脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

気分転換!!

2018-10-11 12:51:12 | Weblog

最近、なんとなく、、、やる気がなく、、、ついでに、、、元気もないわたくし。。。

孫に会いに行くと、「ギャン泣き」され、、、

3ヶ月も顔を見なかった孫は、7か月に入り人見知りの時期。。。

娘が近くのスーパーに買い物に行ったら、ママの顔が見えなくなった途端に泣き出して、、、

どんどん泣き方は大きくなり、、、何をやってもお手上げ状態。。。

で、子守りに疲れ切って「帰る」と言って速攻きたくしたわたくし。。。まじで、疲れた(汗)


そんなこともあったし、季節の変わり目で、いまいち体調も優れず、気分も落ち込んでいた。


で、昨日、友人がわたくしを誘ってくれた。じゃーーーん。

  


千葉の銚子まで海鮮丼を食べに行って来た。(しかも、激安。)

青い空、青い海、心地いい風。そして、この海鮮丼。

元気にならないわけがない。友人に感謝だ。


銚子港で撮った写真。元気に手を大きく、丸!!

では、、、

       ごきげんよう
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死ぬまで生きる。。。

2018-10-01 00:02:19 | Weblog
今さっき、お通夜から帰宅した。

年中、入り浸っている居酒屋?というか、スナック?というか、、、

お店があるんだけれど、そこの常連のお客さんで、いつもご夫婦で週に3回位は通ってて、、、

わたくしのことも、とても可愛がってくださっていたご主人が27日に急逝された。

わたくしと、亡くなった方との共通点はただ一つ。「がん患者同士」

お互いに、がんと共存して死ぬまで楽しく生きましょうね。と話してた・・・

ついこの前まで一緒に呑んでいたのに、、、

訃報を聞いた時は腰が抜けそうになった。

今日、お通夜に行かせて頂いてお顔を拝見して、、、


死ぬまで生きた人の顔だ……と手を合わせた。

亡くなる2週間前まで普通に生活していて、入院したけれども、苦しむこともなく

眠るように逝ったと奥様から伺った。

わたくしは、奥様に「ハグして」とせがみ、ハグした。

そして、耳元でささやいた。。。

「わたくしも、喪主を経験しています。ご自愛くださいね」

「貴女こそ、死ぬまで生きるのよ」とわたくしの耳元でささやかれた。。。

5年前に前立腺がんを発症し、2年前に多発性に転移。しかし、抗がん剤治療等は一切せず、

夫婦2人の楽しむ時間を一番最優先にしてくれた。と礼状に喪主の奥様が書かれていた。



「死ぬまで生きる」

TO DO そして、 TO BE  である。

亡くなった御主人から受けた御恩は、これから時間を掛けて奥様に返そう。。。

と、みんなに言った。

「そうだね」「そうよ」「それしかない…」

と、みんなで言った。

外は台風で、荒れに荒れている。

さぶちゃん(亡くなった御主人のニックネーム)が嵐を呼んだ?嵐を呼ぶ男だったのかもしれない。

謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。


合掌


では、、、
     ごきげんよう

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小さな奇跡

2018-09-20 21:15:38 | Weblog
前回ブログ更新してから、奥歯が痛み、、、

治療しながらだったけれど、眠れぬ夜を過ごしていた。

どこが痛くても、人間、ダメなもんだなぁ~と実感した。


やっと、この2日ほど痛みが治まっている。
仕事から帰宅し、何気なくニュースを見ていたら、すごい、というか、、、
そうだよなぁ~~、いいなぁ~~~と食い入ってみてしまった。

それは、認知症の老人たちがスタッフとして働くレストランの映像だった。

その名も「メニューを間違ってもいいレストラン」。

すごいよね。。。

80代の女性が生き生きとお茶を運び、お料理をお客様に持っていく。
そこでの会話。ニコニコと口元がほころんでいるスタッフの老人たち。
「毎日、誰とも話をしないような生活をしているからね、今日は楽しい」「うれしい」と言っていた。

なんか、老人施設で(有料老人ホーム・老人保健施設・特別養護老人ホーム等々)
100人とかの介護を一気にしていると、こういう大事な事を忘れてしまう。
家族が介護できなければ施設に入所するしかないかもしれないけれど、、、
なんか、言葉が見つからないけれど、、、それって何かが違うんじゃないかな???と思った。

「小さな奇跡」ってね。
あるご婦人が翌日、レストランでの写真を見せられて「あぁ、これ昨日の。これ、娘だわ」と言ったの。
このご婦人、前日の事を一度も覚えていたことがなかったんだって。。。
でも、レストランで働いた翌日、前日の事を覚えていた。っていう、小さな奇跡です。


だれもが、歳をとり、いつかは我が身である。

わたくしは、80歳になった時にどうなっているんだろう???
と、思ったけれど、、、
わたくしは、そこまでは生きられないだろう。と納得してしるところがある。
不思議な事に、「長生きをしたい」とわたくしは思っていないのだ。
それでも、認知症になり、思いがけず80過ぎ迄生きてしまったら、、、
そうね、その時の為に、公正証書でも作ってわたくしの思いを遺そうと思う。

そうでないと、こどもたちがかわいそうだから・・・
こどもどころか、かわいい孫に世話をかけるようなことにはなるわけにいかないから。


では、、、

          ごきげんよう
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平和を祈る…

2018-09-10 19:13:52 | Weblog
言葉はいらない…

お聴きください。



感動の歌 戦争孤児だった少年が歌う平和の歌「イマジン」(日本語字幕)




北海道の皆様の平和が早く訪れるように・・・

世界平和を祈って、、、


では、、、

     ごきげんよう


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ねんげつ。つきひ。

2018-09-01 15:16:12 | Weblog

今日から9月だけれど、9月4日はわたくしの父の命日だ。

明日は、十七回忌の法要があるのだけれど、わたくしは欠席にさせてもらい御仏前だけ郵送した。

息子が生後9か月の時に64歳で急逝した父。

初孫の娘を溺愛した父。孫娘会いたさに、何かと理由をつけて盛岡から東北道を走らせた父。

息子が生まれて直ぐに片道2時間かかるNICUに入院した時は、朝と夕方、冷凍した母乳を届けてくれた父。

そして、、、わたくしを、心から愛してくれた父。


年月が経つと、、、16年の月日が経つと、、、

遠い思い出に変わるんだなぁ~と実感する。「昨日の事」のようには思えない。遠い昔の思い出。


夫が亡くなって8年が過ぎた。今は、まだ家の中に夫の物や写真が沢山飾られていて「遠い昔」にはなっていない。

子供たちと会っても夫の話になることも少なくなった。子供たちには子供たちの生活がある。

わたくしにはわたくしの生活がある。

「年月」「月日」とは、不思議だ。

毎日毎日をひたひたと、連綿に暮らすこと。これがとても大事。。。と教えてくれる。

そして、それが一番幸せなのでなないか…とわたくしは思う。


今は亡き、父と夫に相談したい。

わたくしは残された月日をどう生きたらいいのだろうか?


乳がん術後10年して再発し、多発性がんによりあっという間、約半年で亡くなってしまう症例が非常に多いこと。

今年で術後7年になるわたくし、あと3年で術後10年だ。

「ねんげつ」年月、「つきひ」月日。


そんなことを考えた9月1日でした。。。



では、、、

      ごきげんよう



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