脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

続き・・・「改めて脊髄腫瘍」再び。

2018-08-06 09:19:44 | Weblog



昨日のアクセス数。

猛烈に誰かが、、探して読んでいるんだと思う。

2015年12月6日に書き記した記事「改めて、脊髄腫瘍。。。」と言う記事。

この記事は断続的に閲覧記事TOP5に入っている記事である。


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改めて、、脊髄腫瘍。。。
2015-12-06 06:13:56 | Weblog
昨日ブログに書いたように、「脊髄腫瘍について」向き合っている。

脊髄腫瘍には種類が色々あるが、良性の腫瘍は「全摘出」が当たり前である。
それでも、部位によって、いろいろな後遺症が残る。右側・左側片方の人もいれば
両方の人もいる。左右の差もある。痺れ、痛み・温感鈍麻・感覚鈍麻は共通している。
部位によって、上肢だけだったり、下肢だけだったり、色々である。
下肢のひとが口を揃えて言うのが、「スリッパが履けない」だ。
悪性の場合(アストロサイトーマ星細胞腫)は、痛みや痺れの他に、内臓痛も
伴ったりするので、やはり、予後は悪いけれど、グレード1・2・3に関しては
全摘する事が今は確立されている。グレード3でも全摘出来る。
グレード4でも夫は98%摘出している。夫の手術の執刀医は基本的に全摘する。
星細胞腫はヨーグルトの中にジャム入れて軽く混ぜ、ジャムだけを取り除く様なOPだと説明した。
気が遠くなるようなOPである。9時間以上を要した大手術だった。


胸髄の人の後遺症の予後は悪いが、良性のエペンディモーマ(上衣腫)で歩けない、
車椅子使用していると言う人は慶應病院の患者さんの中ではわたくしの知る限り
20年前にOPした人、一人だけだ。当時は術式も術中使用する顕微鏡も
なかった時代だから、これは致し方ないとわたくしは捉えている。
しかし、今の時代、歩けない・排尿排便等の後遺症が残ったという人は
慶應の患者さんの中にわたくしは知らない。術後一時的に予後がひどく
落ち込むが、リハビリを3か月もすれば一人で歩いている。
杖を使い装具着用の人もいるが、この人達は上衣腫ではない、星細胞腫だ。
星細胞腫でも脊髄離断した人以外、車椅子の人には会った事が無い。
あくまでも、わたくしの知る限りだが・・・

頚髄に関しては脳外科がOPする病院も多いと思う。脳外のDRは脳腫瘍を多数経験しているので
その関係もあるのではないかと思う。頚髄の場合は、手、上肢に後遺症が残る。
小銭がサイフから出せない。本のページがめくれない。握力が5~10。瓶の蓋が開けられない。
火傷しても感じない、気付かない。等々。

腰髄は排尿排便の感覚が鈍麻したり、やはり下肢の不全麻痺や脱力、膝抜けが
後遺症としては多いと思う。足の指先が痛むと言う人もいる。

馬尾に関しては粘液乳頭性上衣腫が多いため、袋ごと綺麗に取れれば
そう問題はないにせよ(袋が破けると放射線治療が必要)排尿排便困難が
後遺症として残る事が多いと思う。歩行も元通りと言う訳にはいかない。

悪性の星細胞腫(アストロサイトーマ)に関しては、わたくしは、夫が
そうだった事もあり、知識・情報は網羅しているつもりだ。

夫は500万人に1人という胸髄4・5・6番にアストロサイトーマ グレード4だった。
グリオブラストーマという種類の腫瘍(脳腫瘍のグリーオーマと同じである)だった。
手術時に「迅速生検で高悪性と出たが全摘に近い、98%摘出した」と執刀医から説明があったが、
その後の病理診断(この病理医が向井万起男先生だ)により高悪性のグレード4だった事により、
首から脳に向かって細胞の浸潤を防ぐために(呼吸中枢をやられると呼吸不全で死亡する)結果、
2W後に胸髄1番と2番の間で脊髄を真っ二つに切り離した。
切り離したと同時に胸髄2番から下の部位(胸から下)は「完全麻痺」となった。
この脊髄離断術を施術してくれるのは日本でただ一人、慶應義塾大学病院 整形外科
中村雅也教授だけだった(当時は専任講師だった)
アストロサイトーマ星細胞腫のグレード4の人は確定診断が付かずドクターショッピング
しているうちに、亡くなっている人もいるのではないかと予想が付く。
浸潤のスピードがものすごく速いから。どんどん部位が上がって行き呼吸不全で死亡する。
また、アストロサイトーマG4はミクロの大きさでも出来た時点でグレード4である。
これは、病理診断医の向井先生に説明されて知った。進行によって4になるのではなく
「最初からグレード4」と言う事。大きさは全く関係ない。
開いて、迅速病理検査に出し、高悪性(3・4)が出た時点で、何もしないで閉じる医者もいる。

アストロサイトーマ(星細胞腫)グレード4の頚髄の患者さんには離断術は行わない。
なぜなら、首で離断したらその下が完全麻痺になる。首から下、全部完全麻痺もちろん手も。
あとは、延髄に触れることでもあったら「死」に直結するためである。

アストロサイトーマ グレード2が再発するとグレード3になる。グレード2が一番細胞の
種類が多い。厄介なグレード2もある。が、1と2は低悪性に位置付けられている。
グレード3が浸潤したり(腫瘍が大きくなったり、部位が上の方向に上がる)再発したら
その時点でグレード4と位置付けられる。(浸潤型が星細胞腫だからである)
3の時点で術後(全摘後)、放射線治療とテモダール治療がなされる。

わたくしは、この道をたどった患者さんを知っている。
頚髄のアストロは本当に、、、言葉が無い。
OPで全摘(G3)したにもかかわらず、再発。再発までは元気にウォーキングに励んでいたのに…
痺れを通り越した痛みが日に日に増悪し、24時間苛まれ、放射線治療とテモダール治療で嘔吐と脱毛、
腕をマフラーでぐるぐる巻きにして、帽子を目深にかぶり耐えに耐え、頑張っていたのに、、、
刻々と症状が進んだ。家をバリアフリーに建て替えたが、間に合わなかった。。。

あとは、脊髄離断したのにもかかわらず、脳に腫瘍が飛んであっという間に死に至った人がいる。
この方たちは、離断した時に既に離断した上の部分に浸潤してしまっていた人だ。
じわじわと首から脳に浸潤しつつ上肢に症状が出始め、あっという間に、ポンと脳に飛んでしまった。
記憶障害が出て、全身けいれんの後、救急車で運ばれターミナルに入った。
その中の一人の奥様とは未だにお付き合いが続いている。若かったので介護保険が使えなかった。
幼いお子さんを抱えながら、本当に頑張っておられた。本人は夫の事を兄のように慕い夫が何度も見舞った。
奥さんの顔を忘れてしまうのに、夫の事は「あ、黒田さん!」と目を輝かせていた。
夫が来るのをいつも待っていて、夫は、自分の体もきついのに「○○君の所に行くから車を出してくれる?」
と言って、わたくしが運転し、顔を見に行った。時間が無かった。
夫も、「もう時間が無いんだ、、」と自分の痛みや苦しみはどこかに置いて彼のもとに向かった。
フェンタニルを点滴で断続投与しており、時間が無かった。時間は残酷に過ぎていった。
最期は眠るように静かに旅立った。。

ここに至るのは、病巣からいって、悔しいが、、致し方ない。。。そういう病気なんだから。。

でも、そこに行きつくまでに、残された時間はある。

間違いなく、時間はあるのだ。

だから、今を、今日を、大切に過ごして欲しい。

本人は本人なりに、、、

家族は家族なりに、、、


わたくしは、脊髄腫瘍になった夫に2年間、傍らで寄り添った。

あの2年間はわたくしの宝物だ。

苦しい時、悲しい時、悔しい時、、、色々あったけれども、

間違いなく”夫と過ごした”2年間だった。

濃厚で濃密な、、かけがえのない2年間だった。

大切な人と過ごす時間を、、、もっともっと大事にして欲しいと願う。


こんな風に思えるように逝ってくれた夫に、、、


こころから「ありがとう」と言いたい。。。



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明日は、少し難しいかもしれないが脊髄腫瘍の患者さんにとっては、非常に深刻な「腫瘍の種類」
について書き記した記事を掲載する。


では、、、



     ごきげんよう





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