。

濃厚で濃密な、、かけがえのない2年間だった。

大切な人と過ごす時間を、、、もっともっと大事にして欲しいと願う。


こんな風に思えるように逝ってくれた夫に、、、


こころから「ありがとう」と言いたい。。。



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明日は、少し難しいかもしれないが脊髄腫瘍の患者さんにとっては、非常に深刻な「腫瘍の種類」
について書き記した記事を掲載する。


では、、、



     ごきげんよう





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書き記すということ・・・

2018-08-05 07:56:42 | Weblog





昨日のアクセス数。この時期やはり「脊髄腫瘍」の患者さんが増える気がする。

2015年の8月23日に書き記したブログを貼り付ける。

昨日のアクセス記事で一番多い閲覧だった記事だ。




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    夫の脊髄腫瘍の症状の時系列
2015-08-23 06:56:18 | Weblog
昨夜、24時間テレビを観た、夫が亡くなった年に観て以来観られなかった。
どうしても観る気分になれなかった。


「母さん、俺は、大丈夫」

という脳腫瘍の青年のドラマをみた。

病気の詳細は内容に出て来なかったが、グリオーマじゃないかな、、あれは。。。
98%摘出して、放射線・抗がん剤治療しても脊髄にも最終的には降りてきてしまっていた。
この時点で、余命2ヶ月。発病してから1年半後に亡くなっている。

このドラマは実話をもとにしたフィクションだとあった。

昨日は、このブログ、脊髄腫瘍関係者からのアクセスが多かったので、ちょっと長文になってしまうが
過去に書いた夫の脊髄腫瘍の症状が出始めてから摘出術を受けるまでを、一気に読めるように
編集しましたのでご覧ください



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夫本人の証言に基づき、時系列にて症状がどのように変化していったのか、書き記すことにする。

2007年7月頃
右足全体が異常に熱く感じた、けれど、夏だったためと普段から腰痛があったのであまり気に留めなかった。
この前後からひどいぎっくり腰が続き整骨院に通うようになりました。
マッサージをしてもらうと、ふくらはぎが異常に張って痛かった。

2007年秋頃
この頃から足の裏の何とも言えない様な痺れというか、じれったいような、
くすぐったいような感じが始まり、無意識のうちに貧乏ゆすりをしていて妻に注意されていた。
腰の精密検査を受けなければいけないなぁ~と思ったが、仕事が忙しくなかなか病院には行かなかった。

2007年12月
冬になり寒いはずなのに右足の暑さはひどくなり痺れも感じ始める。
和式トイレの時、立ち上がるのに踏ん張れず、ひざがくだける。
便意を感じトイレに行くが間に合わず少し出ていたりする事があった。
その時は理由がわからず自分を情けなく思った。
それでも長年の腰痛が痺れの原因だと思って疑っていなかった。

2007年12月28日
近隣の千葉西総合病院の整形外科にかかり、足の症状を訴えたが膝からばい菌
が入ったための炎症ではないかと皮膚科にかかるようにいわれた。
(年明けに念のため腰のMRI検査予約を入れた)暮れだったため、
総合病院には皮膚科医がいなく、他の皮膚科にかかり塗り薬と抗生剤をもらったが、
足の症状は全く改善しなかった。

2008年1月7日
千葉西総合病院の整形外科で予約を入れてあった腰のMRI検査を受けた結果は
「ヘルニアだけど問題ない」と言われて終わった。
しかし、本人は「これだけの症状があってなんでもないわけがない!!」と思い
その足で同じ千葉西総合病院の皮膚科に行った。
その皮膚科医は「ばい菌で足がしびれたら大変ですよ~!!」
「それより、かゆくない?」と聞かれ皮膚炎の薬を出してくれた。
会計を待っている間、待ち時間が”90分”と表示が出たのでその時間に循環器に行った。
糖尿でも足が痺れる事があるそうで、血液検査と尿検査をしてくれたが異常は見つからなかった。
循環器の医師がビタミン剤を出してくれたが「しびれではあとは神経内科かなぁ~」と言うので
神経内科の予約を入れ帰宅した。この日処方されたビタミン剤は全く効かなかった。

2008年1月中旬
神経内科の予約日がやっときて最初から今までの経緯を話たら
初めてじっくり症状に合わせた診察をしてもらえた。
結果、"腫瘍の疑い有り"と言うことでMRIの再検査の予約をいれた。

2008年1月下旬
MRI再検査(首から腰まで)

2008年2月初~中旬
千葉西総合病院神経内科(佐野副院長)の診察。
「脊髄に腫瘍が出来ているから整形外科に戻って説明を聞いて下さい。」と言われた。
この日のうちに整形外科にすぐにカルテを回してくれず、
後日自分で外来に来いと言われ本人帰宅。この時点でわたくしは大激怒、沸点は近かった(`ε´)

2008年2月中~下旬
やっと最初にかかった整形外科で病状の説明を受ける。
夫婦2人で中待合いに座っていると3~4名のDrがバタバタと走り回り大騒ぎしているのが聞こえた。
あっちこっちに電話も入れている様子だった。

この日最初に対応した若い医師は「背中の脊髄の中に"デキモノ"が出来ていてね」と
ニコニコと話してくれたが、ここでは診れないので大学病院、
しかも大学病院でも選ばないと対応不可能だから…と少々待たされた。
それから10分程Dr達の必死のドタバタが曇りガラス越しに見えた。

私達夫婦はこの日までに猛勉強しある程度資料を揃え持参していたので
「脊髄腫瘍の事を"デキモノ"だってさぁ…」と医師の方々の動揺ぶりを静観していた。
次に対応してくれた女子医大から出向していた西山医師が
「胸髄の脊髄髄内腫瘍なので慶應大学病院の中村医師に紹介状を書けますがどうしますか?」と
言って下さり、わたくしたちは、慶應病院・中村雅也医師への紹介状をもらうつもりで論文等資料を
揃え持参していたので、「慶應・中村先生にお願いします」という感じで話は早かった。

この西山医師、翌日慶應大学病院の中村医師に連絡して「手術がいつ頃受けられるか?」
と問い合わせをして下さり、「7月まで手術予約がいっぱいだそうです」
「遅くなってしまい申し訳ありません」と我が家まで電話を下さった。

千葉西総合病院で一勤務医であっても自分に出来る事を探して最大限にやって下さった先生は
西山先生ただ一人だった。深く感謝し、その後も何度かお礼を兼ねた経過報告に伺った。

ちなみに前年に症状を訴え初診で診てくれた整形外科の女医さんからは病状の説明、
病院の紹介ましてや電話の一本もありませんでした。


2008年3月中旬
紹介状とMRI画像を持って慶應大学病院の中村医師の初診外来を受診する。
MRI画像のデータが足りないとの事で血液造影検査の予約がひと月後の4月中旬に入れて
(「もっと早く、もしくは他の病院で撮って持参します」と言ったが「うちの画像でないとダメなんだよ…」
との事)た。

「こんなに症状が進んでいるのに来るのが(ここに)遅い」と言われた。

(この件については最初に行った千葉西総合病院の院長に「貴院の整形外科医は本人が症状を訴えているのに
病巣を多角的に探る姿勢に欠ける」とわたくしがクレームとして猛烈に追求した。

ちなみにこの千葉西総合病院は週刊朝日の良い病院ランキングのベスト10に入る
医療法人徳洲会の総合病院である。

しかし、「この慶應大学病院では全ての診察や治療が患者が多いためなかなか進まないが
私で良いんですか?」と中村医師に聞かれたが「全て先生にお任せするつもりで今日来ました」と言い
即日入院予約を入れ帰宅した。
この頃から背中と胸の痛みが徐々に出始めかなり痛みが強く夜は痛みで眠れない程にまでなっていたので
不安が膨らむ毎日だった。次回の外来で医師に早めに治療(手術)して欲しいとお願いするつもりだった。
(その時点では6月下旬~7月下旬の手術予定になると言われていた)


2008年4月中旬
慶應大学病院でのMRI血管造影検査。その数日後外来受診。
症状として歩行困難が進行している事、しゃがんだ状態から立ち上がるのが難しくなっている事、
胸と背中が激しく痛む事、目をつぶって片足立ちが出来ない事、MRI画像の状態から中村医師の経験上、
おそらく胸髄髄内腫瘍に間違いなく、「7月まで手術を待てる状況ではないので…」と手帳を何冊か見比べ、
5月29日に手術予約、2W後の4月30日外来での緊急入院も有ると言われた。
その日のうちに血液検査や心電図等出来る検査は全て済ませた。
ベッドが空き次第入院とも言われたのでその後は入院受付からの連絡をひたすら待った。
待って待って待ったけど電話はなかった。

2008年4月30日
慶應大学病院の外来。予定通り5月29日手術決定。
1W前頃入院して麻酔科外来を入院中受けるように指示され、27日(火)5時~家族も交えた病状・
手術等の説明を中村医師により受ける予約を入れた。

入院までの日々は家族4人平々凡々と暮らした。子ども達が毎日登校するのを見送り、
夫婦2人でその後ウォーキング、「歩けるうちに歩いておこうか…」等と言いつつも
体力作りにもなるし脚の筋力アップにもなるからと一生懸命努力した。
夫の脚は次第に悪くなっていた。まず、歩いているとよくつまずいた。

そして、温泉に行った時に水風呂に入ってみたら右側だけ(右の胸から下、脚まで全部)
全く冷たさを感じなくなっていた。
しかし、お風呂に入るとしびれを忘れられると言って喜んでいた。

ウォーキングから帰宅した時に靴を脱いだら大きな血豆や水ぶくれ、ようするに靴擦れが4つも出来ていた。
本人も全く痛みを感じなかった事にショックを受けていた。
背中と胸の痛みは次第に増し敷き布団にフワフワのかけぶとんを敷いて寝た。
ロキソニンという痛み止めが手放せなくなっていた。
転ぶのが怖かったし、症状が進んで就労不可能だったので入院までの約ひと月は仕事も休んだ。


2008年5月27日入院。
その夜、始めて家族も含めた病状及び手術に関する説明があった。
ほぼ予想通り、ただし、6:4もしくは5:5で上衣腫:星状細胞腫との話には食い入った。
この説明会はあくまでも上衣腫だった場合に限った説明で終わった。
本人も私も、まぁきっと上衣腫だろう…とわざと楽観的に考えようとした。

2008年5月29日
手術当日、朝8:30あっけなくも歩いて3人(本人、私、看護婦さん)で新棟4階の手術室へ。
じゃ、頑張ってね!と握手をした。その後私が病棟に戻ると何と、
中村医師チームの皆さんが病室の夫の所に向かっていた。「もう手術室に行きましたが…」と私。
「えーっ?9時入室のはずなんだけどなぁ~」と先生方皆さん大急ぎで非常階段で手術室に走っていった。

その9時間後、夫は看護室に戻ってきた。

腫瘍摘出術後は直後から足の指はピコピコというかグルグルというか良く動いた。
術後2日目には膝から下がビュンビュン動いた。
しかし、左右の自覚感覚に差があり、痺れは右足が強く、左足は全くの無感覚だった。

術後4日目に離床。車椅子に乗った。けれど、調子に乗りすぎトイレで起立性低血圧で気絶!
沢山の先生方や看護士さんに助けられてやっとの思いでベッドまで運んでもらった。

本人いわく「便器でウンコがしたかっただけ、でも、もう無理はしません、オムツでいいです・・・」
とかなり気弱になった。
病理検査結果が出るまでの間、と言うか、出てからも再手術の前日まで毎日(土日は休み)
リハビリは頑張った。車椅子の乗り降り、足のストレッチ、立つための器具
(平らなベッドに身体を数箇所マジックテープで固定し角度を上げていく)、
手と腰を使った移動、、、毎日毎日少しずつだったけれど前進・進歩が嬉しかった。

リハビリの先生一人介助で立った。立った後はほぼ支え無しで立っていた。

これが、2度目の手術、脊髄離断術の前日。

翌日、離断術により、「この一切の機能を失った。」


痛さ痒さ熱さ寒さは感じないのだけれど、症状として今まで長くあった”しびれ”だけが
今もあると本人は訴えている。
生物学的にはもうありえないことなんだけど、脳が覚えていて幻知??といったかな・・・のようである。
痺れがひどいと私もストレッチしてみるのだけれど、上手に出来なくて情けない。
これから、リハビリの先生に聞いて教えてもらおうと思う。
離断してからというもの、血圧低下(起立性低血圧)が大問題で車椅子に乗るのが大きな壁になっている。
先日は40℃の熱が出て(原因はおしっこだったらしい)暫くダウンしていたし、
3歩進んで2歩下がる、3歩4歩下がる事もあるけれど、、、
それはそれで寄り道できてよかったねとやせ我慢で切り抜けている。

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とこんな感じです。

このブログを始めてから計算すると7年7カ月経っている。
途中、スリープしていた時期も長かったが、こうして過去の記事を読み返すと、、、

”書き残す”ってすごいな。と思う。

日付や日時を入れて、7年前の事を書けるだろうか??
時系列でまとめておいて、良かったと思う。

これからも、、、

がんばって、このブログを続けて行けたらと思う。



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今日から仕事だ。

明日は「改めて脊髄腫瘍」というお題で書き記した記事をUPしようと思っている。


では、、、


      ごきげんよう










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5ヶ月

2018-08-04 13:12:57 | Weblog


夏休みを使って孫の顔を見に行った。

息子は一人気ままに過ごしていた様だ。

大学のオープンキャンパスも、中学時代の同窓会もまた然り……


今月1日で、丁度、生後「五ヶ月」の孫娘。


あやすとニコニコと笑い、かわいらしい声を出して、、、

なんとも、表現できない時間を共にした。

自分の子育て中には味わった事の無い感覚。

「孫と言う名の宝物」と唄った演歌を思い出す(汗)


五ヶ月というと、首もしっかり座り、お座りも出来て、下の歯も生えかかっていた。

たった5ヶ月で、こんなに人間て成長するんだーーーーって、当たり前の事に感動した。


帰宅すると、むさくるしい、、、息子が、、、ごろ寝していた(汗)



あーーーー、、、、


今度、孫の顔を見られるのはいつかなぁ~~~?????


と、思いつつ、ごろ寝している息子が勉強する気配がない事に頭を抱える母である。。。終わり。。。



では、、、


       ごきげんよう
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