脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

   ただそこに居るだけで……

2015-11-28 06:42:30 | Weblog
わたくしは、お花が大好きだ。

玄関周りにガーデニングもしているけれど、だんだん寒くなって

冬場に耐えられるお花にそろそろ植え替えなければと思っているが

手術騒ぎと研修のばたばたで、なんか、動けずにいる。


娘が11月13・14日に医科歯科で学会があり、学会で使用したお花をもらってきた。

それがこれ↓↓↓


もう2週間経つが、まだ、きれいに咲いている。
トルコ桔梗が上品な色である。


で、この前の東松戸病院のホスピスの内覧会兼市民公開講座の帰りに
お花屋さんでつい買ってしまったポインセチアとシクラメンがこれ
↓↓↓      ↓↓↓
 


お花から放たれる「エネルギー」を毎日、もらっている。

お花は良いなぁ~。。。

ただそこに咲いているだけで、、、

いいなぁ~。。。

キョーレツな存在感は消し、ひっそりとみんなのこころを、和ませ、うるおわせ、

そして、、、元気をくれる。


そんな風になれたらいいのになぁ~。。。

”ただそこに居るだけで”

そう思わせてくれる人っているんだよなぁ~。。。


わたくしは、印象がキョーレツ過ぎて、そういうタイプには逆立ちしてもなれない(泣)

逆に、キョーレツなタイプなので、「一度会うと忘れない」と言われる。

欲張っても仕方が無いので、、、

このままの、自分でいよう。

だって、それしかできないんだもん。


今日はお花屋さんに行って、植え替えるポットのお花を買ってこよう。

土いじりは、気持ちが癒される。

お天気も今日は快晴の様なので、せっせと、土いじりをして、、、

クリスマスリースを出し、グッズをリビングに出そうと思う。


ミーティングと一件仕事が入っているので、その合間にね。



では、、、



     ごきげんよう








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 変な人

2015-11-27 06:48:01 | Weblog
わたくしの母は、一風変わった人である。

ある意味「変な人」とも言える。


母は東京生まれのチャキチャキの江戸っ子である。
祖父母が結婚してから9年目にして産まれた念願の第一子、長女。
その後、次々と下には弟妹が5人出来たが、父親(祖父)の溺愛のもと
「姫様」として育った。で、男子が居るにもかかわらず、お嫁に出したくなくて
お婿さんをとった。これがわたくしの父である。

22歳で父と結婚したと同時に祖父の意向で岩手県盛岡市に行った。
これは、血族経営の会社を祖父が会長職で母の弟達が傍でそれぞれ独立採算でやっていたため
婿である父が起業するにはやり難いだろうとの祖父の気遣いが婿様にあったようだ。
母と父は全く知らない土地で、一から会社を立ち上げた。
父の努力、反骨精神、負けん気、社交性は超人的であり、会社はどんどん大きくなっていった。
祖父は、そんな婿さんが自慢だった。婿さんがこんなに頑張っているんだぞと
母の弟達に叱咤激励の連続だった。
祖父は、新幹線の無い時代、頻繁に盛岡までよく遊びに来た。
姫様の母から産まれた第一子のわたくしも溺愛された。

「最初は姫様だったので床の間に飾ってあった」と父が言ってた。
しかし、その後の母の裏方での動きには、それまで姫様だったとは思えない肝っ玉があった。

とにかく、何があっても”動じない”のである。

父は、きっと、この母の肝っ玉があったから何も恐れることなく挑戦、挑戦、よじ登る事が
出来たのではないかと、今なら思える。
そして、それは、夫婦愛というより”同志”であったのではないかと思う。

64歳で父は他界した。

今は、母は一人暮らしである。

母は、、とにかく、、自分が嫌だと思う事は絶対にやらない。
嫌だと思う人とは全く付き合わない。わがままといえばわがままだが
「自分のやりたい事だけをする」と言って、それを貫いている。
「いーの!わたしはこれでいーの!!」といつも言っている。
これは、今に始まった事ではない。わたくしを筆頭に4人の子育て中もそうだった。
人は関係ないという、究極の言い方をすれば徹底した「個人主義者」なのだ。
よそのお子さんと自分の子を比べなかった。比べられた事は一度もない。その子だけを見ていた。
絶対評価で我が子四人それぞれに接した。

躾や人としてどう在るべきなのか?という根幹に関しては厳しい人だ。
しかし、慈愛に満ちていて、その慈愛は姿形からも溢れんばかりのオーラがある人でもある。

4人の子ども達には、燦々と愛情を降り注いだし、子ども達が「やりたい」
「好きだ」と言った事を遮った事は一度もない。父が猛烈に反対しても
そんなのかんけーねーって、応援団長だった。いや、今もそうだ。
そして、底抜けに明るくて元気はつらつ。大屋政子さんに似ている。ちょープラス思考。

そんな母も膝を壊し、介護認定を受けて2年が経つ。
この時はわたくしが帰省して母のケアマネさんと面会し、色々な摺り合わせをした。
盛岡に長男、水沢に次男がいるが、母は頑なに同居はしないと言った。
弟たちとも話し、遠方ではあるが介護に精通しているわたくしがキーパーソンになる事に決めた。
母のケアプラン等、変更があったりするとわたくしの所にケアマネさんから連絡が入る。
緊急時は長男のお嫁さんに連絡が行く事になっている。
妹は広島に居るので、ひとまず、弟達とそのお嫁さん達、とはわたくしが直ぐに対応できる体制を
直ぐに作った。

母は「変な人」なので、自分の事なのに、そういうこめんどくさい事は、わたくし達に丸投げである。

「変な人」の母にはひとつだけ、とんでもない特技がある。

自分にまつわる人、全員(相当の人数である)の誕生日が頭の中にインプットされている。
そして、誕生日の早朝に、欠かさず、「誕生日おめでとう」と電話するのである。
これは、かれこれ2~30年以上続いていると思う。親族だけにとどまらない。友人知人全部。
手帳とか何かに記録して覚えているのではなく、聞いた瞬間に頭にインプットされるのだ。
25日は息子の誕生日だった。前夜から「明日はばぁばから電話があるよ」と我が家で話していたら
6時に電話が鳴った。息子に替った。「誕生日おめでとう、あなたの好きなめんたいこ送ったからね」
と言ったそうだ。25日夜、宅急便が届いた。めんたいこが1K、お祝いも添えられ手紙が入っていた。

母には孫が10人いる。
この孫達全員に、同じようにする。
子ども達4人、その連れ合いにも同じようにする。
平等、分け隔てが全くない。
夫が発病し、わたくしがどうにもならなくなった時には全てを放りなげてヘルプに来てくれた。
「自分に出来る事」を出し惜しみした事が一度もない。
「出来ない事は出来ない」とはっきり言う。

「いーの!わたしはこれでいーーの!!」という微動だにしない自己肯定感はやはり、

「お前は、今のままでいいんだよ。今のお前がいいんだよ。」と祖父母が育てたんだと思う。

そして、わたくしは物心ついた頃には同じ事を両親に言われて育った。

「ま~ちゃんは、今のままでイイのよ。」「今のま~ちゃんがいいんだよ」と言われて育った。


イイか悪いかは別として、強靭な自己肯定感をもち、気持ちよく生きている母をわたくしは尊敬している。

生き方として、それはそれで立派だと思っている。

好きか嫌いかといわれると、ちょっと返事に困るが……

母の様になりたいか?と聞かれると、これまた考えてしまうが……

しかし、母がそうした生き方を貫き、これからもそう在りたいと思っているなら尊重する。


わたくしも母と同じく「個人主義者」に育ってしまった。


そんな母がわたくしが来月手術を慶應で受けると言ったら、パタパタと身辺整理をし
わたくしの所に手伝いに来るつもりでいたらしい。ケアマネさんにも「娘が、こういう訳で」
みたいに説明し、デイサービスの休みの申請までしていた。

で、わたくしは、唖然とし「へ??来なくていいよ。」

「子供たちが自立するいい機会だし、2人にやってもらうから」と言ったら

「ありがとーー、それは助かった。今からケアマネさんに電話する」

「ま~ちゃん、よかったよかった、ありがとーーー本当にありがとう!!」だって。


娘に来なくていいよと言われて「ありがとう」と答える母である。。。


やっぱり、母は「変な人だった」


そんな母が、、、やっぱり、、、


わたくしは好きなのかな・・・・・・



 では、、、



      ごきげんよう



追記、「ま~ちゃん」というのは、子どもの頃からのわたくしの愛称である。
   49歳になった今でも、母にとって、わたくしは「ま~ちゃん」
   父も、「ま~ちゃん」と亡くなるまでわたくしを呼んでいた。
   弟や妹も、いまだに「ま~ちゃん」と呼んでくれる。

   で、ブログ開設する時に「ま~ちゃんの・・・・・・」に決めました。






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おかげさま。。。

2015-11-26 06:41:17 | Weblog
お陰様で、昨日、「児童発達支援管理責任者」の資格証を手にしました。

今日は、全休。

市役所にちょっと手続きに行きますが、一日、ゆっくりしようと思っている。

ぎっくり腰の因果関係に胆石が関係している可能性があると石山院長に言われたので
先生の所に治療に行くのは止めることにした。手術を終えても腰痛が治らず、退院時に
篠田医師に接骨院への通院のOKをもらったら行こうと思っている。


あぁ~~、、ここまで、長かった。。

第一号喀痰吸引資格取得の学科講習が始まったのが5月連休~、

相談支援専門員の資格取得が始まったのは8月初め。

8月から、昨日まで、2つの資格取得の連打。

それを、通常の仕事シフトの中に突っ込んで、よく頑張った。。

第一号喀痰吸引資格取得の実地研修も並行して行ってきた訳だから、限界を超える寸前ではあったが

何とか切り抜ける事が出来てヨカッタ。喀痰吸引の実地研修は年をまたがるが、

来年2月までには終わるだろう。

今思えば、タイムスケジュールも、ぎりちょで、何とか手術までに切り上げられてヨカッタと思える。


人生には「やらねばならない」という”時”があるものだ。

その時が、わたくしにとって、今年だったのだ。
それは、50歳と言う区切りが来年直ぐに待っていること。
これが大きくわたくしを動かした。
掲げた目標に向かって、ただただひたすらに向かって行った。

人間、無理しなきゃいけない時もある。。

無理を一度もしないで一生を送る事なんて出来るんだろうか??


今年は、無理してでもやらなきゃいけない時だった。

来年は息子が高校受験を迎える。
息子の進路についても、母親として、ゆっくり見守りたかった。
そろそろ、娘のお嫁入りの準備もしたい。お嫁に行ったらなかなか出来ない事、
娘と買い物に行ったり歌舞伎やコンサートに行ったり、娘との時間も大切にしたかった。
来年は、自分の事にではなく子ども達のために時間を使いたかった。

今年は自分の目標は到達した。

これからの年内は、手術を受ける事もあるし、自分の健康・体の事を第一に
過ごそうと思っている。


昨日は娘と息子に資格証明書を見せて、

「協力ありがとう」と言った。

「ママ、おめでとう!大変だったね」と娘

「おめでとう。これでゆっくりできるんだよね?」と息子

「今月は仕事が少し残ってるけど、来月から休み。手術に焦点を絞るわ」

「入院前後、入院中も、不便かけるけど、協力して宜しくお願いね」とわたくし

「わかってる」と娘

「ラジャー!」と息子

「本当に分かってんの?爽太は!」と娘

「うるせえな、わかってるよ」と息子

「まぁまぁ、ママが入院するんだから、その間だけでも仲良くしてよ」とわたくし


そんな会話が続いて、こたつに3人で入りドラマ観ながら、お茶飲んだ。


こうした、何気ない、子ども達とのやり取りが地球よりも重く、
太陽よりも尊い今のわたくしである。

かけがえのない宝。

としか、表現しようがない。


わたくしは、しあわせだーーー。


では、、、



    ごきげんよう











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  14歳

2015-11-25 06:00:00 | Weblog
昨夜は帰宅早々宿題に追われた。

最近稀に見る集中力で一気に仕上げた。

夕食の支度をしなければならなかったが、母の魂がメラメラと燃える背中を見て

子ども達はもくもくと自分達で全ての家事をやってくれた。

知らぬ間に、温ったかい、鍋焼きうどんが、わたくしの机に置かれていて。。。

感謝・感謝、、、ありがとうよ、子ども達。。。(泣)

美味しかった、あたたかかった、、、

食べ終わり、直ぐに寝た。


昨日の朝のブログには書かなかったが、、、
一昨日の夜、実は、わたくしは一睡もできなかった。

胆石の痛みの撃蹴にあっていたのだ。。。
寝ていたんだけれど24時過ぎにごろごろと転げて痛みに耐えた。
耐えきれず、リビングに降りてきて、トイレに行っては横になり、、、
明け方に、大量嘔吐した。

「あぁ~~、なんで、今まで痛みが無かったのに研修日に痛むかなぁ~」と怒りが込み上げてきた。
「やっぱり、早く手術しないとだめだ」と頓服の痛み止めを飲んだ。
大量嘔吐した時点で、嘘のように痛みは消えた。

で、ブログ更新して、身支度後すぐに家を出た。

ぎっくり腰は完治しておらず、ちょっと前傾のまま、前のめりになるように
教育会館へ急いだら、ぎっくり腰の施術をして下さった石山院長が居た。

「黒田さん、仕事休んだ?」と先生

「いえ、行きました」とわたくし

開いた口がふさがらない。って感じだった。

で、9時から17時までびっしり研修。腰の痛みは不思議と感じなかった。

今日も、宿題を持参して、出陣だ!!

今日の最後に「児童発達支援管理責任者」の資格証を手にする。


これで、ひと段落。

わたくしは、明日から、自分の体の事だけを考えよう。

今月はポツポツ仕事が入っているがリスキーなタイムスケジュールではないので
ゆるりゆるりと過ごせるから、ぎっくり腰の治療に石山先生の所に連日行くつもりでいる。


今日は、息子、爽太の14歳の誕生日だ。

23日(祝)、わたくしは休みだったので、息子と2人でデートした。
25日の誕生日はママは研修で一日居ないから、「何でも好きな物を選びなさい」
と、息子に陸上で使うロングTシャツとベンチコートを買いに行った。
その後、息子がハンバーグが食べたいと言って、ハンバーグを一緒に食べた。
(結果的にこのハンバーグが原因でわたくしの胆嚢は収縮し、のたうち回ったのだが…)

息子も、久しぶりの、わたくしとの時間に、照れながらも、喜んでいる様子だった。
普段は寡黙な息子が饒舌にいろいろ、いろいろ、いろんな話をしてくれた。
しあわせだなぁ~~って思いながら、息子の話を聴いていた。

今日は、14歳の誕生日だね。

おめでとう。

わたくしの息子に産まれて来てくれて、本当にありがとう。

心配かけないように体を厭い、これからもママは頑張るから。。。

あなたが、もっと大きくなって、お父さんになるまで、元気に生きますよ!


では、、、行って参ります。



   ごきげんよう






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 ど根性ガエル

2015-11-23 07:59:55 | Weblog
土日の仕事は、何とかこなした。心の中で、無理するな~無理するな~と唱えながら。。。

ぎっくり腰は、仕事中、どこかへ飛んで行ってしまったみたいで
気をつけてはいたが、いつもと変わりなく動けた。

車を運転し帰宅して、腰のベルトを取った瞬間に、、、

”腰が砕けた”

へなへなへな~~~っと、足腰の力が抜けた。。。

椎間板ヘルニアでお尻から右脚全体につんざく様な、激痛が走った時には泣き叫んで救急車で運ばれた。
運ばれた先の千葉西総合病院で、もたもたしている内科のDRに
「いーーから!!早く!フェンタニル打って===!!!」と叫んで呆れられた。
何を呆れられたかというと「フェンタニルって言葉何で知ってるの?モルヒネ系の麻薬だよ」と驚かれた。
が、しかし、分かってて、懇願した。フェンタニル以外効かないと思ったから……
で、一発打ってもらったんだけど、血圧が急降下し、「もう帰れ」と言われた。

結果、松戸整形外科に緊急入院、神経根ブロック注射を計4回打って(神経根ブロックも気絶する位痛かった)
何とか寛解に向かい、今は落ち着いている。

あの時の痛みは生涯で一番の痛みだったと思う。

お産を経験しているが、全く問題にならないほど、この世のものとは思えない痛みだった。

この時は仕事どころではなかった。
急遽、仕事をキャンセルしたが、その後は、やばそう、やばそう、、、と思いながらも
何故か、仕事に影響は出なかった。この時も「くそーー負けてたまるか==」みたいに
自分を叱咤して仕事に向かった。(男気ジャンケンの世界)

「病は気から」とか、
「気の持ちよう」とか言うけれど、、、

人間、マジで死にそうな時は、めちゃくちゃ心底ダメだとわかるもんだと実感したエピソードだ。


「根性」と言う言葉がある。

これって、表現として、なんて貧弱な言葉なんだろうと思う。
簡単に使う人が居るけれど、これは本当に弱っている者にとって刃になる。
根性でなんとかなるなら、警察は要らないみたいな・・・

あえて言うなら、心構え、志、強靭な意志、、とか、かな。。

「根性」ではどうにもならない時がある。
「萎えて」しまっている者にとって「ガンバレ、根性だ」は厳禁だ。
夫を亡くした後のわたくしがまさにそうだった。。。
誰の励ましも自分を追い詰めた。苦しくて苦しくて、、夜も眠れず、、
わたくしを壊していった。あの時は本当に辛かったなぁ~……

わたくしは、自分が許せなくて、、、ついつい自分に厳しくなってしまう。
それは、生きたくても生きられなかった夫の事を思うと、今日一日を精一杯生きようと
自分を厳しく律し、何か困難にぶち当たった時は逃げずに乗り越えようと奮闘する事につながったと思う。
しかし、それは、自分がそうしたいからしている訳で、子ども達や周りの人や他人様に、それを要求した事はない。
だから、自分に対しては「ど根性」と言う言葉を使う時もあるが、誰かに向けてこの言葉を使った事はない。

「ど根性」

泥臭い言葉である。「ど根性ガエル」というマンガがあった。
「こんじょーこんじょーどこんじょお~~♪」という主題歌の歌詞。
今のわたくしは、マジで笑える。この歌詞を地で行ってる感じがたまらなく笑える。

今日は休日。世間は3連休なんだよね。。。
今日一日、ゆっくりして(明日明後日の演習の課題の最終チェックはする)、
今年元旦に掲げた「三つの資格取得」の2つ目を手にしよう。
第一号喀痰吸引は来月、全休にした関係で年を越してしまうが、これは仕方が無い。

2016年、子ども達と3人で迎える元旦に、わたくしが宣言する2016年の抱負。
これが、だんだん見えてきた。この3年間位の動きの流れを変えようと思っている。

第一番に「健康を優先する」という言葉は出ると思う。あとは、二つくらい考えている。
ついこの前までは優先順位が違ったが、来月の手術が決まり順位が変わった、また変わるかも知れない。

それにしても、、、12月に慶應で手術なんて、、、

2015年の終わりに、こんな「大どんでん返し」が待っているとは今年の元旦には思っていなかった。

人生、いつ、何が起こるか分からないものだ。。。


今日は、ゆっくり、、、子ども達に何か美味しい物でも作ろうと思っている。



では、、、


     ごきげんよう










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ギクッ・・・

2015-11-22 07:13:37 | Weblog
一昨日の夕方に、椅子から立ち上がった時に腰に違和感があった。

「ん?………」

やばいかも。と思ったが普通にしていた。

昨日の朝、「これは……」と思い

「やっちゃったーやっちゃったーー」と石山整骨院にかけ込んだ。というか転がり込んだ。

その時点では腰が前傾に曲がりまっ直ぐ立つ事が出来なくなっていた。

間違いなく、これは、「ぎっくり腰」だと思った。


石山先生は、前にも書いたがアイハート機能訓練デイサービスを併設している。
夫が元気だった頃、そう、20年近い付き合いだ。
24・25日の児童発達管理責任者の演習も一緒に受ける事になっている。

「黒田さんーー、いつからですか?歩けますか?」と先生

「先生、私、午後仕事あるんで、直ぐ治して下さい!」とわたくし

「とにかく、こちらに、、、動けますか?」と苦笑いの先生。

治療して頂いている間に児童発達管理責任者の課題の話しになり、
話しは方々へ枝分かれして、先生が近郊の放課後デイや個別機能デイ、
こども発達センターに見学を兼ねて聞き取りに行っていた事を聞いた。

これ!と思うと早いんだよなぁ~、先生は。


施術しているうちに「今日明日の仕事は何とか休めませんか…」
「演習は2日間座りっぱなしですから、辛いはずです。」と先生

「んん~~、調整します」とわたくし

20分程の施術で、まっすぐ立ってスタスタ歩いて帰宅した。

この先生以上の先生は居ないな~といつも思う。


で、結局、予定通り仕事に行った。

今日も、同じお宅に6時間支援に行く。なるべく、腰に負担がかからないように
気をつけようと思っている。


来月は手術を控えているし、そこに行きつくまでに死闘の努力があった。

なんで、今、ぎっくり腰になるかなぁ~~。。。

休めって事はわかったから、来月以降の仕事は全キャンセルの調整をしたのに。。。

なんで、今こうなるかなぁ~。。。

来月以降の準備を「今」しなければならないのに、、、
これじゃー出来ないよぉ~~~(泣)


24・25日の研修は絶対に行く。這ってでも行く。
この研修は一年に一回しかない。
そのために、慶應病院篠田医師の受診日も一週間先に延ばした。
石にかじりついても、ど根性で行くぞ===!!!


「いい加減にしろ」という、みなさんの声が聞こえてきそうだが

なにがなんでも、取得したい資格なのだ。
これは、今後のわたくし、しいて言えば弊社の行く末がかかっている。
死んでしまったら終わりだけれど、死に直結する状態ではないので
ガンとして譲れない。

わたくしの体が一つでは足りない。
3つ、体が欲しい。
一日24時間では足りない。せめて、30時間欲しい。。。

あぁ~~~、、、
わたくしみたいに思っている人は、いったいどうしているんだろう……

睡眠時間を削る事位しか思いつかないが、わたくしは、絶対に睡眠時間だけは確保している。
寝ないと頭も体も全く動かないタイプなので、睡眠時間は7時間。死守している。


と、こんな感じで、ぎっくり腰も追加された。

やはり、一番ゆっくりできるのは「入院期間」かも知れない。

逆に入院しないと休めないのか???と笑ってしまう。

っていうか、笑うしかない。。。


と言う事で、今日もこれから仕事に行ってきます。
明日は、休みなのでゆっくり養生します。。。


では、、、頑固でおバカなわたくしでした。お粗末。。。




     ごきげんよう






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  素晴らしかった

2015-11-21 07:50:13 | Weblog
昨日は松戸市立福祉医療センター東松戸病院の緩和ケア病棟オープンに伴い
市民公開講座が行われ岩井院長よりお誘いがあったので行って来た。

特別顧問の 西立野研二先生のお話を聴けるとは思っていなかった。

この先生は、緩和ケアにおいて、全国区で有名である。多数著書も出しておられる。
そして、東松戸病院の特別顧問になられた事も知らなかったが、この先生が特別顧問なら
間違いないと確信した。

先生が言った。

「太陽と死は直視できない」「死にたいのに死ねない」

この言葉を深く考えて下さいと。



そもそも、ホスピスとはイギリスのサンダースという女性が創始者だ。

「あなたはあなたなのです。だから、あなたは大切な人です」
「最期の瞬間まで、あなたは大切な人です。私達はできることの全てを致します」
「あなたを心安らかな死へと送り出すだけでなく、あなたの死の瞬間まで
 ”あなたが生きていくこと”を支援します」


岩井先生は言った。

1、人と人とのつながり
2、人と自然とのつながり
3、心と体とのつながり

”つながりは人には見えないがとっても大切な事”

「寄り添う」ことと、「励ます」ことの違い

寄り添う→横から空間を共にする・信頼感が必要・一緒に参加する
励ます→外から動かす・自分は関わらなくていい

治療期→励ます
再発・進行がん→支える
末期がん→寄り添う

1、傾聴
2、共感
3、感情に意識を当てる(感情にフォーカスする)

ホスピスは建物ではない。患者と共にいてあげること、手を握り、それだけでいいのだ。
寄り添って理解者になる、傾聴に尽きる。もちろん、その声に痛みや息苦しさ等の
話しや訴えがあったら、薬も使います。


日本で最初に緩和ケア病棟を作った国公立病院はどこかご存じだろうか?

1981年、浜松市が全国初、聖隷三方原病院に緩和ケア病棟を設立した。
1984年、大阪市の淀川キリスト教病院
1986年、福岡亀山栄光病院

そして、全国4番目に1987年に設立したのが松戸市立福祉医療センター東病院の前身である

”国立療養所 東松戸病院(高塚病院)”だ。

住所が高塚新田というので高塚病院と言ったが、この病院を松戸市が買い取って(まだ国への支払いは続いている)
松戸市立福祉医療センター東松戸病院となった。国立療養所時代はホスピスがあったのだ。
しかし、経営悪化により、ホスピスは閉じた。
念願の「ホスピス復活」だった。


公開講座が終わった後、副院長である総看護師長である山本さんが
(夫が入院中めちゃくちゃお世話になった人)緩和ケア病棟を案内してくれた。

全部で20床。内14床が個室。一部屋が広い広い。特別室なんて信じられない程のお部屋だった。
ガラス張りのテラスがあってお花がきれいに植えてあるお庭が広がっていて車椅子で出られ、
ワンちゃんや猫ちゃん等ペットが面会にも来る事が出来るそうで家族は24時間いつでも会いに行けるし、
ソファーはベットにもなって泊まる事も自由。家族が寝泊まりする部屋も別にあり、
IHの調理器具も備え付いており、食べたいものを作って食べさせたりもできる。
お風呂も広くトイレは通常の障害者用トイレの2倍の広さがある。
もちろん、各お部屋にトイレも洗面所もありTVは2台あった(本人用と家族用)。
申し分ない、これ以上ないと思える病棟に仕上がっていた。


とにかく、びっくりして腰抜かした。

素晴らしい!!!!!

のひと言だった。


この施設は、絶対に無くして欲しくはない。


わたくしが死ぬ時はここで死にたいと思った。

既に、半分以上、患者さんが入っていた。


これからの運営にかかっていると思う。赤字補てんをどうするかにかかっている。
わたくし個人的には個室料が、あまりにも安すぎるので2倍~3倍にするべきではないかと思う。

松戸市民で個室料¥4.200  松戸市以外の人で¥6.300だ。

特別室で市民¥12.000  市外¥18.000だもん。。。

やすすぎる=====!!!

慶應の個室は最低でも¥35.000する。

いくら公立病院だからと言ってこの値段では赤字になるに決まっている。

松戸市民は¥10.000
市外の人は¥20.000

特別室は市内の人は¥25.000
市外の人は¥50.000がこの素晴らしい病棟使用料として妥当だと思う。
よその、ホスピスの個室・特別室の相場はいくらなんだろう?

見ていないので、実際どの位すばらしい病棟か分からないと思うけれど、、、

皆さんなら、この金額どう思いますか?


松戸市民の皆さん。この病棟を維持するために、どうか、ご支援ご協力下さい。


この病棟の患者さんの入院期間は多分、平均すると1~2ヶ月だと思う。
最期の時を過ごすのには、これ以上ない位、充分な、素晴らしい施設です。


こういった公立病院を支えているのは我々市民の税金である。
我が家も母子家庭で、大変だけれど色々な税金は納めている。
入院患者の皆さんも、どうかご理解いただき、個室料の値上げにご納得頂ければと思います。


で、最後に東松戸病院の象徴である、石原慎太郎君の彫刻をなでなでして

「やったね!ホスピス。ヨカッタね。」と語りかけて帰宅した。


あぁ~~~、よかったよかった。



ということで、、、また、、、



     ごきげんよう







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  きれいな気持ち

2015-11-20 06:25:19 | Weblog
昨日は検査に慶應大学病院に一日がかりで行って来た。

造影剤の点滴の針が手の平で3回チャレンジしたが入らず・・・

結局、右足首の内側で、やっと、ルートが取れ30分掛けて点滴。

その後、CTを撮った。この時点で12時だった。

ナチュラルローソンが入っているのでお茶を買いに行ったんだけれど、、、

朝抜き、昼抜きのわたくしには、陳列されている品は、、、目の毒。

見ないふりをして、お茶だけ買ってエコーの待合室に向かった。

児童発達管理責任者の宿題を持参し、手直しがてら、目を通しているうちに

なんだか、眠くなってきて、長椅子にコロンと横になった。

ハッと気付いた時には、知らないDRがわたくしの腕を持って脈を取っていた。。。


「あ、大丈夫ですか?お声を掛けたのですが全く反応しなかったのでご気分が悪いのかと思って
脈を取りましたが、手首では脈取れませんね。大丈夫ですか?」

と先生

「すみませーん==寝ちゃったみたい。朝から何も食べてないもんですから…」とわたくし

「血糖が下がっているんですね、検査終わるまで我慢して下さい。フラフラするようでしたら
職員を呼びますよ。車椅子用意しましょうか?」とどこまでも丁寧な先生。

「大丈夫です、ありがとうございました」とわたくし

やっちまった……長椅子に倒れ込んで寝ていたら病院内では誰だっておかしいと思うよな。。。

でも、この先生の優しい対応に、、、きれいな気持ちになった。


そこの場所は、エレベーターの横で、斜め向かいは整形外科、まっすぐ行くと一般消化器外科
目の前は階段だ。一番目立つ場所。

で、目覚めたわたくしは、14時の検査予約時間まで何をしていたかと言うと

わたくしの前を通るDRの靴とズボンの裾と裾丈をひとりひとりチェックした。

ボロボロの靴を履いているDRは一人もいなかった。ブランド物の高級品ばかり。

裾もみんなきれいだった。

問題はズボンの丈だった。ビミョーなんだけれど、絶妙なパンツの丈のDRは合格。

短くないか???と思うDRは不合格。

と、そんなどーでもいい観察をして時間をつぶした。


で、エコー検査を終え、会計して、あまりの空腹に耐えられずプロントでパスタを食べた。

隣に3人の男女が、、プロントの席と席は近いので話声が丸聞こえだった。

一人はアルコール依存症の中年女性、一人は美容整形依存症の中年女性、一人は性同一性障害の若い男性。
3人とも、精神科の入院仲間の様だ。しかし、この3人の会話は、自分の病を受け入れ前向きに
一生懸命、これからを生き抜こうという、そんな、印象を受けた。
精神疾患の障害者のケアを何件か持っているわたくしは、この3人の様な、自分の病を受容し
前向きに明るく生きている人達ではないので(苦労している)、、、

なんか、とても、きれいな気持ちになった。


で、帰宅しようと信濃町から総武線に乗ったんだけれど、わたくしの前に男装のスーツなんだけれど、
薄化粧し、髪の毛は肩まであり、爪も綺麗に手入れされ、美白の手入れのいき届いた女性??ぽい男性(25歳前後)が
2人乗っていた。

小指を立てて、くにゃくにゃしておしゃべりしていたので、間違いなく性同一性障害だと思う。

そこに、140センチくらいの小さなご婦人(85歳以上)(ゼンマイ仕掛けのお人形の様にクルクル良く動き、
ずっとおしゃべりしている)が2人乗り込んできた。

わたくしが、席を譲ろうとしかけた時に、この、男性?女性?2人組が、すっと立ち、席を譲った。

「おば様どうぞ~~」と2人組

「あらぁ~お兄さんありがとう~」とご婦人

車内はびみょーな空気が流れた。しかし、この2人組は、何の迷いもなくサッと立った。

わたくしは、とても、きれいな気持ちになった。


飯田橋で学ランに縁取りのある制服に学帽、ランドセルをしょった小学2~3年生の男の子が3人乗ってきた。

あぁ~~、息子もここの学校に行けばよかったのに~~と思って見ていた。(曉星の制服である)

隣の市ヶ谷で席が空き3人が座った。かわいいなぁ~~と見ていたら、、、

3人が3人とも、手提げカバンから本を出して、読みだした。
一人は、フランダースの犬。
一人は、ナイチンゲール。
一人は、坂本竜馬。

ほ~~~、なるほど、やっぱり曉星だわ。。。と舌を巻いた。

これまた、わたくしは、とても、きれいな気持ちになった。


今日は、東松戸病院の岩井院長に呼ばれ市民公開講座に行って来る。

行けば、右を向いても左を向いても知人ばかりだ。

来月の手術の経緯を皆さんに説明しなければならない。
岩井先生にも詳細をご報告する。

で、緩和ケア病棟(ホスピス)に患者さんが居なければ、見学させて頂くつもり。
内覧会も兼ねているので、多分、拝見出来ると思う。
わたくしの目から見て、ここは…と思う所は提案してきたいと思っている。

末松裕人市議に先日バッタリ会った話を兼ねて、付け足したり変えるべき点は
予算をもらえるよう頼んである旨の話しもしようと思う。

ということで、きのうは、いくつも、こころがきれいになる事があった。

しあわせ・しあわせ。


では、、、また、、、



   ごきげんよう









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元気注入==

2015-11-19 06:27:55 | Weblog
昨日は、お昼から喀痰吸引の実地研修に事業所に行かなければならなかったので

千葉県のHPにUPされていた、児童発達支援管理責任者研修の課題を一気に朝から午前中で終わらせた。

この宿題、結構ボリュームがあるんだけれど、今日は慶應で検査だし、徹夜するのも嫌だったので、集中して頑張った。

10部コピーも取り、研修を待つだけまでに仕上げた。(相談支援専門員の時の様に又、手直しするかも知れないが)


で、吸引の実地研修に行き、その事業所には事情を話し12月は完全に休む事を願い出た。

スタッフ皆さん、「えぇ====!!!」と腰を抜かさんばかりに驚かれた。

で、わたくしが休む事で多大なご迷惑をお掛けする事をお詫びしたが皆さん口を揃えて

「仕事の事は考えなくてイイ、とにかく、お大事に。完全復活をまってるから!!」と言って頂いた。



その足で、来月に迫った入院・手術のために松戸市役所に行き、高額医療費の手続きをして帰宅した。


市役所の廊下をまっしぐらに健康保険課に歩いていると、、、

前から、なんか見覚えのある人がまっしぐらにこちらに歩いてくる。

わたくしの”頼りになる友人”だった。


「末松さん!」とわたくし

「おぉおぉお!!黒田さん!!」と末松氏


彼は松戸市議会議員で市長選に出馬した事もある実力者だ。
3歳で父親を事故で亡くし、18歳で母親を乳癌で亡くし、、、
慶應義塾大学を卒業後、大手ゼネコンに就職するも「松戸市を改革したい」
との思いから市議選に出馬、その後、常に選挙ではトップクラスで当選し市議会議長等々も歴任し、
最大会派のドン、押しも押されもしない、それはそれは松戸では活躍している中心人物である。
今現在は6期目か7期目である。ちなみに歳はわたくしよりひとつ上だが一浪しているので同じ学年。


彼にはわたくしが乳がんになった時に、「私に何かあった時は子ども達を頼みます」とお願いした仲だ。
ブログに”頼りになる友人”という題で以前書いてある。

立ち話しだったが、7~8分、色々な話になった。
お互いの子ども達の事や近況、松戸の市政について、介護業界の裏話、東松戸病院にホスピスを
作ってくれたお礼(市議会で可決・岩井院長と植村総長の話し)とホスピスの今後の行く末、、、
わずかな時間だったが、お互いに、いつも会っている様な、、、そんな会話だった。

さすがに来月慶應でまた手術。とわたくしが言うと

「えぇ~~全然そんな風に見えないよぉ~、元気そうじゃん」と彼

「いやぁ~、、とにかく息子が大学卒業する歳までは生きたいわよ」とわたくし

「あったりまえジャン!!噂は聞いてるよ!みんな、まどかさんは忙しい人だからってさ。
忙しいのに市民公開講座ではいつもありがとう。動き過ぎなんだろうけど、貴女の性分でしょ?
立ち止まったら逆に調子崩すんじゃないの?」と彼

「まぁね、でも、年内は養生するわ、だって、死にたくないもん」とわたくし

「大丈夫だよ、貴女にはしっかりとしたモチベーションがあるんだから」と彼

と、こんな感じの会話をお互い忙しいから半端じゃない早口でキャッチボールした。

「じゃ、また!」とわたくし

「じゃ、またね!本当に死にそうになったら電話して!!」と彼


どうしているかなぁ~、、、とわたくしは末松氏の事を考えたばかりだった。

そしたら、会えた。

信じられない。なんで、市役所の廊下でバッタリ会えたんだろう。。。

だって、わたくしも彼もチョー多忙でスケジュールが合ったためしがない。
お互いに気になってはいるのだけれど、調整が付かずいつも会えなかったのに…

このタイミングで、会えるとは思ってもみなかった。


”ちゃんと、必要な時に、そうなっているんだなぁ~~”

と、うなずいている


今日はこれから慶應病院にCT(造影だから注射してから)とエコーの検査に行く。
朝食も昼食も抜きだ。。。
そんな殺生な……死んじゃうよ~~

信濃町までの往復と絶食でへろへろになって帰宅するだろう。

でも、昨日、末松氏に「元気」を注入してもらったので、頑張って行ってこよう。

昨日も一昨日も今日も、ずっと前も、ずっとずっと前も、そして、これからも、、、


「人を救うのは人なんだなぁ~」とこころに沁みている。。。


では、、行って参ります。



   ごきげんよう






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しあわせのかたち

2015-11-18 07:23:13 | Weblog
今朝は寝坊した。。

さすがに、この一週間、昨日の慶應受診までの疲れが出たんだと思う。

今起きた。



昨日、慶應病院から帰宅し、ポストを開けるとちょっと大きめの封書が入っていた。

あれ~~~なんだろう???

と封を開けてみると。。。

  「筑波山神社の病気平癒守」

桐箱に入った家紋入りの白地に金の刺繍で縦に病気・平癒  「守」

   それがこれ
  ↓↓↓

 


疲れた体を引きずって、電車に乗り、、帰宅したわたくしは……

涙がちょちょぎれるほど、嬉しかった。

こうして、ブログで自分の状況をオンタイムで書いているが、、、

「書く事」はある意味、自分の記録になるから。というわたくしの意図もある。


そして、こういう「優しさ」「気遣い」「思いやり」に接すると、こころが揺さぶられ

感謝の気持ちが溢れ、こぼれ、わたくしを包み込んで、そして、それは、、、

「勇気」に変わる。


有難い事だ。本当にありがたい。


こうして、そっと、、、

こころにかけて下さる方が居て、、

案じて下さる方が居て、、、

力になってくれる、相談に乗って下さる方が居て、、、


わたくしは、本当に本当に幸せ者だ。

いろいろな幸せの形があると思う。


わたくしの”しあわせのかたち”


毎日が”幸せの形”の連続である。


感謝、、、そのひと言しか、今のわたくしからは出て来ない。



そして、誰かが同じような事態になったら、、

こうして、案じて気遣い、そっと、、、


何かできる人間にわたくしはなりたい。


今日は通常に動き、明日はまた慶應病院に検査を受けに行く。


キリッとシャキッと、今日一日頑張ります!!


では、、、


     ごきげんよう





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胆嚢全摘

2015-11-17 15:01:57 | Weblog
今、帰宅した。

ひとまず、、、今の心境は・・・


  しょぼーーーん

 だ。。。


8:40の予約だったが、受付に時間を取られ9:00過ぎに一般消化器外科の診察室にたどり着いた。

で、20分程待たされ、名前を呼ばれた。

篠田先生とお互いに自己紹介を終え、早速診察に入った。

「胆のうを腹腔鏡にて全摘出します」と先生

「えぇ===全部取っちゃうんですか???」とわたくし

「結石だけを取り除いても病的胆嚢が残るので再発率も高く根治出来たとは言えません」
「現在は胆嚢ごと取り除く手術による治療、要するに胆嚢全摘が標準的治療です」
「腹腔鏡にて4~6個、お腹に穴を空け胆のうを全摘出します」と先生

「はぁ~そうなんですね。。。」とわたくし

「十二指腸潰瘍とかないですよね?」と先生

「ありました、最初に痛みがあった時に胃痛だと思って胃カメラ飲んだら潰瘍の跡があると言われました」とわたくし

「へっ??、それは困った。胆管に結石がある可能性が高いですね」と先生

「紹介状を書いて下さった延澤先生は、何個か下に落ちてると仰っていました」とわたくし

「落ちてるって??、黒田さん、下に落ちたという事は胆管に結石が残っている可能性が高い」
「で、その場合、治療法が全然変わるんですよ」と先生
続けてこうおっしゃった

「そうなると、入院は2回、両方全身麻酔です。で、最初に内視鏡で胆管の結石を除去します」
「そして、少し時間を空けて、胆嚢を全摘出します」
「胃カメラ受けたのいつです?」と先生

「夏ごろです」とわたくし

「次の診察までにそのデータを持ってきて下さい。でないと、ここで(慶應で)胃カメラやらなきゃならないから」
(慶應で胃カメラ検査の予約を取るのはなかなか難しい)

「わかりました」とわたくし

「今日入れられる検査は全部今から入れますから、19日(木)にCTとエコーの検査予約入れます」

「来週の火曜日に来れますか?」と先生

「先生、すみません、来週は研修がありまして来られません」とわたくし

「黒田さんの手術日の希望はありますか?」と先生

「向井先生にも延澤先生にも早ければ早い方が良いと言われましたが、慶應病院はわたくしより
重症の患者さんを沢山抱えていらっしゃると思います、胆石ごときで、その患者さん達を飛び越えて
手術する気にはなれません」と言い掛けた時に……

篠田先生がキッとわたくしの顔を見て「胆石如き?そんなに簡単な病気じゃないですよ」
「もちろん、重症の方は先に手術しますよ、でも、そうですね、12月の第二週目か第三週目には
黒田さんに手術を出来るように予定を組むつもりです。よろしいですか?」と先生

「はい、先生にお任せします。宜しくお願い致します」と言って診察室を出た。

で、尿検査→血液検査→レントゲン検査→心電図検査→肺機能検査と”手術するための”検査を
受けて、、帰宅した。

明後日、また、慶應病院にCT検査とエコー(超音波)検査を受けに行き

12月1日(火)、篠田医師の診察後、手術前の麻酔科の受診をする。
この日に、わたくしの、治療方法が決定され、手術日・入院日・退院日等が決まる。


年内に、全て終わる予定である。

何たるスピード。

まさか、年内に手術を受けられるとは思わなかった。

が、、、「全摘」「二度手術」「二回とも全身麻酔」

という言葉に「が======ん」のわたくしである。


ひとまず、今帰って来たばかりなので、何か抜けているかも知れないが、
今日の今日の話し、オンタイムで更新してみました。


では、、、また、、、



     ごきげんよう




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行って参ります

2015-11-17 05:27:30 | Weblog
これから慶應義塾大学病院 消化器外科 の初診外来に行って来る。

受付時間が8:15。

診察が8:40だ。


多分、検査予約が最優先で入ると思う。


帰宅したら、再度、ブログに詳細を更新いたします。


では、、、行って参ります。



   ごきげんよう




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悲願が叶った

2015-11-16 06:32:02 | Weblog
松戸市には急性期病院の 「松戸市立病院」と
慢性期病院の 「松戸市立医療福祉センター 東松戸病院」の二つの市立病院がある。
市民が50万人を欠ける都市で2つも市立病院を運営している市は少ないと思う。

この東松戸病院に10月、”緩和ケア病棟”がオープンした。

院長である岩井直路先生からのメールで知った。(わたくしの胆石の件でやり取りしていたメール)


緩和ケア病棟=ホスピスである。

東松戸病院は元々は国立の結核病院であり、かつてはターミナル、要するにホスピスもあった。
国立病院を松戸市が買い取った経緯がある。国立の療養所でもあったためか広大な土地の中にある。

しかし、松戸市の財政は困窮の一途をたどり、一時はこの東松戸病院を廃院にすると新聞記事になった事もある。

そんなさなかに、岩井先生は市立病院の呼吸器部長の座から、53歳と言う脂の乗ったフレキシブルな時に”院長”に就任。

最初は、急性期の最前線から、何で、慢性期の院長なんだ…と岩井先生は思っていらしたと思うが、

市立病院・東松戸病院この二つの病院の総長である植村研一先生と共に数々の改革を進めた。

その努力は筆舌に尽くしがたい。院長であるにも拘らず今でも当直を月に何回も持ち、外来患者を担当し、

病棟患者も持っているにもかかわらず、学会や市民公開講座、在宅医療推進委員会等々、

主軸として活動を行っておられる。(実績を作り予算を獲得するためである)


随分前の記事に書いたが、二十歳の若さで癌に侵され、彫刻家の夢をもった青年、石原慎太郎君が

この病院で、最期を過ごした。「精神世界」という詩と最初で最後の作品を病室で完成させこの世を去った。

そして、その作品は、東松戸病院の正面玄関に、燦然と東松戸病院の象徴として置いてある。


夫が東松戸病院に入院した時に、「ホスピス復活!!」と、岩井院長に懇願したのがわたくしである。

最初は「無理だよ」と相手にしてもらえなかったが、植村先生にも断続的に懇願した。

植村先生は、「僕の仕事のひとつが東松戸病院にホスピスを復活させる事だ」と仰った。

その背景には、国立がんセンター東病院(柏)のホスピスのベッド数が、予算の関係で減らされ
しかも、千葉県民ではない患者が独占している現状があった。末期がんの患者は柏のクレストホテルに泊まり
ホスピスのベッドが空くのを待っている=亡くなる患者を待っているということである。

医療関係者は「急性期ホスピス」とこの病院を揶揄した。

そして、がんセンター東病院が抱えきれない患者を断続的に送ったのが、松戸市立福祉医療センター東松戸病院だ。
しかし、ホスピス病棟が無かった東松戸病院は、一般病棟で末期がんの患者を手厚く看取った。
個室も優先したり、医師、看護師の皆さんも患者さんとその家族の心に寄り添った素晴らしい対応をしていた。
そんな病院に夫がたまたま入院中、皆さんの血の滲む様な努力を目の当たりにし、考えさせられることばかりだった。
メモ帳は広告の裏、蛍光灯は2本の所1本抜いて1本、シリンジ(注射器)やアル綿(アルコール綿)等
ありとあらゆるものを倹約し、少ない予算の中でも出来る限りの医療・看護をしようと努力している姿は
感動に値するものがあった。慢性期病院の在り方を良く理解していなかったわたくしは変な注文をつける
クレーマー妻だったと思う。しかし、夫が入院中、「本当の病院の在り方」の様なものの基準が大きく変わった。

ホスピスはどこも赤字なのだ。だから、私立の大学病院にホスピスは無いに等しい。かろうじて東京大学付属病院や
聖路加、癌センターが赤字覚悟でターミナルの患者を受け入れている。
高額な抗がん剤を投与する訳でもなく、ひとりの患者に4人の看護師が対応しなければ24時間看護は出来ない。

「自分が癌で死ぬ時はホスピスで…」等と簡単に思っている人も多いと思うが、実際はホスピスで死ぬ事は
なかなか難しいのである。

松戸市から予算を取るのに、どれだけのご苦労があったかと思うと、岩井先生には本当に頭が下がる。
先生が学会を開く時は、必ず、わたくしはスタッフか演者として協力した。
それは、先生の熱い思いと、なりふり構わず、松戸市民のために生涯を捧げるのだという心意気、
そして、最初に「無理だよ」と言った先生が、諦めずに必死に頑張る姿に、わたくしは何もしないではいられなかった。

急性期の松戸市立病院が建て替え時期に来ており280億円を投じて建て替えをする事が可決され
東松戸病院は尚の事、予算を減らされるのではないかと案じていた。
しかし、こうして、ホスピスオープンと言う事は内装はもちろんのこと、医療機器、人員の確保が出来たということである。

  感無量

である。わたくしはさめざめと、嬉し泣きをした。
「20日の金曜日13:30~ニッセイエデンの園(東松戸病院の向かい側) 大ホールにて
 H27年度秋季 市民公開講座 をするから来て~~」と岩井先生からメールと封書が来た。もちろん、行く。

内容は「これから迎える超高齢者社会において、地域でどの様に最期を迎えるのが良いか、
緩和ケア病棟の役割も含めて考えてみましょう」という内容で
演者は岩井院長と緩和ケア担当看護師田上容子さんだ。

松戸市立福祉医療センター東病院 
http://www.city.matsudo.chiba.jp/higashihospital/
トップページには石原慎太郎君の遺作である手を合わせて天を仰いでいる様な彫刻の作品が
しっかりと写真に写っている。

お近くの方は、ぜひ、11月20日金曜日13:30~の公開講座(無料)にご参加頂ければと思います。


緩和ケア病棟を維持して行くのは並大抵のことではないと思う。
しかし、絶対に必要な病棟だ。。
わたくしでお役に立つ事なら、何でもお引き受けしようと心に決めている。

ひとまず、胆石を摘出してからの話だが……


あまりにも嬉しすぎる吉報。

夫の仏前で、夫に、報告し、ぶつぶつと、色々、話しかけている。


夫も、わたくしと同じように、感動し、喜んでいると思う。




では、、、



     ごきげんよう
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久しぶりのおしゃべり

2015-11-15 06:20:02 | Weblog
昨日の午前中、仕事中であったがご家族に事情を説明しお願いして時間をもらい

慶應大学病院の診察予約の電話をかけた。

9時からの電話受付で、時間と同時に電話したがなかなか繋がらず、繋がったのは10:30だった。

いつもの如くだが、混んでるなぁ~。。。

で、向井先生に言われたとおりに話したら一発OKで17日(火)の朝いち

篠田先生の8:40の初診予約が取れた。通常ありえない。奇跡に近い。

向井先生のお陰です。。

で、11時に仕事を終え、直ぐ、先生に電話を入れた。

「火曜日の一番早い8:40に予約取れました」とわたくし

「bestだ。ヨカッタヨカッタ」と先生

で、15分程先生と久しぶりにおしゃべりをした。

「慶應の立て替えって東京オリンピックに間に会うんですか?」とわたくし

「あっはっはっ!!スゴイなその切り口。その切り口で建て替えの事を考えた事もなかったし

 聞かれた事もなかったし、話しをする慶應の医師はいないよぉ~~」と先生

「だって、国立競技場の隣じゃないですか、病気や怪我で隣の慶應に運ばれる人も居ると思いますよ」とわたくし

「確かに~~、それもそうだねぇ~」と先生

奥様の話や、お母様の話し、奥様のお母様が先日TVに全身ピンクで登場した話や、アメリカ爆走旅行の話し、

来年はヨーロッパを回る予定の話し、、、とにかく、ありとあらゆる話題に話しは広がり

お互いに、ジョーク交じりに、ゲラゲラ笑いながらおしゃべりした。

年内に手術になるか、今はまだ分からないけれど、先生に今年の内に一度お目に掛かりたいと思っている。


と言う事で、慶應義塾大学病院 一般消化器外科 篠田医師の初診は来週の火曜日に決定した。

火曜日か金曜日か、、、という時点で在籍する事業所には事情を説明し、双方、休みを取ってあった。

初診で検査予約が入るはずなので、休日は多ければ多いほどいい。
仕事が入っていたら休日願いを出して、検査優先。後の、カンファレンス等も立て続けに予約が入ると思う。
年内は、別の意味で忙しくなりそうだ。手術日は、受診してみないと全く分からない。


今日は、9:00~17:00、3時間ずつ、間を2時間空けて仕事が入っている。
今日は、ファミレスに入るのは止めよう。
静かに、ゆっくり出来る所を探してみようと思う。
2時間の間に、便箋と封筒と住所録を持参して、お世話になった方々にお礼の一筆を書きたいと思っている。
メールや電話では、わたくしの気が済まない。
直筆で鳩居堂の紙に、感謝の気持ちを綴り、ポストに今日の内に投函するつもりだ。


明日は全休。
慶應に行くためには家を6:30には出なくてはならないので、慶應に行く準備をする。

また、在籍していた事業所をひとつ、昨日付で退職した。
そして、もうひとつ、在籍している事業所を辞めようと思っている。
これから手術が待っているし、さすがに4つもの会社に在籍するのは
色々な面で難しいと判断し、絞り込もうと思っている。
残る2つの事業所(喀痰吸引の医療的ケア)は継続するつもりだが、「がん末」(がん末期)のご利用者を
担当したいと前から思っているので、そういうケアを主軸としている事業所に在籍し、勉強したいとも思っている。
どちらにしても、稼働するのは手術後ひと月以上後だが、雇用契約だけは早い段階で締結し
カムバック出来るよう体調万全になった時には、直ぐにケアに入れる準備をしようと思う。


と言う感じに少しだけ先の予定を考えて決めてみた。
体調次第で、かなり、予定は左右されると覚悟しているので、
あくまでもわたくしの頭の中での絵図らである。


「健康診断」は大事です。皆さま、年に一度と言わず、二度位は是非受けて下さい。
わたくしは定期的に受けている全身検査でも見つからず、市の健康診断でも見つからず
会社に提出するための健康診断で発覚した訳ですから、、、
判定に赤文字は、キョーレツに撃沈、凹むだけでは済まされず
慌てに慌て、家族にも心配を掛け周りを巻き込みますので。。
くれぐれも、ご注意を………



では、、、



   ごきげんよう








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  虚脱

2015-11-14 06:10:00 | Weblog
この数日間、無我夢中で過ごしてきたが、慶應病院受診の目途が立った今


わたくしは……

  「虚脱状態」

である。

昨夜は色々お世話になった先生達にお礼のメールや電話に追われた。


今、PCに向かっても、何も浮かんでこない。


ひとまず、今日の仕事をこなし、ゆっくり眠ろう。


一難去ってまた一難。

自分で言うのもおかしいが、わたくしの人生は波乱万丈である。

次から次へと色んな事が起こる。

しかし、わたくしには子ども達が居る。大事な大事な子ども達が……

だから、癌になろうが、胆石になろうが、、、

いつも、元気な太陽みたいな母でいたいと思うのである。

よそ様からは、「元気で明るい人だなぁ~」とよく言われるが

「月」の様な静寂の闇をどこかで抱えていると自分では感じている。

そんな風に思うようになったのは、やはり、夫を亡くしてからだ。


大切な人を失った悲しみや喪失感は人の目には見えない何かを残す。

自分だけの胸に残るのものだ。


だから、子ども達には、もう、そんな思いはさせたくない。


わたくしのこれからの人生、どうなって行くのか…先の事は分からないが
今、そんな思いを抱きつつ過ごしている事をこのブログに残そう。


さぁ、前を向いて歩こう。


今日も一日、頑張ります。



では、、、



     ごきげんよう






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