脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

改めて、、脊髄腫瘍。。。

2015-12-06 06:13:56 | Weblog
昨日ブログに書いたように、「脊髄腫瘍について」向き合っている。

脊髄腫瘍には種類が色々あるが、良性の腫瘍は「全摘出」が当たり前である。
それでも、部位によって、いろいろな後遺症が残る。右側・左側片方の人もいれば
両方の人もいる。左右の差もある。痺れ、痛み・温感鈍麻・感覚鈍麻は共通している。
部位によって、上肢だけだったり、下肢だけだったり、色々である。
下肢のひとが口を揃えて言うのが、「スリッパが履けない」だ。
悪性の場合(アストロサイトーマ星細胞腫)は、痛みや痺れの他に、内臓痛も
伴ったりするので、やはり、予後は悪いけれど、グレード1・2・3に関しては
全摘する事が今は確立されている。グレード3でも全摘出来る。
グレード4でも夫は98%摘出している。夫の手術の執刀医は基本的に全摘する。
星細胞腫はヨーグルトの中にジャム入れて軽く混ぜ、ジャムだけを取り除く様なOPだと説明した。
気が遠くなるようなOPである。9時間以上を要した大手術だった。


胸髄の人の後遺症の予後は悪いが、良性のエペンディモーマ(上衣腫)で歩けない、
車椅子使用していると言う人は慶應病院の患者さんの中ではわたくしの知る限り
20年前にOPした人、一人だけだ。当時は術式も術中使用する顕微鏡も
なかった時代だから、これは致し方ないとわたくしは捉えている。
しかし、今の時代、歩けない・排尿排便等の後遺症が残ったという人は
慶應の患者さんの中にわたくしは知らない。術後一時的に予後がひどく
落ち込むが、リハビリを3か月もすれば一人で歩いている。
杖を使い装具着用の人もいるが、この人達は上衣腫ではない、星細胞腫だ。
星細胞腫でも脊髄離断した人以外、車椅子の人には会った事が無い。
あくまでも、わたくしの知る限りだが・・・

頚髄に関しては脳外科がOPする病院も多いと思う。脳外のDRは脳腫瘍を多数経験しているので
その関係もあるのではないかと思う。頚髄の場合は、手、上肢に後遺症が残る。
小銭がサイフから出せない。本のページがめくれない。握力が5~10。瓶の蓋が開けられない。
火傷しても感じない、気付かない。等々。

腰髄は排尿排便の感覚が鈍麻したり、やはり下肢の不全麻痺や脱力、膝抜けが
後遺症としては多いと思う。足の指先が痛むと言う人もいる。

馬尾に関しては粘液乳頭性上衣腫が多いため、袋ごと綺麗に取れれば
そう問題はないにせよ(袋が破けると放射線治療が必要)排尿排便困難が
後遺症として残る事が多いと思う。歩行も元通りと言う訳にはいかない。

悪性の星細胞腫(アストロサイトーマ)に関しては、わたくしは、夫が
そうだった事もあり、知識・情報は網羅しているつもりだ。

夫は500万人に1人という胸髄4・5・6番にアストロサイトーマ グレード4だった。
グリオブラストーマという種類の腫瘍(脳腫瘍のグリーオーマと同じである)だった。
手術時に「迅速生検で高悪性と出たが全摘に近い、98%摘出した」と執刀医から説明があったが、
その後の病理診断(この病理医が向井万起男先生だ)により高悪性のグレード4だった事により、
首から脳に向かって細胞の浸潤を防ぐために(呼吸中枢をやられると呼吸不全で死亡する)結果、
2W後に胸髄1番と2番の間で脊髄を真っ二つに切り離した。
切り離したと同時に胸髄2番から下の部位(胸から下)は「完全麻痺」となった。
この脊髄離断術を施術してくれるのは日本でただ一人、慶應義塾大学病院 整形外科
中村雅也教授だけだった(当時は専任講師だった)
アストロサイトーマ星細胞腫のグレード4の人は確定診断が付かずドクターショッピング
しているうちに、亡くなっている人もいるのではないかと予想が付く。
浸潤のスピードがものすごく速いから。どんどん部位が上がって行き呼吸不全で死亡する。
また、アストロサイトーマG4はミクロの大きさでも出来た時点でグレード4である。
これは、病理診断医の向井先生に説明されて知った。進行によって4になるのではなく
「最初からグレード4」と言う事。大きさは全く関係ない。
開いて、迅速病理検査に出し、高悪性(3・4)が出た時点で、何もしないで閉じる医者もいる。

アストロサイトーマ(星細胞腫)グレード4の頚髄の患者さんには離断術は行わない。
なぜなら、首で離断したらその下が完全麻痺になる。首から下、全部完全麻痺もちろん手も。
あとは、延髄に触れることでもあったら「死」に直結するためである。

アストロサイトーマ グレード2が再発するとグレード3になる。グレード2が一番細胞の
種類が多い。厄介なグレード2もある。が、1と2は低悪性に位置付けられている。
グレード3が浸潤したり(腫瘍が大きくなったり、部位が上の方向に上がる)再発したら
その時点でグレード4と位置付けられる。(浸潤型が星細胞腫だからである)
3の時点で術後(全摘後)、放射線治療とテモダール治療がなされる。

わたくしは、この道をたどった患者さんを知っている。
頚髄のアストロは本当に、、、言葉が無い。
OPで全摘(G3)したにもかかわらず、再発。再発までは元気にウォーキングに励んでいたのに…
痺れを通り越した痛みが日に日に増悪し、24時間苛まれ、放射線治療とテモダール治療で嘔吐と脱毛、
腕をマフラーでぐるぐる巻きにして、帽子を目深にかぶり耐えに耐え、頑張っていたのに、、、
刻々と症状が進んだ。家をバリアフリーに建て替えたが、間に合わなかった。。。

あとは、脊髄離断したのにもかかわらず、脳に腫瘍が飛んであっという間に死に至った人がいる。
この方たちは、離断した時に既に離断した上の部分に浸潤してしまっていた人だ。
じわじわと首から脳に浸潤しつつ上肢に症状が出始め、あっという間に、ポンと脳に飛んでしまった。
記憶障害が出て、全身けいれんの後、救急車で運ばれターミナルに入った。
その中の一人の奥様とは未だにお付き合いが続いている。若かったので介護保険が使えなかった。
幼いお子さんを抱えながら、本当に頑張っておられた。本人は夫の事を兄のように慕い夫が何度も見舞った。
奥さんの顔を忘れてしまうのに、夫の事は「あ、黒田さん!」と目を輝かせていた。
夫が来るのをいつも待っていて、夫は、自分の体もきついのに「○○君の所に行くから車を出してくれる?」
と言って、わたくしが運転し、顔を見に行った。時間が無かった。
夫も、「もう時間が無いんだ、、」と自分の痛みや苦しみはどこかに置いて彼のもとに向かった。
フェンタニルを点滴で断続投与しており、時間が無かった。時間は残酷に過ぎていった。
最期は眠るように静かに旅立った。。

ここに至るのは、病巣からいって、悔しいが、、致し方ない。。。そういう病気なんだから。。

でも、そこに行きつくまでに、残された時間はある。

間違いなく、時間はあるのだ。

だから、今を、今日を、大切に過ごして欲しい。

本人は本人なりに、、、

家族は家族なりに、、、


わたくしは、脊髄腫瘍になった夫に2年間、傍らで寄り添った。

あの2年間はわたくしの宝物だ。

苦しい時、悲しい時、悔しい時、、、色々あったけれども、

間違いなく”夫と過ごした”2年間だった。

濃厚で濃密な、、かけがえのない2年間だった。

大切な人と過ごす時間を、、、もっともっと大事にして欲しいと願う。


こんな風に思えるように逝ってくれた夫に、、、


こころから「ありがとう」と言いたい。。。



では、、、



     ごきげんよう







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コメント (16)   この記事についてブログを書く
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16 コメント

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ま~ちゃんさん有難うございます (ケンスケ)
2015-12-06 07:25:35
壮絶な闘病生活だったんですね
私の知らない言葉も数々
私の病とは比にならない程の苦しさと感じます
全てを悟り全てを受入れ病と戦った人生
恐れ多く我が身の甘さを痛切に心に刻みます
私は胸椎11番と聞いてますが髄外腫瘍神経鞘腫
で術前説明ではやはり排尿排便の可能性を言われ
ましたが若干の尿道のしびれ位で済んでます
下半身の温感麻痺感覚麻痺も意外と軽度でもうすぐ
術後2年になります
確かにスリッパを履くのに足首が自在に動かず苦労しましたね
左右の足の温感が違うので左足がやたら熱く感じて驚く事があります
今では杖も卒業して先だっては30歩位スロージョギングが出来ました
私は幸せです
困難に耐えた来られたま~ちゃんさんの強さを尊敬いたします
そしてこれから迎える入院が全て無難にすみ今後の人
生を強く明るく人の為にご尽力されることを祈願いたします
有難うございました
拙いコメントでごめんなさいね
ケンスケさんへ (ま~ちゃん)
2015-12-06 07:41:11
おはようございます。コメントありがとうございます。
髄外でよかったですよ。髄外なら、ポロンと摘出できます。
冷えや気圧の変化(天気)に後遺症は左右されますので
2年経っても、体を厭って下さいね。
私は夫の傍にいただけです。病気と後遺症、困難に耐えたのは夫ですよ。他の患者さんも、頑張ってます。
家族は、本人のために必死になります。
砕け散ってしまう家族も少なからずいますが、、、
そういう方は、病気になる前から家族として機能していない人が多いです。

私の入院手術はどおってことないです。
あの時の事を思えば、、へのかっぱ。的な??

こうして脊髄腫瘍について書く事で、脊髄腫瘍を知ってもらったり、闘病中の人の少しでも情報となったら、、と思いますが、厳しい内容もあるので言葉を選びます。
でも、今日の内容はかなり危険かな・・・
あちきのは症例少ない上 (徹哉)
2015-12-06 13:09:14
偶然で早期も早期で見つかったので、参考になるか・・・

C3~5の血管芽腫、髄内ほぼ中央部です。
最初は職業病の腱鞘炎がなおらんと、実家近くの主治医に言ったら、「自分は分からんけど、首の可能性あるから、一度写真撮ってきなさい」とお茶の水の大学病院で撮った写真は、医学素人の自分が見ても、医師が口開く前にヤバいものだと即座に認識できるものでした。感覚的には、電子基盤見てヤバいとこわかる感覚でしたが。

術後影響でてるのは左肩から指先までの痺れ、感覚異常、傷み。今は、若干のひざの抜け、排泄感覚異常。特に左肘から先はかなりの痛みと硬直あります。一応、杖なくても傍目には普通に二足であるけますけどね。

感覚的には、「左腕全部入るくらいの血圧計で絞り上げて、機械が壊れて締め上げっ放しの状況に、雪遊びして手の感覚か無くなった状況と、ぎっくり腰の電撃な痛みが絶えず来る」が日常。って説明すると、大体引かれますw

ある程度、リボトリールの一番容量の少ないので緩和出来ますが、使い方誤って、2回精神壊して休職してます。対人ストレスも痛みに直結するので、意識して人付き合いも選んでます。

ほぼ鎮痛緩和薬は、オピオイド系以外は試してますが、仕事できるレベルは、自分はリボトリールがバランス的に合ってる感じです。

ある程度動けるのは、弟の八極拳(李氏だから本流か)の一番基本の形を、毎日欠かさずやったお陰で、首がすわるのも早かったらですし、自分の門派の体術の技法のお陰で、左半身の動きを無意識下から意識下におくことで何とかできました。

多分、というか定時で家に帰って来ても、スーツ脱ぐとしばらく動けないぐらいの弊害はあります。脳に負担かかってるなぁ(汗

週末は敢然休養日って割り切れば、仕事できるし、何とかなってます。身内では教えてくれた弟が自分並に調べてどうすればいいと考えてくれているので、あいつには感謝なんて言葉じゃ足りないくらい助けられています。
徹哉さんへ (ま~ちゃん)
2015-12-06 18:26:36
詳細をありがとう。今日は日中ネットが繋がらなくて、参りました。

「C3~5の血管芽腫、髄内ほぼ中央部」ほんと、珍しいですよね。血管芽腫も良性の内に入るんですかね??

絞り上げは夫もすごかったです。
量足全体が(特にくるぶしから下)マンリキで締め付けられるような痛みだと言って、泣きが入っていました。
リボトリールは服用した事はないのですが(かたくなに拒否りました。)藁をもつかむ感じでSSRIのパキシルをマックスで処方され、、、いきなりカットされ、、、
パニック発作が起きましたよw
ジェイゾロフトに切り替えたら、薬疹が全身に出ましたし。結果的に効力ゼロでフェンタニルに移行し、緩和されました。

リボトリールを処方する時の説明が無さ過ぎですよね。
処方され服用した人がみんな言ってました。
精神壊れるって、、で、恐ろしくなって完全拒否りましたが、パキシル飲んだ時点で同じだったんだよね・・・
当時は、向精神薬による痺れと痛みの緩和について無知でした。神経因性疼痛に向精神薬が処方されることがスタンダードになってましたからね、当時は。

前に紹介した「痛みと麻痺を生きる」に投稿している女性が藁をすがって、ひどい目にあっています。体重が15キロも増えたと嘆いてました(実際、阿部さんのお宅でお会いして聞きました)

徹哉さんは、試行錯誤の上、今の状態に行きついたとおもいます。リボトリールの自己管理がきちんと出来ているのは、すごい事ですよ。

いずれにしても、脊髄腫瘍の後遺症は千差万別。
全く同じという人は居ませんね、、
患者会のメンバーの話しをまとめても、つくづく、そう感じます。しかし、やはり、良性の人と悪性の人では、スタンスが違いますから、難しかったかな~。。
みんな、自分が一番痺れ、痛い、と思ってますしね。
主観的な痛みや痺れですから、中村屋には測定機械を開発しろと言ったんです。既に着手していると言ってましたが、、、どうなったんだろうか?脊髄再生の方が優先なのかな。山中教授と大親友だもんね。中村屋w
リボトリールは (徹哉)
2015-12-06 18:59:04
あの薬は「てんかん」の薬ですからねぇ。
そしてもう一つの顔が、「ベンゾジアゼピン系最強の抗不安薬」。

半減期もえらい長いので、メンタル疾患まだ残ってる自分のルールでは

・痛みの対処以外の目的には使用しない。
 不安とか怒りとか綺麗さっぱり感じなくなるので、精神面の緩和目的で使わない。感じないだけで、ダメージは残ります。

・使った後、最低3日は次使わない。連続使用は2回まで。その際は最低5日あける。

・1ヶ月の間で使うのは5回まで。

で、結構安定したようです。
年に一度、近所の整形外科で6シートもらって余るくらいですね。

ここまで来るのに、心療内科の先生とも連携して見つけた使い方ですね。

なお、摘出された血管腫は3つ、小豆大だったそうです(弟談)
良性でしたが、自分の人差し指の太さが大体脊髄の太さ、その中にこんなもんがいて、生きてる方が不思議と思います。(汗)
はじめてコメントします (yuki)
2015-12-06 19:11:47
4年前にT6・7の上衣腫の手術をしました。
脊髄腫瘍と分かってから、ま~ちゃんさんのブログは何度も何度も読ませて頂きました。その後も読み逃げでごめんなさい。
どこの病院で手術しますか?と最初の病院で言われ
慶應病院の整形外科でお願いしますと言い紹介状を持って水曜日に行きました。初診から3カ月後にやっと手術受けられました。
術前の症状は足の痺れと、しゃがんで立ち上がる時に
何かにつかまらないと立ち上がれませんでした。
足の裏が砂の上を歩いている様な感じでじわじわというかちくちくしました。
手術後は、全く立てなかったので、愕然としました。
先生に、術後直ぐ「足動かせる?」と聞かれ動かしたら
「お~、大丈夫。リハビリすればちゃんと戻るから」と仰いました。退院するまでに、杖は必要でしたが歩けました。その後リハビリに他病院に3カ月程通い、杖も必要なくなり、今は、自転車にも乗っています。
私は排尿排便に関しては後遺症はありません。
でも、足の痺れと感覚がやはり分からないので、イライラする事が多いです。痺れが痛く感じるのは雨の日や気圧変わる台風の日、今の様に冬にかけて症状が強く出る気がします。半年に一回、今も、慶應の検診に行きMRIも撮りますが、空洞がもう完全に無くなりました。
脊髄腫瘍の患者さんにとって、情報が少ない中、ま~ちゃんさんのブログに勇気づけられ、また、勉強させて頂いた一人です。はじめまして、ですが、改めて、ありがとうございました。


徹哉さんへ (ま~ちゃん)
2015-12-06 19:44:33
そうなんだよね~てんかん薬なんだよね~・・・

でもね、夫のパキシルも含めて、
”脳”に作用する薬な訳だよ。痛みを感じるのは痛い部位ではなくて”脳”の指令なんだよね。
だから、原理としては理解できる。
でも、”脳”に作用する薬だから、「怖い」わけよw

頚髄に小豆大3個。うひゃ===、想像しただけで、、(泣)

胸髄は、もう少し太いから。
でも、夫の腫瘍は中心が一番太く(脊髄の幅いっぱい)
その上下は霞がかかったみたい、天の川みたいに、すぅ~っと先細りしてたな。。。あれは、ヨーグルトのジャムに間違いないとおもう。中村屋に感謝!!ですぅ。。
yukiさんへ (ま~ちゃん)
2015-12-06 19:50:57
コメントありがとうございました。

もしかして、「ま~ちゃんのブログを見てここに来ました」
みたいなこと、先生に言いました?
この前知ったんですが、居るらしいんですよ。そういう患者さん。

後遺症、最小限で済んだんですね。(ご本人的には納得いかないかも知れませんが)
ヨカッタです。自転車こげるんですから。
季節の変わり目は、痺れが増悪すると皆さん仰っていますので、冷やさないように。特に、腰、足、足の裏は充分温めて下さい。しかし、湯たんぽだけは気をつけて下さい。低温やけどに気付かない(感覚鈍麻)事が多々あるようですから。。。

あまり、脊髄腫瘍について最近書いていないので申し訳ないのですが、ご拝読頂けら嬉しいです。
お大事にして下さいね。
ブログを読んで医者にかかる人・・・ (みなみ)
2015-12-06 21:17:18
私の読者でもいるらしいが、それを病院では言わないつのが、
私にとっては常識なのですが・・・
いろんな人がいますからねえ・・・
いや、10月の定期検査の結果外来で、
来年の予約を若い先生で取ったとき、
なんか見られているような気がして・・・
まあ、当たり障りのないことしか書いてないから。
みなみさんへ (ま~ちゃん)
2015-12-06 22:12:08
あ~、実はね、このブログ夫が入院している時から
慶應の先生・看護師さん達は読んでますし、
夫が入院中に夫の前のベッドに入ってきた人は
まさしく、「クロちゃんですか?」と言って入ってきました。
斜め向かいの人も「間違いなく、ま~ちゃんとクロちゃんだ」
と会話を聞いて思ったそうです。何せ、そこで話してることが
翌日ブログに書かれてるわけですから、みんな即日お友達でしたよ。もちろん、先生方にも「書いていいですか?」と
ご了承頂いてから書いてます。
途中から実名になってきますが、これは、このブログが幻冬舎から書籍化する事になり、各方面の方々皆さまに実名OKかを確認を取る必要があったのです。
で、OKもらって書いてます。

私が癌になり治療闘病が長かったので、書籍化の話しは立ち消えました。前書きと第4章までは書き上げてあったんですが、、私の癌の話までは流石に入れられないし、悩んだ末に断念しました。

何を隠そう、書籍化を薦めたのは向井万起男先生です。
その年、向井先生は講談社のエッセイ大賞を受賞され、講談社・幻冬舎・文藝春秋の編集者をご紹介下さいました。で、幻冬舎になったんだけれど、帯は先生が書いて下さると言う事で、表紙の絵のイラストレーターまで決まってたんですよね。。

脊髄腫瘍の方が情報を探した時にこのブログにどうしたって辿り着いてしまうんです。

まぁ、慶應整形外科脊髄脊椎班の先生方にとっては患者が増えるので、あまり、よろしくないかもしれないんですが、、ざっくりと大目にみて苦笑して下さっています。。

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