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ぽかぽか春庭「富嶽百景のころの太宰」

2010-09-04 | インポート
2010/09/04
ぽかぽか春庭言海漂流記・葦の小舟ことばの海を漂うて>富士には月見草がよく似合う-太宰治の父と乳(1)富嶽百景のころの太宰

「富士には月見草がよく似合う-太宰治の父と乳」
 『富嶽百景』は、1939(昭和14)年2月に発表された短編で、中期=安定期の佳作として評価されている。
 太宰30歳。この作品が発表される前月に、師、井伏鱒二の家で、石原美知子と結婚式をあげ、生活のうえでも文学の上でも、転機をはかった時期であった。

 『富嶽百景』は、私小説の少ない太宰の作品のなかでは、最も私小説的なもののひとつである。発表の前年1938年9月、井伏が滞在していた山梨県河口村御坂峠の天下茶屋に行き、二ヶ月ほど滞在。
 井伏の紹介で甲府の石原美知子と見合いし、婚約が成立することの出来事が『私』という一人称で語られている。

 天下茶屋へ行くまでの太宰は、昭和10年11年、東京帝大は落第、都新聞の入社試験に失敗。三度目の自殺未遂。パビナール中毒。芥川賞落選。
 昭和12年、妻・初代の不貞を知る。初代と心中未遂。別居後離別というように、生活も破綻し、文学にも懐疑的になり、執筆もできなくなった状態であった。

 師・井伏に招かれて天下茶屋に滞在した太宰に、精神的な転機が起こる。四度の自殺未遂ののちの、起死回生。再生への意欲。この滞在以後、太宰はかわる。文体しかり、小説の題材しかり。なによりも生活において。

 この中期=安定期の作品と生活は、戦後の社会的寵児としての太宰、そして後期の『斜陽』や『人間失格』などの作品に比べると衝撃度は少ない。後期を最も「太宰的」とみなす人からは、「非太宰的」だとさえみなされる。
 平野謙は、この時期の太宰の生活を生活者至上主義のための演技的生活だとみている。

 『この時期の太宰治はまず実生活を下降し、それにふさわしい文学を虚構することで、芸術と実生活の架空の一致を生み出した、とも眺められる。(中略)
 異常が平常で、平常が異常、というケースが、太宰治の生涯に妥当とするとすれば、もともと常識的な生活者というようなものは最初から太宰治には存在せず、中期の一見尋常なコースこそかえってフィクショナルな生活仮構の時期ともながめられるのである。(中略)
 太宰治は明るく健全な文学のために常識的な生活者を仮装しなければならなかった。』(1954 平野謙 『太宰治論』)

 平野の見方に従えば、真の太宰に対して、中期の太宰は仮構であり、ニセモノの太宰ということになる。
 私はそうは思わない。中期の太宰もまた太宰の本質である。

<つづく>
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