脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

   順風満帆のはずが……

2015-08-31 18:32:40 | Weblog
2010年11月。会社設立。

2011年2月事業開業にこぎつけた所まで書いたので

その続き。


スタッフも揃い、ゆっくりだがデイサービスの運営を順風満帆に滑り出していた。


そんなある日、わたくしが毎年受けている市の成人検診を受けた。

毎年、きちんと、受けていたにも関わらず、、、
乳がん検診で(毎年マンモも自費で受けていた)しこりが見つかった。
先生の触診で直ぐに見つかった。。

「針生検その他、精密検査の必要あり。現時点では良性とも悪性とも言えない。
 しかし、一年で3センチの大きさなので、、、」と言われた。

その先生はOPは市内の他病院を間借りして行う。という事で、、、
夫も慶應病院が主治医だった事、病理の向井先生にも相談し、
慶應義塾大学病院の乳腺外科に紹介状を書いてもらい、直ぐに受診した。

慶應・神野先生は「急ぎましょう」とおっしゃり、大急ぎでベッドの確保と
検査予約を入れて下さり、2W後には入院、手術した。

悪性、ステージⅢA。リンパ転移。左房全摘出・リンパ全摘出。

その後、抗がん剤治療が始まった。
爪は真っ黒に変色し、割れていった。
髪の毛、まつ毛、眉毛、、、体全体の“毛”が抜けた。(最初は落ち武者みたい)
体調最悪。吐き気でむかむかし、体重は激減した。便秘がひどくトイレで何回も失神した。
手術した胸には鉄板で押されている様な違和感が付きまとった。
左手を上げると、右手の半分しか上がらなかった。
ちょっとした傷がなかなか治らず、あざが出来るといつまでも痕が消えなかった。
抗がん剤を点滴した血管は、次から次へと死んでいった。
(血管が固くなり、ひきつれ、その血管には二度と針は刺せなかった。これは今でもそうだ)
左の脇の下のリンパを全摘したため左の腕には針はさせなかった。(今もそう)
白血球が下がったまま上がらず、何度、白血球を上げる薬を筋肉注射したことか…
白血球の数値が悪いと、抗がん剤を予定通りに打てず、間隔が空いた。
予想外の入院も余儀なくされ、長引いた。


デイサービスの管理者・施設長としての仕事どころではなくなった。
沢山の方達にご迷惑を掛けて申し訳なかったが千葉県に”休業届”を出して、
デイサービスは閉じた。

自宅療養中は、綿の帽子をかぶり、慶應に行く時はウィッグ(かつら)をかぶったが
どんなに”自然なかつら”と言われても、どこからどう見ても「かつら」だった。
がんになる前はロングヘアーの巻き髪がわたくしの定番で毛の質が自慢だった。
その自慢の髪の毛が全部抜けた。

家で療養中は実家の母が、ずっと居てくれた。本当に助かった。
子ども達にも心配を掛けた。気分も落ち込み、辛く、苦しい毎日だった。
髪の毛が生え出したが、以前のわたくしの髪質とは、全く違う、
赤ちゃんの毛の様な、か細い毛だった。
「ひよこみたい・・・」と子ども達に言われた。
(今でも前髪と脳天は、ひよこみたいな毛しか生えて来ず、毛の量は以前の半量である)


しかし、ずっと、このままでいいのか???

という思いにじわじわ動かされ、、、
体調に合わせてチョイスできる訪問介護員の仕事を
フリーランスで非常勤ヘルパーとして始めたのだった。


この選択が、、、

今のわたくしの始まりである。

社長→いちヘルパーとして現場に出たのである。

”出直し”したという事。


いちヘルパーとして出直して随分経った。
  

夫の身体介護を2年間24時間続けた事が、土台になっており、
亡き夫から担った、わたくしの”使命”でもあると今は思っている。


居宅介護(訪問介護ヘルパー)は、もしかしたら、、、

    ”介護”

の原点かもしれない。

昔、ヘルパー制度がなかった頃は、ボランティアさんだったり
家政婦さんが「介護」を担っていた。

実際、大手の会社の前身が「家政婦紹介所」の所もある。
予防1・2の方や介護度が低い方は”生活介助”という家政婦さんの様な
内容の仕事が多い。(買い物・掃除洗濯・お料理等)

わたくしは、生活介助は事業所の関係で1人しか受けていない。
その他は全部”身体介助”である。

その身体介助の中でも”医療的ケア”が半数以上を占めている。

今現在、3つの事業所に籍があるが、土曜日にもう一つの事業所と雇用契約をする。
今回契約する事業所は喀痰吸引を専門とする事業所である。今日電話があって
どうしても急務のご利用者がおり、早急に雇用契約の締結をし来週からケアに
入って欲しいと言われた。

休みは休みとして確保し、空いている時間帯になら仕事を請けようと思っている。
今は「経験を積む」事に重点を置きたい。経験し経験し、勉強勉強が

”今”のわたくし。

そして、その経験を踏まえて、、、

次のベクトルに上がって行きたいと思う。


”フリーランス”というのがミソだ。

フリーは、いいよ~~。。


と、今日はわたくしのがん発見から闘病、現場復帰について書いてみた。


では、、、



       ごきげんよう










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  激励のコメント

2015-08-31 06:53:51 | Weblog
今日は8月31日。

明日から9月だ。晩夏なのに、こんなに雨が続き、
気温が低かった夏は初めてではないだろうか……


わたくしは、今、相談員初任者研修を受講中だ。

今週の水曜日と木曜日にこの研修の演習を終え、晴れて

”相談支援員”の資格を取得できる予定。


このブログを続けてきて、ヨカッタと昨日の記事に書いたけれど

奇遇にも、またまた改めて、昨夜、こころから、そう思った。


以前書いた”NTT”という記事にコメントが入ったのだ。

しかも、その方は、、、記事に登場した先生だった。



「社会福祉法人 九十九里ホーム 障害者支援施設聖マーガレットホーム」

     宇津木 文雄  氏

わたくしは、この方からのコメントを何度も何度も読み返した。

     ”激励”

のなにものでもない、そのコメントに、パワー全開のわたくしである。


講義では「計画作成と支給決定プロセス」
「モニタリング報告書の記載方法の説明」という演題でご講義下さったが、

実は休憩時間に、通路を通りかかった宇津木先生に「先生!」と声を掛け
質問したわたくしに丁寧に説明して下さった。

この事は先生はきっと覚えていては下さらないだろう。。。
わたくしは850人を超す受講生の中のひとりなのだから。。。


千葉県が行っている相談支援従事者初任者研修だがその上には国。
要するに厚労省が進めている政策がある。
厚労省にはわたくし個人として、様々な不満があり、不信感もある。
しかし、そのズレをどうすれば無くす事が出来るのか……
答えなど出ない。


”現場”で起きている事を、、、

”現場”が何に対して困っているのか、、、


厚労省さん、見に来て知って下さい。

そして、我々の声を真摯に聴き、机上の空論に費やす時間を

”現場”に注いで頂きたいと強く希望する。


この場をお借りして  うつぎふみお氏に

こころから、こころから御礼申し上げます。

わたくしめの、つたないブログにコメントを下さり

本当にありがとうございました。

演習でしっかり勉強し、皆さんから必要とされお役に立てる相談支援員に

なる事を誓います。



では、、、



      ごきげんよう












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  コリコリ、パンパン

2015-08-30 05:32:32 | Weblog
昨夜は、お風呂で体をゆっくり温めてから、半年ぶり位に、

  ”中国整体マッサージ”

に行き90分施術を受けてきた。

中国人なので片言日本語で「ヒサシブリネ~」と覚えていてくれた。


頭のてっぺんから足の先まで全身マッサージを受けて、まじ、気持ち良かった


首から肩に向かった時、、、


「コリコリ、パンパンネ~~」

「ヨク、ガマンシテタネ~~」

と言われた。。。


確かに、体がキツイにはきつかったけれど、施術中にそう言われると

改めて「わたしって疲れてたんだ・・・」と自覚した


うつぶせのまま、寝息をたてかけた瞬間、、、

「いで==

と、わたくしは叫んだ


お尻の一点を押された時に激痛が走った


「オネエサン、イ、ワルイネ?」(お姉さん、胃が悪いね?)

その通りだった。

”胃”のツボに一撃が入ったのだ

「いて===」ではなく

「いで===」だったので

指圧する手を緩めてくれたが、東洋医学もバカにしたもんじゃない

”手当て”というが、手を当てただけで、内臓疾患までわかるなんて


昨夜は、体も軽く、よく眠れた

揉み返しもないし、また、時間がある時に行こうと思う。

身体を厭うって、こう言う事なのかもしれない。

夫が元気な頃は「陶板・岩盤浴付きの温泉」に夫と一緒によく行ってた。
すぐ近所に、温泉付きマンションがあり、1Fが一般の温泉ランドみたいに
なってたんだけれど(中に整体マッサージもあった)、乳がんの手術後は
なんとなく行きづらくなって、そのうち閉店してしまった。

今度、休みに、陶板浴を探して行ってみようと思う。
体が芯から温まり、汗もかくし、すっきりするもんね。


今日は午前中に1件だけ仕事が入っているが午後はお休み。
今日の午後も、ゆっくり、体を休めようと思っている


では、、、


     ごきげんよう





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   プロポフォール

2015-08-29 17:03:29 | Weblog
今日は午後の仕事がキャンセルになり、予定外に半日休となった。

ユーチューブで色々な音楽を聴いた


ふっと思い立ち、、、

マイケルジャクソンの動画を観た。

”才能”の上に”努力”を感じた。

素晴らしいエンターティナーだったと改めて思う。

ジャンルは何であれ


「イイものはイイ」

わたくしはマイケルが好きだ。



夫が松戸市立病院に入院した時に担当外科医に言われたひと言を思い出した。

フェンタニルMTパッチの量と貼り替え間隔。

本来72時間で貼り替えるが通常だが、夫は48時間で貼り替えていた。


「こんなにフェンタニル使ってるの?マイケルジャクソンみたいに死んじゃうよ」

「心臓が強いんだねぇ~・・・」と冗談交じりに言われた。


夫が入院する半年くらい前に、マイケルジャクソンは50歳で亡くなった。

中枢神経抑制作用を利用した、全身麻酔の導入に用いられる

”プロポフォーム”

が、原因での心停止と確か言われてたかな・・・でも、これって投与経路は
点滴からの注入のはずだから、マイケルにはDRとNsがついていたんだったかな。。。
心停止というか呼吸が止まったんだと予想がつく。

それにしても、なんで、こんな薬まで常用しなければならなかったのだろう???

この薬は鎮静作用(意識を失う・眠る)を目的とした薬だから、
夫の様に「痛み」のために常用していたとは考えにくい。

睡眠障害か、、、それにしても、もっと違った薬があったのではないかと思う。

女子医大で2歳の小児に、このプロポフォールを使用し、死亡事故があった。
これは、大きく報道され、裁判中のはず。。


マイケルがこの薬を使用するに至った経緯に関しては、全くわからないが
夫は、”幻視痛”に本当に本当に苦しんだ。
麻薬系の経口薬は全然効果は無く、副作用だけに苦しんだ。(吐き気)

慶應病院には緩和ケア科はなく、麻酔科・ペイン科の受診はしたけれど
まったく、夫の期待に応えてくれるものではなかった。(幻視痛に効く薬は無いとも言われた)

藁をもつかむ思いで、がんセンター東病院(柏)の緩和ケア科を受診した。
木下先生の診察により、フェンタニルMTパッチが処方され、量の調整も丁寧にして頂けた。
フェンタニルMTパッチは劇的に夫の痛みを緩和してくれた。
フェンタニルに関しては、全く夫に副作用は出なかった。
初めてフェンタニルMTパッチを貼った日は「痛くない。楽だ~~」と感激していた。

ただ、耐性が出来てしまい、量は増える一途だったし、体内濃度が下がってくる
3日目には、もう痛くて痛くて苦しんだ。
それで、2日間48時間で貼り替えとなったのだ。

もし、あのまま、フェンタニルを増やし続け、48時間おきだった貼り替えが24時間おきに
なったりしていたら・・・・・・

本当に、、、


「マイケルジャクソンみたいに死んでいたのかもしれない」


それでも、”痛み”に24時間耐え続けるよりは、、、

痛みを和らげる道を選ぶと思う。


わたくしが、もし、がん再発し、痛みに襲われたら、苦しんで長生きするよりも

痛みを緩和し、生きる質を保ち、命の期限が短くなっても、その道を選ぶ。



マイケルの気持ちになってみると、、、

余程、、、本当に、、、辛かったんだと思う。

  

   Michael Jackson

2009年6月25日  永眠  享年50歳


        合掌





では、、、


       ごきげんよう








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縦書き

2015-08-29 06:05:05 | Weblog
昨夜は7人に手紙を書いた。

昔はよく、葉書や手紙をまめに書いていたんだけれど

最近すっかり”書く”ことをしなくなって・・・

”字”を忘れてしまって、、、簡単な漢字も…

「あれっ??」と出て来ない。

それでも、昔は国語辞典がいつも傍にあり、調べていたんだけれど
わたくしの国語辞典は息子に譲ってしまったので、昨日は携帯で調べて、

「あ~~そうだ、この字だ」と携帯に教えてもらって書いた。

漢字検定を受けた頃は、すさまじい漢字の量を頭と手に叩き込んだのに……

何で、忘れるんだよ~~



わたくしの手紙は”縦書き”だ。


便箋・封筒・葉書は鳩居堂の品しか使わない。
が、それらは、みな”縦書き”用の物ばかり。

横書きは、なんか、わたくしは、書きにくく感じるの。

なので、縦書きが使い勝手がイイ。

流れる様な文字が書けるし、短い時間で書き終えることができる。(わたくしは、の話し)

6名のDrと、1名の居宅支援事業所の所長宛に書いた手紙。

昨夜のうちにポストに入れたが、

一つ不安な事が、、、

切手を82円か92円か、、、迷った。
丁度、切手を切らしていたので近くのお店で82円切手を10枚買ったんだけれど
92円にすればよかったかな?と不安になってきた。

郵便局って、不便だ。

空いている時間は短いし、コンビニみたいにどこにでも無い。

探さないと郵便局ってない。

いちいち、計量してもらいに行く時間もない。

切手が足りないと戻ってきてしまい、二度手間だと思うと、
従来82円・92円で大丈夫だったかもしれない封書に
手元に52円切手しかなかったりすると
52円を貼ってポストに出してしまう事もよくある。
わざわざ、10円・20円切手を買いに郵便局まで持っていく手間が
取れないから、、、本当に困る。


わたくしが手紙を書いている間は、娘も息子もひと言もしゃべらない。
愛犬の万起子も傍に寄ってこない。

ペンを持つわたくしの体から「書くぞ===」オーラが出ているのだろう

書き損じると、最初から書きなおすので、

かなり、神経を集中させる

一気に、7通の私信を書きあげ、妙な達成感を味わった昨夜だった


今日は、8:30~18:30の仕事に出る。
雨が降り、気温も寒い位だ。

季節の変わり目は体調も崩しがちになる。
皆さま、ご自愛くださいませ。。。


では、、、


        ごきげんよう








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 歯の神経が、、、 むき出しだって。。。

2015-08-28 19:00:00 | Weblog
今週はずっとお天気が悪い。

ジトジトと湿気もあるし、、

でも、猛暑はひと段落してくれたようで助かる。


我が家の愛犬、「万起子」に2W程前から気になる事があった。

右目の下にコブの様なものが出来て、触ると固いし、
痛がる事もないし、、食欲もあるし、、、

と様子を見ていたが、心配なので病院に連れて行ってみた。

先生に診てもらったら、

「よくある事なんですよ・・・」とのこと。

奥歯が欠けて”神経がむき出し”になっていて、ばい菌が入り腫れてるとの事。

「抜歯すれば完治するんだけれど全身麻酔だから、お薬出しますから
 様子を見て下さい。全身麻酔は目を覚まさない事があるからなるべく避けたい」

と言われ、内服薬を10日分出されて、10日後に再診の予約が入った。

普通、人間だったら、歯が欠けて神経がむき出しになったら死ぬほど痛いはず

万起子は、蹄(牛のひづめ)が好きで、いつも、ガリガリかんでいたから
多分、蹄の噛み過ぎで歯が欠けたんだと思う。。

「ひどくなると、表面の皮膚に穴が開く」

と言われ、ビビりまくってしまった


10日後に改善していなかったら、入院して抜歯になるのかも知れない。

ただし、良くある事で、お薬で収まれば、経過観察とも言われているが
繰り返す例がほとんどらしい。


動物病院は保険が効かない。
全額自費。

動物保険に入ろうと思いつつ、5年経ってしまった。
今はまだ5歳だけれど、犬の寿命は10~15年位だと思うし、
これからでも、保険に入ろうかと思っている。


万起子はアレルギーもあるため、餌はアレルギー食だ。
これが、結構高額で、わたくしや子ども達に「お犬様」と呼ばれている万起子

でも、万起子が元気にいつまでも長生きしてくれるように、、、

また、大切にするのは飼い主の義務でもあると思う。


今日は、万起子    を抱いて寝ようと思う



では、、、


   ごきげんよう








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 オカザイルって知ってる?

2015-08-28 05:39:29 | Weblog

昨夜、ユーチューブで音楽を拾って聴いていたら

あ、オカザイルが観たいとひらめき

過去の”オカザイル”を全部観た

久しぶりに大声を上げてゲラゲラ笑った


「オカザイルって知ってる?」


”岡本隆史 さんという、お笑い芸人がエグザイルという歌手?
パフォーマンス集団とダンスや歌を踊る”というTV番組の企画で
何年かにわたり続いた番組で(今もあると思うが先日の27時間テレビ
でも、やったみたいだから…)TVをあまり見ないわたくしが、
唯一に近いくらい、好んで観ていた。

そこには、お笑い芸人でありながら超人的な多彩な才能と、努力をする

”岡村隆史”という人物に興味と尊敬の気持ちもあり、素直に

「すごいなぁ~」

と思え、また、編集されたオカザイルを観ると何もかも忘れ

ただただ、面白く、おかしく、笑ってしまい、、

そして、観た後に、爽快感と共に岡村隆史さんへの尊敬の気持ちが残るのであった。

昨日は、本当に久しぶりに笑った

子ども達に「うるさい」と怒られるほど笑った。

人を笑わせるって、難しい事だと思う。


同世代の岡村隆史さんにはこれからも、頑張って欲しいと思う。

但し、心身ともに、身体を厭って。と条件をつけて、、
ストイック過ぎると(わたくしもそうだが)辛いものがあるから……


では、、、


    ごきげんよう



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獣のような臭い……

2015-08-27 18:34:02 | Weblog
  今日は部活を終えた午後、息子の友達が2人遊びに来た

息子の部屋に息子も入れて3人の13歳の男子がこもって遊んでいたので

近くの、たこ焼き屋さんに10個入りのたこ焼きを2パック焼いてもらい

差し入れた。


ところが、、、


息子の部屋を開けると……


世にも恐ろしい、、、


臭いがした


表現のしようがないんだけれども・・・

あえて言うなら。

「けもののような臭い」

成長期の男の子は臭い。

”オヤジ臭”とは全く違う臭いがする

中学2年生が3人


息子以外のお友達は既に声変わりしていて、息子1人が甲高い声を出してた

3人の中で一番背が高いのが息子なのに、、、

なぜ、未だに、声変わりしないのかなぁ~


その後、わたくしは仕事に出たため帰宅して息子の部屋に行ってみたら…

やっぱり、臭かった

リセッシュ(ローズの香り)をしまくった


この臭いは、いったい、いつまで続くんだろう???


と、思いつつ、、、思わず、薬局にリセッシュの詰め替え用を大量(5袋)に
買い込んで来たわたくしである


男のお子さんを育てた事のある皆さん、

なにか、消臭に良い方法があったら教えて下さい


では、、、また、、、



     ごきげんよう




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   二度寝。。

2015-08-27 07:48:23 | Weblog

  昨夜は23時までの仕事を終え、帰宅後速攻で床についた

 完全熟睡の後、6時に目が覚めたが、目をつぶったら、いつの間にか・・・

 また寝てて、、さっき起床した

”二度寝”

わたくしは、めったに二度寝はしないので、変な感じ~~

寝過ぎると「頭痛」がする体質で頭がガンガンしてしまう。
今も、そんな予感。。。
頭が重い


昨日は気持ち悪い程、気温が低かった。
今日も妙に涼しい。

季節の変わり目。
秋に一歩ずつ近づいていると感じる

8月もあと4日で終わり9月になる。

早い、早すぎる、、、

今年の3分の2が終わり、残す所4カ月しかない。。

うえぇ~~~

平成28年がもうすぐそこに

わたくしは2月11日が誕生日なんだけれど、、、

40代が2月10日で終わる……


20代、30代、40代、、と振り返ると、いろんなことがあったと
思い出される。

20代は学生時代~社会人。そして、結婚・第一子出産。
30代は子育て・第二子出産・主婦時代。
40代は夫の病気・夫の逝去・会社設立・自分のがん闘病。。。

と、やはり、40代が一番色々な事があった。

どんなこれからが待っているんだろう?

未来の事はわからない。

人生、何があるか分からない。

だから、、、

今日一日を大切にしよう。

毎日が、「勉強」だ。

机上の勉強や仕事だけではない。


人として、、、

どんな事があっても、、、

自分が成長するための「試練」「勉強」だと思って

一生懸命、生きて行きたいと思う。

でなければ、、、生きたくても生きられず亡くなっていく人に

失礼だと思うから。。。



では、、



     ごきげんよう



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  排尿排便困難

2015-08-26 17:16:12 | Weblog
村山医療センターで夫が指導してもらったリハビリメニューに

”自己導尿”


”自己摘便”

がある。


下肢完全麻痺及び体幹機能不全の夫は
自力でおしっこもウンチもする事は出来なかった。

じゃぁ、どうするの???

というと、、、

自分の手で道具を使って「出す」のであった。

転院した頃は尿はバルーンが入っていた。
(尿のバッグをぶら下げ尿道にはカテーテルが入りっぱなし)
便は、看護師さんに浣腸をして摘便してもらっていた(下剤服用)


「自己導尿」

これは、滅菌カテーテルを尿道口から膀胱までキシロカゼリーを塗り入れる。
膀胱にカテーテル(管)が到達すると、一気に尿が出てくる。
これは、3時間置きにしなければならない。
一回の尿量は「700mlを超えてはダメ」と指導されており、水分摂取量と共に
排尿量も手帳に毎回書き残す指導であった。

しかし、この自己導尿。どれだけ”滅菌”に気を使ってもばい菌が入り、
尿路感染もしくは腎盂腎炎にまでなる様な高熱を出した。
尿検査の後(結果を待たずに)クラビットという抗生物質が投与された。

これは、家に戻って来てからも度々経験している。


「自己摘便」

これは、毎食後に酸化マグネシウムという便を軟らかくする薬を服用し
摘便前日にはラキソべロンという下剤を服用、摘便前に、浣腸の役をする座薬をいれ
そして、トイレに座って、自分の手にレスポ(ゴム手袋)をして、
肛門から便を掻き出す。便が降りてきていないと、トイレに座って摘便しても出ないので
その時はベッドに横になり、看護師さんや自分でお腹をマッサージしたり、
温めたりして、再度チャレンジする。


こうして文章にすると簡単だが実際にこの技術を習得するのは大変な事だった。


自己導尿に関しては、在宅に戻って、常に付いてまわった。
3時間3時間、、、と外出する時も導尿セット(しびん、カテーテル等)を
持ち歩かねばならなかった。

摘便も、摘便で出きらず、残っていたり、下剤が効き過ぎて、
摘便する前に下痢してしまう事も多かった。
食べた物の種類や、水分摂取量、体調等でいつも違う。

これは、健常者であるわたくし達だって、同じだと思う。

違うのは、”本人に自覚がない”という事だ。

「完全麻痺で尿意も便意も感じない」から。

尿を漏らす事は無かったが(尿は勝手に出て来ない・導尿しないと出ない)
便を漏らす事に、心理的に慣れるのに夫はかなり時間がかかったと思う。

自尊心と羞恥心。。

最初の頃は失敗すると、ひどく落ち込んでいた。

しかし、同じ病室の人達に支えられ(励まされ)、

「まぁ、しょうがないか……」と自分を許せるようになっていった。



在宅になって、車椅子に座れない時期(腎盂腎炎や褥瘙等)は

すべて、、、

わたくしが、夫の手になった。

自己導尿も自己摘便も

”妻導尿”

”妻摘便”

というわけ。。。


その時は何とも思わず、3時間置きにしていたし、
摘便も下手な看護師より上手かったと思う。
(夫は留置カテーテルを執拗に拒んだ)
(尿バッグをぶら下げる事が彼の中ではお洒落じゃなかったみたい)


今回は排尿排便困難者がどうやっているのか、
また、村山医療センターで、どんなリハビリを受けたのかを書いてみた。

参考になる方が居ればいいのだが、、、

一般の方が読んでも、ちんぷんかんぷんの内容だと思う。


障がいを負う。

という事の一部分をご理解頂ければと思う。



では、、、


      ごきげんよう





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Quartett Sonnenblumen

2015-08-26 00:00:00 | Weblog
  


  ゾンネンブルーメン弦楽四重奏団 

   ”秋のコンサート”~ボヘミアからの便り~

  2015年10月12日(月曜祝日)PM2時~

  千葉美浜文化ホール 2F音楽ホール

     チケット料金¥3000-


大学の同期がRecitalをすると、、、

出演する友人のお父様から営業のチラシが届いた。

このブログで過去に書いたPOS学会の記事に出てきた

植村理一(ヴィオラ)のRecitalである。

お父上の浜松医科大学名誉教授の植村研一先生から大きな封書が届いたのだ。



わたくしは、娘と2人で行こうと思っている。

休みも確保しだした所だし、、、

クラシックの音楽に身をゆだね、リラックスしたいと思っている。

ドヴォルザークとハイドンがプログラムなので、ゆったりと聴き入る事が出来そうだ。


ご希望の方はわたくしか、主催 杜の音楽工房
            047-405-0010
             minakos@d5.dion.ne.jpまでお問い合わせ・お申し込み下さい。



理一君のヴィオラは、まろやかな音色です。
剣がない、人柄がそのまま音色に出ています。
わたくし個人としては、BGMにイイ感じ~~。
やさしい音を出すので、力強さや切り込み方には欠けるかも知れないが
選曲が今回は柔らかいので、存分に彼の良さが発揮されると期待している。

是非、一度、聴きに来て下さい

ひとまず、10枚チケット購入を頼んだのだけれど、、、
理一のRecitalだから、、、わたくしが売りまくろうと思っている。
追加で20枚程さばけたらイイなぁ~と思っている。

イイ友人をもったね理一

彼は、東京藝術大学の講師をしている有名人だが、奥ゆかしく、慎ましく、、、
前へ前へと出て行かない性格なので、、、

まぁ、芸術家特有でもあるが、こういったRecitalのチケット販売等は
苦手中の苦手なのだろう

しかし、コンスタントにRecitalを続けないと准教授→教授の線路には
乗れないから「ガンバレ!!理一

楽器演奏者はこういう性格の人が多いが、声楽家は真逆だ。

前へ前へ自分をアピールするのが当然と思っている=根明なのだ
なんたって、オペラでは「あいしているのよ
「わたしは死ぬほどかなしいの」と
歌い上げるんですから。。。

根暗ではできない

楽器演奏者(ピアノや弦楽器等)は、その楽器と自分との空間だけで練習する。

しかし、声楽の場合、自分の声を外に外に出し続ける。

管楽器も声楽に似ているかも知れないが、自分と楽器の関係は同じだ。

声楽は自分自身が”楽器”だから。


とにもかくにも、10月に楽しみが出来た

息子も連れて行きたいけど、きっと「部活だ」と断られるだろう……


今日は移動の車中では理一のCDでも聴きながら、移動しよう

音色が優しすぎて居眠りしないように気をつける


では、、、


        ごきげんよう










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   優先順位

2015-08-24 18:15:31 | Weblog

今日の仕事は終わった。

これから、夕食。

長い長い夏休みがあと1Wで終わる。

やっと、”飯炊き”から解放される。。。

それでも、娘が家事をしてくれたので今年の夏休みは
随分、楽をさせてもらった。

娘の協力なしに、今月のシフトと相談支援従事者初任者研修は受けられなかった。

来月も、2日・3日と、直ぐに演習講義がある。


来月は木曜日を全休に出来た。日曜日も隔週で休みにした。

心身ともに「休む」事に力を注ぐつもり。

過労死したらシャレにならない。


本来、もっと早く自覚し、調整しなければならなかったと思う。

いや、ここまで来ないと「わかんない人」だったんだと改めて痛感している。

今しなければならない事の”優先順位”を書き換えるのを忘れていたのだ。

その時その時によって、優先順位は変わる。

目標を持つのはイイ事だ。

しかし、環境や体調その他諸々を考慮し、”撤退する”勇気も必要だ。
または、後回しにする。もしくは、変更する。

邪魔になる「責任感」はこの際、捨てる。


全てを捨てる訳ではない。

”必要のない”

”邪魔になる”


自分のこだわりを捨てる。


そして、その向こうに、、、


もっと違った”自分”が生まれることを期待して。




では、、、



      ごきげんよう




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警察

2015-08-24 05:44:46 | Weblog
昨夜は、涼しかったので、窓を空け網戸にして寝た。

すると、、、


「このやろー、殺してやるー。ふざけんじゃねー!!」

「ガッシャーン==バッタ--ン==」「油かけて殺してやろうか==」

「てめ~、このやろう~ぶっ殺すぞ」と大声で叫ぶ若い女性の声が

もろに聞こえた。

思わず、外に出た。

ご近所さんもビックリして出てきた。

1時間程、様子を見たが、エスカレートするだけで
全く収まらない。時間は22:00~23:00.

「警察を呼ぼう」と言う事になり、、、

110番した。

2~3分で警察車両が2台、警察官が5人到着した。

一斉にそのお宅に入っていった。

警官がひとり出てきて我々に聞き取り。。。

その後、パトカーは1時間ほどエンジンかけたまま我が家の前にいた。。。


こんな訳で、せっかく、ゆっくり寝ようとしていたわたくしの睡眠時間は

削られた。


なんでかなぁ~~~。。。

…………。。。


なんで、そうなるのかなぁ~………。。。


何もない様なふつうのおうちでも、、、、

いろいろあるんだなぁ~。。。

寝不足の理由も、色々あるんだなぁ~……。。。


と、睡眠不足でぼーっとしながら、PCに向かっているわたくし

今、息子が部活の朝レンに出て行ったので、また、横になろうかと思う



では、また、、、


      ごきげんよう













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   脊髄離断術を受けるに至る心の葛藤

2015-08-23 11:51:58 | Weblog
夫が亡くなって5年経った今だから言える事の大きなひとつのエピソードを書く。


夫は、、、

脊髄離断術しか救命の道は無いと中村先生から説明された後、
こんな事をわたくしに言った。

「離断術は受けない。春乃の縁談に障るから。」

「父親が、脊髄を離断し、車椅子の身になり、家族に迷惑かけながら生きていたら
 娘の縁談に障る」

「だから、俺はこのまま死ぬ」

と、、、


”親”だな。と思った。
 
自分の命より娘の将来を案じているなんて……


しかし、翌日、、その娘から(その事は娘には話してない)夫にメールがあった。


”元気の素”というタイトルで書いた記事。

夫が離断術を受けると決める決定打となった娘のメールを読んで頂きたい。



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昨夜、娘から主人にメールがあったと言って私にそのメールを見せてくれた。

泣けた。

ただただ、泣けた。

夫はそのメールを50回以上も読み返し、泣いたそうだ。

担当の看護婦さんと主治医の先生にも見せていた。

看護婦さんは読みながら大粒の涙を流した。

中村先生は、こりゃ~頑張るしかないね!!と夫を激励してくださった。

以下、娘の渋々の了解を得て、そのメール載せさせていただく。

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パパへ。

今日は全然居られなかったけど、面接週間になって早帰りが始まるからなるべく顔を出すようにするからね^^。

唐突だけど・・・

私は、もしもパパの足が動かなくなったとしても気にしない。

目が見えて物を認識することができて、
耳が聞こえて音を確認する事ができて、
鼻と口で呼吸ができて、
自分の口で発言し、会話する事ができて、
腕が動き、身振り手振りで感情を表現する事ができる。
それだけで充分だと思うから。

私がそう思うのは、
今こうしてバスの中で立ちながらバランスをとってパパにメールを
打っている、それができる体に不自由の無い健常者の一人だからだと思う。

私はパパの身体の痛みはわからない。
いまのパパの身体の状態になったことがないから。

だけど、心配で不安な気持ちは痛いほど良くわかる。
私はまだ16年しか生きてないけど何回も経験してきたから。

ママや爽太や私に皆に迷惑がかかるから、って思ってると思う。
そんなの当たり前だよ。
誰かが病気になったら心配するのは当たり前。
ただその心配は迷惑ではない。

私が不登校になった時、パパは迷惑だった?
私に対しての感情は心配じゃなくて、迷惑な娘だと思ってた?
そうじゃないってパパは言ってくれた。

私は迷惑だなんて全く思ってない。
むしろ今回パパが病気になって慶應に入院して会話して
目を合わせる機会が増えてよかったと思ってる。
お医者さんや看護婦さんからはいろんな刺激を受けるし・・・

今までの道に引き返すんじゃなくて、
新しい道をゆっくり探して生活していく方が
難しいけど楽しいよ。
生きている感じがすると思うから。

これから頑張っていこう。パパ一人が頑張るんじゃなくて
パパに関わる全ての人が頑張ればいい。

冷たい言い方にしか聞こえないかもしれないけど
これが私の素直な気持ちだから、悩んで考えて時間をかけて
打ったメールだから理解して欲しい。  

がんばろう。


爽太から↓
パパ、退院するまで待ってるよ♪

ps,
ママには優しくしてあげてね

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(親としてのわが身の在り方を改めて責任と共に問われたような気がしている。
 そして、素直に娘の言葉が嬉しかった。)

とわたくしの文で締めくくってある。


今まで、書きたくても書けなかった事が沢山あった。
言いたくても誰にも言えない事が沢山あった。

みんな、そんな思いを胸に持ちつつ、生きているんだと思う。


わたくしの人生の長い道のりは、まだまだ続く。


「今をただ生きているだけ」のわたくしだが、

結構それって、、


むずかしい事だ。



では、、、

午前中の仕事を終え、13時~16時の仕事にこれから行ってきます。


      ごきげんよう


















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    夫の脊髄腫瘍の症状の時系列

2015-08-23 06:56:18 | Weblog
昨夜、24時間テレビを観た、夫が亡くなった年に観て以来観られなかった。
どうしても観る気分になれなかった。


「母さん、俺は、大丈夫」

という脳腫瘍の青年のドラマをみた。

病気の詳細は内容に出て来なかったが、グリオーマじゃないかな、、あれは。。。
98%摘出して、放射線・抗がん剤治療しても脊髄にも最終的には降りてきてしまっていた。
この時点で、余命2ヶ月。発病してから1年半後に亡くなっている。

このドラマは実話をもとにしたフィクションだとあった。

昨日は、このブログ、脊髄腫瘍関係者からのアクセスが多かったので、ちょっと長文になってしまうが
過去に書いた夫の脊髄腫瘍の症状が出始めてから摘出術を受けるまでを、一気に読めるように
編集しましたのでご覧ください



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夫本人の証言に基づき、時系列にて症状がどのように変化していったのか、書き記すことにする。

2007年7月頃
右足全体が異常に熱く感じた、けれど、夏だったためと普段から腰痛があったのであまり気に留めなかった。
この前後からひどいぎっくり腰が続き整骨院に通うようになりました。
マッサージをしてもらうと、ふくらはぎが異常に張って痛かった。

2007年秋頃
この頃から足の裏の何とも言えない様な痺れというか、じれったいような、
くすぐったいような感じが始まり、無意識のうちに貧乏ゆすりをしていて妻に注意されていた。
腰の精密検査を受けなければいけないなぁ~と思ったが、仕事が忙しくなかなか病院には行かなかった。

2007年12月
冬になり寒いはずなのに右足の暑さはひどくなり痺れも感じ始める。
和式トイレの時、立ち上がるのに踏ん張れず、ひざがくだける。
便意を感じトイレに行くが間に合わず少し出ていたりする事があった。
その時は理由がわからず自分を情けなく思った。
それでも長年の腰痛が痺れの原因だと思って疑っていなかった。

2007年12月28日
近隣の千葉西総合病院の整形外科にかかり、足の症状を訴えたが膝からばい菌
が入ったための炎症ではないかと皮膚科にかかるようにいわれた。
(年明けに念のため腰のMRI検査予約を入れた)暮れだったため、
総合病院には皮膚科医がいなく、他の皮膚科にかかり塗り薬と抗生剤をもらったが、
足の症状は全く改善しなかった。

2008年1月7日
千葉西総合病院の整形外科で予約を入れてあった腰のMRI検査を受けた結果は
「ヘルニアだけど問題ない」と言われて終わった。
しかし、本人は「これだけの症状があってなんでもないわけがない!!」と思い
その足で同じ千葉西総合病院の皮膚科に行った。
その皮膚科医は「ばい菌で足がしびれたら大変ですよ~!!」
「それより、かゆくない?」と聞かれ皮膚炎の薬を出してくれた。
会計を待っている間、待ち時間が”90分”と表示が出たのでその時間に循環器に行った。
糖尿でも足が痺れる事があるそうで、血液検査と尿検査をしてくれたが異常は見つからなかった。
循環器の医師がビタミン剤を出してくれたが「しびれではあとは神経内科かなぁ~」と言うので
神経内科の予約を入れ帰宅した。この日処方されたビタミン剤は全く効かなかった。

2008年1月中旬
神経内科の予約日がやっときて最初から今までの経緯を話たら
初めてじっくり症状に合わせた診察をしてもらえた。
結果、"腫瘍の疑い有り"と言うことでMRIの再検査の予約をいれた。

2008年1月下旬
MRI再検査(首から腰まで)

2008年2月初~中旬
千葉西総合病院神経内科(佐野副院長)の診察。
「脊髄に腫瘍が出来ているから整形外科に戻って説明を聞いて下さい。」と言われた。
この日のうちに整形外科にすぐにカルテを回してくれず、
後日自分で外来に来いと言われ本人帰宅。この時点でわたくしは大激怒、沸点は近かった(`ε´)

2008年2月中~下旬
やっと最初にかかった整形外科で病状の説明を受ける。
夫婦2人で中待合いに座っていると3~4名のDrがバタバタと走り回り大騒ぎしているのが聞こえた。
あっちこっちに電話も入れている様子だった。

この日最初に対応した若い医師は「背中の脊髄の中に"デキモノ"が出来ていてね」と
ニコニコと話してくれたが、ここでは診れないので大学病院、
しかも大学病院でも選ばないと対応不可能だから…と少々待たされた。
それから10分程Dr達の必死のドタバタが曇りガラス越しに見えた。

私達夫婦はこの日までに猛勉強しある程度資料を揃え持参していたので
「脊髄腫瘍の事を"デキモノ"だってさぁ…」と医師の方々の動揺ぶりを静観していた。
次に対応してくれた女子医大から出向していた西山医師が
「胸髄の脊髄髄内腫瘍なので慶應大学病院の中村医師に紹介状を書けますがどうしますか?」と
言って下さり、わたくしたちは、慶應病院・中村雅也医師への紹介状をもらうつもりで論文等資料を
揃え持参していたので、「慶應・中村先生にお願いします」という感じで話は早かった。

この西山医師、翌日慶應大学病院の中村医師に連絡して「手術がいつ頃受けられるか?」
と問い合わせをして下さり、「7月まで手術予約がいっぱいだそうです」
「遅くなってしまい申し訳ありません」と我が家まで電話を下さった。

千葉西総合病院で一勤務医であっても自分に出来る事を探して最大限にやって下さった先生は
西山先生ただ一人だった。深く感謝し、その後も何度かお礼を兼ねた経過報告に伺った。

ちなみに前年に症状を訴え初診で診てくれた整形外科の女医さんからは病状の説明、
病院の紹介ましてや電話の一本もありませんでした。


2008年3月中旬
紹介状とMRI画像を持って慶應大学病院の中村医師の初診外来を受診する。
MRI画像のデータが足りないとの事で血液造影検査の予約がひと月後の4月中旬に入れて
(「もっと早く、もしくは他の病院で撮って持参します」と言ったが「うちの画像でないとダメなんだよ…」
との事)た。

「こんなに症状が進んでいるのに来るのが(ここに)遅い」と言われた。

(この件については最初に行った千葉西総合病院の院長に「貴院の整形外科医は本人が症状を訴えているのに
病巣を多角的に探る姿勢に欠ける」とわたくしがクレームとして猛烈に追求した。

ちなみにこの千葉西総合病院は週刊朝日の良い病院ランキングのベスト10に入る
医療法人徳洲会の総合病院である。

しかし、「この慶應大学病院では全ての診察や治療が患者が多いためなかなか進まないが
私で良いんですか?」と中村医師に聞かれたが「全て先生にお任せするつもりで今日来ました」と言い
即日入院予約を入れ帰宅した。
この頃から背中と胸の痛みが徐々に出始めかなり痛みが強く夜は痛みで眠れない程にまでなっていたので
不安が膨らむ毎日だった。次回の外来で医師に早めに治療(手術)して欲しいとお願いするつもりだった。
(その時点では6月下旬~7月下旬の手術予定になると言われていた)


2008年4月中旬
慶應大学病院でのMRI血管造影検査。その数日後外来受診。
症状として歩行困難が進行している事、しゃがんだ状態から立ち上がるのが難しくなっている事、
胸と背中が激しく痛む事、目をつぶって片足立ちが出来ない事、MRI画像の状態から中村医師の経験上、
おそらく胸髄髄内腫瘍に間違いなく、「7月まで手術を待てる状況ではないので…」と手帳を何冊か見比べ、
5月29日に手術予約、2W後の4月30日外来での緊急入院も有ると言われた。
その日のうちに血液検査や心電図等出来る検査は全て済ませた。
ベッドが空き次第入院とも言われたのでその後は入院受付からの連絡をひたすら待った。
待って待って待ったけど電話はなかった。

2008年4月30日
慶應大学病院の外来。予定通り5月29日手術決定。
1W前頃入院して麻酔科外来を入院中受けるように指示され、27日(火)5時~家族も交えた病状・
手術等の説明を中村医師により受ける予約を入れた。

入院までの日々は家族4人平々凡々と暮らした。子ども達が毎日登校するのを見送り、
夫婦2人でその後ウォーキング、「歩けるうちに歩いておこうか…」等と言いつつも
体力作りにもなるし脚の筋力アップにもなるからと一生懸命努力した。
夫の脚は次第に悪くなっていた。まず、歩いているとよくつまずいた。

そして、温泉に行った時に水風呂に入ってみたら右側だけ(右の胸から下、脚まで全部)
全く冷たさを感じなくなっていた。
しかし、お風呂に入るとしびれを忘れられると言って喜んでいた。

ウォーキングから帰宅した時に靴を脱いだら大きな血豆や水ぶくれ、ようするに靴擦れが4つも出来ていた。
本人も全く痛みを感じなかった事にショックを受けていた。
背中と胸の痛みは次第に増し敷き布団にフワフワのかけぶとんを敷いて寝た。
ロキソニンという痛み止めが手放せなくなっていた。
転ぶのが怖かったし、症状が進んで就労不可能だったので入院までの約ひと月は仕事も休んだ。


2008年5月27日入院。
その夜、始めて家族も含めた病状及び手術に関する説明があった。
ほぼ予想通り、ただし、6:4もしくは5:5で上衣腫:星状細胞腫との話には食い入った。
この説明会はあくまでも上衣腫だった場合に限った説明で終わった。
本人も私も、まぁきっと上衣腫だろう…とわざと楽観的に考えようとした。

2008年5月29日
手術当日、朝8:30あっけなくも歩いて3人(本人、私、看護婦さん)で新棟4階の手術室へ。
じゃ、頑張ってね!と握手をした。その後私が病棟に戻ると何と、
中村医師チームの皆さんが病室の夫の所に向かっていた。「もう手術室に行きましたが…」と私。
「えーっ?9時入室のはずなんだけどなぁ~」と先生方皆さん大急ぎで非常階段で手術室に走っていった。

その9時間後、夫は看護室に戻ってきた。

腫瘍摘出術後は直後から足の指はピコピコというかグルグルというか良く動いた。
術後2日目には膝から下がビュンビュン動いた。
しかし、左右の自覚感覚に差があり、痺れは右足が強く、左足は全くの無感覚だった。

術後4日目に離床。車椅子に乗った。けれど、調子に乗りすぎトイレで起立性低血圧で気絶!
沢山の先生方や看護士さんに助けられてやっとの思いでベッドまで運んでもらった。

本人いわく「便器でウンコがしたかっただけ、でも、もう無理はしません、オムツでいいです・・・」
とかなり気弱になった。
病理検査結果が出るまでの間、と言うか、出てからも再手術の前日まで毎日(土日は休み)
リハビリは頑張った。車椅子の乗り降り、足のストレッチ、立つための器具
(平らなベッドに身体を数箇所マジックテープで固定し角度を上げていく)、
手と腰を使った移動、、、毎日毎日少しずつだったけれど前進・進歩が嬉しかった。

リハビリの先生一人介助で立った。立った後はほぼ支え無しで立っていた。

これが、2度目の手術、脊髄離断術の前日。

翌日、離断術により、「この一切の機能を失った。」


痛さ痒さ熱さ寒さは感じないのだけれど、症状として今まで長くあった”しびれ”だけが
今もあると本人は訴えている。
生物学的にはもうありえないことなんだけど、脳が覚えていて幻知??といったかな・・・のようである。
痺れがひどいと私もストレッチしてみるのだけれど、上手に出来なくて情けない。
これから、リハビリの先生に聞いて教えてもらおうと思う。
離断してからというもの、血圧低下(起立性低血圧)が大問題で車椅子に乗るのが大きな壁になっている。
先日は40℃の熱が出て(原因はおしっこだったらしい)暫くダウンしていたし、
3歩進んで2歩下がる、3歩4歩下がる事もあるけれど、、、
それはそれで寄り道できてよかったねとやせ我慢で切り抜けている。

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とこんな感じです。

このブログを始めてから計算すると7年7カ月経っている。
途中、スリープしていた時期も長かったが、こうして過去の記事を読み返すと、、、

”書き残す”ってすごいな。と思う。

日付や日時を入れて、7年前の事を書けるだろうか??
時系列でまとめておいて、良かったと思う。

これからも、、、

がんばって、このブログを続けて行けたらと思う。



では、、、


    ごきげんよう



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